クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート) このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-03-17

ラサ大虐殺を許さない

500人死んだのなら、大虐殺と呼ぶことに(私は)まったく躊躇しない。

80人でも。

強者が弱者を殺すという愚行を繰り返していけない。

中国という国家は、南京事件という歴史的出来事から、もっとも大事なことを学ばなかったのだと思う。

zames_makizames_maki 2008/03/19 02:55 失礼ながら違うのでは?ラサの事件は独立運動への弾圧ではありませんか。
強い国(強者=先進国)が弱い国(弱者=未開の国)を支配する事はWW2までは当たり前だったが、戦後禁止になった。なぜか?アメリカなど連合国が「民族独立」の原則を支持したから。例え弱者でも独立した国は与えるようになったのではありませんか?もしチベットの人が一致して独立を望んだら、中国は公的には拒否できない、なので、あくまでそれは全体の意思ではないとか、選挙結果が操作されてるなどと言い訳するのでは?コソボ自治区のセルビアからの独立は弱者が投票という手段で意思を決めてできたのであって武力ではない。現在チベットは住民の意思どころか、状況さえ中国の外には出てこない。従って中国はあれはテロリストにそそのかされた一部のヤクザが秩序を乱しただけだと言いぬけられる。
 残念ながら中国どころか、日本を含めほとんどの国家は、暴力を独占する事を自ら正当化しているのでは?即ち、強者=国家が弱者=国家に従わない個人、を殺すという事は犯罪ではない(反逆罪など)。その国外での行使が戦争であり、だから日本もアメリカも空襲などの大虐殺をあまり取り合わないのでは?誤解があればお許しください。

bluefox014bluefox014 2008/03/19 03:40 仰ることはわかります。しかし、弾圧すること=殺すこと、ではない。
弾圧であれ鎮圧であれ占領統治であれ、仮にそれらにいくばくかの正当性があったとしても、殺すことは愚行である。大量に「殺す」ことで弾圧や鎮圧を終了させるという発想が愚かである(この点を強調しすぎると、では殺さない弾圧や鎮圧なら許されるのかと言われかねないのですが)。

zames_makizames_maki 2008/03/20 00:13 私は下記のように整理したいのです。
1国内のテロリストへの弾圧や鎮圧は合法(国際社会や知識人の受容するもの)だ
2しかし従属国への占領統治は違法(国際社会や知識人が問題視し糾弾するもの)だ
中国は現在のラサは1だと説明し、彼らの暴力は正当だとする。しかし、南京大虐殺とは2の占領に到る戦争下での事件です。ラサの状況が不明(チベット人の独立への意思が不明)な現状では、中国から見てなぜそんなものを引き合いに出すのか?と抗議されても文句は言えません。ですから朝日新聞などは中国にラサの状況を取材させるよう訴えている訳です。しかし皆さんの感じているように2でありましょう。であれば死者が出る出ないに関わらずチベットへの中国の行動は本来的には改められるべきでしょう。

 そして、現実は本当はもっと厳しいのではないのか?
今回多くの死者が出たことが世界の注目を集めました。もし死者がでなければ関心は集まったでしょうか?死者がでなければ日本の迂闊なメディアはけして大きくは取り上げないように感じます。確かに死者が出るのは悲しい。しかしこうした国VS国(又は民族代表機関)の問題では死者の数が10人どころか数10万人でも、国家は全然平気な顔をしている。それほど国家というものは残酷だ、と言いたいのです。

そしてこういう事にもし納得できれば反戦平和運動、戦争責任を問う行為とは国家から見て相当不都合な運動であり、運動する側にはそういうものだという「覚悟」が必要だと言いたいのです。

ApemanApeman 2008/03/20 00:47 zames_makiさん

「違う」というのがどういう意味なのか最初はわかりにくかったのですが、要するに南京事件を引きあいに出したことについての違和感だったわけですね?

たしかに南京事件は日本と中国という、明確に区別された二国間での戦闘において発生した不法殺害、性暴力、略奪等の人権侵害の総称ですから、ことがらの性格としてもっと類似しているものがあるのではないか…と言えばその通りでしょう。仮に旧日本軍がおこなった(中国が被害者となった)事例から選ぶとしても、例えば「満州国」における諸事例の方が類似性は高いといえるでしょう。
ただ、南京事件の前提となる上海への出兵が「上海居留法人の保護」を名目として行われたこと、南京における捕虜や市民の殺害の一部が日本軍の主観としては治安対策として行われたという事実が一方にあり、他方で中国政府自身が南京事件を戦争犯罪(中国は今回の自体を人民「戦争」と表現しました)のシンボルとしている事情があります。前者について言えば、日本軍には「便衣兵容疑者」の身柄を拘束した上で法的手続きを踏み、戦時国際法違反の実態に即した処罰を与えるという選択肢もあったのに、力任せに殺害するという方法、すなわち「強者が弱者を殺すという愚行」を選びました。後者については、中国共産党にとっては抗日戦が正統性の柱の一つとなっており、抗日戦の正当性を象徴しているのが南京事件であるわけですから、中国政府は(少なくとも国際的な観点からいえば)自分で自分の正統性を掘り崩すと言う愚挙を行っているわけです。
そしてもう一つ、発言者としての青狐さんの視点から考えると、南京事件を主要な題材としているブログの運営者であるからこそあえて南京事件をひきあいに出した、ということではないのか、と思います。

