光の速さは有限である。
光、つまり目に見えるものの全て。
秒速30万キロメートルの、限界。
今見ている太陽は8分前の太陽。
今夜見る月は1秒前の月。
同じように、240年前の北極星に、230万年前のアンドロメダ銀河を俺達は見ている。
遠ければ遠いほど、その星の「過去」が見える。
その星の過去を知ることで、俺達は俺たちの存在する意味を解明する鍵を、見出せるらしい。
宇宙を勉強すると、科学から哲学まで、ありとあらゆる全ての学問にリンクされる、と本で読んだことがある。
なぜ、宇宙が出来たのか、どうやって。
星の誕生は、銀河は、ブラックホールは。
そして、地球は、生命は、人間は。
あまりにも重なりすぎた、俺たちが存在するための偶然。
それらは本当に偶然なのか、それとも必然だったことなのか?
これが必然なら、他にも太陽系と同じような歴史をもった銀河も無数にあるはずなのに、人間以外の知的生命体の存在が確認されていないのは何故か。
もっと遠くの星を、もっと遠くの銀河を。
これはもっと過去の星を、もっと過去の銀河を、というリアルなタイムスリップだ。
でさ、これって不思議だと思わない?
同じ時間に存在しているはずなのに、距離が遠いければ遠いほど、見えるのは「過去」。
光の速さが有限だから、当然のことなんだけど、俺はすっげー不思議に思うわけよ。
仮に、アンドロメダ銀河に知的生命体が居たとして、
俺が地球から何かしらメッセージを彼らに向かって送ったとする。
彼らが光速を越える技術を持っていなければ、俺のメッセージが伝わるのは230万年後。
そのときは、俺がメッセージを送った事も、存在した証なんてこれっぽっちも残ってない。
人類は絶滅して、他の生命体が地球を支配しているかもしれない。
もしかしたら地球すら、下手したら太陽系すら無くなっているかも知れない、そんな想像も出来ない未来だ。
ほんと、分からない未来。
ちなみに、アンドロメダ銀河の知的生命体が、今、この瞬間地球を観測していたとしよう。
230万年前の地球と言えば、ようやく人類が二足歩行したくらいの時期だよ。
こんなに、パソコンもネットもゲームもある人類の「今」があるのに、彼らにはサルの時代の「過去」しか見えてないってこと。
ほら、なんか不思議だと思わない?
宇宙に関する本を読んだので、こんな事をふと思ってしまいました。
その本の感想はまた後日改めて。