「神父」とよぶこと、呼ばれること。
カトリック教会では、プロテスタント教会の牧師に相当する「司祭」を「神父」と呼ぶのが慣わし。
信徒は、尊敬をこめて「神父さん」と呼び、司祭もまた「○○神父」と自称し、そう呼ばれることを好む。 ○○「司祭」と役職名をよぶのが正式であるらしいが、堅苦しいので、日常は使わない。
「神父」。
何という、恐れ多い呼称であることか。「神の父」なのだ。 「父」や「先生」と呼ぶな。私のほかに「父」、「先生」はいない。 マタイ福音書の23章8〜9にある、イエスのみ言葉である。
さすがに、これに気づいている司教がいる。さいたま教区の谷司教である。
カトリック新聞(2006年、10・30号)で「神父様」と呼び、呼ばれることへの疑念を表明している。 信徒に頼られることを必要とする司祭と、神父様に依存する信徒の「共依存関係」の危惧である。
また、「神父」という言葉の傲慢さに、鈍感な教会は、「小さくされた人々」の痛みにも、鈍感であろう。
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