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 ライブアライブ


 俺が高校に入学した年。
 涼宮《すずみや》ハルヒという名前を持つ人型の異常気象が北高《きたこう》で猛威《もうい》を振《ふ》るい始めたその年は、思えば色々あったもので、ありすぎるあまりいちいち思い出すのも面倒《めんどう》なくらいになっているのだが、いったんメモリーアルバムを遡《さかのぼ》れば、まあ本当になんやかんやとやってきたものだよなと我ながら呆《あき》れ返りたくなりつつも、そんな記憶《きおく》の中に刻まれていたエピソードの一つに実はこんなものもあったという話をさせていただこう。


 それは夏の残した熱が列島の上空にわだかまり続け、まるで四季の移り変わりを操《あやつ》る気象兵器を誰《だれ》かが誤作動させているのではないかと疑えるくらいに暑かった、暦《こよみ》上では秋のことである。
 その日、文化祭当日。
 頭の調子が年中調子ハズレな監督兼プロデューサーが撮影《さつえい》開始を宣言してからすべての作業が終了《しゅうりょう》するまで、出演者|及《およ》び雑用係のカオスフレームをむやみに悪化させる特殊《とくしゅ》効果を発揮していたような、そんな底と間が抜け気味な迷惑《めいわく》映画ももっぱら俺のおかげで一応の完成を見せていた。
 文化祭初日の今日はその公開初日でもあり、『朝比奈《あさひな》ミクルの冒険エピソード00』と題された映画とも朝比奈さんのPVとも知れぬシロモノは現在、視聴覚室で絶賛上映中のはずだ。
 はずだというのは他《ほか》でもなく、俺はあのシュールレアリズムの極致《きょくち》に挑戦《ちょうせん》したようなバカ映画に自分の名前がクレジットされているところなどこれ以上見たくもないので、DVテープを映画研究部の連中に渡《わた》したあたりで部外者になることを決め込んでいたのである。
 幸いにも細かい交渉や宣伝|行為《こうい》は渉外活動となると、より以上に活発化するハルヒが団長自ら元気よく率先《そつせん》してやってくれている。
 ハルヒの奇行にそろそろ慣れ始めている北高生や教師どもはいいが、ヒマな父兄《ふけい》や一般《いっぱん》人たちが校内をうろついているってのに、春先にも登場した例のバニーガール姿で宣伝ビラ撒《ま》いてんのもどうかと思うものの、おかげで無気力教室一年五組に属する俺やハルヒとは違《ちが》い、それなりに行事参加している朝比奈さんと長門《ながと》と古泉《こいずみ》もそれぞれ自分たちのクラス企画《きかく》に朝から従事できているのである意味|御《おん》の字と言える。
 いまや俺の気も晴れ晴れとして澄《す》み切った水面《みなも》を映す明鏡のごとき心境だ。映画のデジタル編集が終わった段階で俺の背負い込んだ仕事もめでたく終了しているし、やや睡眠《すいみん》不足気味の頭をふらつかせながら長門の占《うらな》いと古泉の演劇をチョロリとひやかす余裕《よゆう》もあるくらいだ。しょぼい県立校のさびれた文化祭とはいえお祭はお祭で、いつもと違う雰囲気《ふんいき》を満喫《まんきつ》するのも悪くない。
 今日の俺には決して看過《かんか》できない使命がある、そしてその使命は一枚の紙片《しへん》となって俺の手に握《にぎ》られているのだ。
 それは何かとは言うまでもない。朝比奈さんのクラス企画による焼きそば喫茶《きっさ》の割引券である。
 どんな安茶葉だろうと彼女が給仕してくれるだけで天上の甘露《かんろ》に早変わりするのだから、その同じ手で差し出された焼きそばも高級|中華《ちゅうか》料理店のまかない程度にはなるに違《ちが》いなく、俺の腹を鳴かせるには充分《じゅうぶん》な期待値が脳裏《のうり》でゲージを上昇《じょうしょう》させているというわけだ。こうして校舎の階段を上る足取りもまるで翼《つばさ》つきの靴《くつ》を履《は》いているようだぜ。
 しかし、そんな階段を突《つ》き抜《ぬ》けて天まで昇《のぽ》ろうかという気分の俺に、同行者がぬるま湯のような声をかけてきた。
「どうせなら無料招待券のほうがよかったんだがな」
 こんなイヤゴトを言いやがる口の持ち主は谷口《たにぐち》以外にこの場にいない。ロケで池に飛び込ませちまった義理もあるし、せっかくなので誘《さそ》ってやったというのにこれ以上何を求めると言うんだろうね。
「俺はノーギャラで水中ダイブさせられたんだぜ? ついでに言えば試写会にも招待されてねえ。まさか俺のシーンがカットされてるんじゃないだろうな。ずぶ濡《ぬ》れの代償《だいしょう》が焼きそば三十パーセントオフ程度じゃ割に合わねえな」
