事件は十八年前の一九九〇(平成二)年七月十三日の金曜日に起こった。午後六時前、四国八十八カ所ミニ霊場で知られる笠岡市神島。黒塗りの公用車を降りた渡辺嘉久市長=当時(65)=が自宅前で、倉敷市の無職男性=当時(64)=に出刃包丁で襲われた。身をていして市長を守ったのが、公用車で送って来た秘書のM氏だった。
柔道二段のがっしりした体格。はじかれたように突進し、市長から男性を引き離し押さえ込んだが、顔や左腕、右腹など五カ所を切られる重傷で、二千ミリリットルもの出血。傷は内臓まであと数センチだったという。幸いにも二カ月の入院・リハビリで職場復帰できた。市長も左胸などを刺され二十日間入院。岡山地検は男性を「犯行当時、心身喪失状態だった」として不起訴処分にした。
その年の一月には、天皇の戦争責任に言及した長崎市の本島等市長が右翼団体幹部に撃たれ重傷を負う事件が起きたばかり。その後も、二〇〇六年八月には加藤紘一・元自民党幹事長の山形県の実家事務所が放火され、〇七年四月には、再び長崎市で選挙運動中の伊藤一長市長が暴力団幹部の銃弾に倒れ帰らぬ人となるなど、政治家を狙った暴力は後を絶たない。
M氏は三十一日、三十八年半の公務員生活に終止符を打つ。「無事定年を迎えられ万感の思い。市長を守らねばと無我夢中だったが、今も(事件を)思い出すとぞっとする。理由は何であれ、暴力に訴える卑劣さは断じて許してはいけない」―。柔和な顔の右ほおに走る傷あとが語りかけるものは、とても重い。
(笠岡支社・浅沼慎太郎)