>しかし皆さんの感じているように2でありましょう。

事態が複雑なのは、国際社会がチベット「亡命政府」を承認していないことです。すなわち、国際社会の建前としては「2」よりは「1」に近いというのが「現実」であるわけです(「現実は本当はもっと厳しいのではないのか?」)。だからこそ国際社会も「抑制された手段」「自治の尊重」を訴えているにとどまっているわけです。

>しかしこうした国VS国(又は民族代表機関)の問題では死者の数が10人どころか数10万人でも、国家は全然平気な顔をしている。それほど国家というものは残酷だ、と言いたいのです。

これについては別に異論はありませんが、では青狐さんはどのように表現すべきだとおっしゃりたいのでしょうか?

tarari1036tarari1036 2008/03/20 16:35 >ラサの事件は独立運動への弾圧ではありませんか。

独立志向は持っているとしても、独立運動として行ったものではないと思います。
運動の目標の大きな部分はダライ・ラマの帰国にあるようです。ダライ・ラマは現在ではチベット独立を標榜せず、高度な自治を掲げている。チベット人も独立を正面掲げるよりは宗教の自由、文化の独自性保護の要求が強いように思われる。少なくともコソボみたいに独立自体が中心的なスローガンとして掲げられる段階にはない。

とすれば、中国政府の弾圧はチベット民族の「文化的・民主化運動」に対する弾圧として捉える方が正確である。この問題は中国内部の民族自治の問題であり、中国全体の民主化が果たされないと達成されないと思う。



国際的な合意は次のようです。
1.国内のテロリストへの弾圧や鎮圧は合法だ
2.複合民族国家内部の民族独立運動に対する弾圧は違法だ

しかし、両者を截然と分ける客観的基準はありません。複合民族国家はかならず、独立運動を圧迫します。独立勢力は実力に訴え、国家は独立勢力をテロだと非難します。

実際的な目安となるのは力関係です。複合民族国家の支配力が弱く、独立勢力が強ければ民族独立運動とみなされ、支配力が強く、独立勢力が弱ければ暴動やテロとされます。独立勢力が強ければ国際的な認知度が高く、独立を支持されるようになります。

チベットは文化的な結集力というのは高いが、政治・経済・(軍事)的な一体性には乏しい。居住地域は広いが人口は中国の中都市規模にすぎない。農業・牧畜業の生産力は非常に低く、最貧国のひとつである。この地域が独立を果たすというのは条件的には厳しいと思う。


>弾圧であれ鎮圧であれ占領統治であれ、仮にそれらにいくばくかの正当性があったとしても、殺すことは愚行である。

要するにソフトな弾圧をやれ、ということですね。先進各国は過激派の洗礼を浴びたのち、日本の機動隊のようにソフト、スマートな弾圧法を修得しました。それはそれでよいことだと思います。

確かに乱暴な鎮圧であることは間違いないですが、暴動の鎮圧の過程の過剰攻撃に相当するものでしょう。暴動が終わった後に、暴動参加者・扇動者を拘留して殺害するのであれば虐殺といっていいでしょうが。日本の過激派のデモで死者が出たときにデモ隊の側で虐殺と呼んでいるくらいのものでしょう。

zames_makizames_maki 2008/03/21 22:11 >青狐さんはどのように表現すべきだ
青狐さんの主張は理想主義的な平和主義に見える。人道に反する事はすべきではない、戦争は罪悪であり、どんな経緯があろうと反対であると。これはいわゆる現実主義者から馬鹿にされる主張だが、それでもなおかつ多くの人間に支持されているし、実効性もあると思う。大事なのはそれを「きちんとした抽象的な理念」として示すことでしょう。南京事件という悲惨な事件を引き合いにだせば、それはある個別の事件での利害関係や思惑を一緒に提示してしまう。それを避け余計な思惑を除いて人道に対する純粋な考え方を示すよう、丁寧に書くべきだと思います。
 例をあげれば日本人はこうした人道への願いを込めて原爆映画を製作しますが、それを多くの外国人はそのようには理解しません。香港人が作った原爆映画に対し中国人からひどい批判があがるように、日本人が南京事件を例に人道的見地をといても中国人にはまったく理解されないでしょう。

はてなユーザーのみコメントできます。はてなへログインもしくは新規登録をおこなってください。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20080317/p1