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2007年09月10日
粘着くんはどこにでもいる
オーマイニュースの「市民記者編集委員」になった。その筆頭で、最初の「オーマイニュース記事評」を書いた。が、そこのコメント欄に、「天元」という人が、匿名で攻撃に来ている。ずいぶん前の記事(それも、このコメントがついている記事とはなんの関係もない)を引き合いに出して、なんとしてでも、コイツをつぶしてやろう、という意気が満々である(笑)。
いや、途中まではこちらもまともに対応していたのだが、どうも様子がちがう、と、途中で気がついた。なにを言っても、あれこれ理屈をつけては「オマエは間違いを認めろ」しか言わないのだ。話している相手の「考え方の違い」「見方の違い」というのをまるで認めようとしない。自分の主張だけを繰り返し、「オマエはあやまれ」としか言わない。なんだか気持ち悪くなってきた。
ついでに、記事とは違う内容でのコメントなので、あまりこれが長くなると、見ている人たちにも迷惑だから、ということで、こちらのBLOGに誘導して差し上げたのだが、これには一向に乗ってくる気配がない。これまでもいろいろな人が同じような「攻撃」をしてきたけど、その中のちゃんとした人たちは、きちんとこの趣旨をわかって、こちらのBLOGに来ていた。でも、今回はその気配がないから、おそらく「攻撃のための攻撃」でしかないんだろうと、勝手に想像している。ここはアフィリエイトなんか全然やってないBLOGだし、完全に個人サーバだからランキングも関係なし。だから、来てもせいぜいがアクセスログが残るくらいだから、来てもどうってことはないのに。
だいたい、名前が「天元」。つまり私の名前の「典玄」をパロディにしたものらしい。匿名の臆病者。不真面目な態度、そして、私だけを標的にしている、というこの粘着はこの名前だけで明らかだ。「いや、これは囲碁で使われている名前で。。」などと、言い訳にいそしんでいるようだが、まぁ、普通こんなのは「後付け」でGoogleあたりで探してきたんだろう、としか思えない。普通はね。
なーんて言っても、向こうは匿名。こちらは実名。まともに相手をするほどのことは、普通はない。まぁ、暇なうちは相手にしてあげるから、こちらで続きをどうぞ。
こういうことは、毎度のことなので、もう飽きてしまった、というところもあるのだが、まぁ、書いておいてあげよう。こういう「記事」なんかでの論争を楽しむ、暇な人たちも多いみたいだしね。
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1947年の歌である「星の流れに」は、「谷まゆみ」は、「オリジナルの歌手ではない」それを認めろ、そうでないと、オーマイニュースの市民記者はみんな同じだと思っちゃうぞ!みたいな、幼稚な攻撃が執拗に続いているが、はぁ、この人はネットの情報だけで世の中のすべてができてると思っている、幸せな引きこもりなんだなぁ、というしかない。
ネットの情報のけっこう最初のほうに、「星の流れに」を最初に歌ったわけではない歌手である「谷まゆみ」が出てくる根拠は、ではいったいなんだろうか?それも、記事中ではカッコの中に「歌:谷まゆみ」と書いてあるだけ。この人が最初の歌手であるかどうか?ということは書いていない。多くの歌手が歌ったこの歌の、歌手の一人を書いたわけだから、「間違い」ではない。
答えはわかっているのだが、ここのところは天元くんの勉強のための宿題にしておこう。
そして、この歌手の名前が出てくるところは、当該記事のたった1箇所だけ。誰が歌おうと、あまり関係ないが、とりあえずこの中で知られた歌手であろうと思われる人の名前を出した。その部分は本文のところではなく、また、誰が歌っていても記事の趣旨ともまるで関係が無い場所だ。
(歌:谷 真酉美、作詩:清水みのる、作曲:利根一郎)
歌の引用の最後に、こう書いてある。この部分だけだ。
このクレジットは著作権法で「引用」の要件を満たすために書かれた部分であって、この歌を歌った歌手はそのいずれもの人が「二次著作権」を持っているから、ここの歌手名は誰でもよかった、という部分である。
全体の文脈を全く無視して、文脈とはまるで関係のない小さな部分だけを取り上げ、「重箱の隅をつつく」ことにより、筆者の「不正確性」を問う。これを「針小棒大に」取り上げる。そして、筆者への攻撃の材料にし、最後はその人格まで否定する、というやりかたは、1980年代にも、イザヤ・ベンダサンはじめ、多くの右翼系・御用知識人が駆使した手であったことは記憶に新しい。
こういう攻撃の方法は、昔から変わるところがない。その方法をお教えする。
