21世紀 近未来志向の創価学会員よ集え!


池田先生(師匠)も、ご高齢になり、我々弟子達への師弟継承は、すでに済んでいます。
「私は、戸田先生との誓い・約束は全部果たした。何の後悔もない。
これからは、君達の時代だ!~本幹中継より~」

本門の時代、本門の弟子として、21世紀の創価学会新生を語ろうではありませんか。


2007年は、 創価学会創立77周年  池田先生ご入信満60年  戸田先生の50回忌  原水爆禁止宣言50周年
 2月闘争55周年 御書全集発刊55周年 学生部結成50周年 夕張大会50周年 大阪事件50年
大阪事件の無罪判決45周年  創価文化会館の落成40周年  トインビー博士との対談から35周年

日中国交正常化35周年 広布史の重要な区切りの年です。

弟子が自分で考え、戦う時です。

一人立て!

中国への金の懸け橋・・


「第3代は、一生涯会長として指揮を執れ!・・・戸田先生」


2008年は、池田先生恩寿80歳 日中平和友好条約締結30周年 SGI発足33周年 師弟の3・16から50周年 本門の弟子総立ちの年です。        

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爛漫の春近く  投稿者:野生回帰人  投稿日:2008年 4月 3日(木)14時13分54秒    編集済
  桜の花が一気に咲き始めています。風は強めですが、陽がさんさんと降っています。
満開の春まであと少し。
TheimpossiblehashappenedさんのいらっしゃるNYはいかがですか?皆さんのところはどうですか?

草花には、人々の心を和ませる役割があるんですね~、この歳になりますと、なお更そんな気がしてきます。
皆さん。外へ出ましょう、心地よい春風の吹く表に出て語らいましょう。そうですね、ガーデンテーブルとガーデンチェアもいいですが、木の根っこに腰を下ろして、持ってきたバスケットを横にしたテーブルに、ペットボトルのウーロン茶でいいではないですか、それを飲み飲み、話をしませんか・・・。
テ~マは、「明日の仕事、未来のみんな、これから22世紀に向けての地球について」。地球はすごい勢いでまわっているんですし。夢はでっかく、希望は無限大。
間違いがあれば訂正すればいい。それでいい。
 

学会末端とやらへ  投稿者:卞氏  投稿日:2008年 4月 3日(木)10時15分49秒
  >外面的には闘争や諍論はなかったことにしたいのだね。

学会は同士を護ります。
その人に悪性があってもそれを責めつつも同志として護ります。
悪を晒すのが目的ではありません。
学会に居られなくなれば、勝手に出て行きますよ。
学会に迷惑をかけ、自覚も反省も無ければ除名にします。

でもあなたは学会外部でしょう?
G会ってなんですか?はっきりいえないのですね。
自らの所属するグループに誇りももてない人間に、学会の悪を糾せるわけがありませんよ。
もし、そこに所属するならとっととおやめになるがよろしい。

墓園の特別施設をG会が警備?
笑わせないでくれませんか?

http://9105.teacup.com/okiura/bbs

 

う~ん・・・  投稿者:タテ  投稿日:2008年 4月 3日(木)09時50分33秒
  いつも、ロムしてるのですが
ここで、一生懸命同志の悪口?陰口?言われてる学会員の方は
自分が「獅子身中の虫」との自覚はあるのでしょうか?

他人が、どうあれ本部職員等や最高幹部等で、ひとくくりにして「不信」をあおり
分断しようとする所業そのものが破和合僧以外の何者でもないと思うのですが・・・
 

学会末端よ  投稿者:ファミレス店長  投稿日:2008年 4月 3日(木)08時47分53秒
  貴様、何を書き込んだか分かっているのか!?
いつからG会は給湯室のお茶のみクラブに成り下がったのだ!?
貴様の任務は、ウラの取れない内部情報を、噂、伝聞の段階で、インターネットという匿名の無責任な場に垂れ流す事なのか!?
先輩から何を教わった!?
因みに、弓矢とは誰だ?弓谷なら知っているが?

少なくとも、貴様はG会を辞めろ!!
 

わかりません  もう    投稿者:婦人部G長  投稿日:2008年 4月 3日(木)08時41分23秒
  デタラメ君です。さん、レスありがとうございます。

さて、その昔、H島元教学部長、除名の一報が聖教新聞に掲載された時、
私はびっくりしました。その後出てくるわ、出てくるわ、「14年間も
勤行していなかった、とか毎夜 酒びたりだったとか、」
当時、壮年部の大先輩に詰問しました。(私、当時新入会者)
「そんな人をどうして教学部長に何年もしておいたのですか!!」と
大先輩は  「創価学会は間違っていないよ、その間、先生、先輩副会長等がどれほど、軌道修正すべく、指導、叱責してきたか」
「ギリギリまで、護るよ、ただひとたび、学会に反逆の矢を向ければ、徹底的にやるよ」
あらかたこんな感じでした。

H氏の場合は、立場を利用して重要資料を持ち出したというのが
除名理由にあったと記憶しています。

渦中のY現役副理事長にしても、身近の方でしたら さもありなん
という行動が散見されるのでしょう。
丁度、中堅幹部の組織利用の訪問販売の被害にあった人のように。
その被害にあった人しかリアルにはわからないことですから。

訪問販売した側は、相手が納得して購入してくれたと思っている可能性もあります。     くだんの中堅幹部殿は私も人柄を知っていますが、
やや「ノーテンキ」な方という印象はあります。結果として、会員を
苦しめたという自覚はないですね。学会の内外に関係なく、のきなみ
知人に販売しまくったということなんだと思います。問題はイヤデスと言えない苦悩をわかろうとしなかったことですし、それ以前に、
組織利用は厳禁ということも、「まあまあ、そんな 硬いこと言わないで」とあいまいにしていたこともありますが。

さて、そんなことで、最高幹部は全国的に、全SGI的に影響の大きさは
地方の中間幹部の比ではないことは確かです。

私は正直わかりません。ストレートに 「あんた、間違ってる、間違ってる」と 追求し続けるのが正解なのか??

ただ、もし、くだんのY氏が 法人としての創価学会に 金銭的に
損害を与えているとすれば、法人として、訴訟を起こすことになるのだと
一般論としては推測します。
男女問題は、法律的には、男性の妻が 訴訟を起こすことは可能だと思います。男女問題は当時者同志で納得していれば、第3者が 口出しする
余地はないのです。・・・・・が、立場が立場だから、
皆の模範であってもらいたい  という ことですね。

もうわかりません、ただ 現実的には、 自分そして、身近な大切な
方々が賢くなって、内外のありとあらゆる 無限に出てくる 悪に
負けない。
民衆が学びに学んで、賢くなる
私の今の結論です。
 

師弟の一念、仏法は勝負  投稿者:今日より明日へ  投稿日:2008年 4月 3日(木)06時55分56秒
  今、我々は、師と共に、同志と共に、末法万年の決定打を打つべく、日本の創価学会の歴史を創っています。

『これから2、3年が、大きな勝負の山である。私も厳然と指揮を執る。一切を総仕上げしていく。未来の土台をつくる大建設の時である。今、広布の舞台から引っ込んだら損をする。さあ新しい時代を開くのだ。』~池田先生~3月30日付聖教

『陰謀の中でも、忠誠を装うもの、友情の名を騙って企てられる陰謀ほど陰険なものはありません」・・(略)一、ロシアの文豪トルストイは言う。「邪悪な生活を送っている人間が、概して傲慢不遜に流れるという現象が見られる」と。私欲を貪り、学会を食い物にする人間。増上慢になって偉ぶり、崇高な師弟を踏みにじる人間。

そうした悪人と断じて戦い。師を護り、同志を護り、学会を護り抜く。(略)若き皆さんは、堂々と胸を張って叫んでいくのだ。皆さんが、生き生きと新しい時代を開いてほしいのである。』同日付、聖教

仏法は、師弟です。
 

「我々は既に勝つ(勝たねばならぬ)側にいる!」  投稿者:ガ~ン  投稿日:2008年 4月 3日(木)02時30分3秒    編集済
  二者択一で、片方は滅してしまえというものでもありませんが、
“「生命の側」に立つとき、「仏の側」に立つ”と、
自分自身を奮い立たせることにしております。
(第六天は奪命者ともいいますことからの連想です)

頂点には頂点の、凄まじい風当たりがあるでしょうし、
頂点と底辺の間の位置でも、種々の駆け引きがあることでしょう。
だから私は、頂点の批判も、あいだっこの批判もしません。

私が目下に問題とするところは底辺です。
問題とするところとはいえ、批判の対象というわけにはまいりません。
相手に対しての批判とは“対話”の中では有り得ず、
ただただ“第三者”の行うものと考えているからです。
(いっときは返す口で、とっさに批判めいた発言をすることもありますが。)
(自らにとって、どんなに謙虚に表現したつもりでも、)
(相手からは攻撃的に捉えられて“批判”と映ることも有り得りますが。)

私自身においては、その「生命の側」を誰に教えてもらったか……
それは池田先生をおいて他はないのであります。
 

おはつです。  投稿者:ゴリ  投稿日:2008年 4月 3日(木)01時38分6秒
  アホなツレに
「野茶某はんと南里boyさんがこっち来てまっせぇ」
て教えられて、
何やなつかしゅうて
ちょこっと寄らしてもらいましてん
それにしてもエゲツない掲示板でんなぁ
ほんま便所の落書きやで
高尚なんもあるけどな
山本たらゆうカスをネタにする時点で
便所の落書きやろ
けど
便所の落書き、わし好きや
壁にウンコくっついとってもええがな
便所やもん
壁のウンコもオツなもんやろ
管理人はん
あんまりお掃除に精出さんかてええで
ほんでな
カスはほっとけ
ゆう人もおるやろし
カスはほっとけん
ゆうお人もおるやろ
それはどっちでもええねん
ただな
カスの肩持つ人はおらんやろけど
わし関係ないでぇ
みたいな顔しながら
ジジツの上で結果として
カスの肩もってしもたわぁ
どないしよ
ゆうんもあるやろ
世間のいろんな組織にも
人づきあいにも
そんなんいくらでもあるで
わしが思うに
カスはカスの前でしか
ええカッコでけへん
カスにええカッコさせてまうのは
自分がカスだからや
山本たらゆうカスが
がん公便所で話題になり始めたの
ずいぶん前やろ
まだケリついてへんのかいな
何しとんねん
学会はカスの集まりかぁ
わし、会員ちゃいまんねん、がひひひひひ

野茶坊はん、南里はん
あんまりハメはずさんときや
 

いるのかも知れない?  投稿者:Boo  投稿日:2008年 4月 3日(木)00時35分51秒    編集済
  >>なるほど、君の憶測によれば一部の幹部に
>>師子身中の虫がいるのかも知れない。
>>しかしだ、君は何をもってその一部の幹部を通して、
>>執拗に全職員幹部や全最高幹部を批判するのだ。

「師子身中の虫」の退治よりも、「全職員幹部や最高幹部」の保身が大事なんですね

「師子身中の虫」は、「憶測」の産物にしておいた方が無難ですか、なるほど
「いるのかも知れない」と譲歩しながら?

「師子身中の虫」ではない「職員幹部や最高幹部」の皆様方は、「いるのかも知れない」師子身中の虫と、はたして闘いようがあるのでしょうか

SGIの同志さんは闘ってますか?「いるのかも知れない」師子身中の虫と
 

SGIの同志と卞氏よ!  投稿者:学会末端  投稿日:2008年 4月 2日(水)22時24分9秒
  きみたちのこころはよくわかった。くさいもの(学会本部に都合が悪いこと)にはふたをして

外面的には闘争や諍論はなかったことにしたいのだね。

それでいいのかい?。

あなたたちは本部に近い立場にある学会員なのとおもわれます。
ぼくがかれらに同調するのはぼくは墓園の特別施設をG会として警備した経験が
あるからいってるんだ。

副会長のY氏はたしかに細君ではない女性でそれも白蓮Gの美形の女子部となかなかのうわさが
いやでも聞こえてくるんだよ。すまんがのう。
 

戸田先生と池田先生を聞け!  投稿者:革命末端  投稿日:2008年 4月 2日(水)22時00分49秒
  戸田先生は臨終の末期に言い残したことは<敵は内部だ>であるのだ。

その内部の敵とは<創価学会員>であり指導体制の中枢部にいる指導者なのだ。

だから先生の側近の山崎や原島や弓矢のようなものが出たのだ!

日顕宗が大挙襲いかかってきても学会は盤石な大勢で撃退出来るのだ。

しかし、福島や藤原や竜のような側近の反逆者を判別するのはむつかしい。

九州の学会総本部の中に、墓園の施設にふずいして自らの<派閥>の確保のために

池田先生の保養を理由に<享楽的別館施設>を建設して世界広布の基金を食い荒らして

いるY副会長ともくされる人物は、放置はできないでしょうね。


今ぼくは本部に属する同志の諸氏に宣言する。

<今日から明日>氏はメルアドを公開しているので、本部の代表として

彼等と実際に会って協議してほしい。そこの内容はインターネットで公開する
ひつようはありませんと思う。結果としての

池田先生のもとでの和合を、いまこそ積極的に推進し不自然的に生まれた
不協和音の解決に本部系と革命系は対話のテーブルにつくべきである。

このままでは学会の内乱として外部に恥さらしをあらわすだけではないで
しょうか


本部系から連絡があればこの板は一時的に書き込み停止にして協議会の結果に
したがって再活動をすればよいと思う。
 

婦人部G長さん  投稿者:デタラメ君です。  投稿日:2008年 4月 2日(水)19時50分44秒
  >役職に関係なく、全員が強く、賢く なっていけば、悪人は
 居場所が無くなるということでしょうか。

私はそう思いますよ、、全員が強く、賢くなっていく、でもそれが一番難しいのも事実だと思います。だから信心に励めれるのではないでしょうか。
もう御本尊しかないんですよ、お題目をあげて宿命転換していくしかないんですよね!?
いかなる悪も善知識に変えていけるほどの信心を奮い起すしかありません、そう思っております。
 

正義の証明  投稿者:野生回帰人  投稿日:2008年 4月 2日(水)12時59分27秒    編集済
  >創価学会が平和の団体でないと思わせたい人たちの顔、声、文、みんな似ています。
>平和主義の行動をしている人たちに、先生と学会を悪く思わせようとする勢力の動きが活発です。騙されてはいけない。

私は昨日このように書きました。
そして、更に付け加えて書かせて頂きますと。

一般会員と先生との距離を開かせている人たちがいます。先生は、ご多忙を極めておられる中でも、草創期の一会員さんや陰に陽に学会のすがすがしい脈を守ってきた一会員さんの事を、他の中堅幹部の方々に対するのと同じく題目を送り続けてくださっています。
本部幹部職員幹部の皆さんも、同じ思いでいて欲しいと切に願います。名聞名利を廃して自分に厳しく嫉妬の虜から離れて、真の信仰心に目覚めてくださる事のみ願っています。
私たちの題目は届いているはずです。
 

管理人さま  投稿者:卞氏  投稿日:2008年 4月 2日(水)09時30分53秒
  こんにちは。お久しぶりです。

>なるほど、君の憶測によれば一部の幹部に
>師子身中の虫がいるのかも知れない。
>しかしだ、君は何をもってその一部の幹部を通して、
>執拗に全職員幹部や全最高幹部を批判するのだ。

とありましたように、ここ管理人さんは腐った幹部はたたき出せと銘打つ前提で、
多くの各幹部に対しての批判をしていますね。
ですから、読み手にとっては全幹部がその対象であるかのような印象をうけるわけです。

そのことが、何も知らない会員への不安を煽るものであると言うのは当然のことでしょう。
一部の幹部の不祥事について、名誉会長の資質云々は問題の焦点ではありません。
ですから、かの管理人に対する意見についてそのような質問を返しても、
無用な混乱をまねくものと思われます。

幹部批判もよろしいですが、管理人さんには掲示板という公の場であることをふまえて
もう少し自重していただきたいとおもいますよ。

http://9105.teacup.com/okiura/bbs

 

組織利用  投稿者:婦人部G長  投稿日:2008年 4月 2日(水)08時53分2秒
  昨日、ある婦人部員とじっくり話しまして、
過去に中堅幹部(本部、圏クラス)が訪問販売をしていて
その方の年老いたお母様が、無理やり買わされたという
古傷の話がでました。10数年前のことですし、今更蒸し返す
ことをするつもりはないが、その方(訪問販売者)を会館等で
見かけると、つい思い出してしまうとのこと。

本当にお気の毒ですし、会員を苦しめては、折伏、新聞啓蒙で成果を出しても,       功徳は無いと思います。

それにつけても、学会の内外で、弱い立場の人間を食い物にする
悪は常にあります。やはり、一人ひとりが強く賢くなる以外にないです。
男女問題でもそうです。

学会の幹部(中間幹部しか直接には知りませんが)、ほとんどは良識的です。        一部、弱者を食い物にする悪人がいるのは現実でしょう。
下から上を変えろ・・・先生の繰り返しのご指導です。

役職に関係なく、全員が強く、賢く なっていけば、悪人は
居場所が無くなるということでしょうか。
 

ラクガキに庶民の本音を見る?  投稿者:雲雀  投稿日:2008年 4月 2日(水)00時14分46秒
  SGIの同志@ちゃんちゃら可笑しいさんは、何をうろたえていらっしゃるんでしょう、
便所のラクガキみたいな掲示板に・・・・
 

SGIの同志さまへ  投稿者:末端学会人  投稿日:2008年 4月 1日(火)23時52分27秒
  >>君は池田先生が全職員幹部や全最高幹部を全く訓練も育成もしてこなかったと、
>>池田先生の師匠としての資質を全否定するのか。


では改めて問います。

弓矢男子部長はけだものでしたね。先生がお怒りになられて
いわれたことですよ。


では聞きます。先生の側近の弓矢けだもの男子部長のけだものの
責任は先生ですか? あなたは弓矢氏の責任は先生にあると言って
いるのです。

はっきり言います。先生は側近に身動きできないくらい拘束されて
いるのではないでしょうか。でなければ弓矢部長のようなかたが
出るわけありません。

ちがう?
 

管理人さんへ  投稿者:Boo  投稿日:2008年 4月 1日(火)23時46分37秒
  管理人へ(再・再送)  投稿者:SGIの同志  投稿日:2008年 4月 1日(火)22時57分30秒

は、削除しないでそのまま残しておいてください。要望です。

>君は池田先生が全職員幹部や全最高幹部を全く訓練も育成もしてこなかったと、
>池田先生の師匠としての資質を全否定するのか。

特に興味深い箇所です。

「師匠としての資質」ですよ、「し・し・つ」

認識というものは言葉の端々に現れるものですね。
 

SGIの同志さまへ  投稿者:末端学会人  投稿日:2008年 4月 1日(火)23時27分46秒
  信濃町本部の意向がよくわかりました。

戸田先生がおっしゃった学会の最大の敵は内部・それは
いちおう学会の外郭である宗門ともいえるがそれは迹門でありものほんの
敵は本物の内部じゃないかな。
つまり本部系学会員、ということも視野に入れるべきできないか。
これが中正公明な判断基準ではないかな。
 

〈SGIの同志〉殿  投稿者:一般会員  投稿日:2008年 4月 1日(火)23時18分13秒    編集済
  〈職員幹部〉や〈最高幹部〉に守っていただかなくても結構です。
〈一般会員〉を見くびらないでください。
 

管理人へ(再・再送)  投稿者:SGIの同志  投稿日:2008年 4月 1日(火)22時57分30秒
  君は何が目的なんだ?
学会(最高)幹部や学会本部と、一般会員を分断して、
何をその先にしようとしているのだ。

なるほど、君の憶測によれば一部の幹部に
師子身中の虫がいるのかも知れない。
しかしだ、君は何をもってその一部の幹部を通して、
執拗に全職員幹部や全最高幹部を批判するのだ。
その証拠を見せてみろ。
その証拠なしに、学会(最高)幹部や学会本部と、一般会員を分断するのは、
君こそ師子身中の虫であり、破和合僧に他ならない。

それから、もしだ、君の思惑通り、
全職員幹部や全最高幹部を追放したとして、
一体誰が一般会員を守るのだ、一体誰が世界中の地涌の菩薩をリードしていくのだ。
君か? 本当に君は現在の全職員幹部や全最高幹部よりマシなのか。
君は池田先生が全職員幹部や全最高幹部を全く訓練も育成もしてこなかったと、
池田先生の師匠としての資質を全否定するのか。
バカも休み休み言え。
君の書き込みに不安を煽られる一般会員さんもいるかも知れない。
その人たちに全職員幹部や全最高幹部を追放した後の、
その先の展望を聞かせてみなよ。
まさか展望がなくて、こんな無謀なことをしてるわけじゃないだろ。

君は以前、私のリモートホスト・アドレスを捏造して、
(p4141-ipbf1011souka.saitama.ocn.ne.jp)
私を職員幹部にデッチ上げたよな。
また、その捏造を証明してくれた人の書き込みも執拗に削除しただろう。
第一、君の独断と偏見で都合の悪い書き込みを削除するくらいなら、
掲示板の名前に「創価学会員」を使用するな。
君が掲示板の名前に「創価学会員」を使用するから、
真面目な学会員が反応するし、君も24時間パソコンの前に張り付いて、
君に都合の悪い意見を削除しなくてはならなくなるだろう(笑)。

そんな暇があったら、学会活動やれよ。題目あげろよ。
君の意見に賛同する者だけ集めてオフ会と称し、
檀徒作りをする暇があったら、
君が批判する職員幹部や最高幹部に会いに行けよ。
君がいつも言うように、君の立派な人格に会えば、
みんな理解し合えるんだろ。
なぜ匿名でこそこそ批判ばかりして、直接本人に会いに行かないんだ。
君の言う師子王の心はどこに行った?

