1.まず報道記事を幾つか。
(1) 東京新聞平成20年2月10日付朝刊3面
「「終身刑創設」盛る 死刑廃止議連法案 今国会提出めざす
国民新党の亀井静香代表代行や公明党の浜四津敏子代表代行らがつくる超党派の「死刑廃止を推進する議員連盟」が、死刑廃止に向けてまとめた法案が9日、明らかになった。(1)終身刑の創設(2)死刑制度調査会の国会設置と4年間の死刑執行停止−が柱で、今国会での参院提出を目指す。死刑執行の停止を求める法案が国会に出されれば1956年以来、52年ぶりとなる。
議連は近く幹部会を開き法案内容を確認、各党に働き掛ける。2003年に同様の法案を提出しようとした際は民主、公明、共産、社民各党が賛成したが、亀井氏が当時所属していた自民党が反対し断念した経緯がある。今回も自民党や法務省が強く反対するとみられ、状況によっては「4年間の執行停止」の部分などの修正も検討する。
現行の「無期刑」では10年を過ぎれば仮釈放の対象となり、法務省によると06年に仮釈放された3人の平均受刑在所期間は約25年だった。
法案では、これよりも重い「重無期刑」を創設、事実上の終身刑とする。これまで死刑を言い渡された罪状を重無期刑とすることで実質的死刑を減らす狙い。「廃止」を掲げなければ存続派が受け入れやすいとの判断もある。施行は09年4月1日としている。
同時に12年3月末まで衆参両院に死刑制度調査会を設置し、死刑制度の存続を含めて調査。法整備などのため13年3月末まで死刑執行を停止する。議連は調査会で廃止への道筋を付けたい意向で、終身刑導入と二段階で臨む方針だ。」
「4年間の死刑執行停止」の点については、3月4日に発表した議連による法案では、削除したとのことです。後述する、東京新聞「こちら特報部」では死刑執行停止を削除した点について、議連の亀井会長にインタビューした記事を掲載しています。
この法案では、「重無期刑」を創設し、事実上の終身刑を認める内容とすることが特徴です。この終身刑の是非については、賛否が分かれています。もっとも、実は、検察庁は無期懲役者の仮釈放について秘密通達を出しており、「無期懲役の中に仮釈放の認められない特別の類型」を作っているのです(詳しくは後述します)。仮釈放を認めない以上、これは、実質的には終身刑であり、実際の運用としては日本にも終身刑が存在するわけです。
このように日本でも実際の運用上、終身刑が存在するのですから、「死刑廃止を推進する議員連盟」による法案は、検察庁が秘密裏に勝手に行っている「終身刑」を明文化しようとするものです。
(2) 朝日新聞平成20年3月4日付朝刊
「死刑「全員一致のみ」 廃止議連、裁判員法改正案提出へ
2008年03月04日
裁判員制度が来春始まるのを前に、超党派の国会議員でつくる「死刑廃止議員連盟」(会長・亀井静香衆院議員)は3日、市民の裁判員と裁判官計9人が多数決で決める量刑について、死刑判決の場合に限っては全員一致を条件とすることを柱とする裁判員法改正案を提出する方針を決めた。4日の役員会でとりまとめ、仮釈放のない終身刑を創設する刑法の改正法案などとあわせて今国会の提出を目指す。
裁判員裁判では6人の裁判員と3人の裁判官が議論し、裁判官を最低1人含む計5人が賛成すれば、死刑判決が下されることになる。こうした仕組みをめぐって、「市民が死刑判決を出すのは荷が重すぎる」などの意見が出ている。
役員会に示す骨子案では「死刑判決を下すに当たっては、(多数決ではなく)構成員全員が賛成することを要件とする」と定める。また、死刑と、仮釈放がある無期懲役刑の差が激しすぎるとして、刑法などを改正して終身刑を創設することも提案。裁判員裁判で、死刑賛成の意見が過半数に達したものの全員が一致しない場合は終身刑とする、と定める方針だ。
議連は「最終的な目的は死刑廃止だが、裁判員制度が始まるなか、存廃論議を超えて、死刑判決を抑制する方法の議論を巻き起こすべきだと考えた」としている。」
この記事によると、「死刑判決の場合に限っては全員一致を条件とすることを柱とする裁判員法改正案」を提出するということです。要するに、死刑判決の場合には評議方法を厳格にしようとするものです。そこで、死刑判決の評議方法について、説明しておきます。紙面では、以下のように説明しています。
