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日本 事件 NA_テーマ2
和歌山カレー事件
2004/06/25

 この夏、七回忌を迎える稀代の事件がある。

 98年7月25日、和歌山市園部で毎年恒例の夏祭りで作られたカレーにヒ素が混入された。4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒になった。その日私は、別の事件取材で大阪にいたため、東京からの取材班としては、事件現場に最初に到着することができた。にわか雨が激しく降った日だった。

 現場となった園部地区は、田んぼなどに囲まれた縦横200メートルほどの狭い新興住宅地。私達の普段の生活には馴染みのない、ヒ素という毒物によって殺人事件が引き起こされただけに、現地から連日、生中継でニュースを伝えた。そして更に8月下旬になって、朝日新聞が園部地区に住む疑惑の夫婦の存在をスクープして以降、実名こそ出さないものの、「林真須美」という人物が一躍注目され、逮捕されるまでの40日間ほどは、自宅の周囲にマスコミ各社の「張り番」が続くことになった。

 10月4日、和歌山県警はまず、保険金詐欺の容疑で林真須美夫婦を逮捕した。この日は午前3時ころから林真須美被告の自宅周辺には報道陣と見物人で足の踏み場もないほどだった。本件であるカレー事件の殺人及び殺人未遂容疑での逮捕は12月9日となった。

 私は逮捕される1か月ほど前、当時疑惑の渦中にいた林真須美夫婦にインタビューした。カレー事件は勿論、保険金詐欺についての私の質問に、夫婦は揃って、実に雄弁に無実を強調した。警察はなにも言っていないのに、マスコミだけが大騒ぎして大きな迷惑をしている、真実はひとつ、いずれ証明されると、自信満々の様子だった。

 しかし逮捕後は、弁護団の戦術により黙秘を通した。そして、警察・検察の調書が1通も作られないまま、8件の事件で起訴され、翌99年5月13日、和歌山地裁で初公判を迎えた。

 ところが初公判では、カレー事件ほかヒ素がらみの事件は全面否認したものの、あれほど無実だと力説していた内の3件の詐欺事件は、あっさりと容疑を認めた。この3件の詐欺を認めたことで、分離公判となった夫・林健治に懲役6年の有罪判決が早々と下された。

 しかし問題はカレー事件である。真須美被告は裁判でも無罪を主張し、相変わらず黙秘を貫き通した。被告人質問にもまったく答えることなく、被告人席ではメモを取りながら薄笑いを浮かべている姿は、被害者、遺族の気持ちを逆なでするものだった。

 黙秘権という被告人の権利を否定するつもりは全くない。逮捕前は、あれほど饒舌にマスコミに答えていたのだから、何故正々堂々と無罪主張をしないのか。私は検察官の質問に真正面から答える道を選ばなかったのは、答えることによって破綻することを恐れたからだと思っている。

 そして、世間の想像通り02年12月11日、求刑通り死刑判決が下された。弁護側は黙秘しても戦えるとして臨んだ「自白なき裁判」。しかし、検察側の状況証拠の積み重ねによる立証に勝るものではなかった。

 04年6月18日、大阪高等裁判所での控訴審。真須美被告は黙秘というこれまでの戦術では、1審死刑を覆せないという危機感から戦術を転換した。

 1審判決は犯行に使われたヒ素は真須美被告の身近にあった可能性が非常に高く、混入現場と考えられるKさん宅ガレージに真須美被告が一人でいた時間帯があり、不自然な行動も見られ、犯人は真須美被告以外には考えられないというものだった。

 控訴審では真須美被告の弁護人による質問にこう答えた。

 「当日12時頃、一旦ガレージに行ってすぐ自宅に戻り、昼食のそうめんを茹で、家族に食べさせてから、またガレージに戻った。以後は次女と話をしていて鍋の蓋は開けていない。」という内容だった。

 私のインタビュー以後、はじめて真須美被告から語られる「その日の行動」ということになるのだが、私に対しては「昼頃、ガレージの前にほんの数十秒いただけ」というものだった。何故私には、一旦自宅に帰り、再びガレージに戻ったことを、犯行時間帯にガレージにいたことを隠したのか。何故嘘をついたのか。今回弁護人の質問に答えたように何故私にも説明しなかったのか・・・。

 林真須美という人間を、私は信用していない。

(高村智庸)

     ◇

 高村智庸さんは、現在、テレビ朝日の「スーパーモーニング」(朝8時〜9時55分)で事件リポーターとして活躍されている。生まれは1949年(東京)である。若い頃は俳優だった。舞台では蜷川幸雄演出の『リア王』『ニナガワマクベス』『オイディプス王』などに出演した。テレビでは、『炎の河』(CBC制作)、『分水嶺』(松竹・毎日放送制作)、『志都という女』(松竹・毎日放送制作)などに出演した。

 ワイドショーとの付き合いは、TBSの『モーニングEYE』から。1984年から1996年までリポーターとして活躍した。とりわけ、横山やすしの一連の事件では“やすし”に“気に入られて”いいリポートができた、と振り返る。ところが、1996年、TBSの午後のワイドショーでビデオテープ事件(オウム信者に取材ビデオテープを見せたことがきっかけで坂本弁護士一家殺害事件が起きた)が起き、TBSはワイドショーから撤退を決める。その煽りで当時視聴率NO1だった『モーニングEYE』も打ち切りに。

 翌年、テレビ朝日の『スーパーモーニング』のリポーターとして再スタートを切った。
ワイドショーリポーターと言えば梨本勝や前田忠明などが知られている。芸能ニュースのリポーターやデスクは華やかだが、事件・事故リポーターは地味だ。高村智庸さんと知り合ったのは前述の「ビデオ事件」の時。“テレビの恥部”などと言われもするワイドショー界にあって実直な人柄が際立っていた。

 今回、「JanJan」では、様々な事件現場を訪ねる“高村智庸”の目からみた“事件”簿を連載する。期待していただきたい。

高村智庸氏
















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