内閣府の食品安全委員会は、厚生労働省の諮問を受け、体細胞クローン技術で生まれた牛と豚、その子孫を原料にした食品について、人の健康に影響を与える危険性(リスク)評価に乗り出すことを決めた。
同委員会の下部組織である新開発食品専門調査会で審議し、同委が安全と判断すれば、国内での流通に道が開ける。消費者の不安の声が強いだけに慎重な検討が必要である。
体細胞クローンは、成長した動物の体細胞から同じ遺伝子を持つ動物をつくる手法だ。優れた肉質などを持つ家畜の親と遺伝的に同一のコピーを大量に生産できる。一卵性双生児と同じ原理でつくられる受精卵クローンの牛肉は、既に市場に出回っているが、体細胞クローンを食用に解禁した先進国はない。現在も販売については、業界へ自粛要請が続けられている。
しかし流れは変わりそうだ。米食品医薬品局(FDA)は、今年一月、体細胞クローン牛について、牛、豚、ヤギとその子孫から生産した肉と乳製品が、通常の家畜と同様に食べても安全だとする最終報告書を発表した。企業向け指針では「通常の食品以上の規制は必要ない」と販売に道を開く方針も示した。欧州連合(EU)の欧州食品安全庁も、安全上の問題はないとして、食品販売を容認する暫定報告書を公表している。
国内でも農林水産省所管の畜産草地研究所(茨城県つくば市)が、体細胞クローン牛から生まれた「次世代牛」について「一般の牛と比較して、肉質や乳の成分に生物的な差異はない」との調査結果をまとめた。生後約半年以上生存すれば、その後は一般牛と同様に育ち、体の働きにも差異はなかったという。
体細胞クローン動物は、本当に食べても安全なのか。死産や早死にする率が高いことが当初から問題点として指摘されている。遺伝子の働きを調整する仕組みが不完全なためであることが解明されてきているが、問題が克服されていない以上、完成した技術と呼ぶことはできないのではないか。
消費者の間には根強い不安がある。食品として利用される動物は、まずは健康体であることが前提だ。食べても安全だと言われても抵抗があろう。
食品の流通には、情報開示が欠かせない。米FDAは、クローン食品に特別な表示は必要ないとの立場をとっており、このままでは輸入食品としてまぎれこんでくる恐れもある。表示の義務付けも必要だ。食品安全委員会は、消費者が納得できる議論を進めてほしい。
靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」をめぐって、東京、大阪の映画館五館が四月の上映を中止し、名古屋の映画館一館も上映を延期するなど混乱が広がっている。
一部の政治団体による嫌がらせや妨害が懸念されるからだという。言論、表現の自由を揺るがす由々しき事態で、見過ごすわけにはいかない。
映画は、軍刀「靖国刀」を打ち続ける刀匠が戦争や神社に抱く複雑な思いを軸に、終戦記念日の靖国神社の情景、戦時の映像などを交えて構成している。監督は一九八九年から日本に住む中国人の李纓さんで、今年の香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した。
最初に騒ぎに火を付けたのは、この作品を「反日映画」と報じた週刊誌である。自民党の稲田朋美衆院議員らが、文化庁の所管法人からの助成金支出に絡め「政治的に中立かどうか疑問がある」として映画を見たいと文化庁に要請し、異例の国会議員向け試写会が開かれた。その後、一部の政治団体が上映中止を働き掛ける動きを見せていたという。
相次ぐ上映中止の背景には、封切り後の面倒なトラブルを恐れる映画館サイドの意識がうかがえる。映画に対しては、評価する人もいれば、批判する人もいるだろう。しかし、その評価や判断の機会、考える自由を奪って封印してしまうことは許されまい。
幸い、広島、大阪、京都など全国の十数の映画館が予定通り五月以降に上映に踏み切ることが分かった。大切なのは公開して議論の材料にすることだ。妨害行為に対しては警察当局の毅然(きぜん)とした対応も望まれる。自由な表現活動が委縮する社会にしてはならない。
(2008年4月5日掲載)