「裁判員裁判では6人の裁判員と3人の裁判官が議論し、裁判官を最低1人含む計5人が賛成すれば、死刑判決が下されることになる。」
もう少し詳しい説明となると、次のような説明になります。「愛媛県弁護士会『改正刑訴法・裁判員法講座 裁判員制度における評議・評決の手続きと判決』」から、引用しておきます。
「3、 評決について
(1) 基本原則 過半数が原則であるが、裁判官及び裁判員の双方の意見を含むとの要件があり、裁判員のみ、あるいは裁判官のみの全員一致で有罪にはできない(67条1項)。
(2) 量刑の評決方法 量刑の場合も過半数が原則だが、67条2項に固有の特例がある。同条項の文言は難解であるので具体例で示すと、例えば、死刑・無期・懲役20年に分かれた場合、死刑選択意見が過半数(5人以上)であっても、その意見の中に裁判官の意見が含まれていなければ双方の構成員を含まないため死刑は選択できない。この場合、死刑選択意見を順次無期選択意見数に加算し無期選択意見の中に裁判官の意見が含まれている場合には、無期以上の意見が過半数かつ双方の構成員を含むとの要件をみたし、無期以上の意見の中で最も被告人に利益な無期が結論となる。」
「死刑を求刑する検事も、死刑判決を言い渡す裁判官も、身を清め、新しく真っ白な下着を着けて法廷に臨むといわれる。執行に直接携わる刑務官らの心理的な負担は想像を絶するという。関係する誰もが、神仏に許しを請うような気持ちで任務を果たしている」(毎日新聞2007年9月27日東京朝刊「社説」)のです(鳩山法相を除く)。死刑とは、他人の命を奪うこととは、こういうことです。
裁判員制度において裁判員として参加する市民は、陪審制度と異なり、量刑まで決定しなければなりませんから、自らの意思で死刑判決を決定することになります。職業としての裁判官、検事、弁護士、刑務官として覚悟があるにもかかわらず、神仏に頼らざるを得ないほど背負いきれない思いを感じているのに、職業としての覚悟がない裁判員にとっては、想像を超えるほどの重荷になるはずです。
40年間、冤罪無実を訴えながら獄中にいる袴田巌さんの一審判決(1968年静岡地裁)で、死刑を言い渡した裁判官だった熊本元裁判官(69歳)は、他のふたりの裁判官に押し切られて多数決の合議で「死刑判決」を出してしまったとして、29歳の時に出した袴田さんへの死刑判決を69歳となった今も、一日たりとも忘れられずに悔いているというのです(「保坂展人のどこどこ日記」さんの「袴田巌さんの無実を元裁判官が証言」(2007年02月26日))。
有罪、しかも死刑相当であると信念を持って確信しているのであればともかく、いくら無罪と考えていても裁判官を最低1人含む計5人が賛成すれば、嫌でも死刑判決になってしまいます。そうなると、たった一回限りの裁判員であったのに、心ならずも冤罪を作ってしまったというトラウマを一生涯、背負って生きなければならなくなります。できる限り冤罪を防止するためにも、裁判員のためにも、「死刑判決の場合に限っては9人全員一致を条件とする」ことは妥当性のあるものだといえます。
では、東京新聞3月18日付「こちら特報部」を紹介します。
「亀井静香・廃止議連会長に聞く 新法案は前進か後退か 終身刑あれば死刑に歯止め
2008年3月18日
超党派の国会議員でつくる「死刑廃止を推進する議員連盟」(会長・亀井静香衆院議員)が4日、今国会に終身刑創設法案を提出する方針を発表したが、以前、つくった法案から「死刑執行停止(モラトリアム)」が削除されており、むしろ「厳罰化法案」に見えなくもない。議連は主張を後退させたのか? 亀井会長を直撃した。 (岩岡千景、片山夏子)
現在、死刑廃止国・地域は英・独・仏など135、死刑存置国・地域は日・米・中など62(米国は一部の州が廃止)。昨年12月の国連総会で死刑の一時停止を求める決議も採択され、国際潮流は死刑廃止に向かっている。
一方、わが国では昨年9月、鳩山邦夫法相が「ベルトコンベヤーと言ってはいけないけど(死刑が)自動的に客観的に進む方向を考えてはどうか」と発言。昨年12月と今年2月、それぞれ3人の死刑が執行された。
厳罰化の空気も強まっている。かつて「3人以上の殺害事件は死刑判決」といわれたが「量刑のインフレ」が進む。被害者が一人の事件でも、今年2月には、短大生に対する強姦(ごうかん)、殺人事件で死刑判決が出た。年間の死刑確定者数は2006年から20人を超えている(別表参照)。
