――「ap
bank」を設立するずっと以前から、小林さんは環境問題、また人間と自然との共存に関して、大きな興味を持たれていましたよね。
【小林】 突然雷に打たれていきなり急に興味を持つようになったというのでは当然なくて。やっぱり、ずっと何かしらつながってたと思うんですよ。たとえば気持ちを開いて音楽を聴くことや音楽がひとつのきっかけとなって様々なものがつながっていくことが、僕は当然のように普通のこととして信じられる。レゾナンス(共振・共鳴)は起こりうるものなんだ、と。で、その信念みたいなものは、僕がプロデュースする世界でもMY
LITTLE
LOVER時代にも映画『スワロウテイル』に関わってる時にも持っていたんだけど、じゃあ現実の社会はどうなんだろうって考えてみると、ほとんどあきらめてたんですよ。
――音楽では奇跡は起こせるかもしれないけど、果たして地球はこのままどうなっちゃうんだろう?みたいなあきらめですか?
【小林】 それもあるし、それこそこれから地球や環境がどうなろうと僕のせいじゃないなっていうあきらめも確かにあった。ただ、やっぱりあきらめきれないんですよ、どうしても。たとえば結婚して子供が生まれたことで家族のことを考える時間が増えたり、東京で分別ゴミの袋が半透明になったことだったりっていう、僕の生活の中でそれまでとは違う変化が訪れた。今までいい加減にしてきた部分を僕はちゃんとやっていかなければ、人のせいにしないで自分から始めなければっていう意識が、自然と生まれましたね。あと、バブルがはじけたことで、今まで当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなったり、自殺者が増えたり・・・。それこそ今まで築き上げたものがひっくり返って、価値観とか存在価値とか崩れ去っちゃったでしょ?
――出口が見えない暗さがありましたよね。
【小林】 でもね、やっぱりエンタテインメントだけでも僕は希望を追求していくべきだと思った。このままブラックホールに飲み込まれて失くなってはいけないんだって。ただ、そういう気持ちになっていた矢先に、あの“9.11”が起こってしまった。あそこで全てがつながっているんだっていう警告をガーンと鳴らされたような感じがしたんですよね。その後、怒りや悲しみの連鎖が報復という形で現実に起こったし、非戦という動きも当然起こったけど、やっぱりまず一人の人間として、個人として何ができるのだろうかと僕はすごく考えた。それがまず坂本龍一さんが発起人となった“Artist
Power”での活動へとつながったし、“ap bank”の設立へとつながったし、そこからBank
Bandが生まれた。
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