 つべこべ抜かすな。朝比奈さんがわざわざ呼び出してくれてまでくれた割引券だぞ。それにノーギャラ出演が一番割に合ってないのはその朝比奈さんなんだ。今すぐアカデミー賞の選考委員にかけあってオスカー像を特別|授与《じゅよ》してあげたいくらいだ。
「不服なら来るな。とっとと帰れ」
 そう言った俺に、もう一人のツレが、
「まあまあ。いいじゃん谷口。どうせ食べ歩きするつもりだったんだろう? ありがたくご相伴《しょうばん》にあずかろうよ」
 国木田《くにきだ》だった。古泉とはまた別の意味で優等生|面《づら》をしたこのクラスメイトは、
「それにキョンと一緒《いっしょ》に行けばサービスしてくれるかもしれないよ。キャベツ多めとかさ。谷口もそのほうがいいだろ〜」
「まあな」
 谷口はあっさり答えた。
「だが味にもよるな。なあキョン、朝比奈さんが料理すんじゃねえよな」
 そういえば給仕係だと言っていたような気がするが、それがどうかしたのか。
「ああ、なんとなくだが料理が下手そうなイメージがあるんでな。砂糖と塩を素《す》で間違えてもあの人なら不思議じゃねえような」
 こいつといいハルヒといい、朝比奈さんを何だと思ってるんだ。いくらマスコット的メイドキャラ担当でも、今時そこまでドジな人間は幻想《げんそう》世界にしか住んでないぜ。せいぜいタイムマシンをなくしてオロオロするくらいのものだろう。未来人としてそれもどうかとは思うが。
「楽しみだね」と国木田。「コスプレ喫茶だっていう噂《うわさ》を聞いたよ。映画のウエイトレスとか、いつだったかのバニーガールにも驚《おどろ》いたけど、今度はどんな格好をしてるのかなあ」
「まったくだ」
 それには谷口も深く肯《うなず》いた。こいつらは俺ほど朝比奈さんのメイド姿を見慣れていないからな。いちおう憐憫《れんぴん》の情を感じておこう。
 階段から廊下《ろうか》に足を踏み出しながら、俺も思い描《えが》いていた。ウエイトレスと言えば映画で使用したパッツンパッツンのセクハラ衣装《いしょう》しか思い浮かばないくらいに脳みそが毒されていたから、ここでまともな衣装をまとって楚々《そそ》と焼きそばを運んできてくれる朝比奈さんを眺《なが》めることは、まさしく網膜《もうまく》と心の洗濯《せんたく》という以外に何があろうか。いつも思うんだが、ハルヒの趣味《しゅみ》は装飾過剰《そうしょくかじょう》なんだよ。バニーの扮装《ふんそう》で校門前に立てるくらいの剛構造《ごうこうぞう》の神経だから、あいつ自身にとってはちょうどいいのかもしれないが、そんな神経が誰の体内にも通っていると思ったら大間違いだ。
 朝比奈さんのクラス有志による手作りウエイトレス衣装か……。
 こればかりは谷口にならうしかないな。楽しみだ。まったくもって。


 今日の校舎内の廊下には緑色のラバーシートが安物の赤|絨毯《じゅうたん》のように敷かれていた。そのため普段《ふだん》は上履きを強いられる校舎だが、外来の一般客《いっぱんきゃく》に配慮《はいりょ》して文化祭の今日明日だけは土足を許されている。歩いている人影《ひとかげ》もそれなりに多彩《たさい》だった。特に文化系部員でそれなりの発表機会がある生徒の保護者なんかは来てそうだし、付近の住民には格好のヒマつぶしの場だろう。行く高校が違っちまった中学時代の友達を招待しているパターンも多かろうね。特に山の下の女子校生徒をおびき寄せるにはほとんど年に唯一《ゆいいつ》くらいの機会だ。出会いを求めてるのは何も谷口のような男どもだけではないさ。
 北高の制服以外の姿が目立つ廊下を、俺たち三人は撒《ま》き餌《え》につられるイワシのように回遊し、二年の教室が並んだ校舎の一角、モグラ叩《たた》きゲーム屋と創作風船工作室に挟《はさ》まれた教室の前で足を止めた。
 鉄板をこがす芳《かんば》しい香《かお》り、入り口前に置かれた『焼きそば喫茶・どんぐり』という立て看板。そしてどの教室よりも長い蛇《へび》のごとき列。いや、それより真っ先に目と耳に飛び込んできたのは、
「やぁっ! キョンくんとその友達たちっ! こっちこっち、いらっしゃ〜いっ!」
 十メートル離《はな》れていても聞き間違えることのない大声と晴れやかな笑顔《えがお》だった。こんなに明るく笑える人間は、迷惑《めいわく》なことを思いついたハルヒを除けば俺の知り合いではただ一人である。
「三名様ご来店っ。まいどっ!」
 鶴屋《つるや》さんだった。しかもウエイトレスの扮装の。
 通路に持ち出した机の前で手を振《ふ》る鶴屋さんは、どうやらチケットの売り子をしているらしかった。ひょっとしたら客寄せ係|兼任《けんにん》なのかもしれない。