■強まる厳罰化 理想論捨て「執行停止」削除
こうした中、議連が提出するのは、事実上の終身刑である「重無期刑」を創設するための刑法改正案だ。
重無期刑は死刑と無期懲役の中間刑で、仮釈放を認めず、恩赦で刑が軽減され無期懲役になる場合も、これまでの服役期間を仮釈放に必要な10年に数えない。
裁判員法改正案も出す。来年5月までに始まる裁判員裁判では、有権者から選ばれる裁判員6人と職業裁判官3人の計9人中、5人(裁判官1人以上を含む)が賛成すれば有罪となる。議連の改正案は、特例の「死刑ルール」を設け、死刑判決を出す際は「9人全員の賛成」を条件にする。
議連は2003年、<1>終身刑を創設する<2>国会に死刑制度臨時調査会を設け、死刑存廃を議論する<3>臨調で議論する間は死刑執行は一時停止(モラトリアム)―3点セットで法案提出を準備。当時、民主、公明、共産、社民各党が賛成した。議連には自民党議員もいるが、党内を説得できず、議連が法案提出を断念した経緯がある。
今回の法案が03年のものと大きく違うのは、「モラトリアム」が削除された点で、熱心な死刑廃止論者から「弱腰」と非難されかねない内容だ。刑事弁護の関係者には「死刑を残して終身刑を新設すると、死刑も減らないうえ、従来、無期懲役だった事件でも終身刑判決が出るようになる」との意見も多いからだ。
しかし、国民の8割近くが死刑を容認しており、“現実路線派”の学者、弁護士らからは「理想論では世論は動かない。終身刑ができれば自然に死刑判決がなくなる。それを待つべきだ」との意見も出ていた。
死刑問題の第一人者である菊田幸一明治大名誉教授(弁護士)も「死刑容認者には終身刑があれば死刑は必要ないという人も多い。終身刑ができれば死刑判決が減り、やがて死刑制度はあっても執行はされなくなる。死刑制度廃止の夢物語を語るより、事実上の死刑廃止国を目指すのが近道」と話しており、議連も舵(かじ)を切ったものとみられる。
■一問一答■
――あらためて、なぜ死刑をなくすべきだと思うのか。
国家は人の命を大事にするのが原点で、殺人をしてはならないと考えるからだ。拘置され、もはや社会に危害を与えない者を殺すのは、国家による殺人にほかならない。死刑は見せしめになるといわれるが、あっても凶悪犯罪は続発し、見せしめにもなっていない。
もう1つは、冤罪(えんざい)の可能性だ。人が人を裁く以上、善意であっても必ず過ちを犯す。過ちの中で、かけがえのない命を絶つことがあってはならない。
作家の瀬戸内寂聴さんが「自分だけは凶悪犯罪をする可能性がないというのは思い上がり」と発言していたが、その通りだと思う。人間は生まれ育った環境によって仏の心が出もすれば、悪魔の心が出もする。悪魔の心が出ないようにするのが国家の責任。出たから抹殺するのでは、責任を果たしたことにならない。
――「死刑廃止国」が主流の国際情勢下での「死刑存置国」について。
「日本は人権に鈍感」というレッテルが張られた怖い。外国旅行したら「野蛮な国から来ている」と言われるかもしれない。
――鳩山邦夫法相の「死刑を自動的に」発言が波紋を広げたが。
あの発言で、私は死刑廃止論者が増えたと思う。ベルトコンベヤーのように、どんどこ処理しちゃえ、というのを聞いて「人の命を非常に軽くみていた。そんなことをしちゃいけない」という人が増えたのでは。
終身刑があってもなお死刑は必要かと問われれば、「いやもう必要ない」という人は多い。終身刑が導入されれば、死刑はやめていいという流れになっていくんですね。
――現実路線に大きく舵を切る理由は。
国民の7、8割が死刑に賛成の中で、いきなり死刑廃止と言っても、議員も賛成しにくい。何もできないよりも、まずは終身刑を設けて一里塚をつくり、少しでも前進した方がいい。終身刑ができれば死刑制度そのものへの関心も強くなり、死刑廃止に進む環境が大きく出来上がってくると思う。終身刑導入ならば、自民党でも反対しませんよ。終身刑だけ(の法案)だったら、ほぼ確実に(国会を)通ると思います。死刑廃止論者も分裂しないだろう。
今の無期刑だと(実際はほとんど仮釈放されないのに)20年そこそこで刑務所を出てきて、また同じことをするという心配が国民にある。終身刑は、凶悪犯は原則として一生刑務所で罪を償ってもらう。死刑と終身刑では命を絶つか否かという点で大きく分かれる。終身刑は残酷だという意見もあるが、罪を犯したらきっちり償ってもらう。それが残酷というのはセンチメンタル。