ターゲットを見定めると、まずその「穴」を探す。不正確な記述や、間違っているところが少しでもあると、まずそこを突破口に、攻撃を始める。多くの書いたものを世の中に出している人の文章は、その数が多いがために、間違いなどの1つや2つは必ずあるものだ。攻撃者はまずそこを探す。
私もオーマイニュースでの記事が200をこえる。自分の著述したものや、監修したものも40冊ほどある。そうなると、その中には不正確な記述をしてしまったもの、勘違いをしたもの、など、さまざまなものが、やはりある。穴も当然多くあることだろう。
その「穴」のうち、その場でわかったものは、出稿後に変更することもある。コメント欄でこのように口汚いことばで粘着をしてくる人間や、「記事の修正」が目的ではなく、個人攻撃を目的としている(ように見える)輩には、まともに答える義務はないが、ときどき、本当にちゃんとした間違いを指摘する人もいる。私はこういう人には、ちゃんとした答えを返すことにしているが、そういうことを繰り返していても、まだ「穴」は残る。悪意を持ってあら捜しをすれば、どんな聖人君子にも完璧というものはない。ましてやスピードを要求されるネットの上での「記事」である。私の記事ではなくとも、ツッコミどころは満載、という記事は多いのが普通だ。
しかし、「粘着くん」は、その間違いを訂正するためではなく、あくまでその個人を攻撃するためだけに、こういう「穴」を使う。決して「間違っていることを、直してほしい」がホンネでもなければ、目的でもない。粘着して、相手をつぶすことが目的であることは「天元」という私の名前のパロディの名前で明らかだ。この「匿名の粘着くん」のクラさ、というのは、想像するだに虫唾の走るものがあるので、触るのもおこがましいが、暇であれば私もときどき相手をする。
そして、「粘着くん」は、この「穴」をガンガンと攻撃する。ご丁寧なことに、今回の「穴」は、その記事の内容のことでは一切なく、少々古い記事だ。これを見ても、「天元」というウソくさい名前とともに、やはり「攻撃のためのコメント」であることは明白だ。
言われてみて、ああ、そういえばそんな記事も書いたよなぁ、と思い出した。そのとき、なんだか同じようなことを言って「衆目を引いてカッコよく振舞いたい」人もいたように思うが、まぁ、今となっては過去の話だ。
「攻撃をするためだけの粘着くん」のやることは、だいたい決まっている。
1. 相手の記事などに小さな「穴」をみつける。
2. 見つけた穴を執拗に攻撃する。
3. 「小さな穴」を捉えて「事大主義」的に大きなものに見せる。
4. さらにその穴を人格攻撃にまで広げ「こいつは信用ならない」とする。
5. 結果として攻撃相手の「全人格を否定」する。
こういった、単純な手口が、今もネットであちこちで行われている。今回の「天元」さん、みたいに、ね。でも、あくまで「自分の主張は正しく、それを認めてもらうためだけに、オレはやっているのだ!」と、彼はあくまで主張する(せざるを得ない)。そりゃそうですね。それしか武器がないんだから。
だが、もうこの方法は流行らないんですよ、明智君。いや「天元」くん。
今は昔とは違って、ネットの時代だ。ネットでものを書き、少々は名前が表に出てくると、必ず、一人や二人、こういった匿名で、かつ卑怯きわまりない「粘着くん」につきまとわれる。女性の場合は特にこういうことが多い、とも聞く。多くは妬みなどがその根底にあるのではないかと思うが、こればかりは私も調べたことがないので断言はできない。
しかし、こういった人たちをまともに相手にしないことが、ネットでものを書き続けていく、ということにはやはり必要なのだと思うし、そういうことがだんだんとネットでモノを書く人の共通のコンセンサスになってきたと思う。彼らの手口の種明かしを何度もしてきたので、だいぶこのやりかたへの理解も広まってきた、という事情もある。今後も、もっともっとネタばらしをしていくつもりだ。
今回の事件での私の一番の間違いは、こういう輩と真正面からたたかってしまったことだ、と、反省している。もし、ここをお読みの市民記者の方がいらしたら、私の踏んだウンチを踏むことなく、粛々と記事を書き続けていただきたい、ということだ。
ところで、人間のウンチより、イヌのウンチのほうが臭い。なんでだろう?今回はかなりクサかったなぁ。。。いや、失礼(笑)。
しかしね、ネットにはなんで「オレの言うことを認めろ」みたいな人たちが多いのかな?普段からあまり人に認められるような仕事を持っていなかったり、正常な家庭生活を送っていないから、欲求不満がたまっているのかも知れないね。あくまでぼくの想像だけれども。。。。
いつでも、どんな困難に会っても、心静かに、仕事もしたいし、家庭生活も送りたいものです。
※ さっき、近くにある国立科学博物館付属自然教育園に行ってきたので、そのときの写真をはさんでみました。今日はすごくいい天気だった。暑かったけど。
投稿者 nori-m : 2007年09月10日 08:20