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【眼光紙背】ネットの「自由」ってなんだろう

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MiAUの眼光紙背:第19回

ここ最近、ネットに関する規制の動きが活発化している。この4月にも、未成年者が所持する携帯電話にはフィルタリングが、事実上義務化される。また自民党では若手議員を中心に、有害サイト規制への動きを強めている。

そもそもネットを規制しようとする動きの背景には、ネットには実社会の法が適応しにくいという現状があるように思う。例えば実社会では、名乗らなくても顔を見られただけで、個人を特定することは難しくない。またある程度相手の身なりや格好で、どのような職種の人間かを判断することができる。

しかしネットは、本人が望めば匿名性が確保しやすい。その割には、物品や情報の売買などといった経済活動も可能だ。既存の顔出しアリがデフォルトの実社会とは違った社会が、ネット上に形成されていると言えるだろう。

ネットが実社会よりも自由だと言われる理由には、場所などの物理的制限を受けないこと、個人のアイデンティティをさらす必要がないことなどが考えられる。さらに言えば、身体的特徴、すなわち美醜や障害の有無などの要素も、ネット上でわからなくなるという平等性がある。人類が長年夢見てきた、非差別的社会がそこにあるという見方もできる。

しかしこれらの自由は、戦いの末勝ち取ったものとは言えない。もちろん、インターネットの黎明期には、アイデンティティの問題などが議論された結果、現状の匿名性がある。だが現在の多くの利用者は、その議論に参加することなく、最初から与えられた自由としてそれを享受している。この匿名性の原則は、実は非常に脆いものだ。韓国では国民番号を入力しなければネットに繋がらないといった規制を、国単位で実施できている。

自由という言葉は、日本語の語彙としては一つしかないが、英語では無干渉の状態を指す「Freedom」と、勝ち取った権利としての自由を意味するLibertyがある。いささか使い古された例えではあるが、これまでネットで提供されてきた自由は、Freedomのほうだ。それは、単に利用する人数が少ないから社会的影響も微少であるという、お目こぼしの論理におけるFreedomであった。ほとんど学者と学生しかいない時代と、各家庭にまで光ファイバーが配備されて電話と同じ程度のライフラインになった現在では、自由に対する意味が変わってきてしかるべき時期に来たということだろう。

ネットを規制したいと思うほとんどの人は、ネットの自由が生み出す価値観や潜在的可能性を過小評価している。しかし無秩序な自由の方がいいのだという論理は、制度をベースに成り立っている実社会にとっては、とても受け入れられるものではない。実社会で被害が出たとなれば、それは国家の秩序を預かるものとして、放置するわけにはいかないのは当然である。

では、単純に排除規制でいいのか。実社会にしたって、完全に闇といわれる部分を駆逐できているかと言われれば、そうではないだろう。いくら取り締まっても、汚職、恐喝、売春、談合、ぼったくりといった社会悪は、ゼロにはできていない。単にそれらを社会的に排除しようとしても、必ず闇の部分は残る。要は闇の部分は存在するにしても、普通に健全に暮らしている人がそこに関わらないような、目に見えるゾーニングができるかが問題なのだ。

例えば夜中に制服を着た中学生が風俗街をうろうろしていたら、気が利く大人ならば「こんなところをうろついていないで早く帰りなさい」と注意することだろう。これは中学生を差別しているのではなく、昼の街の常識と夜の街の常識で、区別しているということである。差別である排除と、区別であるゾーニングとは、別のものだ。

ネットユーザーがネットの自由を担保したいと思うのならば、お上の規制を待つまでもなく、まずはきちんと大人として健全な状態を維持する努力を怠ってはいけない。例えばモバゲータウンでは、年間億単位の資本を投下して、コンテンツの監視体制を強化するという。こういったリスクを払って大人の目を届かせるという取り組みは、評価されるべきだろう。

これらの行動によって持たされるのは、勝ち取った自由である。それは単純にコストをかけることを意味しないが、常に日が当たっている状態、言うなればきちんとした良識ある大人の目が届いている状態を作りだすことこそが、自由へのもっとも近道であるという思想に基づいている。それには、いい大人が匿名をいいことにバカなことをするのではなく、間違ったことに対してきちんと批評し、その批評を多くの人に伝えることが出来る仕組みが必要だ。

我々MIAUは、客観的に見れば多くの事に対して、単純に反発しているだけのように見えることもあるかもしれない。しかし我々がやろうとしているのは、Libertyを勝ち取るための方策を考えることであり、それを実践することである。単純な規制には、別に今まではなんともなかったことまで悪として認定してしまう愚かさがある。それらの方向を修正し、最小限だがピンポイントで闇を闇として正しく認知できる仕組みを考えることが、我々の役目だろうと思うのだ。

MIAUの目的は、無秩序な自由を担保することではない。社会通念に合致したネット社会を形成することに対して、知恵を貸すことにある。(小寺信良)


プロフィール:
MiAU 2007年設立。ネット上の世論を集約し、政策提言などを行う団体。著作権法関連の動きについて、ネットユーザが意見表明するためのサポートを行っていくことを目的として設立された。
公式サイト:MiAU

眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。バックナンバー一覧

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