終身刑があれば、死刑があっても死刑に代わるものとして終身刑判決になる可能性も高い。事実上、死刑をさせないという意味では、一歩前進になる。また、国会で議論が始まれば、死刑執行は事実上できなくなる。
――モラトリアムについて。
死刑執行停止(モラトリアム)は、法案を通すのに大きなネックになるならば、はずしてもいいと思う。死刑停止となれば法務省がまず猛反対する。裁判員制度での全員一致については一部抵抗があるが、これは全員一致でいけると思う。
――法案の提出時期は。
できれば3月中には詰めて、4月には出したい。国会はいま乱気流に入っているが、これは超党派の話であるし、その間隙(かんげき)を縫っていきたい。
【事実上の死刑廃止国】
国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」の基準では、死刑制度があっても10年以上執行していない国は、事実上の死刑廃止国とみなされる。韓国には死刑制度が残っているが、昨年末に「事実上の死刑廃止国」になった。
【死刑制度存置国・地域】
アフガニスタン、アンティグ・アバーブーダ、バハマ、バーレーン、バングラデシュ、バルバドス、ベラルーシ、ベリーズ、ボツワナ、ブルンジ、カメルーン、チャド、中国、コモロ、コンゴ共和国、キューバ、ドミニカ、エジプト、赤道ギニア、エチオピア、グアテマラ、ギニア、ガイアナ、インド、インドネシア、イラン、イラク、ジャマイカ、日本、ヨルダン、カザフスタン、北朝鮮、クウェート、レバノン、レソト、リビア、マレーシア、モンゴル、ナイジェリア、オマーン、パキスタン、パレスチナ自治政府、カタール、セントクリストファー・ネビス、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、サウジアラビア、シエラレオネ、シンガポール、ソマリア、スーダン、シリア、台湾、タジキスタン、タイ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ、アラブ首長国連邦、米国、ウズベキスタン、ベトナム、イエメン、ジンバブエ
<デスクメモ>
昨年暮れ、特報部員が書いた元刑務官インタビュー原稿。年配刑務官が上司に懇願する場面に息をのんだ。「これまでに10人もやっている。もう堪忍してください」。人一人を逝かせる仕事を担当する人々の心情は、いかばかりか。死刑存廃論議も、そこを無視した冷たいものであって、よいはずがない。(隆)」
*別表などは省略しました。
(1) 幾つかの点に触れていきます。1点目。
「重無期刑は死刑と無期懲役の中間刑で、仮釈放を認めず、恩赦で刑が軽減され無期懲役になる場合も、これまでの服役期間を仮釈放に必要な10年に数えない。」
既に簡単に述べたように、検察庁は無期懲役者の仮釈放について秘密通達を出しており、「無期懲役の中に仮釈放の認められない特別の類型」、すなわち検察庁は、実質的な終身刑を勝手に創設していたのです。「NPO法人 監獄人権センター」にある「無期懲役受刑者処遇の問題点と重無期刑(終身刑)の導入について」という論文から引用します(龍谷大学矯正・保護研究センター編『国際的視点から見た終身刑』168頁)。
「検察庁が無期懲役者の仮釈放について新たな通達を出していたことが2002年1月8日の朝日新聞の報道によって判明した。無期懲役の中に仮釈放の認められない特別の類型を作っていることが判明したのである。この通達は前文しか公開されていない。本文はかなりの長文で、さらに通達を適用する個別事件に言及した別表が存在する。まず、通達全文の内容を明らかにすることが最初の課題である。
