世界で知られるように、朝鮮はずっと中国の『属国』だった。
記録や物的証拠も国内外に数え切れないほど残っており、留学経験のある朝鮮_人にも
自ら属国であったことを認めている者もいる。そもそも韓国の古い
国旗にまで 「大清国属(清=中国)」と書いてあったのだから
属国だったことは否定しようがない。
しかし韓国は国家レベルで「属国だった過去」を消し去りたかった。 古い国旗が発見された時も、
韓国国内のニュースでは「大清国属」という
文字をカットして報道したほどである。
実はこの韓国の
感情的問題は「反日」に密接な関係がある。
まず、朝鮮と清(中国)がどの程度の従属関係だったか。
朝鮮というのは、中国の属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった。
そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、 下国のなかの下国であった。
天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、 朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。
また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、 朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが 「渓陰漫筆」に書かれている。
そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。
(黄文雄『韓国は日本人が作った』徳間書店) |
服装も違ったし、籠にも乗れなかった。
身分が「最も低い」のだからしかたない。
身分の低さは朝鮮が
どんな扱いを受けていたかを見ればより明白になる。
・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。 ・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。 ・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。 ・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。 ・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。 ・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。 ・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、 馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。 |
朝鮮国王が宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に気に入らない言葉が
たった一つあっただけで、朝鮮国王は銀1万両を罰金として払った上に、
年貢への見返りを3年間停止するという厳しい処罰を受けている。