「どうだいっ。この衣装、めがっさ似合ってると思わないかなっ? どうにょろ?」
 行列の横に身を乗り出した鶴屋さんは、俊敏《しゅんぴん》に俺たちへと近寄ってきた。
「それはもう」
 俺は意味もなく低姿勢になりながら鶴屋さんを見つめた。
 うかつにも朝比奈ウエイトレスバージョンを妄想《もうそう》するのに忙《いそが》しすぎて鶴屋さんも同じクラスだということを失念していた。谷口と国木田もカレイを釣《つ》ったと思っていたらその尻尾《しっほ》にヒラメが齧《かじ》り付いて上がってきた釣り人のような顔になって、髪《かみ》の長い上級生をマジマジと眺めている。無理もない。誰《だれ》のデザインだか知らないが、彼女のクラスには凄腕《すごうで》の服飾専門家がいるらしい。俺たちの映画で朝比奈さんが着せられたウエイトレス衣装とは趣《おもむき》を異にするその服は、派手すぎず地味すぎず、着ている中身の人間を引き立てる役割を完璧《かんペき》に果たしつつ、かつ決して主張しすぎることもなく、しかし相互《そうご》作用で着る者の魅力《みりょく》度をMAX付近にまで引き上げる素晴らしいアジャストぶりを発揮する、オブ・ザ・イヤーを進呈《しんてい》すべき仕事と言えた。
 ようするにこんな抽象《ちゅうしょう》表現で逃げるしかないくらいのベストマッチだってことさ。鶴屋さんでこうなんだから、朝比奈さんを一目見るや否《いな》や気を失ってしまうかもしれんな。
「盛況《せいきょう》ですね」
 と、言葉をかけると、
「わはははっ。入れ食いさっ」
 鶴屋さんはスカートの裾《すそ》をちょいとつまみ上げ、周囲の視線をはばかることない率直《そっちよく》さ加減で、
「格安の材料で作った下手っび焼きそばなのに、こんだけ客集まるんだからもうボロもうけだよっ! 笑いが止まんないねっ」
 本当に嬉《うれ》しそうに笑う人だ。俺は行列に並んでいるのが男ばかりである理由を推理するまでもなく悟りきっていた。鶴屋さんの笑顔を見ていたら不思議と俺まで愉快《ゆかい》な気分になってくるからな。世の中、騙《だま》されやすいのは決まって男のほうである。
 列の最後尾《さいこうび》についた俺たちに、鶴屋さんは無料スマイルを振りまきながら、
「料金|先払《さきばら》いでよろしく! ちなみにメニューは焼きそばと水だけだからねっ。焼きそば一つ三百円、水道水はタダで飲み放題!」
 もらった割引券を差し出すと、
「えーと、三人だよね? じゃ全部で五百円でいいやっ。大サービス!」
 受け取った硬貨《こうか》をエプロンスカートのポケットに落とすと、代わりに焼きそばのチケットを三枚俺に押しつけ、
「そいじゃ、ちょろんと待っててー。すぐに順番回ってくるからねっ」
 鶴屋さんはそう言って、ポケットの小銭《こぜに》をジャラジャラ鳴らしながら入り口の机に戻《もど》っていった。その後ろ姿が列の先頭に消えてから、
「元気だなあ。毎日あのテンションでよく疲《つか》れないよね」
 国木田が感心したように声を上げ、谷口は声をひそめてこう言った。
「キョン、前から思ってたんだが、あの人はいったい何者だ。お前と涼宮の仲間の一人でいいのか」
「いーや」
 部外者だよ。お前たちと同じ、困ったときの人数合わせゲストだ。ちょっとその割には、妙《みょう》に前に出てくるお人だけどさ。


 鶴屋さん的|解釈《かいしゃく》におけるすぐ≠ニは約半時くらいのものらしい。三十分ほど待ってようやく列の前がはけ、俺たちは入室をかなえられた。ちなみに待っている間中《あいだじゅう》も行列に加わる客が引きも切らず、その全員が男だというのが何とも言えない現象だった。列の一部を形成する俺が言うことでもないが。
 教室内は半分が調理場、もう半分が客用テーブルになっていて、数台のホットプレートが必死に焼きそばをジュウジュウ言わせていた。調理しているのは白い割烹着《かっぽうぎ》の女子生徒たち、包丁をふるって材料を切り刻んでいるのも全員女で、いったいこのクラスの男子たちはどこで何をしているのかと疑問が浮かぶ。
 後で鶴屋さんに聞いたところ、哀《あわ》れな男どもは女子の単なる使い走りとして足りなくなった食材や紙皿を買いに行かされていた。給水や野菜の水洗いを命じられていたようで、いやぁそれなら仕方ない。アクエリアンエイジはすぐそこまで迫《せま》っている。
 席までは鶴屋さんが案内してくれた。
「さ、その空いてるとこに座っててっ。おーい、水三丁一つ」
 その掛け声に、可憐《かれん》な美声が答えた。
「はぁい。あ、いらっしゃいませえ」
 お盆《ぽん》に水道水の入った紙コップを載《の》せてやってきた極上《ごくじょう》ウエイトレスが誰だか、この際《さい》俺が言わずとも解《わか》るだろう?
