2.研究
論文 「有機農業と循環型社会について」(『香川大学経済論叢』第80巻第3号)
マイ・フィールド・ワーク
2007年度後期から、学生による授業評価の形式が変わって、業者にやってもらうことになっている。
それまでのやり方は私が確立したものであり、それが最終的に業者任せになっていったことについては、個人的にはいろいろな思いはある。しかし、いまはそれは言うまい。
但し、2007年度後期のものが、「いつ出るのか」、「何が出るか」については、単に個人的な関心にとどまらない問題が含まれている。
1.いつ出るか
私が一貫して追求してきたのは、授業改善に役立てることである。教員の教育活動への評価のためではない。だから、新学期が始まる前に結果を出して、次の学期の反省材料としてもらおうとしてきた。
教員評価のための材料なら、急ぐ必要はない。研究評価でもそうだが、新学期が始まる前に出す必要などはないからである。「いつ出るか」という問題は、学生による授業評価を何のためにやっているかという根本の問題と関わっているのである。
評価2.何が出るか
もちろん教育に関する教員評価をやっていけないということではない。ただ、学生による授業評価を教員評価に使うことには注意が必要である。点数が一人歩きしないように、FD等でさまざまに議論した上で、どうにもならない教員を何とかするという位に制限して使うべきであろう。その点、研究評価はほとんど何の問題もなくできる。
@公開資料・その1
学生による授業評価は、教員だけでなく、学生にも公開してきた。その方針を変えるという話は聞いたことがないから、公開されるのだろう。他人からみられても恥ずかしくない授業をやるというのが、教育活動の本来のあり方である。公開するというのは、そういう目的でやっているのであって、のぞき見趣味をかき立てるためにやっているのではない。
大事なことは、低いからいけないと決めつけてはならないということである。科目の特性があり、学生にとって理解が難しいということで、結果的に点数が低くなることもある。先生によっては課題を厳しくしていて、点数が低くなることもある。点数が低いからといって、易しくしたり、合格率を上げるようなことがあっては本末転倒である。教育活動に対する教員評価だけが一人歩きすると、そういう危険性が出てくる。
授業は易しくなっていないか、成績は甘くなっていないかA公開資料・その2経済学部の留年率というのが、卒業判定の資料には載っている。個々の学生のデータは○秘だが、全体の留年率は(後援会総会などで保護者に話し、注意を喚起することもあるから)○秘ではないだろう。
資料が回収されるので、正確には記せないが、少し前までは30%台の学科があったが、2007年度の4年生は、どの学科も10%台になっていた。もちろん、留年といっても、外国に語学研修等に行くということで休学する学生も含まれるから、すべてが成績が悪くて、留年するわけではない。さて、これをどう考えるかは、教育のあり方をめぐる問題としては、是非検討しておくべき問題であろう。
理由はいろいろ考えられる。まず、学生の質は変わっていないであろう。そうすると、学生が学習するようになった、まあ正しくは学習させられるようになったか、教師が易しくなった、合格率を上げるようになったかであろう。その中間に、教育の仕方が変更されて、小テストとかレポートとか、多様な成績判定をしなさいと言われ、期末試験一本で最終成績を出さないようになったということもある。
私の意見は、どれも作用しているのではないかというものである。一番心配するのは、先生方が甘く成績を出しているのではないかという点である。そういう側面がゼロということはないであろう。しかし、最近では授業参観が行われているし、試験問題は後に提出して、その資料が経済学部教授会で回覧されるというのが、経済学部のやり方である。その上、いまでは、採点した答案もすべて提出が義務づけられていて、「そんなもの、誰が点検するんだ」とも思うが、いい加減なことはやれない時代に入っている。
だから、甘くするといっても、58点位の学生を前ならXとしていたのを、いまだといろいろ努力の跡もみられるからということで、Cにするというくらいだろう。
