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東京時代まつり(2)
<
東京時代まつり(1)
から続く>
次は、いよいよ江戸の礎が築かれていきます。
↑太田道灌
太田道灌公は「江戸の開祖」と言っても過言ではない人物です。彼が、豪族・江戸重嗣の屋敷跡に江戸城を築城しました。
ところで、道灌公の後ろにいる女性は誰だかわかりますか? 道灌公の愛人では決してありません。ある逸話に基づいた人物です。その逸話とは……。
太田道灌公は、和歌の素養も高い人物でした。ある時、道灌公が鷹狩りに出かけると、にわか雨が降ってきました。茶店の娘に雨具を貸してもらえないかと頼んだところ、娘はお盆の上に山吹の花を乗せて持ってきました。その山吹の花には、次のような歌が添えられていました。
「七重八重 花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞ悲しき」
「みの」は「実の」と「蓑」とをかけたものです。つまり「美しい花を咲かせても実のならない山吹のように、貧しい私にはあなたにお貸しできる蓑すらもないのです」という意味です。
道灌公は最初、この歌の意味を理解できませんでした。しかしその意味を知って歌のすばらしさに心を打たれ、「まだまだ自分は和歌の修行が足りない」と思い、以後いっそう歌道に精進しました。
道灌公の後ろにいる女性は、この時の茶店の娘を表しているのです。ちゃんと手に山吹の花を持っています。
沿道で見ていた人たちは、江戸のお客さんだけあってさすがにこの逸話のことに気づき、「あ、ちゃんと山吹の花まで持ってる」という声があちらこちらで上がっていました。
ちなみに上であげた逸話は、落語の「道灌」にも使われています。
↑江戸城築城 お石曳き
徳川家康が江戸城の大拡張工事を行った際、相模国(今の神奈川県)や東伊豆海岸から、城に適した石が運ばれました。その様子を表したものです。現在、静岡県の東伊豆町で「石曳きのお祭り」として伝えられているそうで、東伊豆町のみなさんが東京時代まつりのために来てくださっていました。沿道からはあたたかい拍手が起こっていました。
↑徳川家康の江戸入府
ご存じ徳川家康公です。隣には徳川秀忠もいます。
↑徳川家光
江戸幕府3代将軍です。家康によって築かれ、秀忠によって受け継がれていった江戸幕府は、家光の時に完成しました。後に幕府の基礎となる様々な仕組みが、家光の時代につくられたのです。いよいよ華やかな江戸文化の幕開けです。
↑大奥御殿女中
きらびやかな大奥の女性たち。このなかに春日局もいるのでしょうか。
↑参勤交代の大名行列
参勤交代の制度も、家光によって確立されました。各地の大名が幕府への反逆を企てることを防ぐため、一年おきに大移動を命じたのです。この行列では、顔を赤く塗った奴(やっこ)が、掛け声をかけながら練り歩き、房のついた長い棒を投げ合って交換する技を披露していました。
↑江戸歌舞伎
江戸には中村座(当初猿若座)・市村座・守田座(当初森田座)という3つの芝居小屋があり(当初はもうひとつ「山村座」があったのですが「絵島生島事件」によって取りつぶしになりました)、「江戸三座」と呼ばれていました。三座はもともと別のところで興行をしていたのですが(現在の歌舞伎座があるあたり「木挽町」では市村座が興行していました)、江戸時代後期に浅草・猿若町に三座すべてが集められ、浅草は一大興行街となっていたのです。
この行列では、子どもたちが「白浪五人男」「三人吉三」といった江戸歌舞伎の登場人物にかわいらしく扮していました。
↑助六と意休
江戸歌舞伎を代表する狂言といえる「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の登場人物、花川戸助六と意休です。
↑七福神舞
江戸三座のひとつ市村座では、興行が始まる前のご祝儀として「七福神踊り」を上演していたそうです。
↑元禄花見踊
元禄時代には、太平の世で江戸の町人文化が花開きました。ちなみに、この踊り手さんたちの着物のように、たもとを丸くして仕立てている袖を「元禄袖」といいます。
↑赤穂義士の討ち入り
おなじみ「忠臣蔵」のモチーフとなった、赤穂浪士の吉良邸討ち入りです。四十七士による仇討ちは江戸の庶民の間で大きな話題となり、すぐに芝居になりました。しかし、フィクションの世界で実名をそのまま使うことははばかられるので、芝居では微妙に人物名を変えているのです。
↑江戸町火消
「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど火事の多かった江戸。そのため、名奉行・大岡越前守忠相は、合計48組の町火消を組織して江戸の町に配置しました。今でいうと地元の消防団という感じです。町火消の組の名前は、「め組」「は組」など、いろは48文字を当ててつけられました。
↑江戸の人気者
大久保彦左衛門、水戸黄門、松尾芭蕉、一心太助の登場です。自分の出世を顧みず、多くの浪人たちを養ってその就職活動に奔走していたと言われ、講談や浪曲、歌舞伎でも有名な大久保彦左衛門(大久保忠教)。同じく講談・浪曲・歌舞伎で有名な一心太助は、江戸っ子気質の侠気(おとこぎ)に富んだ魚屋で、大久保彦左衛門から愛顧されていたと言われています。
大久保彦左衛門の役は何と、直系の方がつとめているそうです。魚を入れる桶で作ったかごに乗った彦左衛門さん、沿道の人々ににこやかに手を振っていました。魚桶をかついで走っている一心太助さんは、私がデジカメで撮影しているのを見ると、足をゆるめてカメラ目線になってくれました。一心太助役をつとめているだけあって、粋でいなせなおにいさんです。
<→
東京時代まつり(3)
に続く>
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東京下町
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2005年11月03日
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