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宮の前遺跡:墨書土器、大型建物跡を発掘 古代「郷庁」か--添田 /福岡

 添田町教委は13日、同町中元寺の「宮の前遺跡」の発掘調査結果を発表した。文字を記した墨書土器や珍しい緑釉(りょくゆう)陶器などが出土し、大型建物群の遺構が確認され、奈良末期~平安期前半で最小の支配単位だった「郷」の役所「郷庁」跡とほぼ断定した。町教委は「国府級遺構でしかみられない遺物が多数出土し、古代律令制下の地方公領の様子を知る上で極めて貴重な成果を得た」としている。

 調査は昨年10月から水田の基盤整備事業に伴い、約7000平方メートルで実施。出土物は墨書土器、祭祀用の製塩土器、カマド型土器や、中国(唐)が初めて貿易用に輸出した「越州窯」系青磁片など計約1000点。遺構では大型建物(幅5メートル、長さ10メートル、推定高さ7~8メートル)8棟を含む2群19棟の柱跡や、役所間道路の可能性がある水路遺構が確認された。

 墨書土器は須恵器で、裏面に「来」と書かれた土器片(復元直径約12・5センチ)と「寺」と書かれた土器片(同約14センチ)。わずかな痕跡を赤外線解析した。「寺」は役所を指すが、「来」は当時、「麦」を指す場合もあり、明確な意味は不明という。

 田川地区には全国を国・郡・里(郷)に分けた律令制で4郷がおかれ、中元寺地域は「位登郷」14ケ村の一つ。大分・宇佐神宮に伝わる平安末期の記録「宇佐大鏡」によると、周辺には当時、虫生(むしお)氏という豪族がいた。

 町教委の岩本教之学芸員は「平安貴族が好んだ緑釉陶器も、鴻臚館-大宰府-朝廷ルートでしか見られない越州青磁も、政府が地方勢力に授けた権力の象徴。虫生氏が『郷長』だったのかもしれない」と推測する。

 その上で「全国的に例がない遺跡になる可能性がある」と指摘。未調査部分(約6000平方メートル)があり、木簡など虫生氏を示す遺物が見つかれば「なぞの多い古代地方組織に関し、文献を考古学的に裏付ける極めて貴重な例となる」からだ。

 調査終了部分は今月中にも埋め戻され、遺跡は失われる。町教委は16日午後1時半、出土遺物公開を含めた現地説明会を開く。町教委は0947・82・5964。【林田雅浩】

〔筑豊版〕

毎日新聞 2008年3月14日

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