正義のかたち 裁判官の告白

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正義のかたち:裁判官の告白/3 重荷背負う、死刑判決

 ◇「被告を憎んではならない」--今でも、苦い思い出

 死刑か無期か。「ギリギリのケースだった」

 山口県光市で起きた母子殺害事件の上告審で、裁判長を務めた元最高裁判事の浜田邦夫弁護士(71)が、06年6月に言い渡した判決について胸中を明かした。

 裁判官4人の合議による判決は元少年について「特に酌量すべき事情がない限り、死刑を選択するほかないものといわざるを得ない」と指摘。そうした事情の有無について審理を尽くさずに無期懲役とした2審判決は「甚だしく不当だ」として、広島高裁に差し戻した。2度目の高裁判決は4月の予定だ。

 40年間の弁護士生活を経て5年間最高裁で経験を積んだベテランにとっても「死刑」が絡む決断は厳しい。昨年11月の取材で浜田さんは「高裁の判決理由だけでは不十分だった」と語っている。

  ◇  ◇

 賛否とは別に制度がある限り、裁く者は死刑と向き合う責務がある。重みを知るからこそ、証拠と格闘し事実を突き詰める。

 熊本地裁八代支部時代の免田事件で、史上初めて死刑囚に再審無罪判決を言い渡した河上元康弁護士(70)は「判決は事実認定が勝負」と思い定めてきた。別の事件で死刑判決を下した際には「とことん調べたから粛々とやった。前夜に寝付きが悪いこともなかった」と自信を持って振り返る。

 反対のケースも。裁判官を約40年間務めた鬼塚賢太郎弁護士(84)は裁判長として臨んだ唯一の死刑判決で、弁護人に「控訴してはどうか」と勧めた経験を持つ。

 連続少年誘拐殺人事件で、被告の男は死刑を望み口をつぐんだ。ほとんど審理が終わった段階で裁判長を引き継いだが、間違いは許されない。困り果てた末、控訴する気のない弁護人にあえて言葉をかけたのだった。最終的に被告は控訴、上告し、最高裁で死刑が確定。鬼塚さんは「嫌な思い出。今も心に残っている」と顔をゆがめた。死刑言い渡しについて元裁判官の山田真也弁護士(72)は「嫌でも納得せざるを得ない。苦い薬を飲むようなもの」と表現したうえで「平気でできる人に裁判官になってほしくない」と語る。

  ◇  ◇

 重い決断を迫られる「死刑」事件も裁判員制度の対象だ。

 千葉・市川一家4人殺人の控訴審で、東京高裁裁判長として犯行時19歳の少年だった被告に死刑を言い渡した神田忠治弁護士(73)は「人の命が奪われるのだから良かったなんて思わない。被告に憎しみは持たないし持ってはいけないと思う」と話す。判決が最高裁でも維持され、確定した今もそう感じる。

 浜田さんは思い切ったように言った。「裁判員には大変な重荷を背負ってもらうことになる」=つづく

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 ■ことば

 ◇免田事件

 1948年12月、熊本県人吉市で祈とう師一家4人が殺傷された事件。別件逮捕された免田栄さんはいったん自供したが、公判途中から否認。50年3月、熊本地裁八代支部で死刑判決を言い渡され、52年1月、最高裁で確定した。83年7月、同支部で再審無罪となった。

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 裁判員制度へのご意見や連載へのご感想をお寄せください。〒100-8051(住所不要)毎日新聞社会部「裁判員取材班」係。メール t.shakaibu@mbx.mainichi.co.jpまたは、ファクス03・3212・0635。

毎日新聞 2008年3月23日 東京朝刊

 


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