通達の中で最高検次長検事は、検事長に対し、無期懲役刑が確定した事件のうち、「動機や結果が死刑事件に準ずるくらい悪質」などの「マル特無期事件」について、刑務所長・地方更生保護委員会からの意見照会に対し、「仮出獄不許可」の意見を作成し、事実上の「終身刑」とするよう求めている。記事(朝日新聞2002年1月8日付夕刊)によれば、「『マル特』に指定されるのは、動機・結果の悪質性のほか『前科・前歴、動機などから、同様の重大事件を再び起こす可能性が特に高い』などと判断した事件。すでに指定されている服役囚もおり、一連のオウム真理教事件の被告も指定候補になっている。具体的には、地検や高検は最高検と協議。指定事件に決まると判決確定直後にまず、刑務所側に『安易に仮釈放を認めるべきではなく、仮釈放申請時は特に慎重に検討してほしい』『(将来)申請する際は、事前に必ず検察官の意見を求めてほしい』と文書で伝え、関連資料を保管する。その後、刑務所や同委員会から仮釈放について意見照会があった際に、こうした経緯や保管資料などを踏まえて地検が意見書を作成する」、ということである。」
行政行為においてもっとも許されないことは、行政機関が国民に対して秘密裏に国民の権利義務を制限する規制を設けることです。勝手に規制することは否定するべきであり、規制を取り払うか、または明文化するべきです。
(2) 2点目。
「今回の法案が03年のものと大きく違うのは、「モラトリアム」が削除された点で、熱心な死刑廃止論者から「弱腰」と非難されかねない内容だ。刑事弁護の関係者には「死刑を残して終身刑を新設すると、死刑も減らないうえ、従来、無期懲役だった事件でも終身刑判決が出るようになる」との意見も多いからだ。
しかし、国民の8割近くが死刑を容認しており、“現実路線派”の学者、弁護士らからは「理想論では世論は動かない。終身刑ができれば自然に死刑判決がなくなる。それを待つべきだ」との意見も出ていた。
死刑問題の第一人者である菊田幸一明治大名誉教授(弁護士)も「死刑容認者には終身刑があれば死刑は必要ないという人も多い。終身刑ができれば死刑判決が減り、やがて死刑制度はあっても執行はされなくなる。死刑制度廃止の夢物語を語るより、事実上の死刑廃止国を目指すのが近道」と話しており、議連も舵(かじ)を切ったものとみられる。」
死刑を残しての終身刑の導入については、反対の方が多いようです。
「死刑制度を廃止するか、あるいは最低限死刑をある程度長期間執行停止することと同時に導入される終身刑については、絶対悪である死刑を廃止するための一つの選択肢として理解できなくはない。決してこのような制度を容認しないし、このような制度が導入されれば、その改善に取り組むことを留保しつつ、このような法案の制定にあえて反対する活動は控えるつもりであった。
しかし、終身刑だけの単独立法、死刑と共存する終身刑は、その持つ意味が全く異なる。現実の無期刑の一部が実質的な終身刑から形式上も無期刑に転換されるだけであり、死刑は減少せず、むしろ通常の無期刑の対象とされて来た事件の終身刑化をもたらすことだろう。死刑制度の廃止なき終身刑の導入は、死刑という絶望の刑罰に終身刑というもう一つの絶望を付け加えるものであり、我々は絶対に反対である。」(龍谷大学矯正・保護研究センター編『国際的視点から見た終身刑』175頁)
しかし、検察庁は勝手に事実上の終身刑を創設している以上、「終身刑というもう一つの絶望を付け加えるもの」というわけにはいかないでしょう。終身刑を明文化し、検察庁の勝手な規制を国民の目に明らかにさせ糾弾しておくことも意義があることのように思えます。
秋田県藤里町で2006年にあった連続児童殺害事件で、殺人などの罪に問われた無職畠山鈴香被告(35)の判決公判が3月19日、秋田地裁であり、藤井俊郎裁判長は、死刑の求刑に対して無期懲役を言い渡しました。藤井裁判長は、仮釈放については「被告の性格の改善が容易でないことに十分留意するよう希望する」と慎重な運用を求めました。裁判所も、検察庁が勝手に事実上の終身刑を創設していることを了解しているようです。
こうして、検察庁が勝手に創設した「事実上の終身刑」を、検察庁や裁判所が黙認していく事態は、あまりにもおかしいのです。
3.法務省は昨年12月7日、刑死者の氏名と執行場所を初めて公表しました。このように今までは氏名さえも秘密にしていたのです。死刑囚とはいえ、行政機関が国民の命を奪ったのにもかかわらず。
(1) アルブール国連人権高等弁務官は、12月7日の死刑執行に対して、事前告知のない執行は国際法上問題があること、75歳を目前に控えた高齢者の執行は控えるべきことなどを内容とする抗議のコメントを発表しています。
