「別れの曲」などで知られるショパンは一八一〇年ポーランド生まれ。「―とされていますが当時ポーランドという国はなかったんです」。亡くなったのも葬られたのもパリ。「でも遺志により心臓だけは故国のワルシャワに帰りました」▲尾道市瀬戸田町でのショパンコンサート。おなじみの曲を弾きながら仲道郁代さんが「ピアノの詩人」の史実を語った。ドイツなど三つの強国に分割され一七九五年に地図から消えたポーランド。感傷的であり激しくもある旋律には「祖国への悲痛な思いがこもっている」という▲悲劇の国である。百年以上たって独立を回復したものの、第二次大戦でまた独ソに分割占領される。民衆の「ワルシャワ蜂起」も武力でつぶされた。再び独立を手にしたのは戦後になってからだ▲ポーランドのトゥスク首相が北京五輪の開会式に欠席するという。チベット暴動に対する中国の姿勢への「ノー」である。一九五〇年の人民解放軍の侵攻で独立を奪われ中国領にされたチベット。似た苦しみを味わった国の首相として重い意思表明だったに違いない▲異民族の支配下で、あるいは亡命先で自らの尊厳を守ろうとするチベットの人々の心に、どんな旋律が鳴り響いているのだろうか。世界はそれにきちんと耳を傾けているだろうか。
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