 無料の水を俺たちに配り終えた彼女は、盆を両手で抱えるようにしてペこりとお辞儀《じぎ》をしてから、
「ようこそ、ご来店ありがとうございます」
 にっこりと微笑《ほほえ》み、
「キョンくんと、そのお友達の……えーと、エキストラの……」
 俺以外の二人が同時に反応した。
「谷口です!」
「国木田です」
「うふ。朝比奈みくるです」
 教室の壁《かべ》から『写真|撮影《さつえい》はご遠慮《えんりょ》願います』という手書きポップがぶら下がっている理由も解るというものだ。うっかりそんなもんを許可した日には、ちょっとしたパニックに陥《おちい》りかねない。
 そんくらい朝比奈さんは可愛《かわい》かった。予想通りに俺の意識が遠のきかけた、それ以上の言葉を費《つい》やす必要もないくらいにな。グッドデザイン賞を差し上げたいくらいのウエイトレス衣装《いしょう》を着込んだ朝比奈さんと鶴屋さんとが並んで立っていると、もはや壮観《そうかん》さもここに極《きわ》まれりといった感じで、おそらくだが天国とはこういう風景があちこちにあるような場所を指すんだと思うね。
 朝比奈さんは盆を小脇《こわき》に挟《はさ》んでから、焼きそばチケットを取り上げて半分に切り取り、その半券を残して、
「少々お待ちくださぁい」
 見とれる男どもの視線を独り占めにしながらぱたぱたと調理場へと向かった。
 鶴屋さんが笑顔で解説するところによると、
「みくるは食券のもぎり役なのさっ。あとは皿を下げる役と水|注《つ》ぐ役ねっ。それしかさせてないよ! 蹴つまずいて焼きそばひっくり返しそうだからっ。人気者なのはよいことだよっ」
 至言です、鶴屋さん。


 料理を運んできたのは別の二年生ウエイトレスだった。そうして出てきた焼きそばはキャベツ多めの代償《だいしょう》のように肉少なめで、うまいかどうかと言われると普通《ふつう》にソースの味がした。朝比奈さんは次々にやってくるお客のテーブルをコマドリのように回って紙コップを配ったり半券切ったりと大忙《おおいそが》しで、途中《とちゅう》で一回だけ俺たちに冷えていないお冷やのおかわりを持ってきてくれたのが目|一杯《いっぱい》のサービスだ。鶴屋さんも店頭と教室内をニコヤカに行ったり来たりしており、とてもじゃないが長《なが》っ尻《ちり》できる雰囲気《ふんいき》ではない。
 てなわけで、焼きそばが到着《とうちゃく》してからものの五分くらいで食い終えた俺たちは、早々にその場を退散する以外に道はなく、これでは何かを食ったという気分もあまりない。
「どうする?」
 と訊《き》いてきたのは国木田だ。
「僕はキョンたちの作った映画が観《み》たいなり自分がどういうふうに映ってるのか確認《かくにん》もしときたいしね。谷口は?」
「あんな映画、別に観たくもねえ」
 へらずロを叩《たた》いて、谷口は制服のポケットから文化祭のパンフレットを取り出した。
「焼きそばだけじゃ全然足りん。俺は科学部がやってるバーベキューパーティに参加することにするが、その前にだ」
 ニヤリと笑い、
「滅多《めった》にない絶好の機会だ。ナンパしようぜナンパ。私服着てる女が狙《ねら》い目だぜ。探せば三人くらいで固まり歩いている連中がきっといる。そういうのに声かけたら意外にホイホイついてくるというのが、俺の経験によって知り得た法則だ」
 何が法則だ。成功率が限りなくゼロに近い経験則が役に立ってたまるか。
 俺は即座《そくざ》に首を振った。
「遠慮する。お前ら二人でやってろ」
「ふん」
 谷口が気に入らない笑みを浮かべやがるのも、国木田がしたり顔でこくこく肯《うなず》くのもまとめて神経に障《さわ》るが、何と言われようと俺はこたえたりしない。別にナンパしてるところを特定の誰かに目撃《もくげき》されたら困ったことになりそうだからではなく、ええと、つまりだな。
「かまわねえよ。キョン、お前はそういう奴だ。いや、イイワケはいらん。しょせん友情なんかそんなもんさ」
 わざわざ溜息《ためいき》までつく谷口に、国木田はやんわりとした口調で、
「てゆうかさ谷口。僕もナンパはよしとくよ。すまないけど一人で成功させて、後でその娘の友達でも紹介《しょうかい》してくんない? それが友情ってもんじゃないかな」
 何やら論理のすり替えみたいなことを言って、
「じゃ、また後でね」
 さっさと歩き去る国木田。残された谷口はアホみたいな顔をしていたが、俺も国木田の行動を模倣《もほう》することにした。
「じゃあな、谷口。夕方にでも成功率を教えてくれ。成功してたらの話だが」


 さてと、次にどこへ行こうか。
 部室に戻《もど》っても誰もいないか、あるいはいるのはハルヒくらいだろうし、あいつと二人で学内を歩き回るようなことになれば著《いちじる》しく世間|体《てい》を損なう結果しか生まないように思われるので、俺の足は自然と別の方向を向いていた。ひょっとしたら未《いま》だに校門の前で宣伝ビラを配るバニーガールをやっているかもしれなかったが、さすがに誰かが止めただろう。いつかのように部室で一人ぷんすかしているかもしれない。頼《たの》む、今日くらいは別行動をさせてくれ。明日はオフクロと妹がやってくる予定になってるんで、しゃしゃり出てきたハルヒと何だかんだとありそうだからさ。
 プログラムシートを改めて確認してみる。面白《おもしろ》そうな出物《でもの》はそんなになかった。学内アンケート結果や国産タンポポと外来種の分布研究などというやくたいもない展示なぞにはハナから行く気がないし、各学年に二つくらいある映画上映はもう心の底からウンザリ気味、素人《しろうと》の学芸会や段ボール製の迷路屋敷《めいろやしき》にも興味なしだ。他校チームを招いてのハンドボール部対抗《たいこう》戦なんてやる意味あるのか? 担任|岡部《おかペ》だけは張り切ってやってそうだが。
「ヒマ潰《つぷ》しになりそうなのは……」
 ふと目が止まった。文化祭で唯一《ゆいいつ》、規模の大きな催《もよお》し物がある。たぶん誰よりもこの日のために練習していたのはそこへの参加者だろう。思えばこの何週間か、夕方になるとうるさく鳴《な》り響《ひぴ》いていたラッパの音。