しかし、法務省は2月1日、東京、大阪、福岡の各拘置所で同日午前、殺人罪などで死刑が確定した持田孝死刑囚(65)ら3人の刑を執行したと発表したのです。死刑執行は、昨年12月7日に3人が執行されて以来で、鳩山法相が就任してから2度目であり、前回の執行からわずか55日しか経過しておらず、後藤田正晴法相(当時)が1993年に死刑を再開して以降の15年間で、執行間隔としては最短となりました(読売新聞)。
こうして、国際的な批判を浴びているにも関わらず、異例のペースで死刑を執行しているのが日本です。
(2) これに対して、同じく死刑を存置している先進国である米国は、現在、死刑執行停止国になっています。
「2003年1月、イリノイ州は、誤判問題を契機にモラトリアムを実施し、ライアン州知事(当時)が167人の死確定者を減刑した。2007年12月、ニュージャージー州は、立法によって死刑を廃止し、8人を減刑した。同州は、この48年間に死刑を廃止した初めての州になった。2008年2月、ネブラスカ州最高裁は、電気いすによる死刑を違憲とし、禁じる判決を言い渡した。
2007年9月、連邦最高裁は、ケンタッキー州の死刑確定者の提起した憲法訴訟の審理開始を決定した。同事件においては、致死薬物注射法による死刑執行、いわゆる「薬物カクテル」が不快を表明することのできない被対象者に苦痛をもたらしている可能性が指摘され、修正8条の「残虐で異常な刑罰」に当たるか否かが争点となっている(Baze v.Rees事件)。薬物注射法については、現在、複数の州で憲法上の問題となっている。なお、同種の方法は、37州中36州が使用しており、現在考えられる中で最も「人道的な」執行方法とされている。
これと並行して最高裁は、2007年9月25日の審理開始決定の日に、全米に死刑執行停止を指示した。テキサス州は、同日、死刑を執行したが、その後は行っていない。12月、最高裁は、アラバマ州に対し、すでに決定していた執行期日の変更を求めた。
このように、アメリカは、現在、死刑執行停止国になっている。もし、最高裁が、薬物注射法による死刑執行を違憲と判断すれば、存置州が新たな手続きを定め、これを執行するまでには相当な期間を必要とするから、数年間、執行停止が続くことになる。合憲と判断された場合でも、新たな執行期日の指定には、なお数か月を要するので、2008年は「死刑執行空白の年」になる公算が高い。」(石塚伸一「法律時評:動く世界の死刑、孤立する日本」法律時報2008年3月号1頁)。
米国が現在、死刑執行停止国になっているにも関わらず、先進国の中で日本だけが「大量執行」への道を突き進んでいるのです。日本政府は、日本が世界で孤立することを厭わないつもりなのでしょうか。「死刑廃止を推進する議員連盟」が、終身刑創設法案を提出する動きをしているのですが、これは国際的な観点からすれば、最低限の行動にすぎないでしょう。
(3) 今年は、国連の人権理事会の定期審査や第5回の自由権規約に関する政府報告書の審査を控えています(石塚伸一「法律時評:動く世界の死刑、孤立する日本」法律時報2008年3月号3頁)。日本に対して、死刑執行停止を求める国際的圧力は避けることはできないのです。
また、裁判員制度により市民は他人事ではなく自分のこととして死刑と正面から向き合うことになるのです。裁判員制度が実施されれば、市民は、リアリティーをもって「自分が他人に絞首刑を命じる」ことになるのですから。
日本政府及び日本国民は、死刑制度の存否について、真剣に向き合うことが求められています。
米国の陪審制の下では、一般に陪審は量刑にかかわらないというのはその通りですが、死刑は例外です。多くの州で、死刑相当犯罪(≒第1級謀殺罪)の有罪を認定した後、死刑か終身刑かを決する第2段階審理を陪審が判断します。岩田太「合衆国における刑事陪審の現代的役割(1〜6・完)――死刑陪審の量刑裁量をめぐって」法学協会雑誌118巻7号1001頁、118巻10号1479頁、119巻1号1頁、119巻3号450頁、119巻11号2168頁、120巻5号921頁(2001年〜2003年)参照。
最近の連邦最高裁の判決は、死刑に対する陪審の関与を強化する方向にあると評価できます。Ring v. Arizona, 536 U.S. 584, 122 S. Ct. 2428 (2002) (死刑にするために認定されなければならない加重事由を裁判官が認定する死刑制度につき違憲判断).
