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2008-04-03

むかしばなし:オタクの個室が街にあふれたあとに

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azumi_sさんの「最近の秋葉原絡みの問題について」と当該のはてなブックマークを読んで:


    ★  ☆  ★  ☆


 これは昔話です.たしかでない言い伝えと思い出と語り部の主観でできています.

 むかしむかし,秋葉原は「電気街」でした.偉大なる父祖たちの伝承によれば,電子部品とか「マイコン」のパーツだとかを売るお店がいっぱいできたそうです.

 それから時は流れ,「マイコン」もとうの昔に死語になり,Windowsマシンが広くご家庭に行き渡りはじめた頃のこと.「電気街」に用事のあるひとたちは結構いい確率でアニメや漫画や同人活動を愛するひとたちでもあったので,いつの間にかそういうお店が増えていきました.オーディオマニアやPCマニアといった誉れある伝統的部族はこの傾向を悲しんだと言います.

 21世紀に入ったあたりでは,そういうお店がむしろ秋葉原の主流になって,通りだけでなく駅構内にまでそういう広告やそういう意匠が氾濫するようになりました.「まるでオタクのお部屋が街中にあふれたみたいだねぇ」なんてひと笑いしたり.「趣都」なんて言葉も聞きました.キモオタであるぼくなんかは,家電を買いに来るご家族連れをみるたびにそんなアキバが恥ずかしくもあり,でもちょっと誇らしくも感じていました.「ここはじぶんたちの街だ」という根拠のない自負があったのかもしれません.

 ともあれ,オタクがせっせと通うことで自生的にオタク趣味の街が形づくられたかのようにみえました.

 さて,その後しばらく経つと,電車男だのメイドなんとかだのがオタクじゃないひとたちの口にのぼるようになって,メディアの注目もあつまり,そのうち観光客まで来るようになりました.ぼくらを指さして「きもーい」とかはしゃぐ素敵カップル様もいらっしゃいました.(その後お元気でしょうか)

 いつしかオタクとアキバは好奇の視線を集めるようになっていました.

 やがて,オタク趣味的な消費のためではなくて,好奇の視線そのものを求めて訪れるひとがぽちぽちでてきました.好奇の視線は道行く人からだけではなく,メディアからも注がれています.視線を浴びるのが好きなひとや視線を宣伝に利用したいひとにとっては,すばらしい環境ができたのでしょう.いろんなひとがいろんなパフォーマンスをするのが日常的な光景になっていきました.

 そのようなパフォーマンスも趣味ではあるのかもしれません.でも,お部屋のなかで楽しむ趣味とはちょっとちがうみたい.オタクのお部屋が他人の視線にも無頓着であるかのように街にあふれでた,と思ったのもつかの間で,そのようにたっぷりと注がれる視線は,また別種のひとたちを集めるようになったのです.

 そうしたひとたちの一部には,視線を注がれるのは好きでも別に他人が好きなわけではないひともいるご様子.往来でエアガンごっこに興じるのも,「こんなことをしちゃってる自分(たち)」が好きなのであって,べつに誰かを楽しませたいわけではなく,ただ,そんなことをしちゃってる自分(たち)を確認するのにお手頃な視線を必要としているのです.

 もちろん,古来からの趣味の街を愛するひとびともこのような新たな部族のことはわかっていますし,望まない方向に変わっていく秋葉原を悲しんでもいるのですが,どうしていいのかよくわからず当惑しています.街はだれのものでもない,街は変化していくもの,と言えばそうなのかもしれません.

 もっとも,アキバだろうとどこだろうと,周りの人に危害をおよぼすような所行はおまわりさんに取り締まってもらえばすむことではありましょう.ただ,視線を利用したい皆さんや自分(たち)の幻想を楽しみたい皆さんが来るのを止めることはできそうにありません.案外,歩行者天国をやめてしまえば,それもぱったりとやむのかもしれません(ぼくの知るかぎり,大阪日本橋の大通りは特別なイベントを除いて歩行者天国になっておらず,パフォーマンスに興じるひともほとんどいないようです).


趣都の誕生 萌える都市アキハバラ

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ




20080405追記:


秋葉原でのイベントと言えば,ぼくはコレですね


D

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