君はやってることが卑怯だし姑息すぎる。
どんなトンデモない意見でも
(戸田先生の不成仏云々や、御本尊の大きさと功徳が比例するなど)
君を批判しない限り、君はその輩と偽り親しむが、
一方、どんなマトモな意見でも
君を批判すれば、たちまち荒し行為と決めつけられ削除される。
どうせ、またこの書き込みも、すぐに削除するんだろ。
たまには1時間くらいそのままにしておいて、
ちょっとは学会活動で忙しいですとアピールしたほうがいいんじゃないか。

とにかく、これ以上、
この掲示板の名前に「創価学会員」を使うな。
君の意見が即「創価学会員」の意見を代弁するわけじゃないのに、
君の意見以外は認めないなんておかしいだろ。それくらい理解しろよ。

そうしたら、私も君の掲示板なんか見ないよ。見たくもないしさ。
君も一日中、パソコンの前で怯えながら、
君への意見を逐一削除する必要もなくなると思うよ。

最近の池田先生のスピーチ読んでるか?
(2008年3月30日付 聖教新聞)
‐全国代表者会議での池田先生のスピーチより抜粋‐

 戸田先生は、「学会に派閥を作ったら、その人間は大悪人である」と厳しく言い残された。
 破和合僧は、仏法上の重罪である。
 学会に対しても、これまで、麗しい団結を破ろうとする輩が出た。
 師弟の心を分断し、同志の絆を引き裂こうとする魔性の姿であった。
 仏法者であるならば、師に対しては敬い、仕えるものである。
 同志は励まし、護るものである。
 師弟を根幹にして、皆が異体同心の団結で進みゆく。
 それこそが、学会の永遠の大原則である。

君のやってるオフ会は、君の偏った意見に同調する者だけが集う、
君の「派閥作り」ではないのか?
すなわち君の行為は「師敵対」ではないのか?
なぜ質問にも答えず、すぐに削除するんだ。
24時間パソコンの前に張り付いていて、ご苦労なことだな。
 

日に新た日に日に新た  投稿者:野生回帰人  投稿日:2008年 4月 1日(火)13時39分31秒    編集済
  新年度を向かえて、政局も慌しい気がする4月になりました。ツクシも顔を出して、冬の枯れ木(葉が落ちただけで実は枯れてないけど)にも、新芽がみられるようになってきました。こちら関西の桜の花は三分咲き。

この6年間の総括というわけでもありませんが、振り返って、最近になって気がついた事があります。それは、三代会長とその弟子によって築かれてきた私たちのこの団体を撹乱させているものが何かについてです。
悪は多けれども一善に勝つことなしと言われた如く、その勢力に利用され騙され追随する人は多くても、勝負は既に決まっています。なぜかと言えば、何が正しく何が間違いかが決まっているからです。
私たちの使命は何かと問われれば、即ち「生命尊厳による世界の平和の実現」に他なりません。あくまでも非暴力主義による運動です。忍耐のいる対話です。
目的を同じくする平和運動の皆さんの味方をしつつ、学会を反平和運動の団体のように吹聴する悪の勢力がこの何年も何年も跋扈してきています。幾人もの人が靡いて反逆してこられました。でも、いつかは気がつかれる事を祈っています。平和を望む人々は団結せねばならない事に気がつかれる事でしょう。内紛していて、世界が安定するわけがないのですから。
創価学会が平和の団体でないと思わせたい人たちの顔、声、文、みんな似ています。平和主義の行動をしている人たちに、先生と学会を悪く思わせようとする勢力の動きが活発です。騙されてはいけない。
 

I Feel Good !  投稿者:南里Guy  投稿日:2008年 4月 1日(火)00時00分18秒    編集済
  Theimpossiblehashappenedさん、5日後にアポロシアターですか!?

      ああっ~!もう、ため息しかでません!

   総会をブラックカルチャーの殿堂・庶民の聖地アポロで~~!

さぞや、大盛会になるんでしょう。
もし、私が参加するとなれば、J.ブラウンばりに失神してしまうかもしれません!
日本では死語になりつつある第三文明(ニューカルチャー)の胎動をリアルに感じます。

   ダニーも皆さんも自他ともの平和と幸福をシャウトするんでしょう…うらやましいかぎりです。

             いい刺激をありがとうございます!
 

Party  投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2008年 3月31日(月)16時28分31秒
  ある(男子部)本部長の誕生日会があり、行ってきました。
偶然(必然)にもみんなアジア人(台湾、中国、マレーシア、インドネシア、日本)。
男子部より女子部の方が多い。肩身が狭かったです。。。
楽しく過ごしました。手作りの台湾料理おいしかったですよ!

でも、やっぱり、最後は題目三唱で閉めました。

NYの総会(4・5)はアポロシアターであります。また、報告します。
 

一般論としての悪  投稿者:婦人部G長  投稿日:2008年 3月30日(日)22時37分38秒    編集済
  日常生活でも油断をすると、「悪」に利用されます。
気が弱く、言いなりになると思われると、何かと利用されます。
小さなことですが、ずるい人に危うく利用されかかったことはあります。
身近な人間関係の中で発生するわけです。

学会のなかでも、ちょっと「危険な身近な幹部さん」いますよ。
金銭的に巧みに利用されかねかないという「ちょっと危険な」ということですね。なんとか距離間をとって、つかず離れずでいくしかなくやっていますが。その方も限度は心得ていて、
失敗するほどは迫らないわけです。

悪といっても、ちょっとしたことが重要なんですね。
犯罪をするつもりはないが、利用できそうな人間を利用する。
最終的にはこちらの生命力が弱いと、やられてしまうのですが。

年老いた私の母から、言葉巧みに借金をして(学会員ではないです)
なんだかんだと返さないオンナから、取り返したりとか、ひとつひとつ「タタカイ」
ですね。

職業幹部の方は、公務員、あるいは政治家 のように 税金で雇われ、その税金の使い方の
権限を持ち、自分自身によほど厳しくしないと堕落するのは必定ですね。
やはり、下の会員が「ボンクラ」でなく、賢く賢く、「ちゃんと監視しているよ」
という毅然とした姿勢が必要ですね。

でも、お上 意識が すごく強いですね。一般的に
「今度すごい幹部が入るのよ」と役職の立場だけで、何がすごいのかと 未知数ですが。
本人の話を聞いてみなければ わからないはずなのですが。
 

「内部の敵が仏教を滅ぼす」  投稿者:今日より明日へ  投稿日:2008年 3月30日(日)12時41分32秒
  本日、2008年3月30日。聖教新聞の全国代表者会議での名誉会長のスピーチ㊦より
≪抜粋≫
提婆達多が反逆した根底には、嫉妬があった。名聞名利があった。・・(省略)・・

「内部の敵が仏教を滅ぼす」一、御聖訓に仰せである。「師子の身中の虫が師子を食らうのであって、仏教を外道は破りがたい。仏教の内部に事が起こって仏教を滅ぼすであろう。これが仏の遺言である」(同1271㌻、通解)

仏意仏勅の創価学会は、外からの敵には、びくともしない。厳重に注意すべきは、仏法の和合の世界を内側から蝕む「師子身中の虫」である。仏法者の「心」を破壊する増上慢である。仏法の因果は厳しい。仏罰は厳然である。この「師子身中の虫」にたぶらかされ、利用され、つけこまれて、最後は惨めな敗北の姿をさらす。

そのような愚かな人間には絶対になってはならない。「仏教というものは、内輪から壊されていくものだ」「増上慢の『師子身中の虫』と戦え!」と戸田先生も鋭く叫ばれた。・・(省略)・・ゆえに、敵を敵と見破ることだ。魔を魔と見破っていくことだ。

信心の利剣で、魔を断ち切っていくのだ。インドの父、マハトマ・ガンジーは叫んだ。「悪は正されない限り、悪のままである」と。その通りだ。青年が勇気をもって叫ばなければ、邪悪の根を断ち切ることはできない。

「陰謀の中でも、忠誠を装うもの、友情の名を騙って企てられる陰謀ほど陰険なものはありません」・・(略)一、ロシアの文豪トルストイは言う。「邪悪な生活を送っている人間が、概して傲慢不遜に流れるという現象が見られる」と。私欲を貪り、学会を食い物にする人間。増上慢になって偉ぶり、崇高な師弟を踏みにじる人間。

そうした悪人と断じて戦い。師を護り、同志を護り、学会を護り抜く。(略)若き皆さんは、堂々と胸を張って叫んでいくのだ。皆さんが、生き生きと新しい時代を開いてほしいのである。

トルストイは、こうも言っている。「力のある限り善悪の正しいけじめをつけて生きる所に、真の幸福がある。

(略)これから2、3年が、大きな勝負の山である。私も厳然と指揮を執る。一切を総仕上げしていく。未来の土台をつくる大建設の時である。今、広布の舞台から引っ込んだら損をする。さあ新しい時代を開くのだ。私とともに、勝ち誇って、素晴らしい人生を飾ろう!・・(略)創価学会、万歳!5月3日、万歳!

上記、先生は、明らかに特定の誰かを「師子身中の虫」であると断定されています。(昨年より、一貫して名指しで仰っている勢いです。読み返されて見てください。)

当方の掲示板上で、「敵は、内部の最高幹部である!」と繰り返し発信して来ました。
仏教史を紐解けば、破和合僧に最も該当するのは、組織の最高位に位置している人物です。
4面の聖教座談会に頻繁に登場してきた人物です。

「正義の師弟の魂を君に」「断じて勝つ!」勝負は執念で決まる!」
掲示板上では発信できない情報を、掴んでいます。ご了承ください。敵は、○○○に在住。
 

戸田全集第2巻 質問会編より。  投稿者:デタラメ君です。  投稿日:2008年 3月30日(日)07時45分2秒
  世法と仏法
[質問]:世法と仏法との区別について、たとえば、信心している人とは思えない、利己主義の行動を見うけることがありますが。


これは、めんどうな問題です。りっぱな信心だから行動もりっぱであるというようにはなかなかいきません。
ここに紺(こん)のよい染料があっても、染地によって違ってきます。木綿とスフとは上がりが違います。
現代の人間は、スフのほうが多い。よく染まるようになるまでには、時間がかかります。半年や一年では、その人のずるいところはなおりません。
それが人間であって、そうでないのはおばけです。そこに競争が起こり、そのなかで堂々と生活するまでには、よほどの信心が必要であります。

われわれの性分は変わらないが使い方が変わり、ずるい性分は、よい人と交るときにはでてこなくて、ずるい人間同士のときは、大きくでてきます。
おこりっぽいのも同様であり、これが調和されるには時間がかかります
各人よく自分を見つめてみなさい。末法に文底の仏法が現れ、上行菩薩が行じて民衆を救うというが、末法にはおこりっぽいのや、やきもちやきや、疑いっぽいのや、
ばかな人間が生まれてくることになっており、一応の仏法では救えません。
そこで仏様は御内証の無作三身の姿を、われわれの前に現され、やきもちやき、憎しみ等の調和をとってやろうというのであります。
そこで、世法は仏法とたて分けながら、渾然(こんぜん)一体となっていくのであります。
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スフ:絹や木綿の代用品として製造された人造絹糸で「人絹」(じんけん)ともいわれた。


悪を責める事は非常に大事な事ですよね!それにも増して大事な事は自身の悪を滅する事である。
これが仏法の真髄であり、全学会員が一人一人の宿命転換を成し遂げて行けば内部悪はなくなるのです。だが学会組織の中には悪の誘惑がたくさんある、大幹部になればなるほどその誘惑が多いのが現状ではなかろうか・・・。
その大幹部達をこの悪に翻弄されないように私たち一会員が監視し、善導していかなければならない。それが出来なければ間違いなく学会は崩壊する。
本日の新聞にある先生の指導の中にも書かれていますね「内部の敵が仏教を滅ぼす」と。
 

青年よ 21世紀の広布の山を登れ!  投稿者:今日より明日へ  投稿日:2008年 3月30日(日)00時23分9秒    編集済
  学会の様々な事業には、莫大なお金が投資(財務)されています。世間は、企業の競争です。受注をめぐって、熾烈な戦いが繰り広げられています。発注権(決定権者)は、誰にあるのか・・
業者は、うまみ(利益率)のある顧客獲得に奔走します。アングラマネーが水面下で飛び交っているのが実情かもしれません。全国の会館にベンダーマシンを納入していた某企業と高位職にある幹部が癒着していた話しは、組織でも有名な話しです。

密室談合、この国の、企業風土かもしれません。学会中枢には、表に出ていないだけで、いくらでも転がっている話しなのでしょう。少なくとも、そう考えるのが、普通です。
人間の世界なので、やむをえない場合もあることかもしれません。目の前に、札束をちらつかされたら、甘い誘惑と欲望に負けてしまうのでしょう。高位職の肩書きにある者は、襟を正し、質素な生活と潔癖を肝に銘じるべきです。

三代会長は、質素な生活をおくられました。牧口先生など、ご自分の衣服まで、貧しい子供達に分け与えられていたと聞いています。高級マンションに住み、所得の高い職員幹部には、わからないのかもしれません。庶民感覚や、心のひだから遊離してしまっている。今般のガソリン税率の問題も・・国民を直撃しています。公明党国会議員の年収は、約3千万程度。全国に、数百人はいる副会長クラスの年収と、あまり変わらないのかもしれません。(副会長の方が、当然下でしょうが)

公明党の施策は、論外です。自民党の集票マシーンと置き換えてもいいと思います。
学会員は、功徳がほしいのです。組織の盲信や成果主義の成れの果てでしょう。確かに、功徳があります。それは、選挙にかこつけての友好活動であり、仏縁を結ぶという意味では、折伏の縁です。本来の功徳観は、「悪を滅するを功といい、善を生じるを徳と云う」「功徳とは、六根清浄なり」です。国政選挙の場合、国会の審議内容や、具体的な施策のナカミの話しになると、あまり知らない人の方が、マジョリティでしょう。今は、ネットを通じて自分なりに勉強している人も多いことでしょうが。・・私は、投票には行っています。原点に帰る願いを込めて、また、同志の観点からも「公明党」と書いています。
矛盾した話しですが、洗脳でも、必死に頑張っている人を思ったら、他政党を書けません。その人の自由でしょうが。

何を言いたいのかと申しますれば、そういう立場になると、利権(既得権益)が生じて、欲に目が眩む可能性が非常に高いということです。そして、一度、甘い汁の虜になった人間を正しく導くには、並大抵ではないと心の底から思っています。立場にしがみつくーー。

正義の声を上げ、麗しい人間共和の世界を、死守して行くには、師弟しかないと思っています。21世紀の広布の山を、最高峰の頂きを、這い上がるには、先生という命の直結で、悪を攻め抜き、大歓喜と諸天を揺り動かす「一念」で使命を果たす、断じて貫徹する。壮麗なる世界のパノラマが、眼前に広がることでしょう。師弟の不二の心で!

師子身中の虫を、叩き出して、「仏の敵を一人も余すな」
 

山を登攀しましょう  投稿者:野生回帰人  投稿日:2008年 3月29日(土)11時40分12秒
  21世紀の険しい険しい険しい山々を登りに登りましょう。
登りつめればその向こうには、壮大に広がる景色が見えるに違いありませんから。
何を持って登るのかは、各個人によりますでしょうが、確信と希望の題目は必需品です。そして、勇気の声も。
 

4月24日、弟子の仇討ちだ!  投稿者:今日より明日へ  投稿日:2008年 3月29日(土)08時28分13秒    編集済
  1979年(昭和54年)の4月24日―。

この日、私は、19年間にわたって務めた、創価学会第三代会長を退き、名誉会長となった。

全国の、いや、全世界の同志は、その発表に、愕然として声をのんだ。

その背後には、悪辣(あくらつ)なる宗門の権力があり、その宗門と結託した反逆の退転者たちの、ありとあらゆる学会攻撃があった。

なかんずく、私を破壊させようとした、言語に絶する謀略と弾圧であった。

正義から転落した、その敗北者たちは、今でも、その逆恨みをはらさんと、卑劣な策略を続けている。これは、ご存じの通りである。

御聖訓には、随所に説かれている。

「法華経の行者は諸々の無智の人のために必ず悪口罵詈等の迫害を受ける」と(趣旨、140頁等)。

広宣流布の闘争のゆえに、悪口罵詈されるのが、真の法華経の行者といえるのである。

さらに「佐渡御書」には、「賢人・聖人は罵詈して試みるものである」(通解、958頁)と。

【「賢聖は罵詈して試みるなるべし」】

真実の信仰者は、罵詈され、讒言され、嘲笑されて、初めてわかる。

畜生のごとき坊主らの暴圧による、わが友たちの苦悩を、悲鳴を、激怒の声を聞くたびに、私の心は血の涙に濡れた。

心痛に、夜も眠れなかった。

私は、けなげな創価の同志を守るため、一心不乱に、僧俗の和合の道を探り続けた。

しかし、後に退転した、ある最高幹部の不用意な発言から、その努力が、いっさい水泡に帰しかねない状況になってしまったのである。

それは、最初から、学会破壊を狙っていた仮面の陰謀家どもの好餌となった。

坊主らは、狂ったように「責任をとれ」と騒ぎ立てた。

私は苦悩した。

――これ以上、学会員が苦しみ、坊主に苛(いじ)められることだけは、防がねばならない。

戸田先生が「命よりも大事な組織」といわれた学会である。

民衆の幸福のため、広宣流布のため、世界の平和のための、仏意仏勅の組織である。

私の心中では、一身に泥をかぶり、会長を辞める気持ちで固まっていった。

また、いずれ後進に道を譲ることは、何年も前から考えてきたことであった。

ある日、最高幹部たちに、私は聞いた。

「私が辞めれば、事態は収まるんだな」

沈痛な空気が流れた。

やがて、誰かが口を開いた。

「時の流れは逆らえません」


沈黙が凍りついた。

わが胸に、痛みが走った。

――たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでいい。

実際、私の会長辞任は、避けられないことかもしれない。

また、激しい攻防戦のなかで、皆が神経をすり減らして、必死に戦ってきたこともわかっている。

しかし、時流とはなんだ!

問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。

そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。

宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって、戦いを挑んできた。それを推進したのは、あの悪名高き弁護士たちである。

それを知ってか知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に虜になってしまったのである。

情けなく、また、私はあきれ果てた。


戸田会長は、遺言された。

「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」と。

この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。なんと哀れな敗北者の姿よ。

ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神は、どこにあるのか!

そんな渦中の、4月12日、私は、中国の周恩来総理の夫人である穎超(とうえいちょう)女史と、迎賓館でお会いした。

その別れ際に、私は、会長を辞める意向をお伝えした。

「いけません!」

人民の母は笑みを消し、真剣な顔で言われた。

「まだまだ若すぎます。何より、あなたには人民の支持があります。人民の支持のあるかぎり、やめてはいけません。一歩も引いてはいけません!」

生死の境を越え、断崖絶壁を歩み抜いてこられた方の、毅然たる言葉であった。


やがて、暗き4月24日を迎えた。火曜日であった。

全国の代表幹部が、元気に、新宿文化会館に集って来た。

しかし、新たな“七つの鐘”を打ち鳴らす再出発となるべき、意義ある会合は、私の「会長勇退」と、新会長の誕生の発表の場となってしまったのである。

大半の幹部にとって、まったく寝耳に水の衝撃であった。

私は途中から会場に入った。

「先生、辞めないでください!」「先生、また会長になってください!」

「多くの同志が、先生をお待ちしております!」などの声があがった。

皆、不安な顔であった。

「あんなに暗く、希望のない会合はなかった」と、後に、当時の参加者は、皆、怒り狂っていた。

私は、厳然として言った。

「私は何も変わらない。恐れるな!

私は戸田先生の直弟子である! 正義は必ず勝つ!」と。


 あまりにも 悔しき この日を 忘れまじ

     夕闇せまりて 一人 歩むを


これは、4月24日に記された日記帳の一首である。

わが家に帰り、妻に、会長を辞めたことを伝えると、妻は、何も聞かずに「ああ、そうですか・・。ご苦労様でした」と、いつもと変わらず、微笑みながら、迎えてくれた。

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3月29日、聖教新聞

悪を許すな 断じて戦え 青年部よ師子と立て!

山本 【6カ月以上にわたり、理由なく会員としての活動をせず、学会員として真面目に活動していく気持ちがない。これも場合によっては、退会となる。】

私は、会っています。横柄な態度で、会館に入って来ては、威張り腐っていました。
人としての振る舞いが、常軌を逸していました。尋常ではありませんでした。周囲には、誰も物申す人間は、いませんでした。権威と権力を恐れていたのです。10数年前の話しです。当時、学生部だった私は、後輩から、相談を受けたこともありました。―

今、思えば、あの時、破折すべきでした。悪は、放置してはいけない。増長するだけです。
勇気の声を上げなければ、純粋な麗しい人間共和の世界を護れない。先生は、「誰だろうとどんどん言い切りなさい!」と指導されています。高位の役職にいる幹部ほど、皆、権威を恐れて見てみぬふりをします。東京でも、散散、見て来ました。「人としての振る舞い」に欠いている人物を自分の身近に感じたら、正さなければならないのです。それが、慈悲です。

「若し善比丘あって法を壊らん者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」

麗しい組織を守るには、悪をのさばらせては、いけないのです。呵責し駈遣(追い払う)し挙処(罪過を挙げて糾明し、処断すること)しなければ、ならないのです。
 

今日帰りに  投稿者:一庶民  投稿日:2008年 3月28日(金)23時51分0秒
  隣に行われていた解体工事の重機が破損したため油が車に洗車のようにかかり大変な目に会い今帰ったところです。車は汚くなっていたからちょうど洗車しようとした矢先の出来事でした。運転は窓が油で汚れていたため解体工事の業者が指定した洗車場まで見えにくく大変でした。事故がなかったのが不思議でした。御本尊様に感謝の題目です。  

(無題)  投稿者:デタラメ君です。  投稿日:2008年 3月28日(金)17時15分50秒
  九州の同志の方、天変地異が起こっておりますが、ここで書き込んでる方々は大丈夫でしょうか?  

