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社説:「靖国」中止 断じて看過してはならない

 中国人監督によるドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映が全面的に中止になった。予定していた計5館が嫌がらせや妨害が起きることを懸念し、取りやめたためだ。

 黙過できない。言論、表現の自由が揺らぐ。そういう事態と受け止めなければならない。

 今年初め、日本教職員組合の教研集会の全体会場、宿所だった東京のグランドプリンスホテル新高輪が、一転して使用を断った。右翼の街宣や威圧行動で顧客や周辺の住民、受験生らに迷惑がかかるというのが理由だった。裁判所は使用をさせるよう命じたが、ホテル側はこの司法決定にも従わないという空前の異常事態になった。

 私たちはこれについて「今後前例として重くのしかかるおそれがある」と指摘した。「靖国」中止で「おそれ」は現実になったといわざるをえない。

 作品は、10年間にわたり終戦記念日の靖国神社の光景などを記録したもので、一部のメディアなどが「反日的だ」とし、文化庁所管である芸術文化振興の助成金を受けていることを批判した。自民党の国会議員からも助成を疑問視する声が上がり、3月には全国会議員を対象にした試写会が開かれた経緯がある。

 萎縮(いしゅく)の連鎖を断ち切るには、再度上映を決めるか、別会場ででも公開の場を確保する必要がある。安全を名目にした「回避」は日教組を拒絶したホテルの場合と同様に、わが意に沿わぬ言論や表現を封殺しようとしている勢力、団体をつけ上がらせるだけであり、各地にドミノ式に同じ事例が続発することになろう。

 一方、警察当局にも言いたい。会場側が不安を抱く背景に、こうした問題で果たして警察が守りきってくれるのかという不信感があるのも事実だ。発表や集会を威圧と嫌がらせで妨害しようとする者たちに対して、きちんとした取り締まりをしてきたか。その疑念をぬぐうことも不可欠だ。

 また、全国会議員が対象という異例な試写会は、どういう思慮で行われたのだろう。映画の内容をどう評価し、どう批判するのも自由だ。しかし、国会議員が公にそろって見るなど、それ自体が無形の圧力になることは容易に想像がつくはずだ。それが狙いだったのかと勘繰りたくもなるが、権力を持つ公的機関の人々はその言動が、意図するとしないとにかかわらず、圧力となることを肝に銘じ、慎重さを忘れてはならない。

 逆に、今回のように「後難」を恐れて発表の場を封じてしまうような場合、言論の府の議員たちこそが信条や立場を超えて横やりを排撃し、むしろ上映促進を図って当然ではないか。

 事態を放置し、沈黙したまま過ごしてはならない。将来「あの時以来」と悔悟の言葉で想起される春になってはならない。

毎日新聞 2008年4月2日 0時06分

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