「いのちの教科書」延地和子さんが死去2008年04月02日11時41分 がんで余命半年と告げられ、2年前まで校長を務めていた大阪府吹田市立竹見台中学校で3月に「最後の授業」をした同市の前教育長、延地和子(のべち・かずこ)さんが1日午後10時20分、入院先の大阪市の病院で亡くなった。62歳だった。通夜・葬儀の日程は未定。 
 延地さんは吹田市で中学校の国語教師になり、校長時代には校長室を開放して保護者や住民と学校づくりを進めた。05年12月に吹田市初の女性教育長に就任したが、昨夏、副腎皮質のがんが見つかり、転移もしていた。竹見台中の校長から頼まれ、3月7日に卒業直前の3年生36人に、自分の人生を教材に生きることの貴さを説き、「私の使命は生きること。希望を失わずに最後まできちんと生きたい」と語りかけた。 教え子の女性(48)によると、「最後の授業」の後、延地さんは「全力でやり切れたわ」と話したという。その後、容体が悪化し、最期は眠るようにして息を引き取ったという。 ◇ 故延地和子さん(大阪府吹田市前教育長)の友人葬 通夜は2日午後6時、お別れ会は3日午前10時30分から吹田市桃山台5の3の10の公益社千里会館で。 おくやみ
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