売春防止法から50年です
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三島女郎衆というのが有名なんだが、農兵節なんてぇのがありまして、三島の子供たちは小学校で習うわけだ。売春婦を称える歌を小学校で教えるというのも凄いんだが、三島は女郎で栄えた街なので仕方ない。
で、そもそもコトの発端は街道筋でも有数の規模を誇る宿場だったという成り立ちにある。宿場には「飯盛り女」というのがおりまして、
飯盛りとは名ばかりで、内実は売春婦なわけだ。で、東海道を往く旅人がこぞってオンナを買ったのかというとそんなコトはなくて、近隣近在の百姓が買いに来たらしい。三島は下田街道で伊豆半島への玄関口になっていたので、田方方面から百姓が、農機具などを買いに来たり、作物を売りに来たりしていたわけだな。で、儲けたカネでうなぎ食ってオンナを買うというのが定番だったようで、なので、明治維新後も女郎屋そのものは残った。上の地図で言うと、下の加屋町のところにセブンイレブンがあるが、その南側が女郎屋のあった場所で、おいらはその近くの西小学校に通っていたので、女郎屋の建物を覚えている。もちろん当時は女郎屋ではなく、電業社の寮というか社宅になっていたと思うんだが、やたら玄関が立派で、廊下が広くて、部屋はそんなに広くなかった。で、昭和になってからなんだが、上の地図で言うと楽寿園の西に三島青果というのがあるんだが、そのあたり、六反田と呼ぶんだが、そこに日本一の女郎屋街を作ろうというプランがあったらしい。ところが、折しも売春禁止法案が出来て、残念ながら計画は実現しなかった。
というわけで、HEVENさんちで売春防止法50周年の記事やってます。
で、三島の女郎屋も消えてしまったんだが、女郎たちの再就職という意味なのか、街の中に小さな飲み屋がいっぱい出来たわけだ。おいらが子供の頃は、三島の街というのは小さな飲み屋とパチンコ屋が人口比でやたら多い街として知られていて、今ではすっかり寂れてしまったんだが、ずいぶん賑わっていた。さすがにもう、女郎アガリの婆さんはみんな死に絶えたと思うんだが、今でも白雪通りからマックスバリュの裏にかけては、迷路みたいな路地に小さな飲み屋が店を連ねていて、独特の雰囲気を漂わせているわけだ。
って、ずいぶんローカルな話題ですいませんw
というわけで、HEVENさんちで売春防止法50周年の記事やってます。
今から50年前の4月1日、日本では数百年の歴史をもつ売春業が正式に法律で禁止されました。何枚か写真も掲載されているんだが、なかなか興味深いです。オンナのファッションがレトロで、古いイタリア映画みたいだったりする。
施行された「売春防止法」は、紅灯区ならびにそこで働く女性たちを駆逐しました。もちろん、日本にあってもこの世界最古の業種は、収益の大きい業界だったことは否めません。
敗戦後の日本が、いち早くこうした売防法を施行したのは、当時誕生したばかりの女性議員が売春禁止運動の先鋒を担って闘ったということにも由来します。1945年から1952年の占領を経て、ふたたび52年に独立を手に入れた日本は、数度の審議をもって立法化、売防法は国会を通過します。
正式に施行されたのは1958年の4月1日。これは赤線の従業員などがあらたな仕事を見つけるまでの猶予期間が設けられたためです。
で、三島の女郎屋も消えてしまったんだが、女郎たちの再就職という意味なのか、街の中に小さな飲み屋がいっぱい出来たわけだ。おいらが子供の頃は、三島の街というのは小さな飲み屋とパチンコ屋が人口比でやたら多い街として知られていて、今ではすっかり寂れてしまったんだが、ずいぶん賑わっていた。さすがにもう、女郎アガリの婆さんはみんな死に絶えたと思うんだが、今でも白雪通りからマックスバリュの裏にかけては、迷路みたいな路地に小さな飲み屋が店を連ねていて、独特の雰囲気を漂わせているわけだ。
って、ずいぶんローカルな話題ですいませんw
日本売春史―遊行女婦からソープランドまで (新潮選書) 価格:¥ 1,155(税込) 発売日:2007-09 |
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