>> 裁判員制度において裁判員として参加する市民は、陪審制度と異なり、量刑まで決定しなければなりません
>米国の陪審制の下では、一般に陪審は量刑にかかわらないというのはその通りです
えーと。「陪審制度と異なり」と書いているとおり、米国に限定することなく陪審制度一般を意識して書いたのであって、「米国の陪審制」に限定していません。その一文だけでなくその前後も、「米国の陪審制」を意識させる内容になっていません。ですから、IZW34さんの読み間違いです。
ただ、「陪審員は一般には、量刑に関与しません」という書き方が一番正確だったとは思います。とはいえ、陪審制度について論じているエントリーではなく、一言書いただけですから、「一般的な」という語句を書き入れなくても、気にするほどのことではないと思っていたのですけどね。
>多くの州で、死刑相当犯罪(≒第1級謀殺罪)の有罪を認定した後、死刑か終身刑かを決する第2段階審理を陪審が判断
情報ありがとうございます。しかし、米国は、現在、(事実上の)死刑執行停止国になっているので、意味のある情報とはいえないのですけど……。IZW34さんのコメントもありがたいとは思いますが、次元のズレたコメントなので、いささか困惑します。
プリンスホテルのエントリーでのIZW34さんのコメント1つについてですが、申し訳ありませんが、諸事情により保留のままです。ご了承ください。
どちらかといいますと私は死刑のメタフィジカルな面を考えてきたと思いますが、「事実上の終身刑」などと聞きますと、胸が波立ってなりません。国民は知らなくてはなりませんね。国民が(立法も行政も)やっていることなのですから。
>「事実上の終身刑」などと聞きますと、胸が波立ってなりません。国民は知らなくてはなりませんね
「事実上の終身刑」まで秘密裏に創設しているくらいですから、検察庁や法務省は、色々と秘密裏に行っていることがありそうです。いったいどれだけのことを隠しているのだろうかと、感じています。いつか暴露される日が来るといいのですが。
http://www.geocities.jp/y_20_06/blog28.html
http://www.geocities.jp/y_20_06/wagakunino.html
をお読みください
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世界の陪審審理の8割が米国で行われるとされる(最高裁見解)点からも、日本人の一般的イメージからも(陪審と聞いてまず連想するのは『十二人の怒れる男』やO・J・シンプソンですよね?)、米国の陪審制度を念頭に置くのはあながち的外れでもないと思いますが。
> 米国は、現在、(事実上の)死刑執行停止国になっているので、意味のある情報とはいえない
先に指摘した米国実務は(短く見積もって)1976年以来行われているものであるのに対し、現在の執行停止は昨年秋からの半年程度のことです。その理由も、裁判が継続中であることによるものであり、結論が出れば解除される性質のものです。現在の執行停止が死刑廃止に向けた暫定的措置とは評価できないことは、米国の死刑廃止運動団体の専門家も含めて意見の一致しているところです。
従って、現在の死刑執行停止は米国の状況を「意味のない情報」として排除する論拠には使えません。
> 次元のズレたコメント
その上で、本文での陪審制度への言及は、裁判員制度において裁判員に死刑の判断をなさしめることを批判する論拠としてなされているわけですが、しかし“陪審制度”においても陪審員が死刑の判断をなすことが大いにありうるのだとすれば、論拠としては使えないはずだ、というのが先のコメントの指摘です。(「裁判員にこんな辛いことをさせるなんて酷い」と言っても「いや、アメリカでは普通にやっている」と返されてしまう。)陪審制度への言及が、かえって主張を弱めています。
端的に陪審制度への言及がなければ私も噛み付いたりしません。
もちろん「陪審制度一般」の理解に当たって米国の制度の理解は影響を及ぼさない、という考え方をすれば話は別ですが。
> プリンスホテルのエントリー
忘れられていないようで幸甚です。