「夏が来た」みたいでいいですね  投稿者:野生回帰人  投稿日:2008年 3月28日(金)14時07分52秒    編集済
  この数日題目が少なくなっていまして(いえ決してなまけているわけでは・・・)、生命力の無さを見破られそうでロムだけで失礼しましょうと思いながら、拝見しておりましたが、まぶたに浮かんでくるような南の海のまぶしい光と岩盤を駆け上がるような勢いを感じて、やっぱり書き込まずにいられませんでした。  

沖縄、折伏闘争  投稿者:今日より明日へ  投稿日:2008年 3月27日(木)23時57分52秒    編集済
  Theimpossiblehashappenedさん、了解。そっちに行った折は、うまかっちゃん(激辛高菜味)を必ず持って行くよ。悪いけど、もうちょっと待って。御本尊様の命令で、やらなければならないことを、やってしまうまでは、動けない。

特に沖縄の久高島、鮮烈に覚えてるよ。一軒、一軒、聖教新聞を配って折伏に回った・・
あの聖地で、叫んだなよな。パンツ一枚で、泳いだこと・・昨日のことのようです。
楽しかった、歓喜した、島民の人の不幸に涙した。金の思い出だよ。不思議な物語だった。
N君は、あの後、連絡を取っていない。元気には、していると思う。
青い空と紺碧の海、フェリーからの珊瑚礁も、格別だった。・・目頭が・・

また行くぞ、沖縄に、いつの日にか必ず。・・折伏だ~~!
そっちでも、ガンガン折伏に行く。NYの会館、全部回る。主だったメンバーには、会わせてくれ。ハービーさんによろしく。沖縄のRamboさんと一緒に、駆けつけるよ。

一庶民さん、了解です。

ガ~ンさん、東京でお会いしましょう。フードファイト観ました。リアルです。戦争は、不毛です。殺し合いの、究極の蛮行ですね。題目は、感応です。境地冥合です。お互いに、頑張りましょう。

沖縄のRamboさん、英語と中国語を自在に駆使される貴殿こそ、使命深き人です。恐れ入ります。
 

祈りの具体性⇒“生命力”を“磁力”に譬えて……  投稿者:ガ~ン  投稿日:2008年 3月27日(木)21時46分10秒
  今現在、食うに困ってはおりませぬ。
今のところは“見習”という名の“スネかじり”です。
(父は今年、71歳を迎える予定です)
私のようなのが、独り立ちできるまでには、あと幾十年かはと……。
(頭の片隅に、そのうちまた“職安通い”も有してもおります)

http://youtube.com/watch?v=e-yldqNkGfo
を母に見せました。(父よりも母のほうが感述的と思いまして)
(第二次大戦からの戦争を、各国の食材に模してと予め断ったあとでですが)
母は「ふ~ん」と言うばかりでした。……。

私は、今まで、何十回見ても、「Food_Fight」には涙を禁じ得ません。
けっきょく、やっぱり、「福過十号」が祈りの中心です。

でも……、十号をどうやって具体的に思い描くか……、
それは、今のところ、どのようにも思い描くことができまません。

そこで、“生命力”を“磁力”に譬えてイメージすることにしました。
鉄の棒の端を南北に向けて置いて金槌で叩くと磁石になるといいます。
また、鉄の棒を熱したうえで端を南北に向けて焼き入れ(急冷)すると
もっと強い磁石になるといいます。
それからは「金槌で叩く」「赤熱した鉄棒を焼き入れ」をイメージしながら唱題しております。
 

オフ会  投稿者:一庶民  投稿日:2008年 3月27日(木)21時34分35秒
  参加は、やっぱり無理です。都合がつかず申し訳ありません。逃げるとか、勇気のなさなんかではありません。自分自身、携帯本尊を持つ決意を固めました。父の携帯本尊を今まで持っていました。授与の可能性が出たためですから。
父の携帯本尊は父に返します。
 

沖縄のRambo様へ  投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2008年 3月27日(木)13時02分14秒
   元気ならよかったです。懐かしいですね、あの時が。福岡も沖縄も楽しい思い出です。
沖縄の空、海、島々・・・琴線が・・・。
必ずNYに来て下さいね。いろいろ行きましょう!
おみあげはうまかっちゃんで!
 

「まさかが実現」さんへ②  投稿者:沖縄のRambo  投稿日:2008年 3月27日(木)00時26分34秒    編集済
  「まさかが実現」さんへ②

お気遣い有難う御座います。私は、いたって元気です。学期の終わりの締め括りやら、新学期の準備やらで多忙な毎日を過ごしています。
 最近、つくづく思うことがあります。仕事や経済面では、本当に宿命転換できたな、確実に前進したなと・・・。
 3年前、福岡の貴方の小さなアパートの一室で一緒にラーメンを啜って対話したのが、とても懐かしく感じられ、まるで昨日のことのように思われます。お互い貧乏生活の身分でしたよね。貧乏ながらも、お互いの夢や広布のロマンを「今日より明日へ」さんも交えながら種々語り合ったことが、まるで走馬灯のように思い出され胸が熱くなりました。
 ジャズドラマーとして身を立てるために、単身ニューヨークに渡った貴方の勇気に今更ながら敬意を評します。誰も当てなどせず、一人敢然と立たれ、使命の天地へと旅立った貴方の覚悟は実に立派なものです。
 今はもう、完全に広布の丈夫としてアメリカ広布の一翼を担い、日々奮闘されていることを思うと実に嬉しくなり、また、非常に感化されます。英語も大分堪能になられたこととお察しします。かくゆう私も、北京へと飛躍すべく、中国語と格闘する毎日です。お互い、池田先生の弟子として今世の使命を完遂しましょう。
 グラミー賞を取られた暁には、ニューヨークへ「今日より明日へ」さん共々、お祝いに駆けつける所存です。何はともあれ、アメリカにも、必ず行ってみたいものです。縁があるから絶対に行けるとは思っていますが・・・。
 再会できる日を心待ちにしています。いついつまでもお元気で。ではまた・・・。

         心より尊敬申し上げます、親愛なる広布の戦友「まさかが実現」さんへ


                               平成20年3月27日(木)
 

厳として邪悪な輩を許すまじ  投稿者:今日より明日へ  投稿日:2008年 3月26日(水)20時13分4秒
  昨日は、仕事が多忙でお休みしました。

近年の先生の指導は、不正を正せとか、邪悪を叩きだせ!と連呼されています。

先生の敵は、忘恩の輩です。組織の最高幹部に仰っています。

権力とは、真っ向勝負で行きなさい。とも本幹中継の場で仰いました。

54年の決着は、ついておりません。今こそ、弟子が、獅子身中の虫を叩き出さなくてはなりません。

仏法は、勝負です。師弟です。
 

いいところに落ち着きそうですね  投稿者:野生回帰人  投稿日:2008年 3月26日(水)10時10分50秒
  野茶坊さんのそれ、名案と思います。
誰にも仏性があるというのが、この太陽の仏法なわけですし、ヤマさんに限らず、皆に太陽の光と暖かさを当てていきましょう^^。
それにしても、私達は幸せでした、善と悪の分別が出来る最高の位置に存在してたわけですから。ネ、今日明日さん、が~んさん、そしてご登場の皆々さんとロムされてる皆々さん。
太陽も地球も丸くて良かった、〇。
 

ネットにおいて、私は「得るものがあった!」と感じております  投稿者:ガ~ン  投稿日:2008年 3月26日(水)02時29分52秒
  私のアスペルガーゆえなのかもしれませんが、
確かに現状のネット上では文字情報が主体であり、
……「文字による情報」(つまりは、とことんまで搾って或る程度は欠落した)
を前提に受け止める必要はあると想います。

私はネットを「意見交換の場」と捉えております。
で、「会う」といいますけれども、
私は2度・3度会っても、なかなか顔を覚えられません。
高校三年では同クラスでしたから毎日、
卒業後は、ほぼ毎月会っていますので、顔は当然覚えますが、
その人のことについては、卒業後二十年近く経っても、まだ、
なかなかわかりません。

もっというと、大学4年間以外は毎日、顔を合わせている家族でさえも、
なかなか、どうやって、自分の気持ちを伝えたらいいものか、わかりません。
(私にとっては、いわゆる「健常者」は、≡「超能力者」なんですが……)

私においては学園6年間に週一回は授業で顔を会わせ、
卒業後は月一回ていどは顔を会わせ、
私にとって芸術上の“師匠”ともいってもいい存在の方を、
イラク戦争&公明党関連においては、私にとってはいわば“仇敵”で……

これまでのヤマ某サマのことについて、何も申し上げることができませんでおります。
 

ヤマさんを善人にしよう!  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月26日(水)00時53分25秒    編集済
  親しみを込めて「ヤマさん」と呼ばせていただきます。

野茶坊は、自分の中にヤマさんを見るのであります。

だから、他人事ではないのであります…。

ヤマさんは身を以て、とっても大事なことを教えてくださっていると思います。



ヤマさんに感謝のお題目を送りながら、「4,24」を噛みしめ、晴れやかな「5,3」を迎えたいと思います。


では、みなさま、ごきげんよろしゅう…。ありがとうございました。

お一人お一人のお姿を想像しながら、お題目あげさせていただきます。



※しばらく、ネットをお休みいたしま~す。
(実は野茶坊も、ちょいと期するところあり、仕事と活動の間隙を縫って猛勉強中の身でありまして…。
一庶民さん、お互い頑張りましょう)

【出逢いは歴史を創る】
 

御質問にお答えします  投稿者:新入会者  投稿日:2008年 3月26日(水)00時45分8秒
  まず、副理事長からの激励ですが、非常にプライベートな内容ですのでお答えいたしかねます。私の立場そのものが分かってしまいますので。

聖教新聞の内容は私も返答しかねます。
6ヶ月云々という内容を新入会の私に尋ねられても困るというのが正直な心境です。
ただ、私が知る限り、私の地区では地区リーダーさんや地区部長さんが満遍なく家庭訪問をされていらっしゃり、6ヶ月間もほったらかしにされるということは無いです。
私が思うに、6ヶ月云々というのは、そこにいる幹部もしっかりと動かねばならない一つの基準として仰ったのではないでしょうか。

婦人部G長さん、フォロー有難うございます。
ファミレス店長さんの書き込みには正直答えるつもりはありませんでした。
私は一言も怨嫉云々とは書いていません。
ただ、先にも陳べたように私に激励してくださった方の悪口を言われるのが心苦しくて書いたまでですので。
 

(無題)  投稿者:Theimpossiblehashappened  投稿日:2008年 3月25日(火)23時40分23秒
  沖縄のランボーさんお元気ですか?
5・3ですね。
 

婦人部G長 さん  投稿者:デタラメ君です。  投稿日:2008年 3月25日(火)23時04分15秒
  お返事いただきありがとうございます。

私もこの指導を読み、ハッ!とし、ここでの皆さんの書き込みを思い出したので、転載させて戴いたしだいです。

確かに戸田先生の云われる通りだと納得しました。
私たちは基本的にすべての人が善人だと心に思っているようではありますが、心のどこかで疑ってる。
それが何かの因によって出てくるんですね。心したいと思います。
皆さんの真面目な信仰心によってまたひとつ成長出来ました。皆さんに心から感謝です。
 

デタラメ君です。 さんへ  投稿者:婦人部G長  投稿日:2008年 3月25日(火)21時16分29秒
  戸田先生指導集に・・・
すばらしいです。特に最後の、本当に御本尊を信じきった時、その人が善人であります。納得です。目が覚めるようです。
でも、デタラメ君なんて、呼びたくないような、すばらしいレスでした。
 

戸田先生指導集に・・・  投稿者:デタラメ君です。  投稿日:2008年 3月25日(火)17時20分19秒
  連投すみません。戸田先生の指導の中にこんなのがあったのでお役に立てばと思いここに転載します。


[質問]:五濁悪世(ごじょくあくせ)というが、善人はどこにいるのでしょうか。



南無妙法蓮華経を信ずる者を善人という。この質問はひじょうにおもしろい。金があり気持ちよく、腹をたてぬ、これは善人のようであります。

金がない、女房にいじめられる、腹をたてる、これは悪人のようにみえます。自分が善人か悪人かわかりますか。夫婦げんかしたとき、十年、二十年仲良くしてきても、敵味方となりすごくなります。

そのとき、女房にたいして、自分が善人か親切かどうかわかりますか。いや私はそう思うといっても、そんなことはだめです。善人悪人はそのときのはずみでできるのです。

これを機根の機といいます。

人間のなかで、だれが善人かときめようとすると、善人はいない。そのとき、よいことをしたということで決めるわけです。これを一念三千の法門といいます。

こういう人間だから、そういう悪いことをさせないがために、御本尊を与え、仏という善人にしてしまおうというのが、日蓮大聖人様のおこころであります。

善人になるときも、悪人になるときもあります。ほんとうに御本尊を信じきったとき、その人が善人であります。
 

聖教新聞、4面  投稿者:デタラメ君です。  投稿日:2008年 3月25日(火)17時07分35秒
  2008年3月13日の聖教新聞、4面の座談会に、確かに掲載されたものです。

皆さんこんにちは。

山本 【6カ月以上にわたり、理由なく会員としての活動をせず、学会員として真面目に活動していく気持ちがない。これも場合によっては、退会となる。】

私はこの記事を読んで、私が折伏して入信し未活になっている人にこの記事を見せ、退会するか?と聞いてやりました。
そしたら本人慌てていやですと言って来ましたよ!
会合にも出来るだけ参加するよう努力しますと言ってます。やはり悩みを持ってる未活の人には、この記事かなりこたえるみたいです。(笑)
世の中にはいろんな人がいます、何がその人にとって発心となるかは判らないものですよね。
わたくし事ですみません・・・。
 

紅の歌を聞きながら書いてます♪  投稿者:野生回帰人  投稿日:2008年 3月25日(火)14時03分48秒
  三番の「父」のところが「父母」になりましたので、どんな風に歌うのかなあ?と思ったのと、覚える目的で、さっきから試聴しています。

♪老っいったる ちちは~~はの

この部分はこんな風になっていました^^。この曲がかかると、体が自然に動いてきました。割と早いテンポですね。
すみません、タイミングのつかめないコメントつけていますね私。
でもお話の続きをどうぞ ↑↑
 

ファミレス店長さま  投稿者:婦人部G長  投稿日:2008年 3月25日(火)11時55分21秒
  さっそくに、応答ありがとうございます。

新入会者さんは純粋に、愚痴になるのではないですか と ご自分の意見を述べられたのです。「怨嫉の固まりの皆様」 という表現もしてませんし、勝手に、ひとさまの心を断定なさらないほうがいいのでは。

言葉足らずというのであれば、ファミレス店長さんも、純粋に新入会者さんの
激励された体験をリアルに教えてくださいと、お願いすればいいだけのことでした。

新入会者さんのことにかこつけて、自分は汚れないで、「怨嫉の固まりの皆様」をこらしめたいという魂胆がみえみえです。
それなら、真っ向から、自分自身の意見として、誰々の、この考えに反対ですというべきでした。そして、自分の意見はこうです と。

失礼いたしました。この件はこれで終了です。
当然、ファミレス店長さんも私に物申したいという点があればどうぞ。
 

婦人部G長さま  投稿者:ファミレス店長  投稿日:2008年 3月25日(火)09時05分59秒
  レス、ありがとうございます。
言葉足らずでしたかね…。(^^;
『新入会者さんから見て』怨嫉の固まり。
『たまに、投稿するけど』普段はロムしてる者。

因みに、開設当時はコメントしてましたよ。(削除もされたけど)その後も何度かはレスしてますが…。世の中には文章力の無い者もおりまして、要らぬ誤解を与えてしまう恐れがありますので極力レスはしません。今回は、いよいよ具体的に最高幹部の方から激励を頂いた方がいらっしゃるので、是非ともお話を伺いたかった。
基本的には賛同している者です。


ささ、話が逸れてしまいます。新入会者さま、どうぞ教えて下さいませ。
 

ファミレス店長さま  投稿者:婦人部G長  投稿日:2008年 3月25日(火)08時01分10秒
  この怨嫉の固まりの掲示板の皆様・・・という発言
普段ロムしている者です。・・という発言

とても不可解です。あなたは何をなさりたいのでしょうか?
新入会者の方を引っ張り出さずとも、何故、ご自分の意見、考え、を
率直に発言なさらないのでしょうか?
怨嫉の固まりと、軽蔑しきっている面々の集まりにこっそり、蔭から
のぞいていたというあなたは一体何なんでしょう。
自分の意見ひとつ言えない、臆病者ですか。

他人を引きずり出さずに、自分で発言しなさい。
 

新入会者さんへ  投稿者:一庶民  投稿日:2008年 3月25日(火)07時53分18秒
  お久しぶりです。僕はY副理事長さんがどうして幹部になられたのか、よくわかりません。直接お会いしたことはなかったので聞いておりません。僕の家族もその経緯を知りたいということです。直接お会いし、感激されたということですので、それと、どういう振る舞いで、どう言葉をかけられ、そうお感じなられたのか知りたいです。
虚言で投函されたわけではないと思いますので多少なりとも教えていただけませんでしょうか?
 

聖教新聞、4面  投稿者:今日より明日へ  投稿日:2008年 3月25日(火)02時36分29秒    編集済
  2008年3月13日の聖教新聞、4面の座談会に、確かに掲載されたものです。

記事をそのまま抜粋します。

山本 【6カ月以上にわたり、理由なく会員としての活動をせず、学会員として真面目に活動していく気持ちがない。これも場合によっては、退会となる。】

聖教新聞は、全国一千万の同志が、毎日、読んでいます。読んでいない人も当然いることでしょうが、この上記の発言をどう解釈したらいいのでしょうか。

こればっかりは、どうしょうもない事実です。お手元に、この記事が掲載されている聖教新聞をお持ちでしたら、確認されてください。怨嫉でも、同志批判でもありません。

危機感を、抱いているのです。

信心は、自体顕照の人間革命にあることは、申すまでもありません。自身の生命を磨き、六根清浄に、生命力豊かに社会で生きぬき、御書根本に妙法の実証を示すのが、地涌の菩薩の生き方であり、使命です。そして、麗しい同志の絆で、楽しく、歓喜して広宣流布に邁進するものです。人のため、社会のため、法のため。

【6カ月以上にわたり、理由なく会員としての活動をせず、学会員として真面目に活動していく気持ちがない。これも場合によっては、退会となる。】


問題発言であることは、言うまでもありません。
 

新入会者さん  投稿者:ファミレス店長  投稿日:2008年 3月25日(火)01時12分5秒
  はじめまして、普段ロムしている者です。

是非ともY副理事長に『大変な激励をして頂き心を奮い起こすことができた』体験を、この怨嫉の固まりの掲示板の皆様にお聞かせ願えませんか?
是非ともお願い致します。
『新入会者』さま。
 

新入会者さんへ  投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2008年 3月24日(月)23時51分49秒
  みなさん、こんばんは。

今日より明日さん、お邪魔いたします・・・

新入会者さん、はじめまして・・・よろしくお願い申し上げます。

「認識せずして評価することなかれ」と言う学会指導の通りに、山本さんの実態は分からないと申しておきます・・・



まあ、山本さんの、聖教座談会での、(山本 【6カ月以上にわたり、理由なく会員としての活動をせず、学会員として真面目に活動していく気持ちがない。これも場合によっては、退会となる。】) 発言から、これが口述筆記なら、山本は腐った師敵対なんでしょうね・・・裁判沙汰のグレー幹部と言う側面もある・・・

ゴーストライターの創作なら、反山本の追い落としか、聖教編集部の少なくない編集者が、真っ黒の腐った幹部と言うことでしょう・・・


>皆さんが皮肉を仰っているY副理事長には私自身、大変な激励をして頂き、心を奮い起こすことができた恩人です。
皆様の書き込みは只の愚痴にしか感じられませんし、納得しかねる事ばかりです。

新入会者さんが、山本さんと面識があり、「認識されて、評価されておられる」と言うのなら、学会指導通りの実践と言えます・・・

会ってもいない山本さんを批判する人間に対して、人として山本さんに大恩があると言う新入会者さんが、納得出来ないのは、当然でしょう・・・

そこで、是非、お聞きしたいのですが、山本副理事長は、*(6カ月以上にわたり、理由なく会員としての活動をせず、学会員として真面目に活動していく気持ちがない。これも場合によっては、退会となる。)*・・・・、このような発言を本当にされる方なのでしょうか?

聖教編集部の反山本の追い落としと言う推測をどう考えられますか・・・

また、山本さんの発言が、創作なら、新入会者さんは、大恩ある大幹部に「妄言」を吐かせる創作文を書いた、聖教編集部を、当然のように批判するべきではないでしょうか・・・

いかがですか。
 

決意・30日闘争!  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月24日(月)23時44分30秒    編集済
  「4,24」まであと1ヶ月


「迷いや恐れがあれば目的を果たせない」

「傲慢な者どもを叩き潰すのだ」        (ウェルギリウス)



邪悪・傲慢・臆病 V.S 正義・誠実・勇気

仏が勝つか魔が勝つか

強靱な祈り=我が内なる大闘争

悪との戦いの成果は、自身の人間革命を以てのみ実証されることを忘れまい。
 

これは、、、  投稿者:一言凡夫  投稿日:2008年 3月24日(月)23時02分13秒
  「今日より明日へ」氏のこの板は一日に約250名~300名の閲覧があり
広範囲に情報を発信して賛同者も多く得る傾向にある。
この現状を、SOKANET.JPがほおっておくわけがない。
聖教新聞の地下の方々であればとうにこの板の存在に危惧を抱いているわけと
思われる。して、同志の篤情としての友好的言辞をもってなんとか
「今日より明日へ」氏の活動を封じたいと画策しているのでしょう。

だが、宗門信徒の発信する情報はおいら等も知っている。伊豆のSGI会館が
池田先生の疲れを癒す弟子の心情からのものではなく本部幹部が先生を利用し
ておのれらの快楽のために末端の純粋な広布の基金を使っているのではないかと。

おいらは本部のずるい搾取屋の幹部を放置すべきでなかんとね。
私は、今日より明日氏の熱き忠節を受納するものであるとね。
創価本部の職員たちは、飯の種としての創価学会が大事なのであり世界広布は
付録にしかすぎないとかよ。

学会本部が入り込んできたようだ。おいのできる限りの支援をするとよ!!
 

