産経新聞は今朝の朝刊で次のような主張を掲載しました。しかしこれは、事実と言葉を少しずつずらし、判決内容をゆがめたうえでの苦し紛れの文章といえましょう。
【主張】沖縄集団自決訴訟 論点ぼかした問題判決だ
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/133609/
沖縄戦で旧日本軍の隊長が集団自決を命じたとする大江健三郎氏の著書「沖縄ノート」などの記述をめぐり、元隊長らが出版差し止めなどを求めた訴訟で、大阪地裁は大江氏側の主張をほぼ認め、原告の請求を棄却した。教科書などで誤り伝えられている“日本軍強制”説を追認しかねない残念な判決である。
(“日本軍強制”は、多くの体験者の証言にもとづく史実です。)
この訴訟で争われた最大の論点は、沖縄県の渡嘉敷・座間味両島に駐屯した日本軍の隊長が住民に集団自決を命じたか否かだった。だが、判決はその点をあいまいにしたまま、「集団自決に日本軍が深くかかわったと認められる」「隊長が関与したことは十分に推認できる」などとした。
(隊長が住民に集団自決を命じたか否かの事実認定は、この訴訟の争点ではありません。名誉毀損裁判です。集団自決を命じたかどうか、推認できる相当の根拠があったかどうかが、裁判の争点です。)
そのうえで、「自決命令がただちに事実とは断定できない」としながら、「その(自決命令の)事実については合理的資料や根拠がある」と結論づけた。
(ですから、これは至極当然のことです。)
日本軍の関与の有無は、訴訟の大きな争点ではない。軍命令の有無という肝心な論点をぼかした分かりにくい判決といえる。
(もしこれが分かりにくいというなら、名誉毀損というそもそもの提訴自体が分かりにくかったに過ぎません。)
訴訟では、軍命令は集団自決した住民の遺族に援護法を適用するために創作された、とする沖縄県の元援護担当者らの証言についても審理された。大阪地裁の判決は元援護担当者の経歴などから、証言の信憑(しんぴょう)性に疑問を示し、「捏造(ねつぞう)(創作)を認めることはできない」と決めつけた。
しかし、本紙にも証言した元援護担当者は琉球政府の辞令や関係書類をきちんと保管し、経歴に疑問があるとは思われない。これらの証言に対する大阪地裁の判断にも疑問を抱かざるを得ない。
(裁判所はこれら原告側提出の証拠を受理した上で、それが原告主張を裏付けるに足るものかどうかを評価し、判決をくだしたのです。主張氏の抱く疑問は、判決正文を読めば明解になるはずです。いたづらに「疑問」「疑問」を連呼するプロパガンダは、ジャーナリズムがすべきことではありません。)
(また、「元援護担当者」である照屋昇雄氏がそれほど重要な証言者であるならば、なぜ彼に法廷に立って宣誓証言をすることを、原告側弁護団は申請しなかったのでしょうか? それこそ大いなる「疑問」です。)
集団自決が日本軍の「命令」によって行われた、と最初に書いたのは、沖縄タイムス社編「鉄の暴風」(昭和25年、初版は朝日新聞社刊)である。その“軍命令”説が大江氏の「沖縄ノート」などに引用された。その後、作家の曽野綾子氏が渡嘉敷島などを取材してまとめたノンフィクション「ある神話の背景」で、「鉄の暴風」や「沖縄ノート」の記述に疑問を提起し、それらを裏付ける実証的な研究も進んでいる。
今回の判決は、これらの研究成果もほとんど無視している。
(曽野綾子氏の「ある神話の背景」は、ノンフィクション小説という創作です。肝心のことがらに関する、「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」「どうした」が抜けており、事実事象の時系列もボカされています。曽野綾子本とその追随主張は、控訴審開始までに徹底的に批判されることでしょう。)
判決前の今年2月、座間味島で日本軍の隊長が集団自決を戒めたとする元防衛隊員の証言も出てきた。控訴審で、これらの新証言も含めて審理が尽くされ、適正な判断を期待したい。
(原告側が重要証人と主張しながら、その証人を法廷にあげることなく、法廷外のプロパガンダの為にのみ利用する。原告側弁護団は、そうした疚しい根性を入れ替えて、清純な姿勢で控訴審に臨んで欲しい物です。)
判決要旨は正確に読みましょう!!
⇒http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/525902/
by 眠れぬシーサー
大阪地裁の判決内容