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臆病すぎる記者たち−ある相撲記事のてん末

田中良太2008/03/21
大相撲千秋楽を7勝7敗で迎えた力士の勝率が異常に高かった時期がある。デスク時代、相撲担当記者に「7勝7敗の力士同士を当てる取組を作れ、という記事を書いたら」と言ったが、書かない。協会ににらまれたくないからという。日本社会は閉鎖的な「界」に分かれ、掟破りは難しい。「界」に送り込まれた記者まで同じになってしまっている。
日本 マスコミ NA_テーマ2

目 次
 (P.1)
 ◆千秋楽の取り組み
 ◆改革提案のコラム
 ◆出て来なかった「記者の目」原稿
 (P.2)
 ◆誰もが「書かないのが普通」
 ◆マイナスの評
 ◆閉ざされた「界」に分かれる日本社会
 

◆千秋楽の取り組み
 大相撲大阪場所は間もなく千秋楽だが、いま千秋楽の取り組みだけ特別扱いで、前日14日目の幕内取り組み前半が終わったころに発表されていることをご存じだろうか?

 14日目までの取り組みは、前日の正午ごろ発表される。以前は千秋楽の取り組みも同じことだった。相撲協会に問い合わせると1999(平成11)年初場所から、変更したのだという。変更後、十両や幕内下位力士の取り組みを14日目の勝ち負けが判明した後につくることができるようになった。その結果7勝7敗同士の取り組みがぐんと増えたのである。

◆改革提案のコラム
 じつは私はこの改革を提案したことがある。95年11月27日付・毎日新聞夕刊に掲載されたコラム「直視曲語」(当時私が書いていた週1回掲載のコラム)で、「大相撲の千秋楽で、7勝7敗の力士の勝率はあまりに高い。7勝7敗同士の取り組みを増やすよう工夫できないか」という趣旨の文章を書いたのである。

 この記事が載ったとき、95年の大相撲は6場所すべて終わっていたのだが、7勝7敗で千秋楽となった幕内・十両力士の勝敗は、

 初場所=7勝4敗▼春場所=4勝2敗▼夏場所=8勝5敗▼名古屋場所=12勝1敗▼秋場所=10勝3敗▼九州場所=11勝3敗だった。このデータは自分で調べたのだが、そのままコラムに使った。核心部分だけ紹介しておけば、

 <7勝7敗の力士にとって千秋楽の星1つの意味はあまりにも重い。前頭5、6枚目なら、勝てば三役、負ければ前頭2ケタで翌場所は十両陥落の危機というケースさえある。幕じりなら十両へ、十両下位なら幕下へ、陥落か否かの分かれ目となる。

 8勝の力士が9勝へ、あるいは5勝の力士が6勝へと星を伸ばすことの意味は小さい。
 「片八百長」では人聞きが悪いというのなら、意気込みの差と言い直してもいい。7勝7敗の力士は必死で、相手はその立場に同情的ですらある。それが広い意味で片八百長となる。いちばん盛り上がるはずの千秋楽の土俵に水を差す。

 このつまらない取組をなくすのは簡単だ。千秋楽で7勝7敗の力士同士を当てる取組を作ればいい。双方とも「貴重な星」を落とすまいと、ファイトあふれる力戦が期待できる。> という部分である。

 私の提案は95年11月。協会の変更は99年1月場所から。その間4年もあるのだから、「私の提案が受け入れられた」と誇るつもりは、あまりない。

◆出て来なかった「記者の目」原稿
 じつはこのコラムは、「やむなく自分で書いた」のである。

 さらに4〜5年前ということになるが、90年4月から2年間にわたって、私は「記者の目デスク」というポジションにいた。「記者の目」はいまでも毎日新聞朝刊にあるコラムだが、全国どのポジションにいる記者でも、自分の意見を書けるスペースである。76年にスタートし、菊池寛賞も受けた。

 記者の目デスクとして私は、この「7勝7敗同士を千秋楽に当てる工夫をせよ」という原稿を担当者に書かせたかったのである。運動部の相撲担当デスクに「相撲担当の誰かに書かせてくれ」と依頼を繰り返した。「分かりました」とは言うのだが、原稿は出て来ない。運動部長が同期生だから「何とかしろ」と言ってみたが、同じことである。面従腹背にしてやられたまま、結局「記者の目」原稿にはできなかった。

 自分でコラムを執筆する立場になってからその敵討ちをするというのだから、我ながらしつこい。組織内では嫌われるはずだ、と分かっていても、「一言多い」性格は隠せない。

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[33488] 感想
名前:佐藤折耶
日時:2008/04/01 01:53
田中様


あれこれ忖度したり、オブラートに包んだりする気にどうにもなれないので、そのまま書いてしまいますが、田中様が第三者なら、そういうコメントももしかしたら「あり」か、とも思います。


