2008年04月02日

灯台守・取材・顧問弁護士

 昨夜は夜更かししてしまい、とはいえ、酒も飲まず薬も飲まずで眠られなかった。
 手持ちの本も読み尽くしてしまったしな……と思いながら、郵便物の整理などしていると、エージェントのエリカからメール便が来ていたことに、うかつにも今頃気づく。
 ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』という本だ。
 他に封入されたペーパーなどはない。
 ページを開いたのが、午前4時。
 岸本佐和子さんという訳者による、みずみずしい文体。
 そして、主人公の置かれた奇矯なシチュエーション。
 読むのは非常に遅い方だが、1時間で半分くらい読んでしまった。
 風呂に入ろう。
 が、手ぶらで風呂に浸かるのは苦手である。
 この本は、借りたと思っていいのだろうか。
 それとも、返却必須な大切な本?
 結果、二つに割れる式の浴槽の蓋を一つだけ残し、乾いたバスタオルを敷いて、それを机代わりに、入浴しながら読み継いだ。
 もちろん純然たる文学でありながら、読みやすさもエンターテインメントも、兼ね備えている。

 さすがに、窓の外が白んできた。
 新聞各社のオートバイの音が、戸外に響く。
 今さら明かりを消して、外の明るみの中で眠られるものではない。
 二方の窓にはシャッターがあるのだが、それによる暗闇をいまさら作り出すのも気がすすまない。
 とてもアンビバレンツな気持ちで、天井の真ん中の、4発のランプが填った照明を、調光器で半分に光量を落とし、横たわった。
 静かだ。
 オートバイが去ると、静かだ。
 空気清浄機として点けっぱなしのエアコンの音と、飲み物専用冷蔵庫のモーターの呻る音が、微かに響く。
 結局、その薄暗がりの中で『灯台守』を再び開く。

 まどろんだのは、7時にも近い時刻か。
 目覚ましは8時にセットしてある。
 今日は10時から、某新聞学芸部の取材で、引き続き、これまた某新聞の読書コラムの取材なのだ。
 風呂には入ったことだし、洗面と歯磨きと着替えだけで出かけられると判断し、目覚ましを8:30にセットし直す。

 2Fで微かな物音がしたので、上がって行った。
 妻が寝間着の上にカーディガンを羽織って湯を沸かし、昨日体調の良くなかった次女が、ダイニングテーブルの前で、何か食べている。
 2Fのダイニングには、2面の窓から日がさんさんと射し、床暖房と、高温度に設定されたエアコンでポカポカしている。
 廊下に続くガラス戸は閉め切られ、同じく居間(つまりは妻の仕事場として使われるのだが)に続く戸も閉ざされている。
 正方形に近い部屋──システムキッチンと、食器棚を兼ねて独立した模造大理石のカウンターと、円いダイニングテーブルと、バルコニーと、出窓と、そこに乗った中途半端な大きさの液晶テレビがあるだけの、金色の空間。
 コーヒーを頼んでも、飲む時間があるとは思われなかったので、洗顔し階下に降りて着替える。

 晴れてはいても、気温の低い日だった。
 細い畝のある生地でできた、ジップアップのセーターの上に、黒いキュプラとデニムのジャケットを二重に着込む。
 裏革の細いズボンも、まだちゃんとウエストが納まる。
 ブーツの紐をきつく結んで、家を出た。

 S新聞には、時刻的に危ないかと思ったが、間に合った。
 社屋の前で、二人の守衛が厳かに近づいてくる。
「おはようございます。どういったご用件でしょうか」
「取材を受ける約束をしています。私はタカギトシミツと申します」
「お待ちしておりました。どうぞ」
 白手袋の守衛が、広大なエントランスへ導いてくれる。
 揃いの制服に身を包んだ受付嬢が5人、揃ってお辞儀をする。
 さて、どこの新聞社だ?
 PR会社の岩田嬢と、学芸部の藤森部長はすでにロビーにいた。
 思わず腕時計に目をやる。
 9:59:30……セーフじゃないか?
 見たこともないほど広い応接室に通され、マルチメディアと小説の違いと類似について、藤森氏と、親しく話をさせていただいた。
 濃いお茶と冷たく美味しい水を飲み干すと、旨いコーヒーと新たな冷水、そしてクッキーが運ばれた。
 一人ずつ、ひと品ずつ丁寧に
 噂には聞いていたが、未体験のもてなしだ。

