福岡県添田町の郷土史家梶谷敏明さん(71)が、江戸初期の剣客・佐々木小次郎の出身地が添田町であることを検証した本「彦山・岩石城と佐々木小次郎」の上巻を自費出版した。梶谷さんは「小次郎の出自には諸説あるが、添田町が最有力」と力説し、「この本が、町民が古里を見直すきっかけになれば」と願う。
小次郎は燕(つばめ)返しの剣法を編み出し、後年に豊前・豊後を治めた大名細川忠興(1563‐1645)に仕え、細川家の剣術指南役を務めた。1612年、宮本武蔵に巌流島で敗れ、亡くなったとされる。出生地には、同町のほか、福井市、山口県岩国市など諸説ある。
梶谷さんは1993年、小次郎が同町にあった岩石城で生まれたとの説を知り、「カルチャーショックを受けた」という。中学校長を97年に退職してから小次郎の“追跡”にのめり込み、約10年かけて福岡、熊本、大分県などを回り、文献や史料を収集。細川家家臣が記した「沼田家記」などをもとに、岩石城の城代を務めた豪族・佐々木一族から小次郎が出たとほぼ結論づけた。町内の寺に残っていた佐々木一族の系図や墓碑も調べ、「残念ながら系図などに小次郎の名は出てこなかったが、添田町生まれとの考えを深くした」と語る。
さらには、巌流島の戦いについても考察。佐々木一族が豊臣秀吉に土地を没収されたことに反発し、1587年、岩石城で武将一揆を起こした史実に着目。「小次郎は人望が厚く、佐々木一族を粛正するため、武蔵との決闘が仕組まれたのではないか」としている。
下巻では、英彦山山伏と小次郎との交流などを軸に論を展開する。梶谷さんは「史料が少なく、苦難の道が続くが、歴史ロマンを楽しみながら、研究していきたい」と気持ちを新たにしている。
=2008/03/29付 西日本新聞夕刊=