靖国神社を舞台にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」=李纓(リイン)監督(44)=の上映中止が、波紋を広げている。グランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が2月に日本教職員組合の教育研究集会の会場使用を拒んだのと同じ構図が、映画界にも波及したとみられるためだ。中止を決めた映画館周辺では、右翼団体による抗議活動が確認されている。【勝田友巳、棚部秀行、野口武則】
李監督は1日、今回の動きについて、「市民から『考える自由』を奪う危険な事態。まずは作品を見てほしい」と話した。中国・広東省出身の李監督は詩人の父を持ち、大学で文学を学んだ後、国営中国中央テレビに入局。チベットの伝統芸能祭の復活を追ったドキュメンタリーなどを製作したが、89年に来日。93年に映像製作会社を設立しテレビ局の番組製作などを手がけている。
97年には、南京大虐殺を否定する趣旨の集会に参加した。「日本兵の名誉回復を熱心に訴える人々の姿に衝撃を受け、その理由が知りたくて靖国神社でカメラを回し始めた」。10年間撮りためた映像を123分にまとめて、映画「靖国」を作った。8月15日に軍服を着て参拝する一団、星条旗を掲げ持論を展開する米国人青年、靖国への合祀(ごうし)撤回を求める台湾や韓国の遺族、そして、静かに金づちを振り続ける靖国刀の刀鍛冶(かじ)。場面は淡々と展開する。李監督は「靖国神社の空気をできるだけ静かに、先入観なく感じ取ってもらえるように、あえてナレーションは付けなかった」と説明する。
李監督は「いろんな反応が出ると思い、映画館側と事前に対応を打ち合わせていたが、上映中止にとても驚いている」。「見る人の感性によって、いろんな感じ方、とらえ方ができるように作った。まずは作品を見て、健康的な議論に生かしてほしい」と上映を切望している。【福田隆】
「やむにやまれぬ判断。劇場内には三つのスクリーンがあり、安全な上映環境を確保できるか、不安がぬぐえない。表現の自由を守れと言われても、限界がある」。上映中止を決めた映画館「銀座シネパトス」(東京・銀座)を運営するヒューマックスシネマの中村秋雄興行部長は戸惑いを隠さない。
一方、3月31日に国会議員の試写などへの抗議声明を出した直後、上映予定全館での中止を知った日本映画監督協会も事態に驚く。崔洋一理事長は「映画の表現の自由は映画館での上映があって守られる。作り手が自己規制する空気が生まれないか心配だ」と話す。
問題の発端とみられるのは、自民党の稲田朋美衆院議員が2月12日、文化庁に「映画の内容を確認したい」と問い合わせたこと。稲田氏は、文化庁管轄の独立行政法人「日本芸術文化振興会」が製作に750万円を助成したのを問題視していた。文化庁は配給協力・宣伝会社のアルゴ・ピクチャーズと協議し、3月12日夜に国会議員向けの試写を行い、自民、民主、公明、社民4党の40人が参加した。
この時点で映画は東京都内4館、大阪市内1館で、今月12日から公開されることが決まっていた。しかし「バルト9」(東京・新宿)が3月18日「営業上の総合的判断」を理由に公開中止を発表。他の上映予定館周辺では街宣活動が行われたり抗議電話がかかってきた。右翼団体が稲田氏らの動きに刺激された可能性がある。バルト9の中止決定から約1週間後、他館も「観客や近隣に迷惑がかかる」などの理由で、相次いで公開を取りやめた。
過去には92年に「ミンボーの女」の伊丹十三監督が暴力団員に襲われ、翌年、伊丹監督の「大病人」が上映中、右翼団体員にスクリーンを切り裂かれた。しかし映画館での公開が中止に追い込まれたのは異例だ。
日教組の教研集会をめぐる問題では今年2月、グランドプリンスホテル新高輪が右翼団体の抗議活動で近隣に迷惑がかかることを恐れ会場と客室の使用を拒否。全体集会を中止せざるを得なかった日教組が3億円の損害賠償を求めた。ホテル側は3月末、港区の事情聴取に「反省する」と表明し、旅館業法違反を認めている。上映中止についてホテル側は「当事者でないのでコメントできない」と話している。
「稲田氏の行動が自粛につながったとは考えないが、嫌がらせとか圧力で表現の自由が左右されるのは不適切だ」。町村信孝官房長官は1日の記者会見で、上映中止問題について一般論で応じた。
国会議員向け試写会の翌日の3月13日、自民党の保守派でつくる「伝統と創造の会」(会長・稲田氏)と「平和靖国議連」(会長・今津寛衆院議員)が、文化庁などを呼んで合同勉強会を開いた。
両団体とも首相の靖国参拝を支持する議員の集まり。試写後、映画を「靖国神社が侵略戦争に国民を駆り立てる装置だったというイデオロギー的メッセージを感じた」と論評した稲田氏は勉強会で助成金問題を集中的に取り上げた。約10人の出席者からは「反靖国の内容だ。大きな問題になるから覚悟した方がいいよ」との怒声も飛んだ。稲田氏は3月31日「問題にしたのは助成金の妥当性。私たちの行動が表現の自由に対する制限でないことを明らかにするためにも中止していただきたくない」とのコメントを出した。
「靖国」は非常に慎重に作られており、靖国神社に対する批判を強硬に打ち出している映画ではない。文化庁が助成金を出したのは、映画を評価して、一般の人に見てもらうため。政治家にも見てもらいたいが彼らが文化庁に文句を言うのは筋が違う。映画に反対する人たちが映画館や近隣の人に迷惑になるような形で意見表明することは、社会のルールを壊している。
毎日新聞 2008年4月2日 大阪朝刊