今日、8月27日は、偉大な教父聖アウグスチヌスを回心に導いた、聖女モニカの記念日として、教会は祝います。
しかし、今では、母モニカは教育ママの典型であると評価されるかもしれない。
司教教会博士 (354年-430年)アウグスチヌスは、北アフリカのダガステで、ローマ官吏の父と敬虔なカトリック信者である母モニカの間に生まれた。
アウグスチヌスは成績が優秀で、カルタゴの大学に留学し、真理探求に情熱を燃やした。
しかし、マニ教に傾倒し、ある女性との間に子どもをもうけ、父となったのだが、結婚は許されず、彼の内面に葛藤を生んだ。その女性は、身分が低かったので、母モニカの反対があったといわれる。
アウグスチヌスの若い時代のみだらの生活とは、この女性との同棲を指しているのである。
383年にイタリアに行き、ミラノの司教アンブロジオと出会い、キリスト教の洗礼を受けたが、結局その女性は、自ら身を引いて、アウグスチヌスの元を去った。もちろんモニカの反対があったからである。
彼の回心には、母モニカの祈りと支えがあったといわれるが、この女性と子供たちとの別離が大きく影響しているらしい。
結果的には、母モニカが、勉強中のアウグスチヌスを支え、しかも子供まで儲けたたその女性との中を裂いたということになる。
母の死後、彼は修道生活をしようと故郷に帰り、祈りと研究の生活を始めた。391年に司祭に、396年にはヒッポの司教になり、以来、説教や著作活動でキリスト教の真理を広め、異端と戦った。彼のキリスト教への魂の遍歴を記した『告白録』と『神の国』は、不朽の名著として知られ現在も読まれている。
アウグスチヌスは、キリスト教内外の思想界に偉大な影響を与えた、西洋古代最大の教父であるが、母モニカを聖女として、顕彰するのは、弱い女性の人権を重んじたイエスの視点からみれば、現代的には、疑問が残るのである。
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