もともと留年率の高かったのは、経済学科であるが、そこに若い先生が3人入ってきた。これが学問に対する興味をかき立てているということも大きく影響しているだろう。どいつもこいつも、俺より、学生による授業評価の点数がはるかに高い、くそー! 特に、いままで難解で一番学生が嫌っていたミクロ経済学が人気科目になったということが大きいのではないか。結論 いまのような体制を維持していく限りでは、留年率が低下することは、全体として、望ましいことではないか、と。
学生による授業評価と成績との関係それをやり通していたのが、経済学部の助手たちであった。私が知る限りでは、全国的に誇ってもいい仕事であった。まあ、その苦労は学内誰も知らないことであったろうが。もし以上のような資料が学期の初めまでに出てこないとすれば、はっきり言おう。合体させることに意味があるのは、先生が出す成績と学生による授業評価との相関関係をみるためでもある。
Excel上で、相関係数を計算させれば、すぐ出てくる。結論は、もう長い間変わらなくて、両者の相関関係はないのである。要するに、成績を甘くするからといって、学生による授業評価の点数は高くないということである。もちろん、学生が成績のことを知った上で、授業評価をやっていれば、少し結果は違っていることだろう。でも、そうかな。学生の間には情報はすぐ流れるから、自分が受講している科目の成績判定が厳しいか甘いかは大部分は知った上で、授業を履修していることだろう。だから、成績が甘いかどうかは、授業評価をする際にはほとんど影響しないということである。
相関係数はそれ以外の要素もすべて計算される。学生による授業評価には、学習時間なども聞いている。これと成績がどう関連しているか、していないか、それを時系列的にみていったらどういう結果が出てくるか。要するに、いくらでも教育改革の議論ができる材料なのである。追加すると、学生による授業評価のなかで相関係数を取ると、結果ははっきり出てくる。相関係数が0.8〜0.9の値になるものがある。たとえば、その授業を理解できたかという質問とその授業に満足しているかという質問である。この満足度と相関係数が高い質問項目が多くあって、そこから、私の理解は、学生は全体としてみると(部分的には無茶苦茶な答えをする学生もいるが)正直である、授業がわかったから満足している、と答えている。そういう相関関係が高い項目が満足度には多い、だから、トータルにその授業を評価する時は、満足度でみたらよい、と。
いまは、医学部の意見を受け入れて、シラバスに到達目標を書くようになったし、その到達目標に達したかを聞いているが、それも満足度とほとんど同じ傾向がある。
ただ問題は、じゃあ、なぜその授業が理解できたのか、理解できなかったのか、である。その答えは、アンケートのなかにはみつからない。教え方に問題があったという場合もあろうし、科目の特性とか、学生の努力不足とか・・・。だから、教員相互に開くFDが大事になってくるのである。
大学のため、学生のため、教育改善のため、全国に先駆けてやってきた仕事は、教育に関する教員評価という管理職の望む方向に換骨奪胎させられていくことになった、と。
われながら、激しく書くなあ。こう書けば、担当者は(誰がいまの担当者なのかは知らないが)必死になって対応することであろう。もうすぐ(4月9日の授業開始までに)出てくるかもしれない。そうなれば、大学のためにはいいことなんだから、私の乱暴な書き方もそれなりに意味があるではないか。
2008年度の後期には、私の研究室がある建物の改築が始まると言われている。最近、工事関係の人がやってきて、部屋のなかの写真などを撮っているから、間違いなく、時期が来れば工事は始まる。いうまでもなく、工事が始まる前に、いまの研究室から出ていかねばならない。そして、私は2008年度でこの大学を退職する。工事の終了は、年度末・3月と言われているが、若干延びることもあるかもしれない。
ここから、どうしても微妙な問題が発生する。改築工事自体はやらざるを得ないことなので、誰に文句があるわけではない。運悪くというところだが、しかたがないことなのだ。
(1)研究室の処理
改築工事が3月までに終わると言われていても、延びたりしたら、この研究室に戻るのは退職してからになってしまう。たとえ3月までに終わるとしても、おそらく月末であろう。そうなると、もう引っ越す準備などしていられない。だから、改築工事が始まる前には、この研究室の整理は終わり、ここに二度と戻ってこないようにしておく必要がある。
