律令国家の役所跡? 福岡・添田で掘立柱建物群跡見つかる (08.03.14)
郷庁とみられる掘立柱建物跡がみつかった発掘現場
添田町教委は13日、同町中元寺の「宮の前遺跡」の発掘調査で、奈良時代末期から平安時代前期に建てられたとみられる19棟の掘立柱(ほったてばしら)建物跡が見つかったと発表した。一帯から役人が祭事や生活で使っていた土器や陶器が出土しており、町教委は律令国家の下で各地に置かれた郷庁(役所)の一つとみている。
発掘調査はほ場整備に伴い、昨年10月から約7000平方メートルで行った。建物跡は遺跡の南半分に多く、最も大きな建物跡が縦10メートル、横5メートル。柱を建てるための穴は最大で直径80センチあり、基礎がしっかりしていることから、7〜8メートルの高さの建物だったと推測されるという。
建物跡の周りからは「来」や「寺」と記された祭事用の墨書土器や、平安時代に寺院や官庁に出回った高級食器類「緑釉(りょくゆう)陶器」も見つかり、読み書きができた役人がいたことをうかがわせる。
律令国家では、「国」「郡」の下部にあたる行政単位として「郷」が置かれた。同遺跡を含む田川地区南西部の中元寺川流域は「怡土(いと)郷」にあたり、遺跡があった場所に怡土郷の役所が置かれていたとみられる。
町教委は新年度、今回発掘した南側約6000平方メートルを調査する予定で、「穀類を収蔵した倉や、郷のリーダーの居住跡が見つかれば、郷庁だった可能性がさらに高まる。律令国家での地方村落の解明につながる、国史跡級の遺跡になる可能性もある」と話している。