愚痴について  投稿者:デタラメ君です。  投稿日:2008年 3月24日(月)21時55分56秒
  皆さんこんばんは、感想を一つ書きます。

愚痴も人がいなければ言えませんし、聞いてくれる人がいるからいつか前向きになれると信じています。ただ、愚痴をこぼすだけではいけませんよね!前へ向かう為の愚痴であればそれもいいのではないでしょうか?

私は最近になってネットでいろいろな同志と出会い、語り合い、リアルでは言えない事を書き込むことでこの世界も使い方によってはプラスになると感じてきています。
やはり、同志はいいですね、顔も知らない人同士なのに分かり合えるんですから・・・・。
時には反対派の意見もありこれがまた勉強になりますよね?戸田先生が云われた「反対意見に耳を傾けよ」でしたか、このお言葉がリアルではなかなか生かせない、だがネットではそれが聞けるうれしいことですよね。
 

祈り  投稿者:婦人部G長  投稿日:2008年 3月24日(月)21時21分53秒
  私も、真剣に祈ります。町内会のオソロシイ方々のことを。
神札を受け取ることを強要します。田舎ですので、旧習の権化です。
今年から、町内会の役員ですので、もろにぶち当たります。
でも、喧嘩はしません。妙法に縁できるように祈ります。
昨日も今日も、町内会の用事で奔走でした。
 

祈り  投稿者:一庶民  投稿日:2008年 3月24日(月)21時13分11秒
  愚痴も祈れば祈りとなる、と尊敬していた先輩から言われたとおり、僕はY理事長のことも祈ります。
皮肉ということも含めて。僕は秋に意を決して、勉強をし、自らを鍛えます。猛勉強です。この社会を照らし行くために。弟子の一人として。だからインターネットから、そのために自ら去ることも有り得ます。そういう選択もあります。
 

良心  投稿者:野生回帰人  投稿日:2008年 3月24日(月)12時28分35秒
  いつもいつも子どもに愚痴をこぼしては顰蹙をかっている回帰人です。
ハンドルネーム・新入会者さんの書かれてます通り、批判や愚痴のみでは解決に向かう事は出来かねると思います。
それだからこそ、直接会ってお話をしたいんですね、私達は。特に創価学会というとてもたくさんの会員の中央に位置されてます本部の中のそのまた中央の大きな役職の皆さんには特にです。胸襟を開きあって、対話が出来るような努力をいっぱいしていただきたいんです。
 

お久しぶりです。  投稿者:新入会者  投稿日:2008年 3月24日(月)10時13分0秒
  以前、御本尊様の事で書かせて頂いた新入会者です。
いつも勉強のために読ませて頂いています。

一つ質問があるのですが、私は地区の方から
「同志の批判はしてはいけない。それは謗法である。」
と言われました。
かつて、池田先生が同じように幹部の行動に対して戸田先生に同じように批判したところ
「では自分で変えなさい。」と言われたと言う事をお聞きしました。
大先輩にこの様な事を言うのは非常におこがましいと思うのですが、掲示板でどれだけ書き込んでも結局は何も変わらないと思います。
私が創価学会に入会したのは、全てが自分の問題であり、それを解決するには自分を変えるしかない。しかし、この仏法には変える力があり、それはやがて社会全体を変えることが出来るからであると教えて頂き、その感動を胸に、今も確かに大変な事、辛い事は多々ありますが、頑張っています。
皆さんが皮肉を仰っているY副理事長には私自身、大変な激励をして頂き、心を奮い起こすことができた恩人です。
皆様の書き込みは只の愚痴にしか感じられませんし、納得しかねる事ばかりです。
 

慎重にいきましょう  投稿者:Boo  投稿日:2008年 3月23日(日)23時51分53秒    編集済
  (あらためて)はじめまして。

今日より明日へさんが引用された部分の前に、次のような会話があります。(断定は回避されている?)

>B:ところで総旧習長は、自分に白羽の矢が当たって本部から大分に派遣されたような言>い方をしていたが、本当なのかね?

>A:さぁ…。そこは本人の言葉を信じるしかないだろう。

>B:私は、どうもそうじゃないような気がする。そして、そうじゃないと考えた方が、彼>の立場も少しは楽になるんじゃないかなぁ?

>C:どういうことだ?

>B:その浜中和道というのが妙な男で、当時のことを事細かに、膨大な回想録に書いてる>んだよな。ところが、その回想録に山本タケシの名前は登場しないんだよ。

>C:つまり、山本タケシは浜中の眼中になかったってことか?

>B:そう。当時の山本サンは、彼が言うように本部を代表して派遣された…なんてもので>はなかったんじゃないか? そう思えるんだが…。

>C:つまり「白羽の矢」…、「黒羽の矢」とも言ったが…、それは山本総旧習長の大言壮>語に過ぎないってわけか。

>B:そう考えてあげた方が、彼のためにはいいと思う。

>C:責任が軽くなるから…?

>B:そう。もし彼が言うように「白羽の矢」が本当だったとしたら、彼の責任は途方もな>く大きいよ。



・・・「白羽の矢」が事実かどうかは疑わしい、Y副理事長の「大言壮語」にすぎないのではないか・・・という見方の方が案外当たっているのかもしれませんよ。(悲憤慷慨・大言壮語が大好きなお人です。)
本当のところは、本人に聞いてみないとわかりませんが、、。

いずれにしても、南里Guyさんが「シリアスに」と仰るように、慎重にいったほうがよろしいかと思います。

失礼いたしました。
 

民衆の夜明けを!  投稿者:今日より明日へ  投稿日:2008年 3月23日(日)16時24分52秒    編集済
  『石焼きイモの詩』紙上座談会(3)  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月22日(土)12時53分38秒

>A:「先生が勇退をしてでも収めなければならなかった事態…」と言っていた。

>C:「白羽の矢」が事実だとすれば、その事態を招いたのは、ズバリ、山本タケシその人であるということになる。

>B:そう。つまり、本部から大分に派遣された山本タケシが、山友に操られた浜中和道の振りかざす宗門の権威を大分の地で打破できなかったがゆえに、坊主どもの暴虐の濁流が全国的に拡大し、挙げ句の果てに、「先生が勇退をしてでも収めなければならなかった事態」を招いたということだ。そういうことになる。

>C:1979年4月24日、最高幹部が先生に向かって「時の流れには逆らえません。」と抜かして、会長辞任を迫ったわけだが…、山本タケシは、その「時流」をつくった張本人ということになる。

仰る通りです。師敵対の大怨敵は、壇上に登っている最高幹部どもです。
54年に誰が、どういう動きをしたか、全て記録を保管してあると、昨年、池田先生は、仰いました。野茶坊様等の座談会は、歴史的な座談会です。師弟不二の戦いです!

大白蓮華4月号(巻頭言)より抜粋ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

昭和54年の4月、私の会長辞任に激怒して、草創の広布の母は卑劣な幹部を叱咤した。
「第三代会長を守り抜けと、戸田先生は遺言されたではないか!この意気地なし!」と絶叫したのだ。ともあれ「仏法は勝負」である。ゆえに、戦い勝たねばならない。戦うことが
「後継」だ。勝つことが「報恩」である。この師弟の真髄を知る若き岩窟王たちが、今、戦闘を開始している。

厳として      正義のわれらは
 邪悪な輩を      万年までもと
  許すまじ
 

今朝の新聞  投稿者:一庶民  投稿日:2008年 3月23日(日)11時40分25秒
  熊谷さんは総合中国長になったんだね。また近所の女性が新たに婦人部長になったんだね(曖昧です。じゃないと住所がばれますからね)熊谷さんは郵政民営化の話で『ポストに手紙を投函するだけでなく自分の家からも投函するサービスでよくなる』と騙したね(笑)また横滑りです(笑)広島県出身ばかりが方面長になりやがる。山口は先生ともに開拓闘争した原点の地です。だから山口の同志から街が寂れたんだと山口をないがしろにしてんだと年賀状で知らせて来たんだ。
二面に墓園のことが掲載されました。毎年ですがね。僕の墓園で桜は咲きますが、満開のところや全く咲かないところがたくさんあります。呟きでした。
 

迂闊な噂話でした  投稿者:一言凡夫  投稿日:2008年 3月23日(日)10時58分24秒    編集済
  おはようございます。おっしゃるとおりです、わたくしが迂闊でした。が、祖父以来の学会人
として体には学会魂が染み込んでいるつもりです。しかし、最近の学会をみているとなにやら
むかしとは違うような一種の違和感があり、ついてゆけないところもあります。もちろんわた
くしの信心が未熟だと思います。これからはよく考えてから発言しますので見苦しいところが
ありましたことを陳謝いたします。しばらく謹慎して唱題に徹し先生の指導を学ぶことといた
します。
 

(無題)  投稿者:デタラメ君です。  投稿日:2008年 3月23日(日)07時24分2秒
  了解です。おとなしくしておきます。  

CD「師子の詩」  投稿者:ガ~ン  投稿日:2008年 3月23日(日)04時41分11秒    編集済
  きたるべき5月3日に具えまして、
家の中を「広布の愛唱歌集」や「学会歌テープ」を探したのですが、
なかなか出て来なくて思い切って聖教の通販で今年出たばかりのCDを買いました。

ブックレットが素晴らしいです。
歌詞ばかりではなく歌にまつわるエピソードや、
「小説・人間革命」の中での描写までもが詳述されています。
外見は小さいながらも、中身は大きな「広布の愛唱歌集」だと感じました。

ただ、残念な点が二つ。
ブックレットは素晴らしいのですが、録音内容の方で……
なるべく男女の「混声合唱」で収録してほしかったです。
(全て「男声コーラス」ですので)
女性の声質は名実ともに“花”ですから。
あともうひとつは、テンポが速過ぎることです。
いわゆる“杉野節”は23曲中に4曲入っていますが、
どの歌であっても「噛み締めるように」発音するとなると、
必然的にテンポは「ゆっくりめ」になります。
「歌」は会合前の形式的な儀式ではなく、
「歌」は「こころ」なのですから……
(心の発露であるばかりでなく、心を醸成するものでもありますので)

(追加・投稿直後)
いつも眠気防止に、自動車運転中は歌を歌っているのですが、
先日、熊谷で気温二十度越えの日に、あまりにも暑くて、
うっかり窓を開けて風にあたりながら歌を歌っていましたところ、
(時間にして二十分にも達しなかったのですが)
その晩に咳で寝付けず、その翌日・翌々日は咳は治まったものの、
鼻水が際限なく出て(トイレで小を足すあいだも垂れ続け)
殆ど思考停止の状態でした。
(どうやら花粉症と春風邪の合併のようで)
聲がガラガラで好きな歌も歌えず、
その後は(今現在)鼻水が多い日と咳が多い日が交互になっています。

みなさま、くれぐれも、花粉症・春風邪には、お気を付け下さい。
(「花粉症は突然に来る」ともいいますし)
 

(デタラメ君も含めて)シリアスでいこう!  投稿者:南里Guy@島国根性よサラバ!  投稿日:2008年 3月23日(日)01時22分20秒
  一言凡夫さん初めまして!

私の所属する地区内には、T州会の「本山」があります。目と鼻の先です!
衆院選挙の時は、ん億円のお金がそこで結集して動くそうです(関係者談)。

ウラのとれない噂は、なるべくここには書き込まない方が賢明かと思います。

お互い地区部長で、Sのフロンティアの組織に骨身をおしんでますからご理解ねがえるかと存じます。

シリアスにいきましょう!
 

Y副理事長  投稿者:一庶民  投稿日:2008年 3月23日(日)00時19分42秒
  先に聖教座談会の質問したら、まず女性職員は???で回答不能。ついに替わり男性職員は自分の倫理に酔いしれたのか神経質にならなくてもよいと回答。でもよく考えてみれば、あの方には信用するなと言ってる気がしましたね。あくまで曖昧な表現ですが。  

「王様は、裸だよ!」  投稿者:今日より明日へ  投稿日:2008年 3月23日(日)00時14分50秒    編集済
  野茶坊さん、長文のご投稿ありがとうございました。読むのに、時間が懸かったのは、僕だけでは、ないはずです。当掲示板に訪問された人は、ちょっと我慢して、必ず読んでください。山本副理事長の人となりが、絶妙に伝わって来るはずです。

裸の王様です。そして、裸の王様を支える家来たち。街で小さな子供が叫びました「王様は、裸だよ!」・・・王様は、裸だったのです。皆、恐れて声を出さなかっただけなのです。何とも、滑稽な話しではありませんか。

山本 【6カ月以上にわたり、理由なく会員としての活動をせず、学会員として真面目に活動していく気持ちがない。これも場合によっては、退会となる。】

裸の王様。
 

石焼き芋??  投稿者:一言凡夫  投稿日:2008年 3月22日(土)16時50分34秒
  そういえば以前に九州出身の友人から聞いたことあります。
徳州会のエライが学会人で公明の深い支援者で沖縄のほう
が強い結びつきがあって学会の九州の会館と徳州会の設備
業者が同じで裏では強い繋がりがあってきなくさい噂があ
るそうですね。

http://8316.teacup.com/5555555/bbs

 

(無題)  投稿者:デタラメ君です。  投稿日:2008年 3月22日(土)14時20分9秒
  実に面白い、山さんがどんな人かこの座談会で見えてきたな。
ここへきてからようやく大分の件が見えてもきた、ありがとう。
 

『石焼きイモの詩』紙上座談会(7)  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月22日(土)13時02分59秒    編集済
  2531 / 1階層)  第5回?:メンドくさくなったから終了~~
□投稿者/ 野茶坊@We shall overcome -(2006/04/29(Sat) 01:18:16)

B:おい、ヨタ噺に付き合うのも、いい加減うんざりしてきたぞ。

A:そうだなぁ…。山本サンの噺を掘り起こせば、いくらでも話題は出てきそうだが、この座談会も予想外に長くなってしまった。

C:じゃあ、終わりってことで、ひとくさりまとめるかい…?

A:ヨタ噺のまとめは難しいなぁ…。まぁ、山本サンのように外見からしてその実体が容易に想像できる幹部というのは希有な存在なんだろうが、それだけに象徴的なお人なのかも知れんなぁ。

C:それにしても、どんな信心をすれば、あんな風になるのかね?

B:一言で言えば、心外に法を求めてるってことじゃないか。

C:だから、師弟がわからず、宗門問題も戦いきれてないと…?

B:そう。これは山本サンに限ったことじゃない。幹部も我々も、一人残らず、その落とし穴にはまる危険と常に背中合わせなんだよ。

A:そのことを山本サンは、自らのお姿を通して我々に教えてくださっているんだな。

C:その山本サンに感謝を込めて、やっぱりハブ酒を進呈するとしよう。2メートルクラスの特大級のハブ入りの…。

B:おいおい、2メートルのハブなんて滅多にいるもんじゃないぞ。

C:なぁに、だいじょうぶ。その気になって探せば見つかるさ。山本サンの顔色をよくするためだ。

A:そんな大きなハブは一升瓶に入らないだろう。胴回りの直径が4~5センチはある。

C:漬物用の広口瓶を使えばいいさ、バケツぐらいの、これまた特大級を…。

A:次回来島の時は、中で特大ハブがとぐろを巻いた特大瓶から、柄杓ですくった焼酎をあおりながら、山本サン、弁舌さわやかに…?

B:いや、ご本人もとぐろを巻くだけだろう。

C:ハブ酒で下痢をしたという話は聞いたことがない(爆)。


野茶坊:ハイ、そこまで! 終了~~~~。おつかれさまでしたぁ。



ともあれ、ヤマさんと一献かたむけてみたいもんだねぇ


(以上おわりです)



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



問題点は、他にも多々あるかと思いますが、そのすべてを取り上げることは物理的・時間的・野茶坊の能力的に、とてもとても不可能でありました、ふぅ…。

あとは、皆様でご随意にお願い申し上げます。
 

『石焼きイモの詩』紙上座談会(6)  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月22日(土)12時57分3秒
  2527 / 1階層)  第4回:石焼~~きいも~~~

□投稿者/ 野茶坊@We shall overcome -(2006/04/28(Fri) 01:16:11)

A:おい、どんどん先に進まないと、終わらないぞ。

B:そうだな。先を急ごう。

A:では、山本総旧習長のイスラム教講義、いってみよう!

C:講義ぃ…? ああ、皮肉ね。

B:まず、インドネシアは人口2億2000万人、そのうち9割がイスラム教徒…、つまり2億人近くがイスラム教徒で、世界最大のムスリム人口を擁する国だと言っていた。

C:ムスリムなんて言葉、使ったか?

B:いちいち細かいこと言うな。使ってないよ。世界でイスラム教徒が一番多い国とか何とか…、そんな言い方だった。

A:そして、日本の公民館くらいの単位で、礼拝所があると…。

C:「モスクというんです。」なんて言って、すましていたな。

B:まぁた、いちいちキミは…。まぁ、モスクがイスラム教の礼拝所のことだってことは知ってるぞってわけだ。

A:大小さまざまなモスクがいたるところにあって、モスクの塔に備え付けられているスピーカーからお祈りの声が街中に響くと…。

C:イスラム教って、たしか1日5回ぐらいお祈りするんじゃなかったっけ?

B:そうだったかなぁ。私は昔、アフガニスタンの留学生と対話したことがあるんだが、そんなことを言っていたような気がする。

C:ほう、そんな経験があるのか。ぜひ聞きたいな。

B:その彼が私のアパートに遊びに来て、私が題目あげてたりすると、「あ、お祈りの途中ですか。じゃあ、待ってます。」と言って、私が手渡した『21世紀への対話』の英訳本をパラパラとめくったりしていたよ。「きょうは時間あるの?」と聞いて、「はい」と言ったら、遠慮なく1時間ぐらい待たせたもんだ。

C:客を1時間も待たせて題目あげるかね…。

B:彼の場合はそれで平気だったんだよ。「お祈りは大事です。」と言っていたし…。

C:対話はうまくいったのか?

B:なかなか難しかった。一方的にしゃべりまくる私の話に、彼はじっと耳を傾けて、時々質問をし、しばしば「わかります。」と相づちを打ってくれた。それで私は勝ち誇ったような気になっていたんだが、今思い返すと、彼の方が対話というものを心得ていたよなぁ…。私が彼に入信…、まぁ彼にすれば改宗になるわけだが…、入信を勧めると、彼はにこっと笑って、「あなたはブディスト、私はムスリム。あなたは日本の人で、私はアフガニスタンの人。でも、あなたと私は友だち。それでいいじゃありませんか。あなたの話はvery interesting、とてもよくわかりますが…」とくるわけだ。

C:じゅうぶんうまくいってるじゃないか。相手があんたと違って、よくできた人だったからだろうけど…。日本語で話したのか?

B:そう。時々「その言葉、どういう意味ですか?」と尋ねることはあったが、流暢な日本語だった。

C:たいしたもんだ。それで、あんたは相手の話を聞いたのか?

B:いや、彼の話を遮って、一方的に喋りまくった。だから、お祈りを1日に何回するかといったことも、彼は話したような気がするんだが、情けないことに私は正確に覚えていない。誠実さに欠けた…。イスラム教に対する偏見があったんだなぁ、私の中に…。

C:イスラムの教義や世界観を聞ける恰好のチャンスだったのに、もったいないことをしたな。

B:そう。例えば、世界史的に見れば、ヨーロッパのルネッサンスが可能になったのは、ギリシャ・ローマの古典文化を継承・発展させたイスラム文化があったればこそなんだが、そうしたことも踏まえて、建設的な対話をすべきだった。

A:本題に戻ろうや、山本サンの…。

C:1日に何回も、スピーカーからお祈りの声が響いてきて、それを2週間も聞いてたらおかしくなるとか何とか言ってたな。

B:そう。おどけて、お祈りの声を真似て…。ちょっと私には真似できないが…。侮辱だね、あれは…。

C:「謗法ばい」と言ってたな。それを聞いて俺は、ベートーベンの『第九』を歌うことが謗法だと、日顕宗が学会に言いがかりをつけたことを思い出したよ。

A:で、そのお祈りの声を2週間も聞いて日本へ帰ったら、勤行ができなくなるとまずいと…。

C:勤行ができなくなるのは、イスラムの祈りのせいじゃなくて、自分のせいじゃないのか? ふだん、どんな勤行をしてるのかね、いったい…。

A:まぁ、それは冗談で言ったんだろうけど…。

C:質の悪い冗談だ。実にくだらん。

B:そして、耳で聞いて頭で感じるのを変えたと…。

C:「石焼~~きいも~~~」てな…。

B:困った人だよ、本当に…。本人は自分の言っていることがわかっちゃいないんだろけど・・・。

A:先生の著作、ちゃんと読んでるのかなぁ、『新・人間革命』とか…。先生はイスラムの学者とも対談して、深い共感をよんでいるんだけど…。

B:SGI憲章もご存じないらしい。第7条に「SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。」と明確に書いてある。

C:ないない尽くしじゃないか。だから、ヨタ噺だというんだ。

A:「単なるヨタ噺ですから、みなさん、どうか、まともにとりあわないでやってください。」と、ひらにお願いするしかないね…。

B:本当に困った人だ。

A:まぁ、こうしたことも、その場でキチンと糾す機会があればいいんだが…。

B:冒頭の地区部長のT州会がらみの質問を封じたことに象徴されるように、その機会を自ら放棄してるんだから、しょうがないよ、まったく…。

A:「裸の王様」だな、まるで…。滑稽というか哀れというか…。

C:先生が「魚は頭から腐る」とおっしゃってるが、感性が腐ってるとしか言いようがない。組織の上にあぐらをかいてるから、そういうことになるんだ。

A:さて、このぐらいにしておくか。今回で終わらせるつもりだったが…。

B:インドネシアはこのぐらいにしておこう。指摘すべき点はまだあるが…。

C:きりがないよ。で、次回の予定はまた未定か…?