「諸事情」は推察するより他ありませんが、当該コメントは当方からの「異議」であったことにご留意下さい。遅延があまりに大きい場合、当方の疑念をかきたてるに十分ですし、当方の立場を確保するためにこちらのほうでできることを為さざるを得ないかも知れません。
ご指摘ありがとうございます。
>世界の陪審審理の8割が米国で行われるとされる(最高裁見解)点からも
>米国の陪審制度を念頭に置くのはあながち的外れでもないと思いますが
現在、世界の刑事陪審「事件」の約8割がアメリカ一国で行われている状況にあるという事件数の割合は分かります。しかし、ここでは、「事件数」を問題にしているのではなく、「制度」、それも世界の陪審制度一般を前提にしているのですから、IZW34さんの読み間違いであることは確かです。
読み間違いであることは認めつつ、的外れでないという強弁をしているのでしょうけど、そういう言い訳をして何になるのか意味不明です。読み間違いをしたと素直に認めるか、コメントしなければよいのではないかと思うのです。
>結論が出れば解除される性質のもの
米国の最高裁が、薬物注射法による死刑執行を違憲と判断すれば、数年間、執行停止が続くことになるのですけど。それに、その後のことはまだ分かりません。国連決議も出ているのですから。
>本文での陪審制度への言及は、裁判員制度において裁判員に死刑の判断をなさしめることを批判する論拠としてなされているわけですが
違います。
>端的に陪審制度への言及がなければ私も噛み付いたりしません
はぁ。「陪審制度と異なり」と一言書いただけなのに、色々文句を付けてやろうと噛み付いてきたわけですか。なんか気持ち悪いですね。
>「諸事情」は推察するより他ありませんが
鎌をかけてみましたが、留保中のコメントはどうやらIZW34さんのコメントのようです。「諸事情」を1つ挙げておくと、同一名義でIP・ホストが異なるコメントでしたので、「なりすまし」防止のため、承認しませんでした。
>当該コメントは当方からの「異議」であったことにご留意下さい。遅延があまりに大きい場合、当方の疑念をかきたてるに十分ですし、当方の立場を確保するためにこちらのほうでできることを為さざるを得ないかも知れません。
「当方からの『異議』」があるなら、そちらのブログに書くのが一番いいのでは?(苦笑) だいたい、そちらの読者がわざわざこのブログを読むのでしょうか? 何をそこまでいきり立っているのか(焦っている?)、IZW34さんの行動はよく分かりません。
さて法律的には、反論文を掲載しろということですね。しかし、私人間において反論文掲載請求権は認められていません(サンケイ新聞事件。最高裁昭和62年4月24日判決)。そして、このブログにはコメント承認制度があり、承認の有無はブログ管理者の自由裁量です。ですから、こちらがコメントを承認しなくても、IZW34さんにはこちらに要求できる権利は一切ありません。
このようになんら権利がないにもかかわらず、「こちらのほうでできることを為さざるを得ない」と述べて強要することは、脅迫(刑法222条)若しくは強要罪(刑法223条)に当たりうる行為です。IZW34さんがいかなる職業についているのか知りませんが、もし法律に携わる者であれば、職を失いかねない行為であって、自殺行為です。私なら絶対にしません。
脅迫もしくは強要行為に当たりうる行為までしてくるのですから、こちらとしては、IZW34さんのコメントは、今後は基本的に承認しませんし、IP・ホスト拒否設定を行う予定です。
どんな批判でも構いませんが、それは正しく読んだ上でのことです。IZW34さんの場合は、読み間違えて文句を付けた挙句、そういう読み間違いも的外れでないという、意味不明の反論を行い、さらにはコメント承認しろと強要してくるのですから、もう付き合いきれないですね。
もう1つ。
元々、「カッペの契約法」などという法律の素人のブログを揶揄するエントリー自体に、抵抗があります。法律の専門家として矜持を持っていれば、法律の素人を揶揄したりしませんから。
もちろん、IZW34さんが、まだ学生であるとか、法律の専門家ではないのであれば、仕方がないとは思いますが、それでも優越感に浸ったようなエントリーには抵抗があります。素人相手にそんなことをして何が面白いんだろうと、二度と見たくもありません。
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