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登録番号157 NHK大阪放送局 

2008年02月28日

 なんでNHK大阪放送局がBKなん? ある人に「馬場町角にあるからや」と教えられた。ほんま? テレビ番組のほとんどが東京制作の中で、「生活笑百科」などBK発信のものは独自の色を放っている。ひとことで言えば、まんま関西。その典型が朝ドラ「ちりとてちん」だ。「饅頭怖い」ではないが、「ちりとてちん」怖いの今日この頃である。朝、7時半にはテレビの前に座りBSを見る。8時15分にも見る。お昼も見る。糸子が「ふるさと」を歌いながら娘を見送った日、小草若の「じゅげむ」を聴いて草若師匠が舞台に復帰した日、草々の壁破りの日、草若師匠があの世に行きはった日。名場面がてんこ盛りである。

写真終盤を迎える「ちりとてちん」の収録風景。大阪と東京が半年交代で朝ドラをつくるスタイルは75年に始まった=いずれも大阪市中央区で
写真NHK大阪放送局

 「伝統」の伝承がテーマだが、舞台となるのは落語の世界で、主人公は「後ろ向きな女の子」。登場人物の名前一つにもふかーい意味があり、ちょっとしたエピソードも伏線になっていて、後に大きな意味をもつ。まるで名人が焼いたお好み焼きのようなドラマなのだ。一見グチャグチャのようだが、具の一つ一つが調和して、絶妙な味を生み出す。プロデューサーの遠藤理史さんによると、兵庫県出身の脚本家・藤本有紀さんの脚本は、最初に彼女が書いた全26週分のプロット(粗筋)とほぼズレがないという。

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 私は仕事がら、いろんな噺家(はなしか)さんに取材している。そこで聞いた言葉やエピソードがしばしば登場して驚く。たとえば、師匠がヒロイン若狭に言った「不器用でもええやないか。不器用やからこそよう練習するねん」という台詞(せりふ)。これは、故・桂枝雀師匠が、囃(はや)し方を務める妻の志代子さんが三味線を練習しているときに言われた言葉だ。草若師匠の奥さんの名前は志保さんで、夫の高座で三味線を弾いていたという設定だ。淋(さび)しい生い立ちの草々が弟子入りして親ができたと喜ぶところは、桂雀々さんと重なる。若狭が「大阪で5本の指に入る女性落語家です」と言うシーンがあったが、これは桂あやめさんの昔のネタ。その頃、大阪の女性落語は2人しかいなかった。藤本さんが大の上方落語ファンというのは、うなずける。

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 上方落語は、戦後、四天王と呼ばれた師匠方が復興させたが、それに大きく貢献したのがBKのラジオ放送だという。現在、東京NHKのプロデューサー90人に対して、大阪のそれは3分の1以下。視聴率が伸びない「ちりとてちん」だが、数字より中身、伝統のBKエキスがぎゅッと詰まった名作だ。

(文・島崎今日子<ライター> 写真・酒井羊一)


○まあるく育って83歳

 誕生日おめでとう、BKさん。2月28日は社団法人大阪放送局ができた日。1925年生まれの83歳だそうです。

 以来、BKから歴史は動いた。27年、甲子園球場から初のスポーツ実況中継。ラジオ体操だって28年、全国に先駆けて始めた。49年に始まったラジオの「上方演芸会」はいまも続くロングラン番組だ。

 おなじみの総合テレビの番組といえば「四角い仁鶴がまあるくおさめまっせ」の「バラエティー生活笑百科」だろう。漫才で法律相談をする手法を23年も前に始めている。レギュラー相談員の上沼恵美子さんは第1回から登場した。「その時歴史が動いた」もBK発。なるほど、関西いたる所が歴史の舞台だ。

 さて、「馬場町角にあるからBK」といううまい話。01年に大手前4丁目へ移転し、「馬場町の近所」となったが、実は大阪放送局のコールサイン「JOBK」からきている。ちなみに東京はAK、名古屋がCK。でも放送関係者以外にもこれほど親しまれているのはBKだけだろう。

 「NHKと言うと東京のイメージ。BKだと大阪のものという親しみがある」と作家の藤本義一さん。藤本さんは学生時代、BKのラジオドラマ脚本懸賞の常連で稼ぎまくった思い出があるという。

 笑いの土壌と人材と歴史がBKにはついている。長生きして、おもろい番組をばんばん作ってね。

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