しかし、田中様の場合、ジャーナリストとして、この件ではまさに当事者そのものです。


ですから私としては、あるいは酷なのかも知れませんが、大変失礼ながら、正直、「お話にならない」という感想をもちました。

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[33460] スポーツと暴力
名前:田中良太
日時:2008/03/31 08:07
 大相撲の場合、すぐれた素材の力量を高めるため、「限界突破への挑戦」を思わせる激しい稽古があったようです。それとは別に生意気な態度の下位力士を罰する制裁もあったようで、千代の富士(現九重親方)がからんだ、ある大関の弟への制裁など、週刊誌ダネになりました。制裁はともかく「限界突破への挑戦」も否定してしまうなら、大相撲の火は消えると思います。
 イヤ現実に消えているのかもしれません。私がものごころついたころ、相撲はプロとアマの差がもっとも激しいスポーツと言われました。高卒・大卒の新人が大活躍できるのは野球。相撲ではそんなことあり得ない、と親方連が威張っていたものです。
 ところがいまでは、大卒がすんなり関取になります。大相撲に良い素材が入っていないと同時に「限界への挑戦」も行われていないからではないでしょうか?
 相撲の稽古の実情にまで踏み込んだ報道がなく、「臭いモノに蓋」の論理が通っていた点では、おっしゃるとおりかと思います。
 ただ、スポーツ全般について「練習中のこと」に甘い傾向があるのも事実です。例えば体操です。「体操ニッポン」華やかなりしころは、体操の練習中に、鉄棒から落ちたりして死亡するケースは、年に数件あったそうです。当然、変死ですから、警察の調べを受けることになります。それもおおむね、「良い素材を磨いて光らせ、オリンピック級の選手にするため」ということで、ウヤムヤに処理されていたということです。いまはどうなっているでしょうか?
 ここまでなら、良いか悪いかはいちがいに言えないと私は思います。「ケガをさせない。死なせるなんてとんでもない」と、少しでも危険なことは、すべてやらせないということで、まともな子ども場育つかどうか? 疑問だからです。
 しかし以下のようなことがあります。1988年11月、埼玉県三郷市で帰宅途中の高校3年生の女子生徒(当時17歳)を、東京都足立区の非行少年グループが仲間の自宅2階に連れ込み、約40日間監禁。乱暴の末に殺害し、ドラム缶にコンクリート詰めにして遺棄した事件がありました。当時は大騒ぎになったものです。いまテレビで大スターになっている鳥越俊太郎氏は毎日新聞で私の同期生でしたが、少年たちの実名報道に踏みきり、ちょっと名が出ました。
 この犯人4人のうち1人は中学生のとき優秀な柔道選手で、私立高校から勧誘され、特待生で入学しました。上級生が、「あの野郎、生意気だ」ということで、柔道の技を駆使していじめ、ときにはみぞおちのあたりを突き、柔道でいう「落とす」という行為で仮死状態にするなどということもやった。最終的には腰を痛め、柔道を辞めざるをえないところまで追い詰められた。
 少年は柔道をとると何もないような存在になっていましたから、非行化する。そういう形で、犯行に追い詰められていったのです。
この経過は共同通信記者だった横川和夫氏らの著書「かげろうの家」(共同通信社刊)で明らかにされています。
 どの世界にも「光と陰」はあります。私はスポーツマンだから健全とか、スポーツの世界は汚い、とかレッテル貼りをするのがいちばんいけないと思うのです。メディアは是々非々で、良いところをほめ、悪いところは批判するという平常心がいちばん大切でしょう。
 問題なのは、日本の新聞・テレビが高校野球、マラソン、駅伝などさまざまなスポーツの主催者だったり、球団のオーナーだったりしているという状況です。メディアという円と、スポーツという円は、同心ではないのですが、大きくオーバーラップしており、離れることができない。だから健全なスポーツ批判も封じ込められてしまう、ということではないでしょうか。
 
 
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[33367] 元記者としてのお考えをお聞きしたいと思います。
名前:高瀬しだれ
日時:2008/03/28 00:47
田中良太 さま
 以下は、先日の繰り返しですが、お考えをお聞きしたい。
「今日のように報道が社会の秩序を維持したり正したりと、警察や裁判官以上に活躍したり、政治をも動かすのは、新聞記者としては、このことをどのような位置づけにお考えでしょうか。つまり、記者としての責務を果たしているのか、それとも報道の力が肥大化して権力を持ち過ぎているとお考えなのか。」です。
 
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[33364] あの少年の死の責任
名前:佐藤折耶
日時:2008/03/28 00:25
これは、書こうかずっと迷っていましたが、やはり書いておくことにします。


大相撲とジャーナリズムということでは、いやジャーナリズムとの関係に限らず昔から大相撲が抱えていた一番の問題は、昨今ようやく部分的に明らかになった暴力の問題だと思います。


