<体験的健康法>
先日、不要になった、フロッピーディスクを処分した。パソコンを始めてから十数年、その間にたまったディスクだから、ミカン箱一杯あった。その中には、デジカメで撮った風景写真を取り込んだものや、パソコン通信にアップした記事を収録したものなどがあって、多少の残り惜しさを感じたが、ひとまとめにしてゴミ集積場に出してしまったのだ。
ところが、すっかり処分したつもりでいても、あちこちから処分を免れたフロッピーディスクが一枚二枚と出てくる。そのなかに、パソコン通信に使ったものが一枚混じっていたので、試みにパソコンに挿入して読んでみた。大体は、つまらぬ文章ばかりだが、宗教体験に関する記事などは、ちょっと面白かった。
それは追々紹介して行くことにして、今日は、「体験的健康法」という文章を紹介したい。パソコン通信は会話調の文章で書かれている。(「風の子」というのは、当時私の使っていたハンドルネーム)
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「体験的健康法」 風の子
20代の後半、肺の摘出手術を受けました。これは、まあ、当時としては大変な手術でしてね、手術時間は半日かかりました。
復職後は体をいたわって、勤務が終わると帰宅してベットに寝ている。ベットには、寝て本が読める書見機がくくりつけてあって、これで読書するか、ラジオのクラシックを聴いている。にもかかわらず、冬になると必ず風邪を引き、これがぐずぐずと長引いて容易に治らない。季節の変わり目には胃の活動が低下して、嘔吐や胃痛を繰り返す。不眠症。腰痛・・・。
その頃、俳句を作っていました。
おのれ憎み西日まともに坂下る
当時のこんな俳句を見れば、小生の心境が推察できるでしょう。とにかく、暗澹たる日々でした。
転機は、やはり本から来ましたね。
「老子」を読み、「無門関」を読み、やがて安藤昌益の信者になる。生き方を根本的に変えなくちゃ、と思うようになりましたよ。
自分のことは自分でする、身体を労して働く、器具や食うものは自分で作る、自然に溶け込んで生きる、何事も腹八分にとどめる、などなど。
日曜大工を始めました。
まず、机をこしらえ、書棚を作ったのです。製図板を二枚買ってきて特大の机をこしらえましたよ。パソコンを使うようになってから、この机が思わぬ効果を発揮しましたね。
日曜大工のコツは、作業場を確保することですね。早く結果を見たいというので、先を急ぐと必ず使いものにならない製品になる。最初にきっちり寸法を測り、何日か掛けて少しずつ仕事を進める。その為には、半製品をその場に残しておく作業空間が必要なのですね。幸いに、地方に住んでいて家だけは大きいから、空いた部屋にシートを敷けば作業場になります。
モグラみたいに部屋にこもってばかりいた人間が、こうして動き始めたのです。
バードウオッチングということもやり始めました。
双眼鏡を持って、自転車で山林原野に出かけ鳥を探して歩くのです。別に野鳥の分布図を作ろうとか、珍しい鳥を探そうとか、大それたことを考えてのことではないですよ。ただ行き当たりばったりにあちこちを走り回り、そこで見つけた鳥の名前を鳥類図鑑で調べて確かめるだけなのです。
寒くなる前に戸外に出て十分に紫外線に当たる・・・この効果は覿面でした。紫外線をたっぷり浴びた年には、冬に入っても風邪を引かない。陽光に接することが少なかった年には、決まって風邪を引いいてしまう。ホント、体というものは正直なものだと思いました。
日曜大工にしろ、バードウオッチングにしろ、それを趣味としてやっている分には面白いけれども、心からの満足感はない。我々戦中派は、実生活が「かくあるべし」と思い定めた生き方と重なっていないと満足できないのですね。
親戚から譲り受けた休耕田に出かけて、百姓の真似事を始めてから、ようやく後ろめたい思いがなくなりました。安藤昌益の信者になったからには、「直耕安食」を形だけでも実践しないと落ち着かないのです。それが43才の時で、以来、営々と畑に通うようになりました。
休日には、畑に出かけて土いじりをしているから、クルマが欲しいとかレジャーを楽しみたいとか、その種の欲望は全く起こらない。そのうちに、休憩所が欲しいなと思うようになり、畑の真ん中に(8畳+6畳)の庵室のようなものを作りました。地方のことなので建築費は安く、乗用車一台の代価でこと足りました。
それから、庵室を母胎に少しずつ建て増し、水道も電気も引いて退職二年前に安普請ではあるけれども、家一軒ができあがっていました。
この間、持病の胃痛だけは治らず、結局、胃の摘出手術を受けることになりましたが。この時の看護婦さんは、小生のコーヒー色の尿を見て注意してくれました。
「絶食もいいけれど、水分だけは取らないといけません。尿という形で老廃物を排出するのに必要だから」
小生は、長い間、(オレは60まで生きられたらオンの字だ)と考えて暮らしてきました。それから又、自分の性格や考え方からして、行く末は野垂れ死にすることになると想像していました。
しかし、それがいいことか悪いことか分からないけれども、別に野垂れ死にもせず、60を過ぎても未だ生きています。明日のことは分かりませんがね。
こんな場違いの長談義をやって、何を言いたいのか?
生活を変えて、戸外で運動だの労働だのをする事の必要性を説きたいのか?
或いは、自分の思想や信条に即した生活をすることで、初めて心身ともに安定すると言いたいのか?
それもあるけれども、言いたいことは人間の全体性を回復して、人としての原点に戻るべしということです。書斎で深遠な思索に耽るインテリは、時々、外に出て畑仕事をすべきだし、逆に肉体労働をするものは休日にはパチンコなんかにいかないで、何でもいいから本を読まなければならない。
小生もミレーが好きで、彼の伝記を読んだことがあります。
ミレーの生家は代々の農家なのですが、家には堂々たる蔵書があった。ミレーは学校には行かないで、この本を読んで豊かな教養を身につけたのですね。先祖代々、みんなこうして立派な教養人になっていた。
鴎外が訳した「冬の王」を、白樺の同人たちが愛好したそうです。
「冬の王」の主人公は労働と思索を渾然と一体化した生き方をしています。ミレーの一族も労働と思索を一体化した「冬の王」だったのですね。
思想・信条なんてものは、人によって異なるのが当然で、誰にも当てはまる「普遍妥当的」な真理なんてない。それぞれが、自分に欠けたところを補う指針として思想・信条を探し求め、思想書や宗教書を読むのです、不足している必須ビタミンを補うために野菜を食べたり昆布を食べたりするように。
当面の自分にぴったりする思想・信条を探し求め、それに即した生活をしていると心身ともに安定して健康になる・・・人間本来の全体性が回復されるからです。
社会党の書記局員が「こういう仕事をしていると、情操が涸れてくる。詩集を読みたくなりますね」と語っている記事を読んだことがあります。人間とはこういうものだと思いますね。では、また。
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