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【コラム】安重根と伊藤博文(下)

 また、司馬遼太郎は83年の座談会集『日韓理解への道』でも次のように書いている。「当時の日本海軍は(ロシアのバルチック艦隊を)“得体(えたい)の知れない巨大な物、ヨーロッパそのものが近づいている”と考えました。十中八九は海に沈むだろうという恐怖があったのです。でも、勝ちたかった。日本には海の名将がいなかったでしょう。そこで、かつて日本人と敵対した李舜臣の霊に祈ったのです」

 日露戦争での日本の勝利には、弱小国の民族運動を刺激したという世界史的な意味がある。しかしわれわれ韓国人からすれば、日本は帝国主義化、韓国は植民地化へと向かう一つの経過点だった。日本が世界から注目を浴び、強国への道を歩み始めるとき、韓国は静かに姿を消しつつあった。1909年に義士・安重根(アン・ジュングン)が伊藤博文を狙撃したときは、東郷艦隊の歴史的評価が最高潮に達したときでもあった。安重根義士が孤立無援の韓国を象徴するとすれば、伊藤博文は日進月歩で躍進する当時の日本を象徴していた。日本は、強国になるためなら敵将の戦法を研究するのはもちろん、それにも飽きたらず霊に祈りをささげるほどの激しさを持っていた。

 31日付の本紙コラム「(人気小説家)キム・フンはなぜ小説『安重根』が書けないか」で「伊藤博文の生きざまと内面に対する勉強が足りない」というキム・フン氏の話を読んだとき、藤塚氏が言った「日本人の偉大な面」について何度も考えた。「勉強が足りない」というのは謙遜(けんそん)だろう。「当時の世界史をありのまま受け入れるには、まだ韓国社会にとって荷が重い」という表現がふさわしいのではないかと思う。東郷艦隊が敵将に祈るときのような「強国になりたい」という熱意が、自己否定に至るほどは切迫していないせいかもしれない。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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