2008年04月05日 更新

ランちゃ〜んスーちゃ〜んミキちゃ〜ん!解散30年目の大絶叫!

キャンディーズ解散30周年を記念し、全国のファンが集結。若き日を思いをはせ、熱狂的に盛り上がった=東京都文京区(撮影・小松洋)

キャンディーズ解散30周年を記念し、全国のファンが集結。若き日を思いをはせ、熱狂的に盛り上がった=東京都文京区(撮影・小松洋)

中には自前の「特攻服」を着込んで参加する気合いの入ったファンも

中には自前の「特攻服」を着込んで参加する気合いの入ったファンも

 キャンディーズの解散コンサートから30年目となる4日、当時のファンクラブ会員が“復活コンサート”を開いた。会場だった後楽園球場の跡地に新設された東京・水道橋のJCBホールに2000人のファンが集結。スクリーンに映る3人に向け、当時10代、20代の少年少女だった観客たちが、それぞれの思いを込め、2万本以上もの紙テープを投げ込んだ。

 空前絶後、本人不在の“復活ライブ”に2000人が集まった=写真(中)。伝説の後楽園球場コンサートから30年。門外不出とされてきた秘蔵映像から、ラン、スー、ミキの躍動感あふれる笑顔が蘇った。

 すべては、1人のファンの死から始まった。当時のファンクラブの中心メンバーだった男性が昨年末、大腸がんにより52歳の若さで死去。「オレの出棺にはキャンディーズの曲を流してくれ」との遺言が、仲間たちによる“キャンディーズ葬”となった。

 そして、「同窓会をやろう」という声が自然発生。当時の渡辺プロでキャンディーズのマネジャーを務め、解散コンサートの演出も手掛けた大里洋吉・アミューズ会長(61)が協力を快諾し、事は一気に進んだ。

 TBSに眠る40万本ものテープの中から、後楽園公演を収録した4本を発掘。解散から30周年を期し、4時間半、51曲が演奏された後楽園ライブをほぼ完全再現する、史上最大規模のフィルム・コンサートが実現した。

 この日の会場には、30年前に熱狂と興奮の日々を過ごした、中高年ファンたちが集結し、大絶叫。スーツ姿で1人見守る男性から、家族連れまで姿はさまざま。入場時に渡された“紙テープ10本パック”を手に「微笑がえし」「やさしい悪魔」などに合わせ、それぞれのベスト・シーンで投げ込んだ。

 発起人代表の石黒謙吾氏(47)は「僕らは、3人に会いたいのではなく、あの時の連帯感を取り戻したくて、今夜集まりました。僕たちは幸せです、といつまでも言い続けたい」と感無量。大里会長は「3人も今、この映像を見たいと待っています。必ず届けます」と約束した。

 1万500円のチケットは完売。収益は亡くなった仲間の意を受け「日本対がん協会」へ寄付された。1人1人のファンの思いが、キャンディーズ伝説をさらに熱く、神格化させた一夜だった。

★普通の女の子に

 キャンディーズは人気絶頂だった昭和52年7月17日、東京・日比谷野外音楽堂公演中、「普通の女の子に戻りたい!」の有名なセリフとともに解散を宣言。翌年4月4日の後楽園球場公演でまたも「私たちは幸せでした!」の名セリフを残して解散した。“ラン”こと伊藤蘭(53)、“スー”こと田中好子(51)は今も女優として活躍。“ミキ”こと藤村美樹(52)は3人の子供も成人、静かに“宣言通り”の生活を送っているという。

★参加したかった!?石破防衛相

 「みんなが心を1つにして熱狂できたあの時代を懐かしく思う」。キャンディーズの大ファンとして知られる石破茂防衛相(51)も、4日の記者会見で30年前の解散に触れた。メンバーについても「3人が心を1つにして活動していた」と振り返った上で、「防衛省も政治家、内局(背広組)、制服組(自衛隊幕僚監部)の3者が『いつも一緒にいたい』という気持ちでやれば、多くの共感を呼ぶのではないか」と、省改革にまで熱弁を振るった。