A:そうだなぁ。お互い、忙しいし…。
 

『石焼きイモの詩』紙上座談会(5)  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月22日(土)12時55分49秒
  2526 / 1階層)  第3回:そのお菓子がねぇ…(2)

□投稿者/ 野茶坊@We shall overcome -(2006/04/28(Fri) 00:14:03)

A:それでは再開しよう。何の話だっけ?

B:山本サンはインドネシアに何しに行ったのか。「俺ぁ何しに来たっちゃろうかねぇ…」。

C:下痢しに行ったんじゃないのか?…で爆笑した。

A:ああ、そうだったな。それで、山本サンのインドネシア噺は話題に事欠かないと…。

C:爆笑ネタのオンパレードだよ。

A:それを全部とりあげてたら、この座談会が際限なくなってしまう。

C:際限なくやってもいいぞ!

B:やってられるかよ、時間がもったいない。

A:そうだな。いつまでも山本サンに付き合ってるヒマもないし、さっさと終わらせよう。

C:へいへい、そのように努力いたしましょう。

A:山本サンは、「世界広布は奇蹟ですよ!」と言っていた。

B:そのことが言いたくて下痢の噺をしたんだな。

A:下痢で3キロ痩せたと言っていたから、やっぱり大変だったんだろうよ。

B:「下痢を自身の人間革命の契機にしますッ!」と決意発表でもすりゃよかったのに…。

A:第一線の苦労が少しはわかったかな…?

C:「奇蹟ですよ!」なんて言ってるようじゃ、わかってるとは思えないね。世界広布は奇蹟じゃなくて道理だろう、大地を的とするんじゃないのかね。

B:それはその通りなんだが、彼の中で観念に過ぎなかった世界広布が、今回の下痢旅行を通して、まさに奇蹟に思われたんだろう。

C:仏を敬う如く相手を尊敬していく。これが要諦だろう、世界広布の…。最近も先生がおっしゃってるじゃないか。

B:相手を尊敬するところから、…自分に確固たる誇りがなきゃ相手を心から尊敬できるはずもないんだが…、その尊敬の一念、相手を最大限に大事にして相手から学んでいこうとする姿勢から、豊かな対話は生まれるんだよな。先生がご自身の行動を通して我々に示し続けてこられた通りだ。

C:ところが山本サンは、その正反対。相手を見下しているから…、つまり自分に誇りがないから、対話ができない。対話ができないから、世界広布も「奇蹟」としか思えないんだよ。

A:誇りと尊敬は表裏一体。卑屈と差別も表裏一体。

B:そういうことだな。自分に誇りを持てない者ほど、相手によって卑屈になったり傲慢になったり…。そんな輩に、胸襟を開いた対話などできるわけがない。

C:インドネシアに限ったことじゃないぞ。ある婦人部に聞いたんだが、会合の後、その婦人部が山本サンに「おつかれさまです。きょうはありがとうございました。」と丁重にお礼を言ったら、山本サンは無視して通り過ぎたというんだ。

B:気づかなかったんじゃないのか?

C:1メートル足らずの距離で、しかも真正面からお礼を述べたというんだよ、その婦人部は…。その婦人部の前を知らん顔して通り過ぎた山本サンは、少し離れた場所にいた壮年部と談笑していたというんだ。

B:本当か…。そりゃあ失礼な話だ。その婦人部、気分を害しただろうな。

C:気性の激しい人でなぁ…、「何なのよ、あの態度! アッタマきちゃう」て、聞こえるように大声で怒鳴ったそうだ。それでも、山本サンは知らん顔してたそうだ。

B:やっぱり女性蔑視が身にしみついてるのかなぁ、山本サン…。そんな調子じゃ、誰ともまともな対話はできんぞ。何だか、かわいそうになっちゃうなぁ。

C:そうだなぁ…。本人が自覚しないことには、こればっかりはなぁ…。その自覚を促すための信心であり学会活動だと、俺は思うんだが…。

A:まぁしかし、世界にこれだけ仏法が広まったということは、仏教史上燦然と輝く奇跡的な偉業には違いないだろう、山本サンの言うように…。

C:だからぁ…、それは先生の行動、つまり確信あふれる大誠実の対話の力が、その原動力なんだよ。それを「奇蹟」なんて、そんな血の通わない言葉で片付けるべきじゃないだろう。師匠の心をわかろうとする者の言う言葉じゃないよ。弟子の言葉ではない!

B:先生の蒔かれた種が世界の各地で着実に芽吹き、一人、また一人と、蘇生のドラマが広がっていったんだな、相乗的に…。

C:そうだよ。まさに信心の血脈だよ。
 

『石焼きイモの詩』紙上座談会(4)  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月22日(土)12時54分45秒
  513 / 1階層)  第3回:そのお菓子がねぇ…(1)

□投稿者/ 野茶坊@We shall overcome -(2006/04/22(Sat) 02:30:16)

C:さあ! 「今この時」に何かを残す対話をしよう。

A:はぁ…?

B:おい、どうしたんだ? この前は「まだやるのかよ」とか言ってたじゃないか。

C:どうもしないよ。師弟の勝利を渾身の力で飾ろうじゃないか。

B:だいじょうぶか…? 毀れてんじゃないのか、キミは…。

A:まぁ、気楽にいこう。さて…、山本総旧習長の噺は、一転してインドネシアに飛んだ。

B:2月に2週間ほど、インドネシアに行ってきたと言ってたな。

C:何しに行ったんだ…?

A:5月14日にジャカルタに会館ができると言ってたから、その準備かな…?

B:宗門問題では、インドネシアでも多くの脱会者が出たんだよな。

C:ああ、そうなんだ…。で、また山本サンに「白羽の矢」が当たったというわけか?

A:さぁ…。なぜ山本サンがインドネシアなのか、よくわからん。

B:山本サンて、SGIの仕事もしてるんだっけ?

A:さぁ…。まぁ、そこのところは措いておこう。

C:山本サンの「白羽の矢」は、「黒羽の矢」になっちまうからな(笑)。

B:で、5月14日の会館落成にむけて、インドネシアでは折伏や脱講運動が勢いよく進んでるんだろうな、きっと…。

C:で、山本サンは、その応援に行ったというわけか…。

B:たぶん、そうなんだろうなぁ……。本人はハッキリ言わなかったが…。

A:まぁ、いちいち言わなくてもわかるだろう…ってことなんだろうけど……。

C:観光旅行じゃなかったことだけは、たしかだな。ジャワ島はリゾート地だから行かなかったかと言ってたし…。

B:そう。観光地は学会員が少ないから行かなかったと…。

C:学会員の少ないところに行って折伏・弘教の種を蒔いてこられたのが先生の戦いなんだけどな、日本でも世界でも…。そのことを知ってて言ってるのかね、山本サンは…。

A:そういちいち、とんがるな。旅行の日程も限られてるんだから、そりゃやっぱり、学会員の多いところに行くだろうよ、一応は信心指導が目的で行ったんだろうから…。

C:一応は…てことは、再往があるのか?

A:さぁ…。あるかも知れないし、ないかも知れない。つまり、わからない。

B:家庭訪問にまわったと言ってたよな、地方もずうっと…。

A:日本にいる時と生活スタイルが全然変わらなかったと言っていた。

C:「朝起きたら勤行して打ち合わせをして家庭訪問して座談会行って会合行って…、どこに行ってもそれが変わらん…」てな。

B:「俺ぁ何しに来たっちゃろうかねぇ」ともな。

C:何しに行ったのか本人がわかってないんじゃ、世話はない(笑)。

A:まぁ、それは言葉の弾みの冗談だろうけど…。

C:許せる冗談ではあるな。朝起きて勤行して…、まぁ、俺たち一般会員なら仕事をして、それから家庭訪問やら会合やら、そして月一度の座談会…。これは世界の学会員に共通することだろう。

B:インドネシアへ行っても生活スタイルが変わらないってことは、山本サンにとっちゃ、ある意味では安心材料だったかも知れないね。

C:そうだな。外国へ行って、そこで三色カラーの旗がひるがえってて、題目の声が聞こえたりなんかしたら、そりゃあ嬉しくなっちゃうだろうなぁ。

B:SGI190カ国! すごいことだよ。『嵐の4,24』…、会長辞任の後、「反転攻勢」を決意された先生は、世界を舞台に行動してこられた。

A:先生の行動というのは、端的に言って、対話だよな。

B:そう。世界中、どこへ行っても、どんな相手に対しても、一人の人間として、胸襟を開いて、対話、対話、対話…。人間に対する深い深い確固たる信頼があるんだ。民族や文化をの違い越えて、宗教の違いを超えて、相手を深く信頼し、尊敬していく。だから、豊かな対話が実る。そして、友情の絆が深まる。そのこと自体が信心の証なんだ。先生は、ご自身の行動を通して、我々にそう教えてくださってるように思う。

C:そうだよなぁ…。で、山本サンは、インドネシアでどんな対話をしてきたんだっけ?

B:はて…? 家庭訪問にずうっとまわって、そこでどんな対話をしたのか…、何も話さなかったよな、そう言えば…。

A:「水が最悪です」と言っていた。

B:ああ、思い出した。家庭訪問の話題になったらすぐに水のことを言い出したんだ。「ね、水、水…、飲めないんです」とか言いながら、顔をしかめてたな。で、ミネラルウォーター…。

C:何か、インドネシアの水だけが飲めないような印象を与えるよなぁ、あの言い方じゃ。
少なくとも、聞いてる方はインドネシアについて、いい印象は持たんぞ、あんな言い方されたら…。

B:ミネラルウォーターって、ほとんど世界共通じゃないか。水が飲めないのは、インドネシアに限ったことじゃない。例えばヨーロッパのほとんどの国でも、水は飲めない。ミネラルウォーターを買って飲むんだよ。

A:山本サン、外国へ行ったの初めてだったのかな?

C:そうだとしても、あの言い方はないだろう。しかも、家庭訪問のことを話題にした初っぱなに、顔をしかめてだぞぉ…。

A:日本と世界中、どこへ行っても変わらないことがあると言っていた。それは座談会の後にお茶とお菓子が出てくることだと…。

B:いいよなぁ、それって…。まさに心温まる対話の場だ。

C:ところが山本サンは何と言った…? 現地の学会員さんが真心込めてお茶とお菓子を出したその対話の場で、どんな対話をしたのか…、きちんと語ったか?

B:いいや、語ってない。「お茶とお菓子が出るのはいいんだけど、そのお菓子がねぇ…」と、また顔をしかめたよ。

A:「もう何とも知れんですな。油の臭いがねぇ…。」ともな。

C:それも、「ここにインドネシアの人はおらんね」と、わざわざ確かめてからな。

B:こうも言った。「だけど、あそこは電気が暗い国だからよかった。顔が見えないから…」。おそらく、家庭訪問に行った家でも、同じように顔をしかめたんだろうな。

C:ふう…。度し難いね、もう…。

A:しかし、「電気が暗くて顔が見えないから、よかった」というのは、ちょっと甘いな。

C:どういうことだ…?

A:人間、差別されると、相手の本心がよく見える。だから、電気が暗くて顔をしかめたのが見えなくても、あるいは言葉や態度に露骨に出さなくても、相手が自分をどう見ているか、自分たちの生活や文化をどう見ているか、以心伝心じゃないが、自然と伝わってくるものだ。差別されている人間ほど、そのあたりの感覚は鋭敏なんだよ。

C:ああ、なるほど。それはわかる。奄美人(しまんちゅ)の多くは、その感じはわかるんじゃないかな。

B:ある高齢の婦人部にこんな話を聞いた。昭和30年代半ば…、つまり奄美の学会草創の頃のことなんだが、東京から奄美に指導にやってきた幹部が、当時まだ入信まもなかったその婦人部の家を訪問して、あの…、何だっけ、沖縄でサータアンダーギーと呼んでいるお菓子…

C:ああ、小麦粉を丸めて油で揚げた…、奄美じゃ単にドーナツって呼んでるんじゃないか? 俺たちが子どもの頃は、最高に贅沢なおやつだった。

B:じゃ、ドーナツでいいや。その東京から来た幹部…、当時の首脳幹部の一人なんだが…、その幹部に、お茶とドーナツを3個出したそうだ。

C:あのドーナツ、買うと結構高いぞ。素人じゃうまく揚げられないし…。それに、当時の奄美は今の何倍も貧しかった…。

B:そう。その婦人部は、東京から幹部が来るというので、苦しい家計の中からドーナツを買って、精一杯もてなそうとしたんだな。ところがその幹部は、そのドーナツを見て一瞬…、ほんの一瞬だが、何とも言えない嫌な顔をしたそうだ。そして自分で気がついたのか、すぐに表情を取り繕って、いろいろと信心指導してくれたそうなんだが、その婦人部は、相手の一瞬の表情に胸を突かれて、指導もうわのそら…、ほとんど耳に入らなかったというんだ。そのことを例に出しながら、その婦人部がこう言うんだ。
「いくら幹部で、信心があるといっても、それが本当の信心かどうかは、必ず振る舞いに現れる」と…。

A:至言だな。

B:山本サンの「お茶とお菓子」の噺を聞いて、その婦人部の話をふと思い出したんだ。

A:それから山本サン、下痢の噺で盛り上がってたな。

B:そう。下痢の噺にずいぶん時間つかってたな。具体的に、生々しく…。

C:地方での家庭訪問を何カ所かやってジャカルタに戻ったら、「直通の下痢」だと…。俺はそういう具体的で生々しい話はよく記憶に残るんだが、ここで話していいかな?

B:やめとけ、やめとけ。気分が悪くなる。

A:まぁ、たしかに「油があわん」というのは、あったかも知れんな。

B:そりゃ、しょうがないだろうよ。食べただけ、エライじゃないか。

C:顔をしかめなきゃな…。お菓子の油がどうとかじゃなくて、そのお菓子を出してくれる人の真心をまっすぐに受け止めたら…、
せめて受け止めようとしたら…、顔をしかめるはずはない。

B:そう。下痢するのがつらくて、どうしても嫌だったら、「油が合わないんです。すみません」て正直に言って、頭を下げたらいいんだよ。その分、お茶のお代わりでももらったらいい。

C:日本とインドネシアじゃ、そりゃ水も油も違うだろう。それはそれでいいじゃないか。油で揚げたお菓子を食べて下痢するのもいいし、食べずに「すみません」て頭をさげるのも、いいんだよ。

A:大事なのは、そうしたものを超えた信頼関係を結べるかどうか…。

C:そうだよ。自分に食べられないお菓子を無理して食べることで善人ぶるんじゃなくて、要はありのままの自分を相手の前にさらけ出していくことなんじゃないのか。俺は自分の任された地域を家庭訪問していて、つくづくそう思うんだが…。

A:つまり、自分を相手の前にさらけ出す自信がないから、無理に取り繕うと…?

C:まぁ、そういうことだな。自信がないというか、確信がないというか…。

B:真剣に対話しようとする誠意がない、使命感がない…。

C:そういうことになるな。取り繕ったところで、すぐ見破られるんだけどな…。

B:だから、お互いに心を開いた対話は成立しない…。

A:だから、噺を聞いても、山本サンがインドネシアでどんな対話をしてきたのか、さっぱり見えてこない…。

C:まさしく「俺ぁ何しに来たっちゃろうかねぇ」だな(笑)。

B:ああ、それって冗談じゃなくて、実感を込めて本気で言ってたのか。

C:下痢しに行ったんじゃないか?(爆笑)

A:山本サンのインドネシア噺は話題が尽きないが、ここらで休憩しようか。

C:そうするか。
 

『石焼きイモの詩』紙上座談会(3)  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月22日(土)12時53分38秒
     2507 / 1階層)  第2回:スッキリと気兼ねなく(2)

□投稿者/ 野茶坊@We shall overcome -(2006/04/20(Thu) 03:56:36)

A:話を戻すが、総旧習長も「4,24」のことを言っていた。

B:たしかに言っていた。しかし、それもスジガキじゃないのか、今が旬の…。

A:まぁ、そう言うな。「この日を終生忘れまいと決意いたしましたぁっ!」て絶叫してたじゃないか。

B:「紅涙ふりしぼる…」なんてウツクシイ言葉も添えてな。但し、先生自らが真実を明かされた『嵐の4,24』には触れなかった。

C:しかも、先生が会長辞任された日付が、な~んかアヤフヤな感じだったぞ。「ご勇退をされたのは…、ん? 54年じゃない…? ああ、そうだな、54年の4月24日です」なんて言ってよぉ…。

B:そういう箇所はよく覚えてるんだな、キミは…。

C:だって、大事なことだろう、これは…。1979年、昭和でいえば54年の、4月の24日。俺でさえ、忘れたことないぞ。弟子が師匠を裏切った記念日だ。忘れたくても、忘れられないよ。

A:総旧習長は、昭和52年…、いや、もっとさかのぼって、昭和40年から説き起こした。

B:そう。ご丁寧に、「ちょっと体験発表していいね?」と前置きしてから…。

C:「お、体験発表か!」と期待したよ、俺は。

A:しみじみと語ったじゃないか。

C:「先生のもとで24時間、広宣流布ができたら、こんな嬉しい人生はない。」ということで、昭和40年に聖教新聞社に入ったんだよな。

B:ほう、よく覚えてるじゃないか。

C:体験談とか、具体的な話は記憶に残るんだよ、俺は…。

A:じゃあ、続けて。

C:若い頃は純真だったんだなぁ、総旧習長も…。ただ、聖教新聞社に入るのに、後ろ髪を引かれる思いもあった。

B:そうだったな。お父さんが病気に倒れて、お母さんがいろんな行商をしながら、必死で家計を支えておられた。

A:「今でこそパートとか何とかあるけど、あの頃はパートなんてなかったろう…」と、涙声になっていた。

C:ハッキリ言って、俺はそこでドッチラケたね。演技だよ、ありゃあ…。これは本気で体験発表する気なんぞ、さらさらないと見た。

B:まぁな。その後、「パートよ、パァと!」なんて言いながら、手のひらをこめかみの横でパァと広げる仕草で、おどけてみせて…。照れ隠しのつもりかな?

C:パートで働いている婦人部も会場の後ろの方にはいたぞ。どんな気持ちになったか…。

A:で、総旧習長も学生時代はアルバイトに明け暮れて…、まぁ、苦労したんだろうね。

C:そのぐらいの苦労なら、俺もやったぞ。中学の時の新聞配達に始まって…。

A:わかった、わかった。で、大学を卒業した山本タケシ青年は、地元に残って家にお金を入れて家計を助けなきゃ…という思いと、東京の聖教新聞社に就職して先生のもとへ行きたい…という思いが相半ばしながら…、結局、聖教新聞社に入った。

B:人生が二度あれば…って歌があったが、私もそんな思いをしたなぁ。東京で夢を追いかけるか、シマに戻って親をみるか…、ずいぶん悩んだもんだ。だから、タケシ青年の気持ちはよくわかるよ。

C:俺にはわからんね。聖教新聞社に就職しても、家に送金ぐらいできるだろう。給料がいくらだったか知らんが、いくら安月給でも、その気になればできる。逆に、地元に残っても、先生と共に広宣流布の戦いに人生を賭けることはできる。違うか?

A:まぁ、そりゃそうだが、そこは人それぞれの事情とか思いもあるだろうよ。

C:それで、「今でも亡き父や母に申し訳ない…」と、また涙声になってたな。

B:そう。「親孝行したい時には親はなし。そん通りばい」って…。

C:その後ですぐ、「メモリアル・パークばい。まにあわん」て、笑いをとってたじゃないか。怒りを感じたね、俺は…。

B:「まにあわん」で終わったんじゃあ、体験発表にならない。もちろん信心指導にもなっていない。

C:まるで、先生のもとで戦うために聖教新聞社に入ったことが、親不孝だったと言わんばかりじゃないか。

B:その程度の認識なんだろう、親孝行について…。

A:「親孝行したい時には親はなし」ってのは、人情としては痛いほどわかるが、仏法の視点から見た親孝行は、生死をも超えるものだ。

C:そうだよ。俺は、親が生きていようが死んでいようが、どこまでも親は親だと思ってる。「オヤジ! おっかん! 生きてる時は心配もかけたけど、お陰さんで、俺なりに頑張ってるよ。ありがとう。また会おう!」と、感謝の題目あげてるよ。自分の子どもにも、そうであってほしいね。

A:そろそろ、話を戻そう。総旧習長の「4,24」…。

C:昭和52年にふるさとの大分に転勤の命令がくだったんだったよな。

B:そう。第1次宗門問題が勃発したからだそうだ。

A:大分は第1次宗門問題発祥の地だな。

B:そう。大分にきな臭い煙が出ていて、誰か本部から応援に…というわけでな。

C:そこで総旧習長…、またまた俺のカチンとくる言い方をしてたな。

B:ははは、「駅弁大学」に、「きしゃポッポ」だろう。

C:そうだ。そのころ、本部に大分出身者は2人しかいなかったと言っていた。
1人は…、え~と…、名前を忘れたが、東大を出た青年部全国幹部。そして、もう1人が山本タケシその人だったんだが、「わたしゃ大分大学・駅弁大学を出た、しがない聖教新聞の記者…きしゃポッポ!」だとさ、まったく…。

B:「かたや未来洋々、わたしゃ未来まっ暗…」とも言ってたぞ。

C:ああ、そうだったな。自分に対する誇りってものがないのかね、総旧習長には…。
自分の出た学校を「駅弁大学」なんて卑下して、どうするんだぁ? 広宣流布の大事な使命を担う聖教新聞の記者という職業を「しがない」だの「きしゃポッポ」とは何だ! しかも自分の職業だぞ。大分大学を出た聖教新聞の記者が「未来まっ暗」とは、いったいどういう了見だ?

