君が代訴訟 職務命令の乱用に警鐘(2月9日) 卒業式で君が代を斉唱しなかったことを理由に、東京都が、退職後の教員を再雇用しなかったことは違法だ−。こんな判決を東京地裁が言い渡した。 訴えていた元教員らは、わずか四十秒間、起立しなかっただけである。式典の進行を妨害したわけでもない。 それは、「退職後の再雇用を否定するほどの行為」とは言えない。判決はそう指摘した。 職務命令を盾に「日の丸、君が代」を強制しようとする都や都教委に対し、警鐘を鳴らす判決と言えよう。 石原慎太郎都知事は控訴する方針を示した。だが、処分をちらつかせて、教員の退職後の人事まで左右する都や都教委のやり方は、尋常ではない。慎むべきだ。 都に求められるのは、日の丸、君が代を人事に反映させる制度の早急な見直しではないか。 (後略) この記事を読んで思うのが、なぜいつまでも「君が代」なんだろう? ということだ。 君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで (意味)君が代は、千年も八千年も、細石が大きな岩になってそれにさらに苔が生えるほどまで、長く長くずっと続きますように という意味であるが、現代ではもはや天皇の世が長く続くことが、生活の安泰にはつながっていない。にも関わらず、今までのものをそのまんま制定してしまうから、問題になるのだ。 歌えば軍事国家が舞い戻ってくるかのような錯覚を(ある人たちに)与え、強制するだのしないだの、まったく下らない訴訟が相次いでいる。石原慎太郎都知事は控訴する方針という事だが、「君が代」を国歌として守り続けて、誰かの幸せの為になっているのかを考えた事があるのだろうか? 都知事なら、この歌が国歌であるためにわれわれが享受しているメリット、デメリットを把握して貰いたいものだ。 メリット、といえば、他国に対してこれが国歌です、といえるものがある(単に形式上のもの)。 デメリット=歌の意味が現代に合っていない、歌いたくない気持ちの人がいる、軍事国家の強制を思わせる歌であり、意味が良く分からない、歌っても楽しくない、陰気くさい、のりが悪い、しあわせな気持ちにならない。訴訟が起きる(君が代が国歌であるが為に!!ですよ!!実に下らない)。 そんなわけで、強制しても問題のない歌にすれば、この問題はすべて解決 国民投票したり、ちょっと「手間」はかかるけど、君が代を強制しつづけて、あちこちで訴訟やらなんやらが起き、教員が処分されることで、未来の子供たちに与える影響を思えば、さっさと変えた方が賢明だろう。 そう、子供たちの質は未来そのものの質なのだ。 その子たちを育てる現場で、しかも卒業式などの学ぶことや感動することの多い場で、教員が起立しないだのするだの、どうでもいいことにエネルギーを使い、教員の役割は子供たちに愛情をもって送り出すことなのだ。そんなことに力を使わせるべきではない。 国歌の役割のひとつとして、歌うことによって国民の気持ちを一つの方向にまとめることがある。そしてその方向に、希望や明るさに満ちた気持ちを届ける役割が含まれているべきではないだろうか? しかし、君が代、は荘厳な歌ではあるのだろうが、国歌としては陰気だし、いまひとつ・・・ 上述の通り、歌ったところで「いつの時代?」みたいな歌を歌ってうれしい人がいるだろうか? 国歌をいい加減に扱って幸せな国歌を創ることなど難しい。 一つ一つが、幸せな状態をキープする、その「要素」なのだから。 そんな理由からすると、私は個人的に「世界に一つだけの花」がいいと思う。 人は、一人ひとり違う魅力を持って生まれてくる。子供は赤ん坊の頃から個性があり、一人ひとり違う。それを今の日本は、平均的にイイコみたいなのを創ろうとして失敗している。 もはやそれでは「人間力」も「生きる力」も湧いてこない。 これらを湧かせるためには、あなたは、あなたという花をきちんと咲かせることが役割なんだよっていうメッセージは、生きる力を漲らせるし、自分は自分でいていいのだっていう、教育に大切な肯定感 自分の仕事柄、何かに悩み苦しみ、道を選択できなくなっている人たちに良く言う言葉がある。あなたは、花に例えたらユリなのに、無理やり薔薇になろうとしていませんか? 今、薔薇が流行っているから。という理由だけで・・・ というと、自分の魅力が良く分からない、という人も多い(だんだんと見つけていくけどね 薔薇としての魅力ばかり追わず、ユリとしてどういう風に自分を磨いていけばもっと力が出るかを考えてみたら、自分が何になりたいか、どっちへ行きたいのか、どんな風に生きて行きたいのか、解はおのずと出るのである。 要は、ありもしない理想みたいなものを勝手に作り上げてがんじがらめになっている人が多い気がするのである。 だからこそ私は、一人ひとりが自分をきちんと発揮して、自信を持って世の中を歩いていく人が一人でも増えれば、世界は幸せになると信じている。 話を戻して「世界に一つだけの花」は例えばであるが、反対する人も殆どいないのではないだろうか? この歌を強制されたところで、不幸になる人がいないし、人としてどう生きたらいいのかというメッセージも含まれている。この歌に従ったところで悪事は生まれない。それどころか元気が出る。希望もある。全員がそれぞれの花としてきちんと咲くことが出来たら、どんな世の中が出来るのかという夢もある。 そういう歌がいい。 「君が代」問題は、君が代が国歌でなくなれば解決する。 こんな簡単な解があるだろうか? 少なくともあちこちで訴訟だの、卒業式での教員が起立するしないの揉め事だの、に使うエネルギーを思えば、ちょっと面倒でも国民投票をしてアメリカみたいに何回国歌を変えたっていいではないか。 みんなが落ち着くところまでトライする。 それが生きるということではないのか? ・・・というのが難しければ、国歌を卒業式などで歌わなければならない?んでしたっけ? それはそれで君が代を形式的に歌っておいて、そのほかに「世界に一つだけの花」を子供たちと一緒に歌うのだ。 私が教員なら、この歌のメッセージを子供たちの胸にプレゼントしたい。 こんなメッセージを、自分を大切に扱ってくれた先生からもらえたら、一生湧き水のように生きる力になってがんばっていける。どんな世界ででも生きていける。 そんな風に思うし、そういう力を子供たちが湧かせるサポートをするのが、教師というものだと思うからだ。 さっ、下らない評論家はほっといて、実行しましょ 今から身の回りから実行することは、未来の苗を植えることになる 未来が愛 小さなことでいい、一つでも実行してみて!! 5年後の自分の人生が、変わっているよ CDツイン テレビこどものうた~世界に一つだけの花~
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こんにちは。たまたまこのブログを見つけた者です。 |
青ペン先生 2008/03/11 01:24 |
青ペン先生はじめまして(^^)。 |
宮乃 2008/03/12 11:04 |
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