過去60年間 韓国人は素晴らしさを示せるような 出来事は何?
世界に誇れること 世界の貧しい人 裕福な人 に対して 胸を張って誇れることでいいです。
昨日の答えに「漢江の奇跡」を訴えてきましたが これは完全に論破されていますので それ以外でお願いします。
論破の内容は以下。
朝鮮戦争後の韓国は農産物、原料・半製品などの原資材をアメリカ合衆国からの援助に頼っており、これらを原材料とした消費財の加工産業を育成していた。しかし、アメリカによる援助政策の転換により、1957年を境として対韓援助は減少を始め、脆弱であった韓国経済に深刻な影響を与えた。李承晩政権は援助に依存する経済からの脱却を企図して「経済開発三カ年計画」(1960~62年)を作成したが、政権自体が四月革命(1960年)で崩壊してしまう。続く張勉政権も経済再建第一主義を標榜して「経済開発五カ年計画」(1962~66年)を策定したが、これも朴正煕による5・16軍事クーデター(1961年)により実施されなかった。
朴正煕は民生苦の解決と、自立経済基盤の確立を目標とし、新たに「第一次経済開発五カ年計画」(1962年‐66年)を推進した。財閥の不正蓄財の摘発を進め、定期預金金利の引き上げや貯蓄運動を推進して国内資本の動員を図った。しかし期待したほどの成果は得られず、1964年には計画の修正という行き詰まり状態に陥った。この状況を打開するために、外資導入による経済建設の道を選ばざるを得なかったと言われる。当時、国際信用力を欠いていた韓国が外資を求める先に選んだのが、同盟国であるアメリカであり、日本との国交正常化であった。
1965年、韓国は日本と日韓基本条約を結んだことにより、無償金3億ドル・有償金2億ドル・民間借款3億ドル以上(当時1ドル=約360円)の日本からの資金供与及び貸付けを得ることとなった。国際協力銀行によると1960年半ばから90年代までにトータル6000億円の円借款が行われ[2]、韓国はこうした資金を元手に「漢江の奇跡」の象徴とも言われる京釜高速道路をはじめとした各種インフラの開発[5]や浦項総合製鉄をはじめとした企業強化をさせていった[3]。
また朴政権は、アメリカとの関係改善を推し進め、ベトナム戦争に
派兵した。アメリカ側は派遣された全ての韓国軍将兵に対し戦闘手当を支払い、その大半は韓国本国へ送金された。これらを含むアメリカからの「ベトナム特
需」の総額は十億ドル(当時で三千六百億円)を遥かに上回り、実質的には朝鮮戦争時の日本における「朝鮮特需」以上の利益を韓国にもたらした。韓国がベト
ナム派兵を開始した1965年からベトナム戦争が終結する75年までの十年間に、韓国の国民総生産(GNP)は14倍、保有する外貨および外国為替などの
総額は24倍、輸出総額は29倍に、いずれも驚異的な伸びを示した。この間の韓国経済の成長率は年平均10%前後だった。

サムスングループや現代グループ等の韓国を代表する財閥が形成されたのも、大韓航空が初めて就航したのも、韓国の南北を結ぶ京釜高速道路が開通したのも、浦項製鉄所ができたのも、全てベトナム参戦と日本との国交正常化以降のことである。
更に韓国経済が飛躍するための踏み台が2つ用意された。ひとつは、韓国製品に対するアメリカの輸入規制の大幅緩和である。これによって、韓国製品が
アメリカ市場になだれ込んだ。
もうひとつは、アメリカの全面的な軍事援助で、その結果、本来ならば国防費に当てるはずの国家予算を重工業などへの投資に回すことができた。
こうして、韓国経済は急成長を遂げ、国力で北朝鮮を逆転し、国民所得を10倍にするという公約を目標より3年早く達成した。そして、この政策によりソウル大都市圏への人口・産業の集積が進み、プライメイトシティとなった。
参考※
日本からのODA詳細
これらが無ければ今の韓国は北朝鮮と同じレベルだった。
つまり朝鮮半島の人間だから出来たことではなく 明らかに 日本とアメリカからの1兆円を越えるお金と技術の援助があったからこそです。
アメリカからはお金だけを貰い、日本からの技術の援助 とは、 金の成る木を上げたのです。そもそもこれは朝鮮半島人の実力でもないし。
韓国人が誇るものではない。
以上を踏まえてお答えください