B:そんな意識だから、会合冒頭の女性差別めいた発言も出てくるんだろう。総旧習長の発言を細かく見ていけば、差別発言はいくらでも出てくるんじゃないか?

C:要するに、根が卑屈なんだよ。何のために信心してるんだか…。

B:あ、そうだ。大分への転勤を、「白羽の矢があたった、黒羽の矢…」とも言ってたぞ。

C:もう思い出させるなよ、腹が立つ! 坊主にいじめ抜かれている大分の学会員さんたちを応援するために転勤するってことは、重大な使命じゃないか、責任じゃないか! それを「白羽の矢」なんて抜かすのは、その転勤を名聞名利で捉えてたってことじゃないか。ましてや、その重大な使命を、冗談にしても、「黒羽の矢」なんて言える感覚は、狂ってるとしか言いようがないよ。

B:まだ思い出させてやろうか。

C:いいよ、もう…。うんざりだ。帰りたくなった。

B:そうはいかん。これからがキミの本領発揮だ。

C:おい! この前は、あんたの方こそ、しぶしぶ付き合ってたんじゃないのか?

B:今日もしぶしぶだよ。だから、キミにも最後まで付き合ってもらう。

C:勝手にしやがれ。

B:総旧習長はおっしゃいました。「宗門問題は、私の人生を狂わせたとまでは言わんけど、左右しやがりまくりたくったのよ。」

C:「左右しやがりたくりまくった」て、舌を噛みそうな言い方だな。

B:舌が三枚ぐらいあるんじゃないか? 変幻自在に使い分け…?(笑)。

C:しかし、「宗門問題が人生を狂わせた」ってことは、「私は宗門問題を戦えませんでした。」と告白してるようなもんじゃないか。敗北宣言だろ、そりゃ。

A:大分には浜中和道という坊主がいた。山友とつるんで宗門問題を引き起こした中心人物と言っていい。本部から派遣された山本サンの使命は当然、この浜中を破折し打倒することにあったはずだ。

B:そう。だから、山本サンはこの浜中とどう戦ったのか、ぜひ具体的に語って欲しいものだが…。

C:何も語らなかったじゃないか。語りようがないんだろ?

B:戦ってないから…?

C:キッチリ戦ってりゃ、どう戦って、どう勝ったのか…、あるいはどう敗れたのか…、事実を語れるはずだ。

B:そう。ところが、彼は語れない。

A:「第1次宗門問題はきつかった。学会が謗法とか、成仏しないとか…。本当にくやしかった」とか、「坊主が折伏したのか。全部学会員がやったんじゃないか。歯ぎしりする思いでした」とか、さかんに激昂していた。

C:そんなものは、ただの泣き言じゃないか。

B:宗門の権威の前に臆しながら、ただひたすら口惜しがっていただけ…?

C:そういうことだろうな。そんなのは戦いとは言わん。何のために本部から派遣されたのか。

B:ところで総旧習長は、自分に白羽の矢が当たって本部から大分に派遣されたような言い方をしていたが、本当なのかね?

A:さぁ…。そこは本人の言葉を信じるしかないだろう。

B:私は、どうもそうじゃないような気がする。そして、そうじゃないと考えた方が、彼の立場も少しは楽になるんじゃないかなぁ?

C:どういうことだ?

B:その浜中和道というのが妙な男で、当時のことを事細かに、膨大な回想録に書いてるんだよな。ところが、その回想録に山本タケシの名前は登場しないんだよ。

C:つまり、山本タケシは浜中の眼中になかったってことか?

B:そう。当時の山本サンは、彼が言うように本部を代表して派遣された…なんてものではなかったんじゃないか? そう思えるんだが…。

C:つまり「白羽の矢」…、「黒羽の矢」とも言ったが…、それは山本総旧習長の大言壮語に過ぎないってわけか。

B:そう考えてあげた方が、彼のためにはいいと思う。

C:責任が軽くなるから…?

B:そう。もし彼が言うように「白羽の矢」が本当だったとしたら、彼の責任は途方もなく大きいよ。

A:しかし、総旧習長自身がそう言うんだから、それを踏まえて話を進めよう。

C:そうだよ。自分で言ってるんだからしょうがない。「白羽の矢」を信じさせてもらおう。自分で自嘲してる通り、「黒羽の矢」になっちまうんだが…。

A:「先生が勇退をしてでも収めなければならなかった事態…」と言っていた。

C:「白羽の矢」が事実だとすれば、その事態を招いたのは、ズバリ、山本タケシその人であるということになる。

B:そう。つまり、本部から大分に派遣された山本タケシが、山友に操られた浜中和道の振りかざす宗門の権威を大分の地で打破できなかったがゆえに、坊主どもの暴虐の濁流が全国的に拡大し、挙げ句の果てに、「先生が勇退をしてでも収めなければならなかった事態」を招いたということだ。そういうことになる。

C:1979年4月24日、最高幹部が先生に向かって「時の流れには逆らえません。」と抜かして、会長辞任を迫ったわけだが…、山本タケシは、その「時流」をつくった張本人ということになる。

B:気の毒だが、そういうことになるよなぁ、彼の言う「白羽の矢」を踏まえて話を進めると…。

A:総旧習長は「一献歌」がお好きなようだ。

B:「万策尽きて破るとも天あり地あり師匠あり」。これを繰り返し、唸っていた。

C:誰がそんな敗軍の将の歌を師匠に歌わせたのか!

B:無自覚の極みだね。弟子が今、敢えて歌うなら、深い猛省の歌として歌うべきだ。

A:さて、きょうはこのぐらいにしておこうか。次回の予定は…。

C:おいおい、まだやるのかよ。俺は本当に忙しいんだよ。

B:まぁ、いいじゃないか。もう少しつきあおうや。

A:では、次回の予定は、未定ということで…。
 

『石焼きイモの詩』紙上座談会(2)  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月22日(土)12時52分8秒
  2506 / 1階層)  第2回:スッキリと気兼ねなく(1)

□投稿者/ 野茶坊@We shall overcome -(2006/04/20(Thu) 03:50:46)

A:では、山本総旧習長のお噺の中身について…。

B:印象深かったな、いろいろと…。

C:最初の方で、「男だけの会合だから、ひじょうにスッキリと気兼ねなく…」とか言ってたな。

A:「婦人部も後ろの方で応援してくださってるから、言葉に気をつけなきゃ…」と言い足していた。

B:言葉に気をつけながら、スッキリと気兼ねなく…か。おもしろいね。

C:言葉に気をつけるとか、そういう問題じゃないだろう。俺が女性だったら怒るよ。

B:女性じゃなくたって怒るよ。先生の指導とズレまくってる。

A:まぁまぁ、二人とも忙しくて時間ないんだろう? そのぐらいにしておけよ。

C:ふん! 噺の初っぱなから気分悪かったぞ。

B:で、噺の内容はスジガキ通りだったのかな?

A:そうなんじゃないの? 県内他地域でもだいたい似たようなものだったようだ。

C:幹部指導の前に、二人の地区部長が感動的な体験発表をしたんだが、それに対しては一言もなかったな。礼を言うわけじゃなし、激励するわけでもなし。

B:それはスジガキになかったんだろう。会合で予定にないことをやっちゃいかん…てことは、前回、ハッキリしたじゃないか(笑)。

C:万事スジガキ通りか…。臨機応変・縦横無尽の先生とは全く違うんだな。

A:でも、先生のことをちゃんと喋ってたよ。

C:そりゃ、先生のことを喋らなきゃ指導にならんだろう。それこそ大事なスジガキだ。

A:いや、本人は大まじめの真剣そのものだったんじゃないのか?

B:そういうことにしておいてあげよう、とりあえず。

C:秋谷会長のことを引き合いに出してたな。

B:そう。「秋谷会長の本幹中継での話は、もう指導じゃなくなった」と…。

A:「先生の弟子の一人として、先生を守り、学会を守るために人生のすべてを捧げます」という、反省と誓いと決意に変わったと言っていた。

B:総旧習長も同じように反省と誓いと決意をしているってことかね。

A:そうだろうなぁ、そう言いたいんだろうなぁ。

B:じゃあ、具体的に何をどう反省するのかね。そこがハッキリしないと、誓いも決意もないだろう。

A:そうだよなぁ…。

B:今までの自分の何をどう反省するのか、何も喋らなかったよ、総旧習長は…。

C:秋谷会長だけマナ板に乗せて、自分は先生の善き弟子でございます…ってか?

A:そういうことになるのかなぁ。

B:本部職員になって40年、先生のもとで薫陶を受けてきたことを、しきりに強調してたよな。

C:だからどうだって言うんだ? 3月の本幹で秋谷会長も、先生の偉大さは自分が一番よく知っているみたいなことを言っていたが…。

A:その意味では、秋谷会長と山本総旧習長は、共通するものがあるかな?

B:総旧習長はこう言っていたな。「秋谷会長は5代目か…、5代目ね」

C:おいおい、秋谷会長が何代目かぐらい、わかりきってるだろう。何をとぼけてるんだ?

B:意図的に秋谷会長を小馬鹿にしたポーズをとってるように見えた。

A:こうも言っていた。「これから10代・15代となっていく中で、もし変な会長や変な幹部が出たら、三代の会長…、なかんずく池田先生と共に学会を作り上げてきた苦労が全部水の泡になる。絶対にそんな学会にしてはならない。」

C:まったく、話のスリカエがうまい。変な会長とか変な幹部とかいうのは、未来の仮定の話じゃなくて、今この時の現実の話だろうがぁ、現実の…。

B:そう。「そんな学会」になっているんだよ、すでに…。だから先生は…。

A:総旧習長も言っていた。「先生は去年の12月から首脳幹部に全魂の指導をしておられる」と…。

B:先生の指導はいつだって全魂だ。首脳幹部にものすごく厳しい指導をされてるってことだな、要するに…。

C:それで幹部は戦々恐々としてるわけだ。

A:総旧習長は、「先生がひとつのテーマについて3ヶ月も続けて毎日のように指導されている経験は、私は初めてだ」と言った。

C:初めて…? そう言ったけな。だとしたら、40年も先生のもとで薫陶を受けながら、一体何を学んできたんだよってハナシになるよな。

A:先生のおっしゃることは、ずっと一貫して変わらない。

B:そう。昔の指導を読み返しても、同じことを繰り返し繰り返しおっしゃってこられたように思える。

C:ところで、ひとつのテーマというのは、「幹部革命」「悪と戦え」ってことだよな。

B:そう。我々には「悪を叩き出せ」「下から上を突き動かせ」と…。

C:それこそ学会精神そのものじゃないか、牧口先生以来の…。

B:「その学会精神を絶対に忘れちゃいかんぞ」という意味で、先生は今から7年前に、『嵐の4,24』を書かれたんだよな。

A:そう思うね。しかし、我々は何をしてきた…? 悪を叩き出してきたか?

B:いや…。残念ながら…。

A:弟子のあり方が問われる時だよな、今…。

C:そうだ。我々は戦おうじゃないか! ただごとじゃないぞ、今は…。

B:総旧習長も同じことを言っていたよ(笑)。「ただごとでない時が流れている。ただごとでない弟子の戦いの始まりが今だ!」ってな…。

C:そうだっけな。ろくすっぽ覚えちゃいないんだよ。しかし、総旧習長のその言葉には全く同感だ。

B:総旧習長がどういう意味で言ってもか?

C:俺が言うのは、悪を叩き出す戦いに立ち上がらなきゃどうにもならん事態だって意味で、「ただごとではない」ってことだ。

B:3月の本幹で先生が通解を引かれた御書、覚えてるか?

C:そりゃ勿論覚えてるさ。

B:言ってみろよ。

C:え~ッと…、師弟契約御書…。正式には何だっけ? 要するに、師匠には善師と悪師があるから、悪師についていっちゃいかんぞって御書だ。

B:『最蓮房御返事』。1340ページ最後の1行だ。
「師に於て正師・邪師・善師・悪師の不同ある事を知つて邪悪の師を遠離し正善の師に親近すべきなり」。

C:あ、そうそう。3月の本幹の中の、九州総会で先生はその御書を引かれたよな。

B:九州総会で引かれたから、印象に残ってるのか?

C:まあな。「お!」て思ったよ。九州総会で先生がこの御書を引かれる、そのココロは…? てな。

B:総旧習長は、噺の中でこの御書には一切触れなかった。

C:触れられなかったんじゃないのか。

B:スジガキになかったんだろうよ。

C:「悪師とはだれのことでしょうか?」って、サラリと質問してみるか、次の来島の時に…。

A:まぁ、いいじゃないか。九州総会で師匠が引用された御書に、山本総旧習長は一切触れなかったという事実だけで十分だよ。

C:お! 暗に明確にズバリ言うじゃないか。
 

『石焼きイモの詩』紙上座談会(1)  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月22日(土)12時50分47秒
     2491 / 1階層)  第1回:マイクは誰のもの?

□投稿者/ 野茶坊@We shall overcome -(2006/04/15(Sat) 01:07:41)

A:山本総旧習長が喋り始めた直後、司会マイクをスッととって「ここで奄美の壮年部を代表して、一言お礼を申し述べさせていただきます。」と丁重にお辞儀をした地区部長がいたな。

B:司会交代かと思ったよ。お辞儀の仕方があんまり堂に入っていたんで、山本総旧習長もつい立ちあがって深々と返礼していた、鳩が豆鉄砲くらったような顔して。

C:で、その地区部長が「去年の衆議院選挙でT州会の…」と言いかけたとたん、分県長が大慌てで止めに入った。

B:そう。ほとんど力ずくだった。「それは予定にないから…」とか言いながら。

C:揉み合いになるかと一瞬思ったが、その地区部長は物理的な抵抗は一切せず、分県長の巨体に身体を押さえられマイクを奪われながら、「奄美広布の大事な話です」と静かに言っていた。

B:そして会合が終わるまで、そのまま司会席の横に平然と座って動かなかった。

C:図太い男だ。

A:総旧習長は、「彼、司会じゃないの? ああ、びっくりした」なんて言ってたな。

C:なぜびっくりしなきゃいかんのかね?

A:そりゃ、いきなりT州会のことを持ち出されたからだろう。

C:後ろ暗いところがあるんだな。

B:そう。去年の衆議院選挙で、J由連合のT田トラヲに代わって息子のT田タケシが立候補したんだが、そのT田タケシがSの座談会場を回って、山本総旧習長にじきじきに激励を受けたことを得意げに話していたよな。

A:ははは、若いから正直なんだ。

B:会員の中には眉をひそめる向きも多分にあった。実は私もその一人。

C:不快感や不信感を露わにする人も少なくなかった。

B:旧習の方からT田支持が打ち出されていたってことだな。

A:あの「ヤストク戦争」以来、ただでさえ奄美の選挙はデリケートだというのに、無神経なことをやってくれるもんだよ、毎度毎度…。

B:そう、「ヤストク戦争」。ひどかったよな…。かれこれ20年になるか…。地元幹部のトップが自主投票のオキテを破って、片っ方の支持を打ち出したもんだから、組織は修復不可能なぐらい滅茶苦茶になった。

A:実弾が飛び交うし…。

B:現ナマだな。毒饅頭とも言う。その毒饅頭喰わされた幹部もいただろうさ。

C:「ヤストク戦争」のしこりは根強く残ってるよ、組織の中にもまだま…。

A:そうだよなぁ。そこへもってきてバーターなんかやられた日にゃ、たまったもんじゃない。

B:そのバーターに、毒饅頭はつきものだろうよ。

C:ある圏幹部に聞いたんだが、つい数年前の選挙の時、T州会の関係者が自宅に挨拶に来たそうだ。関わりたくないから家にはあげずに玄関先での二言三言でお引き取り願ったんだと…。で、ふと靴箱の上を見ると、紙包みが置いてある。

B:中身は札束か?

C:そうだよ! 驚いて、すぐ後を追って突き返したそうだ。

B:まぁ、そうやって突き返した真面目な幹部は正直に話すんだろうが、そうじゃない幹部もいるだろうよ。

C:紙包みを突き返されたそのT州会の人間が、驚いた顔してたんだってさ。

A:ふ~ん、なるほどね。S幹部も平気でもらうのがフツーってことかいな。

C:そう考えるのが自然だろうな、相手が驚いた顔してたってことは…。

B:話を戻して、去年の衆議院選挙の時、そのT州会の御曹司に山本総旧習長は「キミのお父さんとはいろいろあったけど、まあ今回は…」なんてことを調子よく言ったわけだ。御曹司が自分で嬉しそうに話して回ったもんだから、バレバレだ。

A:そして選挙の後、地元の幹部が「T田支持を打ち出したことで、組織を混乱させて申し訳なかった」と謝罪した。地元幹部だけが責任を負った形になったんだな。

B:そう。実は山本総旧習長自身がT田とつながっていたわけだが、T田支持を打ち出した発信源の山本総旧習長自身は完全に頬被りだ。

C:無責任の極みだな。卑劣そのものだ。あの地区部長は、そのことを問いただそうとしたんだろうな。

B:そう。それ以外にあり得ないだろう。そして、そういうことは、総旧習長との個人的な会話ではなく、皆の前で質問して、総旧習長自身の責任を白日のもとにさらす必要があると彼は判断したんだろう。

A:しかし、今のSの会合、とりわけ大幹部の出席する会合では、そうした質問の場はない。だから彼は一計を案じて司会席に移動し、司会マイクでサラリと質問しようとしたんだよ。

B:会合に質問の場がないってことは、幹部が胸襟を開いた対話を恐れてるってことじゃないのか。

A:会員は従順でなきゃ困るってわけだ。

C:それにしても、山本総旧習長も肝っ玉が小さいな。

B:たしかに…。「奄美広布の大事な話です」とまで言われてるんだから、仮に後ろ暗いところがあったにしても、分県長を制止して、「では話を聞こう」となるのがスジだよな。単なるカッコつけでもいいからさ。

A:当然だ。それがS幹部としての最低限の矜持だろう。しかし、その最低限の矜持をさえ持ち得ないんだな。情けない。ブザマだよ。

B:分県長が質問した地区部長を止めたことでホッとしたのか、「いろんな人がいるから」なんて言って笑ってたな。

C:その「いろんな人」の話に耳を傾けるのがS幹部というものじゃないのかね、本来は。

B:まぁ、陰でコソコソT田あたりと会ったりしてるんだから、正々堂々と、臨機応変に、質問に応じる潔白さも柔軟さも持ちようがないだろうよ。

A:会合の後で、地元幹部がS班の男子部に「事故が起きてしまった! たとえ正義の言論であろうとも、法座を乱すことは許されないんだよ。」と叱責したそうだ。

C:何だ、それは。形式主義そのものじゃないか。まるで宗門だ。

B:しかし、正義の言論であることは認めたわけだ。そこは評価してもいいんじゃないか。

C:そうかも知れんが、正義の言論に優先する法座というのは、いったい何なんだ? 何のための法座か、誰のための法座かと言いたいね。

A:そりゃ幹部の権威を維持拡大するための法座だよ。

B:そんな法座とやらで、「師弟」なんか持ち出さないでもらいたいね。師匠が迷惑する。弟子も迷惑する。師弟利用だ。

C:質問しようとした地区部長に対して、その後、組織サイドから何らかの働きかけがあったのかね。

A:聞くところによると、何もないみたいだ。

C:何もない? それは意外だな。会合後、山本総旧習長本人が個人的に呼んで懇談するとか、地元幹部が家庭訪問して指導するとか圧力をかけるとか、あるいは激励するとか…、そんな風になるんじゃないのかね。

A:それが何日たっても電話一本ないらしい。その地区部長は首を長くして待ってるようだが…。

B:まぁ、地元幹部の大方も腹の中ではその地区部長に共感してるんじゃないのか、実際のところは。

A:案外そうかも知れんな。しかし、電話の一本もして、話し込んでいくうちに意気投合しちゃうかも知れんし…。

C:そうなると非常にマズイというわけか、立場上(笑)。

A:立場でしかモノを考えられないし行動できないんだなあ、かわいそうに。

B:ところで、山本総旧習長、顔色わるかったな。

C:そうだなぁ。前に見た時も、人相が悪いというか如是相が悪いというか、爽やかさというものが全く感じられなかったが…。

B:加えて今回は、血の気が失せて精気がなかったよな。青ざめていた。

A:初っぱなに予想外のカウンターパンチをくわされて、慌てふためいたせいもあるんじゃないか?

B:それもあるかも知れんが、ひょっとして勤行してないんじゃないか?

A:まさか、いくら何でもそれはないだろう。

B:わかるもんか。昔、先生が幹部に対して「勤行をしていない人は、顔がドス青くなる」と指導されたことがある。

C:ああ、「ドス青くなる」か…。まさにそんな顔色だったな。少なくとも、題目があがってる顔色じゃなかったよな、どう見ても…。

B:やっぱり幹部たるもの、生命力満々たる顔色じゃないとな。

C:ほんのり赤みがさしたような…。

B:そう。顔を見ただけで元気が出てくるようなさ。

A:赤みをさすだけだったら簡単だ。黒糖焼酎を一杯ひっかけりゃいい。

C:そりゃ名案だ。2ヶ月に1回来島するそうだから、次は水差しの中に黒糖焼酎を入れて差し上げよう、40度ぐらいのドぎつい銘柄をストレートでさ。

B:ついでにハブを生きたまま入れて、ハブ酒にしてやるか。精がつくぞ。

C:水差しの中でハブが毒を吐きながらのたうち回る。お似合いだな(爆笑)。

B:念のために言っておくが、ハブ毒はアルコールによって中和されるから、飲んでも全く危険はない。

C:焼酎の中にぶち込まれたハブは、毒と一緒に糞も出すけどな。

A:だから、ハブ酒をつくる時はまず水の中に入れて糞を出させてから、焼酎に入れるんだが…。

C:生きたハブ入りの水は危険だ。水はハブ毒を中和しない。

B:やっぱり焼酎にハブだ。糞もいい香り付けになるだろう。

A:さて、きょうはこのぐらいにしておこうか。次回から、山本総旧習長のお噺の中身について検討することにしよう。

B:いいよ、もう。生命力のなさを虚勢でカバーしたようなワケのわからんヨタ噺、何を検討することがあるもんか。

C:こちとら、忙しいんだよ。

A:まあ、そう言わずにつきあえよ。

B:しょうがねぇなぁ、まったく…。
 

『石焼きイモの詩』紙上座談会(序)  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月22日(土)12時48分58秒    編集済
  長ったらしくてウザ~いヨタ咄を辛抱強くお読みくださった皆様、お疲れ様でございました。

続きまして、野茶坊制作・聖教4面座談会風味『石焼きイモの詩』論評(おちょくり?)座談会を、ご笑読ください。

すでにご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、『がんばれ公明党』板の2年前の過去ログからの転載です。



   ◇ ◇  ◇ ◇  ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇



  2490 / 親階層)  長屋版紙上座談会『石焼きいもの詩』
□投稿者/ 野茶坊@We shall overcome -(2006/04/15(Sat) 01:02:14)

2006年3月27日、山本総旧習長(S副理事長・社会協議会NO2!)を迎えて、
奄美の壮年部・男子部合同総会が盛大に開かれた。
「誓願」の儀式であり「新出発」の会合。
婦人部心づくしの赤飯も配られた。

分県長が挨拶の中で「先生が会長に就任された時も、奥様が赤飯を炊いて…」と話した。

はて…?

