徳川18代目担がれて東京行列 幕臣子孫ら100人予定2008年04月02日15時07分 家康から数えて18代目の徳川恒孝(つねなり)・徳川記念財団理事長(68)が5日、町火消しの先導で東京・神田駿河台を旧旗本の子孫らと行列で歩く。「明治の父」と言われた幕臣小栗上野介(おぐり・こうずけのすけ)の企画展が明治大学で開かれるのを盛り上げようと、小栗邸があった駿河台の地元町会が担ぎ出した。小栗が官軍によって殺された群馬県高崎市の顕彰会も、初の里帰りを喜ぶ。
行列のきっかけをつくったのは駿河台で喫茶店「穂高」を営む粟野芳夫さん(67)。06年3月、氏子を務める太田姫稲荷神社に奉納する刀を店の2階で展示したところ、家康をまつる神社ということで恒孝さんが訪問。たまたま話題になった小栗を「侍(さむらい)の中の侍」とたたえた。 小栗ファンの粟野さんは翌月、殺されるまで小栗が住んだ東善寺(高崎市)を訪ね、小栗上野介顕彰会の村上泰賢住職(66)に「(徳川幕府の最後の将軍)15代慶喜(よしのぶ)からは罷免されたが、18代は認めた」と伝えた。意気投合し、駿河台西町会と顕彰会が共同で、寺で展示する小栗の業績を伝えるパネルや遺品を東京で公開することになった。 「恒孝さんにも講演を」と依頼すると、地元の火消し四区五番組の副組(くみ)頭(がしら)から「お迎えが必要では」との声が上がり、葵(あおい)の御紋の使用許可を財団から得て高張り提灯(ちょうちん)を用意。すると、「せっかくだから御成行列を」と、纏(まとい)と木遣(きや)りを先導に旧旗本の子孫、千代田区長など一行は100人以上にふくれあがった。 粟野さんは「葵の御紋で、地元は舞い上がっちゃいました。恒孝さんにはご迷惑をかけます」と恐縮する。 一方の恒孝さんは「目立つのは好きではないのですが」と困惑気味だ。当初、「明大の入り口から地下の博物館まで」と聞き、案内役を引き受けたのが、いつのまにか行列に。地元の張り切り様を見て断れなくなった。 「小栗は、生きていればもっと大きな仕事をしたであろう能吏。多くの人に知ってもらいたい」という思いもあった。日光東照宮への参拝などで旗本の子孫らと歩くことはあるが、東京での行列は初めてという。 企画展は4〜27日。入場無料。週末を中心に、村上住職によるギャラリートークもある。問い合わせは顕彰会事務局(027・378・3111)へ。(星賀亨弘) ◇ 〈小栗上野介(1827〜68)〉 名は忠順(ただまさ)。日米修好通商条約批准のため渡米、世界を一周して帰国。勘定奉行として横須賀製鉄所建設を進める。完成するまで幕府はあるのかという問いに、「幕府の運命に限りがあるとも、日本国の運命には限りがない」と答えたという。討幕派諸藩には抗戦を主張。知行地の権田村(群馬県高崎市)で官軍に殺された。 PR情報この記事の関連情報暮らし
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