「吹奏楽《すいそうがく》部のコンサートくらいか」
 パンフを再確認する。残念ながらそいつは翌日の開催《かいさい》になっていた。講堂を使用する部はけっこう多いらしいな。演劇部とコーラス部も明日にやるようだ。で、今日は何をやっているかというと――。
「軽音楽部と一般《いっぱん》参加のバンド演奏大会ね」
 ありがちだったし、やってんのは既成《きせい》ミュージシャンのコピーバンドがほとんどだろうが、たまにはライブでの音楽|鑑賞《かんしょう》も悪くないと俺は考えた。たぶん俺が映画作製にかけた百倍くらいの情熱と努力の結実がそこにあるだろう。その成果を耳にしつつ、ぼんやり物思いにふけることにしよう。少なくともその間は自分がかかわったアレな自主製作映画を忘れ去ることができるに違《ちが》いない。
「一人でじっとしている時間も必要だよな」
 そんなふうに、のどかに考えていた俺の思いを粉々に打ち砕《くだ》く出来事がそこで待っているなどと、思いつくのはちょっと予測不可能というものだった。
 この世には限度というものがあり、俺もまだまだ甘かった。リミットをやすやすと無視してのける存在を知っていたはずなのに、つい忘れてしまうのだ。つい先日も限ナシな現象の渦中《かちゅう》にあったというのに、これも常識人の限界というものだろうか。非常識な展開にハマって初めて知る己《おのれ》の浅はかさよ。是非《ぜひ》とも後代の教訓として生かして欲しいものだ。誰がそんな教訓を真面目《まじめ》に受け入れてくれるかどうかはさておくとして。


 扉《とぴら》の開け放たれた講堂からはやかましい騒音《そうおん》が大音量で鳴り響いていた。まるで天界で風神《ふうじん》|雷神《らいじん》が好き勝手に演奏会を開けばこうなるみたいな音響《おんきょう》効果で、ロック魂に溢《あふ》れたライブ会場としてはチープだが、ノリさえよければテクニックなんか納豆《なっとう》に薬味が入っているかどうかくらいの些末《さまつ》な問題だ。入っているにこしたことはないが、別に薬味を喰いたいんじゃなくてメインは納豆なんだから薬味の味まで最初からつけてろなんて注文するのは納豆に失礼だろ。
 館内を見回すと、所|狭《せま》しとパイプ椅子《いす》の並んだ講堂の客数は正味で六分入り、主催者発表で八分といったところか。壇上《だんじょう》ではどっかで聞いたことのあるようなポップスをノーアレンジで演奏する素人バンドががんばっていた。がんばっているというのが解《わか》る時点でちょっとアレだが、放送部員がミキシングやってるのも問題があるような気がするぞ。
 照明はステージに集中しているため周囲はやや薄暗《うすぐら》い。一列丸ごと空席になってる部分を探し当て、その端《はじ》っこに腰《こし》を落ち着ける。
 プログラムによると軽音楽部の部員バンドと一般参加の二部構成になっているらしい。今やってるのから何組かは軽音の連中だ。パイプ椅子の最前列付近だけはオールスタンディング、中には身体《からだ》でリズムを取っている奴もいたが、おそらく関係者の身内かサクラなのだろうと俺は判断した。にしても、ぼんやり聴視《ちょうし》するにはスピーカーの音量がデカすぎたな。
 頭の後ろに手を組んで眺《なが》めることしばし、オーラスの曲の間奏でボーカル担当がメンバー紹介をリズムに乗せておこない、俺はそいつらが軽音楽部二年生の仲良し五人組であるという三日後には忘れていそうな情報を知った。
 音楽を語れるほど俺の知識レベルは深くなく、また演奏者たちに真面目な思い入れがあるわけでもなかったので何を気にすることもなく、まさに気晴らしにはもってこいだ。
 ゆえに、俺はリラックスし切っていた。
 なので、まばらな拍手《はくしゅ》に送られて五人組が手を振りながら舞台袖《ぶたいそで》に退場し、入れ替わるように次のバンドメンバーがやって来たとき――。
 目を疑ったのもやむをえまい。
「げっ」
 講堂の空気が一気に変わったのが解る。ずざざさ――っ。その場にいた全員が精神的に十メートルほど下がっていく音がSEとなって頭に響く。
「何をやってるんだ、あの野郎《やろう》!」
 ステージの上手から譜面台《ふめんだい》を提《さ》げてマイクスタンドに歩いてくる人間に心当たりがあるどころの話ではなく、そいつは見覚えのあるバニーガールの衣装《いしょう》をまとい、見覚えのある顔とスタイルでスポットライトを浴びていた。
 頭につけたウサミミをピョコつかせ、肌《はだ》も露《あら》わな扮装《ふんそう》でそこにいるのが誰か、両眼《りょうめ》を誰かと交換《こうかん》したとしても同じ名前しか出てきやしないだろう。
 涼宮ハルヒだ。
 そのハルヒがなぜか、真面目な顔をして壇上の中央に立っているではないか。
 だが、それだけならまだ良かったのだ。
「げげっ」
 遅《おく》れて現れた二人目を見た俺の肺の中から、空気が一気に漏れ出した効果音だと思ってくれ。
 ある時は邪悪《じゃあく》な魔法使《まほうつか》いの宇宙人、またある時は水晶玉《すいしょうだま》を手にした黒衣の占《うらな》い師。
「…………」
 もはや出す声もないな。
 長門|有希《ゆき》が、さんざん見飽《みあ》きた例の黒|帽子《ぼうし》に黒マントの衣装のまま、どういうわけだかエレキギターを肩《かた》にかけて立っている。いったい何を始めようと言うんだ。
 これで朝比奈さんと古泉が登場したら逆に安心したような気もするのだが、三人目と四人目は知った顔でも何でもない女子生徒だった。あまりの見かけなさと割と大人びている雰囲気《ふんいき》から三年生かとあたりをつける。一人はベースギターを持って、もう一人はドラムセットへと向かっていき、どうやらこれ以上の追加人員はない模様である。
 何故《なぜ》だ。ハルヒと長門の文化祭用衣装には目をつむろう。しかしだ、どうしてあの二人が軽音楽部の部員で組んだはずのバンドの中に混じってて、しかもハルヒがまるで主役みたいな位置取りでマイクを握《にぎ》りしめているんだ?