1960(昭35)年5月3日、先生の会長就任の時、夕食に赤飯でも炊いているかと思ったら、
「今日は池田家のお葬式です」と奥様はおっしゃり、普段と変わらぬ食事だったと先生は回想してなかったっけ?

ひょっとして分県長の言う「会長」とは、3代以外の会長…?

それはさておき、本題は山本総旧習長のおハナシ!
会合参加者3人に、感じたままを率直に語ってもらいまショウ。
 

師弟?  投稿者:Boo  投稿日:2008年 3月22日(土)02時47分8秒    編集済
  cyannさんてY副理事長のお弟子さん?  

一人立て!  投稿者:今日より明日へ  投稿日:2008年 3月22日(土)00時54分53秒
  メールの対応に追われています。九州墓苑の事を知りたい方は、本日より下記のアドレスまで、直接ご連絡ください。よろしくお願い致します。

so-kahan@ezweb.ne.jp
 

平和旅  投稿者:野生回帰人  投稿日:2008年 3月21日(金)16時17分14秒
  世界最初の広宣流布の地帯に日本をしたい、その一念で私も頑張ります^^。

地球温暖化防止の為に原子力発電所が必要とは思いません(ヤフーニュースの見出し見て反応しています、版の流れとは何の関係もありません、脈絡なくてすみませんm__m )。
 

[無料着うたのゲーム宝箱]  投稿者:cyann  投稿日:2008年 3月21日(金)16時09分39秒
  無料着うたフル・着メロ・洋楽~邦楽・TV・CM曲やアニソンなどたくさんあるよ買い

物・占いなどあるから女性必見!!http://boadongo.org/up-gran2489
 

あちらの板では  投稿者:一言凡夫  投稿日:2008年 3月21日(金)12時11分33秒
  すごいことになっています。あちらの板ではこちらの話題で沸騰
していますね。話題はこちらのことばかりで普段はロムの学会員
も突然参加で互いに慰め合っていますね。
板の名前を替えればいいのにね。ワカタカというよりもバ○タカ
のほうがふさわしいようです。
 

Y本副会長?  投稿者:一言凡夫  投稿日:2008年 3月21日(金)12時07分8秒
  女性関係や金銭関係といろいろと噂の絶えない方ですね。

九州墓園の秘密施設を一番利用しているのは誰なのでしょうかね。
池田先生をお迎えするために、などといって豪華な施設をたて
利用するのは副会長クラスや本部幹部やその家族とでもいうこと
ならば利用信心どころか「先生利用」で奸賊そのものですね。
もっともそのようなことは無いと信じたいものですがね。
 

お昼休みですが  投稿者:一言凡夫  投稿日:2008年 3月21日(金)12時00分47秒
  戸田城聖先生遷化の状況

1958年(昭和33年)

前年に創価学会員75万世帯を完遂し戸田先生己心の広宣流布が成ったが戸田先生の病状が悪化。
これ以前大石寺・本門大講堂の完成式があり式典の第三部における祝賀会のとき、学会からは
戸田先生と池田先生が招待されていた。この祝賀会にあたり池田先生は晴れがましいような所
へ行くより草奔の士として案内係のほうがふさわしいとして戸田先生の側にいなかったことが
戸田先生より叱られる結果になった。

「何故大事なときに俺の側にいない、どうして俺の側にこない」と池田先生を叱った。(136)
池田(先生)は側近として、誰よりも戸田先生の傍にいなければならない立場にありながら(同)
【竜年光「有徳王」】より。

これを総合して考えると当時戸田先生の側近は多々あったと思うが晩年には池田先生を誹謗す
る側にたった竜年光でも事実は曲げられなく、戸田先生は池田先生を誰よりも信頼し竜が認め
ているように「誰よりも戸田先生の傍にいなければならない立場」にあったのであります。


戸田先生は広宣流布の模擬試験のおり、すでに本部幹部に両腕をささえてもらわなければ歩け
ないほど病状が悪化していた。

戸田先生は大石寺で死を迎える決意だったようだが、奥様が「あなたたちは何ですか、戸田が
こんな状態になるまで、こんな寒い所に置いておくなんて」といわれ日大病院に入院したが
1958年(昭和33年)4月2日、58歳で死去された。

戸田先生の御遺体は自宅に安置され日淳猊下が駆けつけて枕経をあげられた。その時は成仏相
であった。

問題は一週間も御遺体をそのままにしたことである。遺体というのは細胞が破壊されるにしたが
って血液の凝固により黒ずんでくるものでこれは理論的に〝道理〝であります。

宗門で内部抗争に敗れた日柱法主は生前に自分が死んだら遺体を公開せよと成仏相に確信を示
し帰依していた常泉寺の松本某に遺言して記録をさせたが、遷化したときは見事な成仏相であ
ったが二日目には目の下に蛤紋(影)が浮いていたと記録されている。これはどんなに素晴ら
しい成仏相でも日にちがたてば腐敗菌の活動と細胞の壊死で痩せ細り、ひげや爪が伸びたよう
に錯覚するように何人も避けられないもので日蓮大聖人の御遺体もほおっておけば腐敗菌によ
って腐乱死体になるのは道理であります。

六日間も安置された戸田先生の御遺体が成仏相のままでいることは不可能で、それから陸続と
弔問におとずれた宗門僧らのうち時間が経過してから訪れたものたちは戸田先生の成仏相をみ
ていないから細胞の壊死が進んだ戸田先生をみて不成仏の相と断定したのではないかと思われ
る。

ということであります。

なお、釈尊は病を得て亡くなり、大聖人も病を得て故郷近くの湯治場を目指したことから病に
よって亡くなることはけっして恥ではなく偉人にとって光栄なことであると論じる人もいます。
 

初めまして。  投稿者:デタラメ君です。  投稿日:2008年 3月20日(木)22時52分42秒
  皆さんはじめまして、今初めて観覧しました。
私は皆さんのことを影ながら応援しております。ではまた・・・。
 

追伸  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月20日(木)15時50分2秒
  一言申し添えます。

「石焼きイモの詩」は、奄美の会員に配布予定であった公式録画のDVDからの電訳であり、こっそり持ち込んだ録音機器等によるものではありませんので、あしからず…。
そのDVDが実際に奄美の会員に配布されたか否か、野茶坊は存じませんが…。
 

石焼きイモの詩 4  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月20日(木)15時36分6秒    編集済
   52年のあの宗門問題。「万策尽きて破るとも天あり地あり師匠あり」と言い、先生が詠まれた心中のあの時の学会と、今この…、きょうも先生がこのメッセージに書いてくださった…、ね…、「妙法を受持する人を大梵天も帝釈天も仰いで尊敬されるであろうと仰せの通り、世界中の梵天帝釈から学会賞賛の声が寄せられる時代に入りました。」て書いてあるよ。その通りでしょう。
 この前、福岡では、聖教新聞の55周年の祝賀会を行いました、外部を招いて。800人来ました。九州をつかさどる七社会ていうのがある。九電、九電工、西部ガス、福岡銀行、西鉄、西日本新聞、もういっちょう何だ…、福岡銀行言った? まぁいいや。七社ある。
 5年前にも祝賀会やりましたけども、その時には社長で来たのは1人でした。あとは専務が来たり代理が来たりでした。今回は七社会の現役の社長が全員勢揃いしました。びっくりしたのは、来た800人です。その顔ぶれをよみあげただけでね、ため息がついた(ママ)。驚いてました。この5年間で社会の環境は一変しました。
 その次の日、ワタクシは沖縄に行きました。沖縄でも55周年をやり、200人が集まりました。稲嶺知事ておるでしょ? あの人の先祖は喜界島ですってね。喜界の人、おるかい? 喜界には稲嶺さんの墓がある…、ああ、稲嶺さんじゃない、稲嶺さんの一族の墓。
 その稲嶺さんが、200人の…、学会員じゃないですよ、200人の来賓を前にして、彼はスピーチをしました。ボクはビックリしました。彼はこう言いました、私、そこにいた。きょうは、県庁を出る時に…、まぁ言葉は少し違うかも知れない、意味はそういうことです、県庁を出る時に…、秘書が書いてくれた挨拶の原稿をきょうは読んだけども、とても硬くて面白くないから、読むのをやめますて…。そんで、私は、長年聖教新聞の愛読者です。ですから、むしろ私が日頃読んでいる聖教新聞の感想を述べることの方が、きょうはいいと思って、原稿なしでしゃべりますってぇとっから始まった(拍手)。
 そして、彼が言うには、実はワタクシの弟が、聖教新聞には「わが友に贈る」と「名字の言」と、そして、「人間革命」だけは「新・人間革命」だけは毎日読めと、弟から言われてますので、そこだけは毎日読んでますて言うんです。壮年部でも読んでねぇのいるんじゃないか?(笑い)
 毎日読んでますって。その弟っちゅうのはね、創価大学1期生の卒業生なんです。その弟から言われた。ですから、聖教新聞読んでいる。そうすると、今思い出すのは、自分がこの前の選挙の時に…、3年か4年前か知りませんが…、いや、さぁ…、2~3年前の選挙…、そん時の2週間前に、池田先生のスピーチの大きな見出しがあったっちゅうんですよ。それは何やったかなぁ…、おい、新納くん〔県長or総県長。同姓〕よぉ、何やぁ、そのぉ…、あたる〔=指名される?〕と思ってなかった? パァッといくんよ。ねぇ…、えぇ…? あのねぇ…、あのねぇ…、うぅんとねぇ…、苦難…、きょう、全体会議であったやん…、苦難…、苦難は…、苦難にねぇ、一歩も動ずることなかれ!っていうような言葉なんですよ、先生の…。それが選挙の真っ只中でどれだけ私を勇気づけてくれたか。あの2週間は、池田先生のその言葉を胸に抱きしめて戦って勝ちましたて言うんですよ(拍手)。ねぇ! ほでぇ、自分は、もっと思うのは、「人間革命」を読んでると、創価学会の方が幾多の試練に(ママ)乗り越えて今日発展されているかということ、その皆さん方の非難中傷を乗り越えた歴史がよ~くわかりますち言うの。そして、もっと私が感激するのは5面です。それは体験談です。あすこの体験談読むと、自分が読むたびに思うのは、それこそ人生の試練の真っ只中にそれを信仰で乗り越えてこられた方の、まばゆいばかりの体験が書いてある。それを読むたびに、読むたびに、私なんかまだ苦労が足りないな、この人に比べたら、まだ苦労が足りないな…。その体験談の、私は愛読者ですち言うんです。
 そして最後に、聖教新聞が550万もの…、ね…、朝日・毎日・読売に匹敵する新聞になれた発展のその要因は、ひとえにワタクシ思うに、配達員の皆さんのご苦労だと思います(拍手)。おぉ~う、あんた、俺よりわかっとるじゃないか。そしてその配達員の人…、池田先生が心から激励されている姿があるから550万の聖教新聞の今日がありますつって、200人前にして言うたよ。
 〔メッセージをさして〕先生がここに書いていらっしゃる通~~りの時代が今、音を立てて来ていると思いませんか。そしてその広宣流布を、いよいよこの5年間で、本当に弟子が立ち上がって成し遂げた時に、それは…、それは…、「一献歌」の仇討ちを果たせるんじゃありませんか。
 私はきょう、奄美の同志の皆さんと、その出陣をしたいと思いますが、ようございますでしょうかァ!(拍手) 戦おう!

 最後にねぇ、もう一回その思いを込めて、壮年部の皆さんの「一献歌」を、歌いたい人は歌っていいし…、ううぅ…、聞こうよ。な、もう一回、やってやらんね。いいね、いい…。もう一回、その決意込めてね…。これを歌って終わりにしましょう。いいですかぁ。
じゃ、私も立って歌おう。

〔「一献歌」合唱〕

 どうもねぇ…、これ歌うと、胸がさっ…(涙声?)。今年の5月3日***(聞き取り不能)、今年の5月3日が(ママ)ねぇ、壮年で大折伏やろう! きょうから! ねっ。壮年部の手で。入っても入らんでもいいから、奄美中の**(聞き取り不能)に、先生のこと学会のことをね、下種して歩こうよ。それでまず、今年の5月3日はね、奄美壮年部の、弟子の万歳をする、その誓いをきょうから出発したいと思います。よろしくお願いします。ありがとうございました。

(以上 おわり)
 

石焼きイモの詩 3  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月20日(木)15時32分24秒    編集済
   話は一転しますけども、この前、私、2月に2週間ばかり、インドネシアに行ってまいりました。インドネシアに行ったことのある人…? ああ、おるねぇ、やっぱり奄美は…。

山本:いつごろ行ったン?

挙手者:4年ぐらい前です。

山本:え…? ああ、4年ぐらい前。何しに行ったン…?

挙手者:音楽研究です。

山本:え…? 音楽研究て、あの、あれかい、サンクロンじゃない、何つったか、インドネシアの…、あの竹のポロッポロッポロッつう何よ…

挙手者:***(聞き取り不能)

山本:日本語で言うてくれんか(場内笑い)

挙手者:竹の****(聞き取り不能)

山本:ああ、竹のな…。どこ行った?

挙手者:バリ島、***、***(聞き取り不能)。覚えてない島もございます。

山本:わかりました。ボクはきょうは…、今回、私は2月に行ったんですが、あなたが行かなかったとこばかり行ってきました(場内笑い)。あのぉ、ジャカルタ…、それからバリ島ってのは、これは、どちらかって言うと、リゾートでね…、だよな、リゾート。だからまぁ、どちらかというと、ハワイじゃないけど、観光地ですね。そこは学会員少ないから、ボクは行ってないんです。そんなとこ行きよったら…、そんなとこ、あんたは行っていいんだよ、目的が違うから。バンドンとかスマトラとか…。ああ、バンドン、スマラヤ、ジョグジャカルタ、それから、ジャカルタと行ってきました。

 5月の14日に、このジャカルタの首都に…、ジャカルタですが、首都がね…。ここに会館ができるんです、大きな会館が。
 このインドネシアというのはですね、国土は日本の5倍あるんです。人口は2億2000万あります。世界で4番目に人口が多い国。中国、インド、アメリカ、インドネシア。こんな大きな国なんです、意外と。
 ほで、この2億2000万の人口の9割がイスラム教徒です。世界でいちばんイスラム教徒が多い国なんです。だからもう2億人近くがイスラム教徒。
ですから、もう…、イスラム教の礼拝所…、モスクと言います。これがもう、日本で言えば公民館単位ぐらいにあるんです。ジャカルタという首都にはもう、でぇっかい塔が立ったモスクがあります。そして、そのモスクは小さいかろうと大きかろうと、塔があって、その上には、マイク…、スピーカーが四方八方についています。ほで、そこで一日に何回か、お祈りの声が街中に響くんです。一日に3~4回ぐらい。もう、そこら中から響くから…、もう、会合してても打ち合わせしてても響く。「うゅ~~ゅぅ~~う~ュ~~~」つって(場内笑い)、これを2週間、***(聞き取り不能)あんた…(場内笑い)…、そらァ、あんた、謗法ばい(場内笑い)。それをあんた、2週間も聞きよったら、おかしゅうなるわさ、たいがい(場内笑い)。だから、これを聞いたら、あんた、帰ったら勤行ができんようになるとまずいと思って(場内笑い)、それで途中からボクはもう、耳で聞いて頭で感ずるのを変えたんです。「石焼ぁ~きいもぉ~」(場内笑い)。
 そういう国だけどね、イスラム教は国教じゃないんです。だから折伏できるんです、折伏。それで、あなた、1万何千人でしょ、学会員が…。ほで、この5月に会館ですよ。
 ***(聞き取り不能)、そらぁ、あたし、地方もずぅっと回りましたけどね…、もう…、もう、回りながら途中でふと気がついたの。日本におる時と生活のスタイルが全然変わらんわけです、朝起きたら勤行して打ち合わせをして家庭訪問して座談会行って会合行って…て、あんた、どこに行ってもそれが変わらん。俺ぁ何しに来たっちゃろうかねぇて(場内笑い)。
 で、ずうぅっと回りました、家庭訪問。水が最悪です。〔先出のインドネシアへ音楽研究に行った人を指さして同意を求めるように〕ね、水…。水、飲めないんです。
 だから、****(聞き取り不能)時も、この…、ミネラルウォーター。
 日本と世界中、どこに行っても変わらないのは、座談会終わった後、お茶とお菓子が出ることです。それで、ずぅっと田舎まわったときにも、来るたん…、あのぉ、行くたんびに座談会の後、お茶と、あのぉお菓子出るのはいいけど、そのお菓子がねェ〔顔をしかめる〕(場内笑い)、そらもう何とも知れんつったら悪いけど…、こん中、インドネシアの人、おらんな…〔右手を挙げる〕(場内笑い)…、もう何とも知れんですな。だけど、あっこは電気が暗い国だからよかった、顔が見れんから…。ほらもぉう…、油の臭いがねえぇ~、あわんのよ。
 ほんで4カ所ほど回って、ジャカルタの首都に帰ったら、直通の下痢よ。もう、ジャッジャジャッジャ、ジャッジャジャッジャ、もうあんた、所かまわず時かまわずガンガン、三日間止まらんかった、三日。3キロ痩せましたよ。だから帰って婦人部の皆さんに言うたんよ、痩せたい人はインドネシア連れて行ってくださいって(場内笑い)。
 ほうで、ボクの**(ほか?)に4人行ったんだけど、婦人部の…、何回も行っている婦人部の人がねぇ、ボクに、会合始まる前、薬くれてねぇ、これ飲んだら2時間は止まるち言うんです。箱に書いてある文字読んだら「下痢ストッパー」て書いてある(場内笑い)。そらぁ…、三日三晩ね、バナナばっかりで過ごしました。
 ほでぇ、とうとうたまらんで三日目にクリニック行ったんですよ、地元の。その連れて行ってもらったクリニックが「SOS」て書いてある(場内笑い)。そこで薬もらったら、ピシャッと止まった。
 で、ボクと行っているもう一人の男性の人がですね、SGIの南アジア部長ち言うて、あすこの…、あれ…、あのぉ、池田先生と一緒にですね、あのぉ…、アジアはほとんどの国、行ってる、先生の随行で…。そん人が我々と一緒に行ってくれた。その彼がですね、「もう山本さん、この程度の、あんた、アジアまわって下痢でねぇ…、下痢はインドネシアのパスポートよ」とか言われてね…(場内笑い)。**がいいちどのことかと思うてねぇ〔聞き取り困難・意味不明〕。ほんで彼が…、自分がインドに行った時にね…、池田先生の随行で行って、先発隊で行ってね、それで1日か3日前に行って、いよいよ先生が到着されるという時にね、下痢になったんだって。こうやって脂汗でね〔顔をしかめて身振り〕、すごぉ~い苦しかったんだって…。そん時に、インドの現地の学会員の人が、これ飲みなさいつって、大きな薬2つくれたら、ピタァッと止まったんだってよ。ほで、あとで聞いたら、その薬はね、牛の下痢を止める薬(場内笑い)。で、あんた、まぁ牛扱いだよ(笑い)。たいがい、あんた、えばるこたぁないよ、人間並みじゃないよ、牛並みよつうて言うてさ…。そだら、むこうから帰ってきたわ。そだら、ああた、山本さん、ああた、せめて、まぁ馬並みですなて…。ピタァッと止まった。
 で、ボク思ったのはね、世界広布は奇蹟ですよ。ほんっと思った。かんったん****〔聞き取り困難、意味不明〕、ね、先生が、世界を回る時に、先生の奥様が、小さな炊飯器を持っていって、そして、洗面所のコンセントにそれ突っ込んでメシ炊いて、先生に朝食べていただきながら世界まわったって話聞いたことあるけどねぇ、私は、そうかなぁ、すごいことだなァと、観念で思ってた。だけど、実際、異国に行って、世界広布というのは奇蹟だと思った。池田先生の戦いがどれほどすごいか。
 

