平嶋校長は38年の教職生活のうち、23年を小呂島や能古島(同区)など「へき地・小規模校」で過ごした。本人が望んだこと。自然が多く残るし、子どもたちとの距離も近く、「五感を刺激する教育ができる」と感じたからだ。
小学校教諭時代は始業1時間前には登校し、子どもたちとよく遊んだ。自宅に泊まりに来た教え子と寝食を共にしたことも数え切れない。
小呂島では教諭、教頭も経験。通算9年間勤務した。3年前に校長として復帰してから、併設する小中学校を交流から連携へ、そして一貫教育へと推進した。「教諭が互いの教育内容を知って、子どもがどこでつまずいたのかを把握できる」。授業の積み重ねが大切な算数や理科といった科目で特に有効だという。
小呂島を隅々まで歩き回り、旧日本軍の弾薬庫や砲台の跡も調査した。地元の人を訪ね、かつて捕鯨が行われていたことや1945年の空襲などの事実も文書や年表にまとめた。それを総合学習の時間に活用。「子どもの身近なところから、歴史や文化に興味を持たせる狙いだった」
海がしけの日には、島の学校宿舎には漁師たちが集まり、一緒に杯を交わす。「島に特産となる加工品ができないか」「(小呂島への市営渡船が出る)姪浜港に販売所を置けないか」。島の将来を一緒に考えてきた。
それを学校として実現させたのが、昨年度からの総合学習だった。地元の漁師にもらったブリやイサキを材料に子どもたちが干物を製造。小中学生が島内と姪浜港で販売した。「島の将来を担う子どもたちに、いろんな可能性を考えてもらえる」。平嶋校長の思いだ。
小呂小中学校の児童・生徒は計17人。さまざまな人間関係を体験させたいと思うが、島に医師がいないなどの事情もあり、島外から子どもを受け入れられない。そこで昨年、近くの能古島に小学生10人を「留学」させた。3日間だったが、10人は「友達がいっぱいできた」と喜んだという。
本土への長期留学、戦跡を生かした観光、姪浜港に常設の販売所…。小呂島の教育と島おこしのアイデアは尽きない。島を離れた後は、前原市の自宅を拠点に若い教諭たちに助言を与える取り組みを考えている。「機会があれば、38年間の体験を新任の先生方に話していきたい」
=2008/03/25付 西日本新聞朝刊=