 俺が増え続けるクエスチョンマークと格闘《かくとう》している間に、総勢四人からなる謎《なぞ》バンドのメンツはそれぞれポジションに着いたようだった。聴衆たちがざわめき、俺が唖然《あぜん》として見守る中、ベースとドラムの二人は緊張《きんちょう》した顔でボソボソトコトコと音を出し、長門はピクリともせずにギターに手を添《そ》えている。いつもの無表情も変わりなく。
 そしてハルヒは譜面台にスコアらしき紙の束を置いて、ゆっくりと会場を見回した。客席のこの暗さでは俺の姿を発見できたとは思えない。ハルヒはマイクの頭を叩《たた》いてスイッチが入っていることを確認《かくにん》すると、ドラム担当に振《ふ》り向いて何やらセリフを発した。
 挨拶《あいさつ》も前振《まえふ》りもMCもない。ドラムスティックがリズムを取って打ち鳴らされたかと思うと、いきなり演奏が始まって、そのイントロだけで俺は腰が砕けそうになった。長門がマーク・ノッブラーかブライアン・メイかと思うようなギターテクで超絶技巧《ちょうぜつぎこう》を開始したからだ。しかも聴いたこともないような曲だった。なんだなんだ――と思っていると、追い打ちをかけるかのようにハルヒが歌い出した。
 朗々と、月まで届きそうな澄み切った声で。
 ただし、譜面台に載《の》せたスコアを見ながら。
 一曲目の間中、俺は状態異常から回復することがなかった。RPGに唖然≠ニいう名の補助|魔法《まほう》があったら、かけられたモンスターはおそらくこんな感じになるのではないだろうか。
 ステージ上のハルヒは振り付けなしのほぼ棒立ちでひたすら歌声を響《ひび》かせているが、譜面を見ながらでは、そりゃ踊《おど》りようもないだろう。
 そうこうしているうちに最初の曲は終了《しゅうりょう》した。普通《ふつう》はここで歓声《かんせい》なり拍手なりを入れとくべきなんだろうが、俺と同様に会場にいるすべての観客は口と腕《うで》を仲よく石化させている。
 事情がまったく解《わか》らない。俺は何故ハルヒが? と思っていて、次いで長門のあまりのメロディアスなギターテクニックにも驚嘆《きょうたん》しており、これは他の軽音楽部関係者と同じ疑問を共有していただろうと推測する。ハルヒを知らないそれ以外の一般客《いっぱんきゃく》は、何故バニーガールが? てなことを思っていたのではないだろうか。
 会場は絨毯爆撃《じゅうたんばくげき》後の整壕《ざんごう》のように静まりかえっていた。まるでオンボロ船の甲板《かんぱん》でセイレーンの歌声を聞いた船員のような固まりようだが、よく見るとベースとドラムの女子生徒も似たような顔でハルヒと長門を見つめていた。あっけにとられているのは聴衆だけではないらしい。
 ハルヒはじっと前だけを見て待っていたが、やがてわずかに眉《まゆ》をひそめてまた後ろを見た。慌《あわ》てたようにドラム担当がスティックを振り、すぐに二曲目が始まった。


 様々な人間を置いてけぼりにしつつ、ミステリアスなバンド演奏は三曲目の途中《とちゅう》に差し掛《か》かっていた。
 ようやく慣れてきたのか、俺にも歌詞と曲調に耳を澄ます余裕《よゆう》ができてきた。アップテンポのR&Bだ。初めて聴くはずだが耳に馴染《なじ》みやすく、それなりにいい曲のように思える。ギタリストがめちゃめちゃ巧《うま》いからかもしれないし、付け加えてやるならば、ハルヒの声も、うむ、まあ、何というか、いつも大声で叫《さけ》び慣れているからでもなかろうが、少なくとも人並み以上なのは認めてやらねばなるまい。
 観客たちも当初の石化状態から徐々《じょじょ》に解放されつつあり、今度は別の意味でステージに引き込まれているようだ。
 ふと見回せば俺が席に着いた時より客数が増えている。ちょうど、その中の一人が近づいてくるのが目に入った。平服を着たデンマーク騎士《きし》みたいな格好をしているそいつは、
「どうも」
 特設スピーカーの大音量にかき消されまいとする配慮《はいりょ》か、俺の耳元に顔を寄せて来た。
「これはどうしたことですか?」
 古泉である。
 知らん、と俺は叫び返し、古泉の服装に目をやった。お前まで文化祭用の服で歩き回っていやがるのか。
「いちいち着替《きが》えるのも面倒《めんどう》なので舞台衣装《ぷたいいしょう》でうろつかせてもらっているのですよ」
 どうしてこんなところにいやがる。
 古泉は壇上《だんじょう》で熱唱するハルヒに穏《おだ》やかな視線を飛ばし、前髪《まえがみ》を弾《はじ》いた。
「噂《うわさ》を聞いたものですから」
 もう噂になってるのか。
「ええ。あのような格好をなさっておられますしね、話題にならないほうが不思議ですよ。人の口に戸は立てられません」