 岩田嬢とタクシーに乗り、千代田区某社へ。
 前が押したせいで、こちらは10分ほどの遅刻である。
 年配は私と同じくらいだろうか、血色のよいハンサムの小久保記者から、某コラムの取材を受ける。
「私が読んできた本」という話だ。
 小久保記者の聞き方が悪いでもなかろう、私の責任だが、話が散らかる。
 私は、あらゆるものを読み、あらゆるものを読んでいない、悪い読者だと思った。
 老練さをまとった枯れた感じのカメラマンが静かに入ってきて、リモコンで作動するストロボの位置を様々に変えながら、私の意識のどこかが感じていた数に従えば、100ショット近くの写真を撮った。

 岩田嬢とある公的ビルのラウンジに入り、ランチを摂った。
 彼女が先頃教育学の修士課程を終え、今は某有名大学の博士課程に通っているということを知る。
 才知のひらめきは感じていたが、それほどまでとは。
 夫はいるが、お互いの人生が忙しく、週末だけ会う関係なのだそうだ。
「現象学」とか「フッサール」などという言葉を聞いたのは、久しぶりである。

 岩田嬢と別れ、ふと思い立って、顧問弁護士の事務所に電話をかけてみる。
 いつものように受付嬢が出て、速やかに繋がれる。
「珍しく丸ノ内なんかに来ているんですが、先生はお忙しいですか?」
「いいえ。14:00時から会議があるまでは、空いていますよ」
 訪問することにする。
 住所としてはここなんだが、こんな、SFみたいなビルに、弁護士事務所があるのか?
 そう思うほど巨大な、ガラス張りの新しくも威厳あるビルである。
 アメリカのどこかの州の保安官か州兵みたいな、キャメル色の制服を着た守衛が、人も閑散としたロビーを守っている。
 目的フロアごとにいくつにも別れたエレベーターの中からひとつを選び、上層階へ昇る。
 通路の正面が受付で、三人の美女が互いに2メートルほどの間隔を空けて、真横に並んでいる。
「中村先生と面会の約束なんですが」
 三人の顔を等分に見ながら話をしたが、我ながら間抜けなありさまだ。
「お待ちしておりました。どうぞ」
 感じのいい会議室に案内された。
 同様の会議室が、廊下の奥までずらりと並んでいる。
「こちらのポットには、コーヒーが沸いておりますので、よろしければご自由にお召し上がりください」
 ポットとカップと、クリーム類の他に、朱肉やクリップ、カッターや筆記具が満載されたトレーがあるのが法律事務所ならではか。
 丸ノ内では、どこで煙草を吸ったらいいのかまるで戸惑うが、大きなガラスの灰皿がきれいに洗われて、重なりあっているのを見つけ、遠慮無く拝借した。
 うすら寒い色調の油絵を見つめながら、煙草を一本吸い終わるかどうかの頃、中村弁護士が現れた。
 私より10歳近く若いこの美男は、今日もまたこざっぱりとしたスーツに、派手ではないが洒落たタイを結んでいる。
 スーツの袖に、白い四角形を見つけたので、紙切れでもついているのかと思い、
「先生、袖……」と言った時には、反対側の袖にも同じものがあるのに気づいた。
「ああ、これ。これは」
「あ、飾りですね」
「そうです。こういうの、好きなんです。ちょっと遊びがあるやつが!」
 言いながら、コーヒーを注いでくれる。

 雑談をし、仕事の話をし、通販サイトを経由してすでに送付したがまだ先生には届いていないはずの、拙著の話をする。
「僕がモデルなんだぞと、妻に自慢します」
「いやあな男に書いてありますよ」

 結局、4月1日付けで、契約の内容を改めた。
 顧問契約料は倍になり、その分、最低相談時間が延びた。
 まあ、いままでが、このクラスの先生に対してはちょっと無理な金額で御願いしていたので仕方ないが、いわば、飛んで火にいる夏の虫状態だ。

「高木さんの顧問弁護士をさせていただいているということが私の自慢になるように、どうぞ飛躍してくださいね」と言われたので、
「今じゃあまるで、自慢にはならないでしょうからね」と言ってやると、
「いえいえ、そんな意味ではありませんよ、もちろん」

『クリムゾン・ルーム』で描写した弁護士像は、あながち外れてはいなかった。
 頼りにはなるが、食えない奴らなのである。

 ちなみに中村弁護士は、拙著の出版記念会にも、参加してくれることになっている。
 もちろん、営業の目的も大いにあるようなので、悩みや問題を抱えている方は、遠慮無く声を掛けるとよいと思う。
posted by TAKAGISM at 18:50| Comment(0) | 仕事