辞去してエレベーターに乗ったとき、岩田嬢が、
「高木さん、何度か最終選考に残ったって、「すばる」じゃありませんでしたっけ」
「そうですよ」
「このビルじゃないのかしら」
「集英社って、この界隈でいくつもビルがあるはずだよ」
そんなやりとりをしていると、書類を抱えたモデルみたいに長身の女性が──着ているものを見て、ついさっき受付にいた一人だと判ったのだが、
「失礼ですが」と優しく声をかけてくれた。「いま、「すばる」とおっしゃいましたか?」
「はい」
「でしたら、今お乗りになられた階の真上、7階がその編集部です」
にっこりと微笑む、受付嬢。
「行きましょうよ!」と岩田嬢が言うので、どきどきしたが、再び上りのエレベーターに乗り込んだ。
7階。
エレベーターホールからつながる長い廊下には、文芸系各部署のパネルと、座席表が貼られている。
「すばる」編集部の中に、こないだまでは確かに編集長であることを確認済みの、長谷山氏の名前はない。
今を去ること20年あまり前、いくつかの作品を丁寧に指導して下さった、担当編集者が長谷山氏である。
「異動しちゃったのかな……」
「とにかく、入ってみましょうよ」
「ワタクシ、かつてこちらの編集部でお世話になったことのあるタカギと申すものですが、長谷山さんはもういらっしゃらないのでしょうか」
若い男性編集者は、おそらく入社して間もないのだろう、怪訝な顔をしている。
すると、その隣から、さっと立ち上がった人がいた。
「高木さん? 86年の新人賞で『ローズィー』をお書きになった高木敏光さんですか?」
「はい、そうです」
「私、氷野です。覚えていらっしゃらないかもしれませんが。あの頃の編集部で、残っているのは私だけになってしまいました」
確かにその人は、22年前の編集部に、いた。
氷野さんは、歩み寄ってくると、
「まあ、とにかくこちらへ」と、私を打ち合わせコーナーに導いてくれた。「懐かしいなあ。たしか『ローズィー』は、別冊に載ったんではなかったでしたっけ。よく覚えていますよ」
なんという記憶力かと、驚く。
作品名や私の名前を記憶して下さっていたことに、感激する。
岩田嬢が、手持ちの袋の中から、出来たての赤い本を差し出してくれる。
「実は、長年の願いがかなって、この度こんな本を出して貰えることになったのです」
「そうですか! おめでとうございます。では、あれからもずっと書かれていたのですね?」
「いえ。話せば長いことながら、26歳であきらめてから15年、別の仕事をしていました」
「じゃあ、15年ぶりに、やっぱり書きたいと、そうなったわけですね」
「まさにおっしゃる通りです」
氷野さんは、本をためつすがめつしながら、
「いただけるんですか?」
「ええどうぞ。お納めください」
「大切に読ませていただきます」
聞けば氷野さんは、脳の病気で倒れて手術を経てから、まだ軽く麻痺の残る身体でお仕事をされているとのこと。
「みんなに面倒を見てもらっている、居候状態ですよ」と自嘲された。
「大変だったのですね」
「ええ。でも、命は助かりました。──そうそう、で、長谷山ですが、今は上の階で新書の編集長をしています。電話しましょうか」
「いえ。突然行って、びっくりさせます」
「それがいいかもしれませんね」