「済州島の悲劇 封印解く」という記事が朝日の夕刊にあった。 先月、康由美(かんゆみ)さんという人の講演を聞く機会があって、その時、在日韓国・朝鮮人というと、戦前に強制連行されずっと住み続けている人というイメージがあるだろうが、いったん祖国に戻ったあと済州島の政情不安と大虐殺事件によって、また戻ってきた人が多くいるという話を聞いた。1935年生まれの彼女の母も、1950年に日本に密入国で戻ってきた。という話を聞いて、それは初耳だったな、と、ふっと驚いたことを思い出した。記事には「朝鮮半島が南北に分断されつつあった48年4月3日、左翼勢力と軍、警察の衝突の過程で無関係の島民ら約3万人が殺害されたという。」とある。南北分断とその後の戦争が、日本の侵略戦争後の「代理戦争」だったという指摘については、得心がいったけど… あまりもむごい体験のせいで、歴史的な事実であり、その体験者が相当数いたとしても、記憶が封印されるということがあるのだと知る。そして、その記憶が引き出されるきっかけは、キムテジュン、ノムヒョンらによる「国の民主化」と正式な謝罪である、ということも示唆に富む。 そのように、封印された記憶が、実はこの国住む老人たちにないと言えるのだろうか。 悲惨が操作され、故意にピックアップされあるいは、黙殺されているということがないと言えるだろうか。悲惨に優劣などをつけず、つぶさに見つめ、教訓化しようとする努力、少なくてもそれを促すことが「教育」だと思うが、同じ紙面には「教育振興計画案 道徳教材に国庫補助」の見出しが踊る。 ほぼ同世代である康由美さんの講演は、彼女の生い立ちや体験とともに、在日外国人の入居拒否事件について語られた。せいいっぱいがんばって生きているだけなのに、人生の本当に重要な節目、就職や、転居や、その時に、拒絶され、可能性を剥奪されることの怒りが、淡々とした語り口から伝わってきて、私は、久しぶりに「日本の女」であることを恥じたのだった。 しかし、この国の制度(考え)が、「国籍で人を分ける。」ということは、自明のことであるようでいて、実は、「国籍」というよりも天皇を基軸とした系譜。すなわち、氏というものが人を分けるということの大きなバリエーションとして、むしろ逆に国籍問題があるのではないかと、思ったのだった。どちらにしても「民主的」とはほど遠い発想ではある。 by fuyukikai | 2008-04-02 22:19 | Trackback
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