 |
 |
|
プロフィール
廖承志(りょう・しょうし) 1908年、東京生まれ。父は近代中国革命の指導者・孫文の片腕だった廖仲ガイ(りょうちゅうがい)、母は婦人活動家・何香凝(かこうぎょう)。幼い頃から中国と日本を行き来し、父の暗殺後、早稲田大学に入学。革命運動のため逮捕、国外追放。帰国後は中国共産党に加入し、長征、抗日民族統一戦線に参加。中華人民共和国成立後は全国青年連合会主席、全国人民代表大会常務副委員長、党政治局委員等の要職を歴任。対日関係では、周総理指揮下の「日本組」責任者として62年に日中間に「LT(廖承志・高碕達之助)貿易」を開き、国交正常化の基礎を築いた。63年の発足時から中日友好協会会長。国交正常化の翌73年の訪日団団長。79年の来日の際、名誉会長と最後の会見。83年の死去の直前には、国家副主席の選任が予定されていた。
|
|
 |
 |
1978年9月19日。名誉会長の第4次訪中。学会側が主催した北京の答礼宴に全国人民代表大会常務副委員長の要職にあったトウ<登におおざと>穎超女史(中央)が出席。この2日前、人民大会堂で初会談し、再び名誉会長のもとへ。中日友好協会の廖承志会長、夫人の経普椿(けいふちん)理事(右端)とともに
|
 |
 |
1974年6月7日。中日友好協会の廖承志会長、張香山副会長らが見送る。タラップの一番上で振り返る池田名誉会長。同協会の孫平化秘書長とともに午前8時15分発の中国民航機で北京から西安へと向かった
|
 |
 |
北京の答礼宴の会場は北京の北海公園にある彷膳飯荘(ほうぜんはんそう)。もとは清朝皇帝の御膳房(調理場)で、四つの建物に囲まれた中国伝統の四合院造り。その中庭で、名誉会長夫妻は、中国側の出席者を出迎えた(78年9月19日)
|
|