長い間過ごしたこの研究室とも、大分前にお別れとなる。
(2)研究室の移動
経済学部としては、すべて教員の研究室はどんなに不便なところでも、用意しなければならない。だから、どこかの部屋は用意されることになろう。問題は、私が、その部屋に荷物を移すかどうかである。
新しく用意される部屋は、広い部屋ということは考えられないから、そこで、(2008年度後期に開講する)個別演習や基礎ゼミを開くということは考えられない。となると、新しく用意された部屋に何を移動させるか。
@本の整理
これは、改築工事が始める前に終了させておこうと思っている。さもないと、新しく用意された部屋への移動と3月末の退職の時の移動という二度の移動をしなければならなくなるからである。何せ、本は重い。移動は重労働だ。
大学の本は図書館に返却し、自分の本のうち「農業関係」のものだけを自宅に移動し、それ以外の自分の本は焼却処分にする(一部は、O先生が、学生用の図書として引き受けて下さるそうだから、この大学に残ることになるかもしれないが)。
Aコンピュータの処理
これが最大の問題である。
一つは、新しく用意された部屋にいまの(少々古びた)コンピュータ関連のものだけを移動させるという考えである。そうすると、大学に来て、授業の合間等に、コンピュータを操作して(コンピュータで遊んで)帰るということになる。本などはないんだから、そこで研究や教育の準備などしようがないものねぇ。
もう一つは、改築工事が始まる時に、コンピュータ等の整理もしてしまうというもので、新しく用意される部屋には何も移さないという考えである。
実は、これで困るということはない。もういまでも、大学からの連絡はすべてメールで来るが、メールはWebmailで自宅で見ているから、何も困ることはない。研究や教育に必要なものは、(自費で購入した)外付けのハードディスクに保存しているから、それを自宅にもっていけば、大学の研究室と全く同じ仕事が自宅でもできるからである。だから、いまは、コンピュータ等も改築工事が開始される前に、処分してしまおうかと考えている。
というわけで、そうなると、問題は、このページがどうなるかである。残念ながら、いまの状況では、大学のWWWサーバーに外からアクセスすることはできなくなっている。けしからんと言う人もいるようだが、大学のサーバーを外から守るためには、いまのところしかたがないと言わざるを得ない。
そうなると、このページの更新はできなくなる。したがって、退職するかなり前に、このページを閉じることになるかもしれない。4月の新学期開始から9月まで半年あるが、いつやめるか決めていない。新学期早々にやめてしまうかもしれないなあ。長年、誰が読むかわからないホームページを延々と書き続けてきたが、それも終わりになる。
マイ・フィールド・ワークいまから閉じるなどと宣言はしないから、閉じたら、そういうことだと理解してほしい。私は、老後の楽しみとして、移住先でも、農業を続けよう、それなら、その準備過程を定点観測と称して、報告してみようと思い、これこそ、いまの時代にふさわしいフィールド・ワークだなあと思っていた。
移住先の建築工事は、諸々の事情から、少し遅れ気味で、ガーデンの造作は、どんなに早くても10月以降になる。私自身は、家の建築とガーデンの造作とは別々にやればいいと思っていたが、ガーデン部分は家の工事をする際の工事関係の車の出入り口として利用する必要があり、どうしても家の建築が終了してから、ガーデンの造作を始める以外にないということがわかったからである。
したがって、ガーデン造成の定点観測は、この研究室移動より後が本格的に可能となり、そうなると、大学の改築工事の開始とともに、このページの更新ができなくなるから、事実上、わがガーデンの定点観測の報告は不可能になる。
外からアクセスできるような小さなサーバーを用意して、大学のWWWとメールのサーバー本体にはアクセス不可能にしたらよい、とここに書いたこともあるが、そんなことはされるわけがないしねぇ。私自身が、わざわざ、そのために新しくWebを開設するというのも、やる気にならないしねぇ。だから、上記のマイ・フィールド・ワークも、このページの終了と同時に終了となる。
期待していた人には申し訳ないが・・・、誰も期待などしていないか。