 北高の誇《ほこ》る問題児、涼宮ハルヒがまた何かやってる――、みたいなニュースがすでにして八方に飛び交《か》っているらしい。あいつのプロフィールにまた一つ新たな事項《じこう》が加わるのはいいのだが、そのオプションにSOS団とか俺の名まで刻まれるのは今回ばかりは筋違《すじちが》いだぞ。
「それにしても巧いですね、涼宮さん。長門さんもですけど」
 古泉は微笑《びしょう》しながら聞き惚《ほ》れるように目を閉じている。俺はステージに目を戻《もど》し、ハルヒの姿から何かを読みとろうとするかのように観察した。
 歌や演奏に関してはほぼ古泉と同意見だ。ボーカルが譜面台と歌詞カードを用意して唄《うた》っているというライブらしからぬ光景を除けばな。だが、それ以外にも俺は何だか原因不明の引っかかりを感じていた。
 何だろう。この妙《みょう》にむず痒《がゆ》い感覚は。


 それまでのアップテンポとうってかわり、演目上のアクセントのように挿入《そうにゅう》されたバラード調の四曲目が終わった時、不覚にも俺は歌詞と楽曲に感服しかけていた。ここまで心に染《し》み渡《わた》る歌を聴いたのは久しぶりだ。そう感じたのが俺だけではない証拠《しょうこ》に、周囲の観衆も咳払《せきばら》い一つせずに聴き入っていて、曲が終了した後の講堂は沈黙《ちんもく》に包まれている。
 今や満員となった客席に向かって、ようやくハルヒは歌詞以外の言葉をマイクに吐きかけた。
「えー。みなさん」
 ハルヒは幾分硬《いくぶんかた》い表情で、
「ここでメンバー紹介《しょうかい》をしないといけないんだけど、実はあたしと――」
 長門に指先を向け、
「有希はこのバンドのメンバーじゃありません。代理なのです。本当のボーカルとギター担当の人はちょっと事情があって、ステージに立てなかったの。あ、ボーカルとギターは同じ人ね。だから正式のメンバーは三人だけ」
 観客は静かに耳を傾《かたむ》けている。
 ハルヒはすっと譜面台《ふめんだい》から離《はな》れて、ベースのもとに歩いていくと、その女子生徒にマイクを突《つ》きつけた。彼女は面食らったような顔をしていたが、ハルヒに何事かを囁《ささや》かれ、上ずった声で自分の名を告げた。
 次にハルヒはドラムセットに向かって打楽器担当者にも自己紹介をさせ、すぐにステーシ中央に戻ってきた。
「このお二人と、今ここにいないリーダーの人が本当のメンバーね。なわけだから、ゴメン。あたしに代役が務まったかどうかは自信ないわ。本番まで一時間しかなかったから、ぶっつけなの」
 ハルヒはバニーのウサミミをひょいと揺《ゆ》らすくらいに頭を動かし、
「そうね、代役なんかじゃなくって、本物のボーカルとギターがやってる本当の曲が聴きたい人は 後で言ってきて。あ、テープかMD持ってきてくれたら無料でダビングするってのはどうかしら。いい?」
 ハルヒの問いに、べーシストがぎこちなくうなずいた。
「うん、決まりね」
 壇上に上がって初めてハルヒは笑顔《えがお》を見せた。あいつなりに緊張《きんちょう》してたんだろう、ここに来てようやく呪縛《じゅばく》が解けたような、いつも部室で俺たちに見せているような――とまではいかないが、それでも50ワットには達してそうなスマイルだった。
 ハルヒは黙々といつもの無表情を維持《いじ》する長門に瞬間微笑《しゅんかんほほえ》みかけ、それからスピーカーのコーンを吹き飛ばすような声量で叫んだ。
「ではラストソング!」


 後で聞かされた話になる。
「校門で映画の宣伝ビラを撒《ま》いて、なくなったから部室に戻ろうとしてたのよ」
 と、ハルヒは言った。
「そしたら下駄箱《げたばこ》のあたりで何か揉《も》めてたのよ。そう、あのバンドの人たちと生徒会の文化祭実行委員がね。何だろうと思ってさ、近づいてみたわけ」
 バニーでか。
「格好なんかどうでもいいわよ。とりあえず聞こえてくる話を総合すると、そのバンドをステージに立つ立たせないで揉めてたのよね」
 そんなん下駄箱の前ですることもないだろう。
「それがね、軽音楽部の三年生バンドで三人組で、そのうちの一人がボーカルとギターを兼《か》ねたリーダー格だったんだけど、文化祭当日になって高熱を出したのよね。扁桃炎《へんとうえん》だって言ってたわ。声もほとんど出ないくらいで、見た感じ立ってるのがやっとみたいな」
 そりゃアンラッキーだったな。
「ほんとね。おまけにさ、ふらついた拍子《ひょうし》に自宅の部屋で転んで、右の手首を捻挫《ねんざ》までしてたのよ。ステージに立つなんて全然無埋って感じ」
 それなのに学校まで来たのか。
「うん。本人は死んでもやるって涙《なみだ》ながらに訴《うった》えててね、でもどう見ても病院に直行させないとダメだからって実行委員の連中が両側から、こう、グレイタイプのエイリアンを運行するみたいに。なんとか強引《ごういん》にでも連れだそうとして、で、下駄箱まで」
