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2008年03月29日付・夕刊
(6)泥沼状態の日々
その中でも脳神経外科は突出していた。時期外れの忙しさもあったようだが、他の診療科を取材して帰ろうとすると、夜中なのに手術室の明かりがついている。のぞいてみると、やっぱり脳外科。「今日もラストバッターか」と驚かされた。 仕事漬けの日々。世の中では首相が交代し、医療センターの前病院長が逮捕され、大相撲の朝青龍や、ボクシングの亀田親子問題で騒がしかったが、彼らは関心を持つ暇がなかった。その姿を見続けていた私の気持ちは「気の毒」を通り越し、「なぜここまで働かなければならないのか。なぜ、倒れないのか」という疑問に変わっていった。 彼らの家族も思いは同じだった。福田真紀医師の母は、娘が死ぬのではないかと心配したことがあるという。 「夜中に帰って、また呼び出されて、寝る間がなくて。夕食も取ってないんで夜中に無理やり食べさせたら、体調崩して。みるみるやつれていったんです」 当直明けでたまたま午後八時(午前ではない)に早く帰ってきた時は、食事が終わるとそのまま茶の間で眠り込んだこともあるという。 「帰宅しても何かピリピリしているんです。でも、持ちそうなんですよね、あの子。体力があるから。何時間か寝たら元気が回復するんです」 そしてこうも言った。 「いい勉強をさせてもらってるし。都会の大きな病院に残った仲間の人たちは、先輩のお医者さんが多いんで、なかなか経験が積めないらしいんです。医療センターはいっぱい勉強できるって。東京から帰ってきて良かったと。ただ、あんまり忙しいと、気持ちも体も付いていかなくなるかもしれないけれど」 ◇ ◇そして取材に入って四十数日目。「もう、そろそろ、ここの取材は終了か」と思い始めた時、あぜんとする事態が起きた。 午後八時すぎ。脳外科はまた緊急手術になった。脳動脈かい離によるくも膜下出血患者が、ある病院から転送されてきたのだ。 血管内手術になるため福井直樹医師(39)が呼ばれたのだが、実はその日、彼は過労から腸炎を起こし寝込んでいた。 森本雅徳部長(56)はその病院からの転送依頼を断ろうとしたが、その前に自宅にいた福井医師の携帯電話へ病院から直接、「血管内手術でしか助けられない場所なので」と連絡が入り、断れなくなっていた。 体を壊しても休めないとは、何とむごい。まるで泥沼にはまり込んだような事態だ。 森本部長と福井医師、助手を務めた石井隆之医師(37)が帰途に就いたのは午前三時半。福井医師に体調を尋ねると、「いや、良くないんです。終わりがないですからねえ」と言うのがやっと。三人とも足早に闇の中へ消えていった。 私も帰社するため車に戻った。すると、夜露がフロントガラスをべっとりと覆っていた。 そうか、寒くなっていたのか。脳外科医の過酷な実態を追い掛けていて気付かなかった季節感を初めて意識するとともに、これからもっと忙しくなるのかと思うと、やりきれなくなった。そしてぼんやり思った。ほかの病院もこれほど激務なのだろうか。 十一月、私は医療センターを離れ、もう一つの救命救急センター、高知赤十字病院を訪ねた。そこで待っていたのは全く異なる世界だった。 【写真】緊急手術に追われ、救急ICUにいる時間も突出して長い脳外科医たちは疲労困憊(こんぱい)。燃え尽きない方がおかしい(高知市池、高知医療センター) |
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