石焼きイモの詩 2  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月20日(木)15時26分23秒    編集済
   しかも、きょうは、壮年部の合唱団が「一献歌」を歌ってくださった。この「一献歌」というのは、師匠と弟子の、仇討ちの誓いの歌であります。
 私は、自分の体験で恐縮ですけれでも、昭和52年に…、その前には昭和40年だ…。
 ちょっと体験発表していいね?(場内拍手)
 体験発表な。もう、あんた…、役職っちゅうよりも、私も弟子、皆さんも弟子…。
 昭和40年にですね、ボクは聖教新聞の本社に合格して採用していただいた。昭和40年でした。もう、ただただ、そん時は、池田先生のもとに24時間、広宣流布ができたら、こんな嬉しい人生ないな、ただただ、それだけが自分の人生の願いでした。
 我が家は、おやじが寝たきりでした。半身不随で、そして、病院代も払えなかった。
母親がいろんな行商をしながら、お茶を売って回ったり、京染めの反物の注文をとって歩いたり…、まあいわゆる…、それまで主婦だった女性がお金を稼ぐ道は、当時はそのくらいしかありませんでした。今でこそ、パートとか、何だとかあるけど、昭和40年頃は、あんた…、パートなんかなかったろう…〔涙声?〕。
 パァとよ〔右手をこめかみの横でぱぁと広げる仕草〕(場内笑い)。お金はパァと…。
 だけど、ボクはとにかく、学校を…、アルバイトば~っかりして学校を卒業して、家にお金入れられるかと思ったら…、私の心の中で、家を助けなければならないと言う思いが半分、そして、でも若かったから…、とにかく先生のもとへいきた~いという思いと、どっちが強かったかというと、そっちの方が強かった。ボクは今でも、亡き父母に、申し訳なかったな、親孝行したい時には親はなしち言うけど、そん通りばい。
 今言うても**(聞き取り不能)、**(聞き取り不能)メモリアル・パークばい。
まにあわん〔涙声? 明らかな演技〕(場内笑い)。
 それで、就職したのが40年。
 それで、私は昭和52年に、ふるさとの大分に転勤の命令がくだりました。
 それは、第1次宗門問題が勃発したからです。
 その頃、第1次宗門問題といえば、坊主が先生や学会の悪口を言いまくりたくっていた。
 その震源地が大分でした、全国の…。
 どうも大分にきな臭い煙が出とる。誰か本部から行って応援しないと、大分の人がかわいそうだ。当時、大分出身は、本部におる人間は二人しかおらんかった。 一人はムライコウイチ君という東大を出た当時全国青年部主任部長。私ゃ大分大学・駅弁大学を出た、しがない聖教新聞の記者、きしゃポッポ…(場内笑い)。
 ねぇ、かたや未来洋々、私ゃ未来まっ暗…そんなこたぁないけど…、それで、私に白羽の矢というか、黒羽の矢…。
 ほでボクは52年に大分へ帰ったのよ。だから宗門問題ちゅうのは、私の人生を狂わせたとまでは言わんけども、ああた、左右しやがりまくりたくったのよ。
 そらぁ、当時の宗門問題はきつかった、第1次は…。学会が謗法とか、成仏しないとか…。ね、どんだけ学会が謗法と言われたか…。ほんッとにくやしかった。坊主が折伏したのかッ! 坊主が屏風に坊主の絵を上手に描いたっちゅう早口言葉があるけども、折伏しとらんじゃないか!全部学会員がやったんじゃないかッ! 歯ぎしりする思いでした。
 そして、池田先生がそのむこうに(ママ)、54年4月24日、勇退された。それは私たち弟子にとって、紅涙ふりしぼるという言葉が…、血の涙が出るほど悔しかった。私は、終生この日は忘れまいと、決意をいたしました。
 そして、56年に池田先生が、「いちばん苦しんだところが、いちッばん一番幸せになるんだよ」と言って、大分に来てくださった。悔し涙の真っ只中で、先生が大分に来てくださった。今から25年前です、今年の12月で25年目です。
 そしてその時、先生が、今この歌をずうぅっとォ…、指導に回る時に、「いつもこの歌をかけながら、行った先で聞きながら指導に回ってるんだよ」と言ってェ…、先生が、「テープ持って来い」と言われた。そして、指導が全部終わった、夜9時過ぎでした。熊本に先生が移動した後、熊本で先生が、熊本のこんな大広間に…、夜の9時か9時半頃、先生は下に降りてこられて、役員が、当時、まだ百名近くの役員がまだ残ってた。残った役員の人みんな来いって先生言われて、「いいよ」。先生がこの辺に座って、百名くらいが取り囲んで…、そして先生は「お世話になったな」。懇談をしてくださった。その時に「あのテープを持って来い」って言われて、持ってきて聞かせてくださったのが、この「一献歌」です。
 「万策尽きて破るとも天あり地あり師匠あり」
 池田先生がご勇退をされる…、ご勇退をされたのは、54年の4月24日です。
 ん? 54年じゃない…。そうだな、54年の4月24日です。
 その前の年の、53年の11月18日、この「一献歌」の一節を墨痕鮮やかに書かれた。
 「万策尽きて破るとも天あり地あり師匠あり」
 先生が勇退をしてでも収めなければならなかったこの事態…。
 しかし! どんな立場になっても、戸田先生の弟子として…、戸田先生のまことの弟子は自分しかいない。だから、どんな身になっても、戸田先生の遺言だけは、どんな嵐でも、実現をしてみせる。先生のその深い思いが、「万策尽きて破るとも天あり地あり師匠あり」。
「五十三年霜月十八日。徒然なるままに、徒然なる歌を認む」と書かれてあります。霜月十八日というのは、11月18日、創立の記念の日であります。
 私は、この歌を歌う時に、池田先生が今日まで歩んできた…、19歳の時から78歳に至る今日まで、自分のお金も、身体も、時間も、何もかもすべて…、戸田先生の弟子として、戸田先生の遺命を実現するためにすべて賭けてこられた先生…。
 先生は、朝から晩まで、一分一秒も、先生の人生には私(わたくし)の時間がありません。公私とあります、公(おおやけ)と私(わたくし)。先生に私(わたくし)の時間は一分もないんです。私も先生とご一緒させていただいて、地方指導に行ったこともあります。本部で何日間か先生に常随給仕させていただいたこともある。先生の周りには、先生のお仕事の下請けと言ったらおかしいけども、報告書を持っていったり、先生のご指示をまた伝えたりする、まあ、いわば秘書の役割をする人たちが…、部門があります。この人たちの部門のお仕事は、普通の会社とは違います。どう違うか。それは、先生が目が覚めてから、おやすみになるまで、仕事。はぁ~あ、あの部署の仕事というのは、俺たちだったら身がもたんなと思うよ。だけど、よくよく考えたら、いちばん身がもたないのは先生でしょ。つまり先生は、朝起きてから寝る時間まで、広宣流布なんです。その人生を今日まで貫き通してくださった先生がいらっしゃるから、今、190カ国じゃありませんか(場内拍手)。190カ国よ。
 私は、きょう、この話を皆さんと分かち合うつもりは、ありませんでした。だけど、きょう、「一献歌」を聞かせていただきながら、どぉ~しても、このことだけは、皆さんと、きょう、誓い合いたい。この思いで、まいりました。
 

石焼きイモの詩 1  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月20日(木)15時19分36秒    編集済
  …山本副理事長(副会長・総九州長)の人となりを示す記録を紹介させていただきます。

2年前(2006年3月)の奄美における「指導」を、野茶坊の心の友〔どらン猫小鉄〕こと***が逐語電訳し、公開するのを心待ちにしていた力作(?)です。

これをどのようにお読みになるかは皆様お一人お一人の自由であることは申すまでもございません。

かなりの長文ですので、分割掲載させていただきます。連続投稿になりますが、ご容赦ください。

題して『石焼きイモの詩』。

…のっけからハプニングぶくみの、楽しい「指導」でありました。

   ◇ ◇  ◇ ◇  ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇  ◇ ◇

「奄美広布決着誓願大会」(奄美光城県壮年・男子総会)における山本武総九州長指導

                                            2006年3月27日  奄美大島文化会館

《式次第》
 ・題目三唱
 ・学会歌『威風堂々の歌』
 ・挨拶(H.M県壮年部長)
 ・体験・活動報告(地区部長2名)
 ・「弟子の戦いで断固築かん奄美城」(K.N県長)
 ・合唱『一献歌』『新・火の国の歌』
 ・記念品授与並びに挨拶(J.N総県長)
 ・総九州長指導(山本総九州長)
 ・題目三唱

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

《以下、山本武総九州長指導の全容》

司会:総九州長指導。山本総九州長。

山本武総九州長:はぁい。

S.H地区部長:(司会マイクの前に立って)ここで、山本総九州長に、壮年部を代表して、       一言御礼を申し上げます。

山本総九州長:はァ。(場内笑い)

S.H:九州長!

山本:はい。

S.H:奄美のために、いつも、いつも、ありがとうございます。

山本:〔返礼〕 (場内拍手)

S.h:さきの衆議院選挙で…、

山本:ええ。

S.H:徳州会の…

K.N県長:これは予定にないところだから…〔止めに入る〕

S.H:奄美広布の、いちばん大事な話を…。

K.N:いやいや、今、ちょっと話し中だから…。

山本:どうしたん?

K.N:***(聞き取り不能)。予定にないことで…。

山本:彼、司会者…? 司会者…?

K.N:司会じゃないんです。

山本:ああ、司会じゃないんなら、ごめんなさい。
   ああ、びっくりした。
   ありがとう。きょうは、いろいんな人がおるからね。(場内笑い)

S.H:〔静かに司会席の横に座る。会合終了までそのまま動かず。〕


※以上のやりとりの中の《S.H地区部長》は、〔南里Guy〕のハンドルネームで、時折当掲示板に登場しています。この場面において南里は山本総九州長に飛び入りでの質問を試みたのですが、県幹部に阻止され、山本総九州長にも無視されたワケです。会合終了後にも、後日においても、山本総九州長あるいは県幹部から南里に対する何らの「指導」もしくは対話の機会を設けるはたらきかけもなく、完全に黙殺状態だったとのことです。なお、「徳洲会」につきましては、お手数ながら、ネット等でお調べください。
(野茶坊・注)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 でも、きょうは、ひじょうにスッキリした…、スッキリしたって言うと、婦人部がいるとスッキリしないのかって言うと、そういうわけじゃないけど…。(場内笑い)
あのぉ、婦人部の皆さん、うしろで応援してくださっているから、心からありがとうございました。
きょうは、男だけの会合…、ええ~、ワタクシも気兼ねなく、最後まで…、や、気兼ねなくっつうとまた…、言葉に気をつけないかんですが…、気兼ねなく最後までやりたいと思いますが、ようございますでしょうか。(場内拍手)

 それでぇ、最初にですねェ、あのォ、やっぱり、島々から来た、来てくださった方…、
これは、船代を使い、飛行機代を使い‥ですねェ…、あのォ、簡単に幹部は会合やるから来いっちゅうけども、みんなお金と時間と、そして、もしかすると、きょうは月曜日だから、仕事の都合までして(ママ)来てくだすったんだと思います。皆さんと一緒に心から歓迎申し上げたいと思いますが、いかがでしょうか。(場内拍手)
  ええ、最初に徳之島!(「はい!」の返事)。 ああ~…。徳之島が22名だ。さっき、あのね…。24名か。ごめん、22と4じゃだいぶ違う。おおごとばい、え~、へ(笑い)。
県長がね、紹介してくださったけど…。
 それでねェ、ここの…、さっき県長に許可うけた…、御宝前の品をね、島から来た方々に、せめてもの思いでね、あのォ、お渡ししてもいいかつったら、県長が、「それは、御本尊に聞いてください」…(場内笑い)。さっき、お題目を三唱する時に、御本尊様に聞きました。そしたら、「善きかな善きかな」(場内笑い・拍手)。
(宮路総県壮年部長を指して)ちょっと、壮年部長。いちばん数の多いバナナが徳之島だ。数、数が多い方がよかろう。はい、いちばん前におる…、誰でもいいんだよ。代表!
ちょっと、その三宝は返してよ(場内笑い)。上だけ取って、上だけ。そうそう、上だけ。

         ・・・中略・・・

  〔徳之島・喜界島・沖永良部島・与論島からの参加者に御供物分配〕

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(以下、大意)
・感無量です。
・広宣流布が池田先生と共に80周年へ向かう今、つまり、池田門下生の私たちにとって・は広宣流布の総仕上げに入りました。
・池田先生が去年の12月から全力の指導を始めました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(以下、逐語)
 今年の1月からの衛星中継での秋谷会長をはじめとする幹部の指導が変わったことに気がつかれた方…。気がついていらっしゃる…。
 秋谷会長も、もう指導でなくなった。会長も、先生の弟子の一人として、先生を守り、学会を守るためにわが人生のすべてを捧げますという、指導というよりも、ご自分の反省と誓いと決意と、先生の一人の弟子としての思いを語られる話に変わったことに気がついていらっしゃると思う。
 3月の本部幹部会では、正木壮年部長が、「秋谷会長といえども、みんな弟子です、その池田門下の弟子が、総仕上げに立ち上がる時が来ました」という、正木壮年部長の話だった。
 去年の12月から池田先生は、秋谷会長をはじめとする本部の首脳の方々を三日とあげず呼ばれて全魂の指導を始められました。それは、今も続いています。先だっても、皆さん方気づいているかどうかわかりませんけれども、先生の元で最高協議会が開かれたという記事が二日続けて載ってました。
 先生は今まで…、私も信心して48年、本部の職員になって私はもう40年になります。先生の元でさまざまな薫陶も受けてきました。先生の元でさまざまなご指導を受ける機会も、皆様方を代表して幾たびもありました。そしてその時、先生は一番時々に大事な指導を全力で私たちにしてくださった。だけど、ひとつのテーマについて先生が去年の12月から今に至るまで3ヶ月も、毎日のように指導されている経験は、私は初めてです。
 先生はこうおっしゃっておられる。それは、これから先、50年、100年、200年と学会の広宣流布が進み栄えていくその日、もう一度創価学会を根本から作り直そうと。
それは、仏法の方程式からすれば、50年、100年後の学会と言っても、今の姿にすべてが含まれている、つまり、今の一瞬に未来のすべてがあるというのが仏法の方程式です。
どんなに50年・100年後、学会が栄えるような図面を描いていっても、今の姿がいい加減では、これは絵に描いた餅です。つまり、50年も100年も1000年も栄える学会をどうすればいいかということは、今その姿を作り上げておかなければいけない。
 先生はその戦いを現実に手をかけて始められたということです。そして、その魂魄は何か。それは師弟の精神。学会は三代の会長以外、師匠はいないんです。ですから、これから…、今、秋谷会長は5代目か…、5代目ね…、5代目の会長だけども、これから10代も15代も20代も続くでしょう。その時に、もし変な会長や、あるいは変な幹部が出たならば、これだけ三代の会長、なかんずく、池田先生と共に世界に広がった学会を作り上げてきた苦労が水の泡になってしまう。そんな学会に絶対にしてはいけないッ!
 そのためには何か。今の学会の中に、弟子の精神、師弟の精神というものを、毛スジもたがわぬものを今の学会にさらに深くさらに深く〔大きな身振り〕作り上げておかなきゃならない。先生は、その戦いに〔両拳を握る〕、手をかけて始められたということです。
 私は、先生のその指導をうかがうにつけて、今、80周年に向かうこの5年というのは、ただごとでない時が流れてるな、ただごとでない弟子の戦いの始まりが今だな…。そして、師弟の精神の根本と言っても、じゃあ、だれが作るのか。それは、池田門下生である私たち一人一人が、自分の生き方をそこに貫くしかない。大勢の会合で指導したからできるわけじゃない。自分がどうするか。きょう集まった一人一人がどうするか。先生の弟子として俺は、今のこの5年間の広宣流布に賭けるぞと、人生の腹を決めるかどうかです。そして、その本物の弟子が奄美の地に何人いるか。
 池田先生はこの3月の本部幹部会の時に…、九州総会でした…、その時にこう言われた。
牧口初代会長が九州まで足をのばして指導に行かれた時に、牧口先生が何と言われたか。
「青年はいないか。私は本物を探しに来た」と言われたよ。私は、なぜ今、池田先生がそのことを私たちに教えてくださったのか。それは単なる牧口先生の言葉じゃない。池田先生が私たちに、九州には何人の本物の弟子が立つのかということを先生が呼びかけてくださっているように私には思えてなりませんでした。
 私は、この時、九州に本物の池田門下生が…、そのために私自身、総九州長とか、何とかという役職は関係なく、山本武という、先生に薫陶を受けた、わが決めた人生の、先生の弟子としての生き方を、もう一回その原点にかえって、この5年間、先生の弟子として、どこまで迫った生き方が自分に問うことができるか、生まれ変わった思いで戦おうと思って、今日は来ました(場内拍手)。
 どうか、奄美の壮年部の皆さん。きょうは、一番いい時に、九州の中で奄美が一番先に、壮年部が立ち上がったなと言う思いで今日は感激で一杯でございますけども、やりませんか!(場内拍手)。わかりましたね。(?? 聞き取り困難)

                                   〈つづく〉
 

戸田先生は成仏相でした  投稿者:一言凡夫  投稿日:2008年 3月20日(木)08時59分29秒    編集済
  戸田先生の死亡時における相について宗門信徒側が地獄相だったと宣伝していることは
紹介して皆さんの意見をお聞きしました。このような問題についてうんぬんすることは
学会に対する背反行為と受け取られかねず一人悶々としていました。

なにせわたくしも○宣部(詳しいことを書いて面を割られると後の祟りがあるので)で
したので自分自身よくわかっているのでひとりで拠点にある資料などを読みあさってい
たところ、男子部で教学部では教授のAくんに「最近熱心ですね、探し物ですか?」と
問われ、この話題を言ってよいものか躊躇したのですが、思い切ってインターネットで
の事を話ましたら、「ぼくたちが研究してみます帰って一杯やってください」と笑顔で
言ってくれましたので後はまかせておきました。

けさがた電話があり第一報で大局的に見て戸田先生の成仏相は間違いないところである
むねの連絡を頂きましたのでご報告いたします。そしてその為の資料を研鑽しているう
ちに宗門信徒側が「池田先生は戸田先生の後継者ではなかった」と言っていることもう
そであることが発見されたと喜びの連絡でした。当時のことを見知っている古参の学会
員がいるのでこちらにも実際のはなしを伺ってみたいとのことでした。

詳しいことは明日にでも報告できると思います。内心ほっとしています。これから拠点
にいって勉強です。広布第二幕の主役は男子部でしょうね。頼もしいかぎりであります。

http://www3.ezbbs.net/24/seigi3/

 

聖愚問答抄  投稿者:今日より明日へ  投稿日:2008年 3月20日(木)01時56分19秒    編集済
  「若し善比丘あって法を壊らん者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」と、

是の文の意は仏の正法を弘めん者・経教の義を悪く説かんを聞き見ながら我もせめず我が身及ばず国主に申し上げても是れを対治せず仏法の中の敵なり、若し経文の如くに人をも・はばからず我もせめ国主にも申さん人は仏弟子にして真の僧なりと説かれて候。

「寧ろ身命を喪ふとも教を匿さざれとは身は軽く法は重し身を死して法を弘めよ」と、此の文の意は身命をば・ほろぼすとも正法をかくさざれ、其の故は身はかろく法はおもし身をばころすとも法をば弘めよとなり、悲しいかな生者必滅の習なれば設ひ長寿を得たりとも終には無常をのがるべからず、今世は百年の内外の程を思へば夢の中の夢なり、~略~

此の道理を得ば後世を一大事とせよ~略~  御書P496

弟子であるならば、御書を心肝に染め、実践しなければなりません。


山本 【6カ月以上にわたり、理由なく会員としての活動をせず、学会員として真面目に活動していく気持ちがない。これも場合によっては、退会となる。】
 

三月号の大白蓮華で  投稿者:野生回帰人  投稿日:2008年 3月19日(水)11時46分28秒    編集済
  もうかれこれ10日くらい前になるかなと思うのですが。
大白蓮華を読みました。手元に今ありません(出先)ので、うろ覚えで申し訳ありません。

「成仏出来る道」、これ、結構大変なようで、どれだけ修行を積んだ人であっても、最後の最後のところで、異常なほど過激に敵対してはむかってくる人に対しての寛容さが欠けてしまった、その事で成仏の記別を受ける事が叶わなかったというのを、釈迦時代の例をあげて教えてありました。私、「はっ」としましたです。
もちろん、正しい意見を述べることはそれには当てはまらず、なんと書いたら良いのでしょう、え~と、そうですねえ、例えば、ついつい、「ああいう、人に迷惑ばっかりかけてる子は、成仏せんでもええねん。」そんな風に思っている自分を振り返ってしまったわけです。私なんか、しょっちゅうそんな事を思ってきましたからねえ、反省反省。
 

おはようございます。久遠元初の朝です。  投稿者:今日より明日へ  投稿日:2008年 3月19日(水)06時19分46秒
  「最も大きな真理は最も単純である」

トルストイの至言は、あまりにも有名です。先生のおかげで、トルストイの境涯を学びました。先生のおかげで、魔性の生命の本質を熟知しました。

「仏は奈落にこそあり」ですね。地獄即寂光であります。

ベートーベンの「苦悩を突き抜け、歓喜に至る」宇宙の妙音も、我が胸中にあり。

艱難、断崖絶壁を歩み通してこそ、人生の使命は、開花する。

寒さに凍えたものほど、春の暖かさを知る。

三代の会長は、三類の強敵に勇んで挑まれました。

身も毛もよだつ、魑魅魍魎の追い落としの包囲網を背負われ、広宣流布の指揮を執ってくださいました。

師弟の血脈は、一人立つときに、流れ通う。
 

最も大きな真理は最も単純である  投稿者:野茶坊  投稿日:2008年 3月18日(火)01時18分54秒    編集済
  「最も大きな真理は最も単純である」

というトルストイの言葉を、数年前、先生が長編詩に引用しておられました。

師弟という単純明快な真理を
勿体ぶって荘厳・神秘化(?)し、自らの権威付けに利用する輩の
臆病・邪悪な本性を見破り打破する
智慧と勇気は、
生活の現実との格闘において師匠をまっすぐに求め抜く中で
自然のうちに大きな喜びをともなって具わってくるように思います。

「仏は奈落にこそあり」
とは、ある友人の至言ですが、
苦悩が深ければ深いほど、それを突き抜けた歓喜は大きい。


労苦は楽し 満天の
星の宴(うたげ)に 胸さやか
権威の闇を 切り裂いて
真実(まこと)の宝剣 磨きゆく
 

以上は、新着順1番目から100番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
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