大相撲での暴力は、長年、ごくたまにスポーツ紙や週刊誌レベルでは問題になっていましたが、大新聞・テレビは、殆ど無視してきました。今回被害者の遺族が動いたことで、ようやく問題になりました。しかし、それもまだごく部分的なものです。


この問題には、いろいろなところに責任があるでしょう。が、なかでもジャーナリズムの責任は非常に大きいと私は思っています。つまり、日本のほとんどのジャーナリストは、あの少年の死に責任があると私は思っています。
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[33350] 圧力は逆に跳ね返す
名前:田中良太
日時:2008/03/27 18:27
 上司からだけでなく、いろいろ圧力はあります。
 一時期、住民運動と密着するポジションにいましたので、例えば花王が困るような記事を書く。
 広告局から電話がかかってきて「何とかなりませんか」
 私の返事は決まって「花王がわが社に対する極めて好意的なスポンサーなら何とかします。朝日・読売に比べて、格段に多い広告をわが社に出してくれているというデータがありますか?」でした。
 そんなデータありませんから、広告局は何も言えなくなる。
 取材とは、自分から質問を発信し、どういう答が返ってくるかを楽しむ作業です。社内でもこんなことやってれば、けっこう楽しかったのですが……。
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[33295] 新聞記者魂を見てとりました。
名前:高瀬しだれ
日時:2008/03/24 12:05
 ご丁寧なご説明有難うございました。田中様の返信文を読んでいるだけで充分面白く興味のあるものでした。
 相撲協会等では、協会としては書いてもらいたくない記事で出入り禁止にはならないのでしょうか。
 「現場に学ぶ」と「記事に欠陥があってはならない」は並行しているのでしょうね。記者には、上司とか関連企業(事件関連)からの圧力はないのでしょうか。
 まだまだ伺いたいことはございますが、相撲とかけ離れていきますのでこのくらいにします。
有難うございました。
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[33290] ほとんどが先輩の自慢話でした
名前:田中良太
日時:2008/03/24 08:34
 私が入社したのは1965年。4月1日から1週間東京で研修。その後は、大阪で4月末日まで研修でした。それぞれ会社の「偉い人」の話を聞くわけですが、ほとんどが自慢話の羅列です。
 面白かったのは、どんな質問をしてもクビにならなかったということで、「そんな昔話はいまの世の中で通じないのではないか?」という意味のことを質問の形で言っても、人事部員からの注意すらありませんでした。
 机上の勉強などいかなる意味でも身につくものではありません。ほんとうに勉強になったのは、じっさいに記事を書く作業を自分でやらなければなってからのことです。
「現場に学ぶ」というのは多くの人が言っていることでしょうが、現場でしか学べないんですね。私が最初に行ったのは奈良支局で、当時の全国紙は、司法・警察の担当記者は1人だけが普通(読売だけが2人)。新米が自分一人で、どんな事件でも処理しなければなりません。これがたいへん勉強になりました。
 いまはもっと精緻なプログラムで研修が行われ、入社後研修もひんぴんと行われているようです。
 じつはデスククラスのときに、新入社員を7、8人預けられ、昼間の研修が終わった後、夕方に「話し合い」をやれと言われたことがあります。私は彼らを酒場に連れて行き、まず最初に質問したのが、
「君たちは、新聞記者って、松下電器ならどういう仕事をする人だと思う?」でした。
 いろいろ珍答もあったのですが、私が示した正答は、「技術者なんだよ」でした。
 「松下の技術者は洗濯機といった何年も使える商品をつくる。私たちのつくる商品は、その日しか使えないものだが、新聞社がものづくり企業であることは間違いない。いちばん大切なのは欠陥商品をつくってはならないということ。つまり君たちがつくる商品=すなわち記事に欠陥があってはならないということ。取材、執筆の技術を先輩や他社の記者から盗み、早く一人前の技術者になれ」
 と言ったものでした。
 その連中がいまデスククラスですが、一人前の技術者になっているかどうか? 疑問と言わざるをえないですね。
[返信する]
[33285] 新聞記者はどのような教育を受けて記者活動をするのでしょか。
名前:高瀬しだれ
日時:2008/03/24 01:14
田中良太 さま
 確かに記者の質が悪いなあと思うことがあります。
しかし、今日のように報道が社会の秩序を維持したり正したりと、警察や裁判官以上に活躍したり、政治をも動かすのは、新聞記者としては、このことをどのような位置づけにお考えでしょうか。つまり、記者としての責務を果たしているのか、それとも報道の力が肥大化して権力を持ち過ぎているとお考えなのか。
 また、若い記者さんはあまりにも知識が薄いなあと感じることがあります。田中良太さまのように、新しいことを創造するようなキレも欲しいものです。
 記者教育では、どのような教育を受けてから記者活動を作動させるのでしょうか。
 
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