FIA会長のマックス・モズレーの拷問部屋ビデオ騒動には、日本人は大笑いするしかないだろう。このスキャンダルが流されたとき、てっきりデマだと感じたのも無理はない。モズレー本人が特別出演している乱交ビデオが公開されるなんて、信じられるだろうか。この映像が偶発的な特ダネだと信じる人間はいないだろう。明らかに、モズレー会長をターゲットにしたやらせ映像と思われる。「おとり捜査」にあたる罠がなされたことは間違いない。それでも、口車に乗せられてSM女王と共演した事実は隠せない。ビデオが公開された段階では、モズレーは出演を否定しようがない。プライバシーの侵害で訴えるしかないけれど、裁判に勝てるかどうかは疑わしい。事実のでっち上げではなく、まぎれもなく現場を撮影した映像だから、言い訳ができない。
モズレーは権力の中枢に居座ることにこだわりすぎた。自由な私生活が欲しいならば、FIA会長職にとどまるべきではなかったろう。公私を峻別する欧州地域で問題になる点は、「ナチ風の乱交パーティ?」にあるという。欧州地域以外では、会長の「ふしだらさ」に対する批判が集中することになる。国際機関の責任者には、私生活でも清廉潔白さを求められるというあたりが、先進国と途上国の倫理観を分ける分岐点になるらしい。いずれにしても、FIAの会議にモズレーが出席することは難しくなる。会議中にスキャンダルを思い出して、誰もが思わず吹き出してしまう。モズレーはやめるべきだとささやかれる理由である。
FIAは国際機関であるが、モズレーとエクレストンが創設した私的団体の側面も持つ。そもそも、国際機関が利権や金儲けに走るわけにはいかない。かつてはオリンピック委員会やサッカー協会も清廉な国際スポーツ団体だった時期がある。TV放送網の発達により、国際スポーツ団体に放映権料という莫大な利益がもたらされるようになると、設立の目的や理念が変化してしまう。F1興行権の独立を狙ったエクレストンは、FOMを創設して金儲けに走ることにした。別にF1を管轄する団体としてFIAを設立する。F1からの収益を上納することで、安定した財政運営ができる。豊かな資金源を持つ国際機関は、参加国から資金を集める必要がなく、強い中央集権制を保てる強みがある。このスキャンダルが起きるまでは、FIAは立派な国際機関だったのである。その会長がスキャンダルを起こしてしまったのだから・・・。
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