 しかし、そんな状態でどう演奏するつもりだったんだ? そのボーカル兼《けん》ギターさんは。
「気合いでよ」
 お前ならそれで何もかもを可能とするんだろうが。
「だってこの日のために必死に練習してきたのよ。無駄《むだ》になるのが自分だけならいいわよ。でも他《ほか》の仲間たちの努力まで無駄になっちゃうじゃん。イヤよね、やっぱり」
 まるで自分が努力したような言いぐさだな。
「曲だってそうよ。既製品《きせいひん》じゃないのよ? 自分たちで作曲して作詞したオリジナルなわけ。どうにかして発表したいじゃない。譜面が口をきいたらきっと『してっ』って、そう言うはずよ」
 それでお前が腕《うで》まくりして出て行ったのか。
「袖《そで》はなかったけどね。ま、この学校の文化祭実行委員なんて先生の言うことを聞くだけの無能ぞろいだから、そんな奴《やつ》らの言うこと聞くことないわ。でもねえ……。いくらあたしでも、その時のリーダーさんの顔色見たらこりゃダメだなって思ったのよ。それでこう言ったの。『なんだったらあたしが代わりに出ようか』って」
 よくオッケーしたな。その人もベースとドラムの人も。
「歌だけなら簡単よ。その病気のリーダー、ちょっとだけ考えるような間があったけど、『そうね、あなたなら出来るかもしれないわね』って言ってしんどそうに微笑んだわ」
 ハルヒの顔と名前を知らない北高生はいない。ハルヒがどんな女であるのかも。
「でもって速攻《そっこう》その人は教師の車で病院行き、あたしはデモテープと譜面をもらってひたすらコード進行を身体《からだ》に刻み込むことにしたの。なんせ一時間しかないし」
 長門は?
「うん、あたしが弾《ひ》いてもよかったんだけど、本番まで時間がなかったものね。主旋律《しゅせんりつ》を覚えるので精一杯《せいいっぱい》だったからギターは有希に頼《たの》むことにしたのよ。知ってる?、あの娘、ああ見えて万能《ばんのう》選手なのよ」
 知ってるとも。お前以上にさ。
「占《うらな》いしてるところに押しかけて、理由を言ったらすぐについてきてくれたわ。譜面を一度見ただけなんだけどビックリ。さっと眺《なが》めただけで全曲を完璧《かんペき》に弾いたわよ。有希、どこでギターなんか習ったのかしらねえ」
 たぶん、お前に言われた瞬間にさ。


 それから二日ほど時は進んで月曜日になる。
 俺のスケジュールにない予定外のことがあった文化祭が終了《しゅうりょう》した週明け、四限目を前にした休み時間のことである。
 ハルヒは俺の後ろの席で機嫌《きげん》よくノートに何やら書き殴《なぐ》っていた。あんまり内容を知りたいとも思わないのだが、どうもSOS団プレゼンツの自主製作映画が上々の客入りだったことに気をよくして、さっそく続編の構想に入っているらしく、俺は俺でどうしたらそんな妄想《もうそう》をハルヒの頭から取り除けるかと悩《なや》んでいたところだった。
「お客さんが来てるよ」
 トイレから帰ってきた国木田が声をかけてきた。
「涼宮さんに」
 ハルヒが顔を上げるのを見た国木田は、教室の外を指差して臨時メッセンジャーボーイの役目を終わらせた。さっさと自分の席に戻《もど》っていく。
 開け放たれたスライドドアの外に、三名ほどの大人びた女子生徒が立っているのが見える。うち一人は片手に包帯を巻いていて、他の二人には見覚えがあった。例のバンドの人たちだ。
「ハルヒ」
 俺は顎《あご》をしゃくって戸口を示し、
「お前に言いたいことがあるらしいぜ。行ってやれよ」
「ん」
 意外にもハルヒは躊躇《ためら》うような表情になっていた。ゆっくり立ち上がったものの、なかなか歩き出そうとしない。しまいにはこんなことまで言い出す始末だ。
「キョン、ちょっと一緒《いっしょ》に来て」
 なんで俺が、と反駁《はんばく》する間もなくカッターシャツの首根っこをつかんだハルヒは、バカ力で俺をひきずりながら教室の外に出た。三人の上級生の顔がほころぶ。
 ハルヒは俺を強引《ごういん》に隣《となり》に立たせておいて、
「扁桃炎はもういいの?」
 俺が初めて見る三年女子に言った。
「ええ。だいぶ」
 その人は喉《のど》を撫《な》でるように触《ふ》れてから少しハスキーがかった声で答え、
「ありがとう、涼宮さん」
 深々とお辞儀《じぎ》をした。三人|揃《そろ》って。


 聞けば、彼女たちのもとには全校(特に女性層)からオリジナルデモテープを所望《しょもう》するリクエストが殺到《さつとう》しているのだそうだ。現在、ダビングMDをせっせと配布しているところなんだという。
「びっくりするくらいの数よ」
 その数を聞いて俺も驚《おどろ》いた。ハルヒのボーカル、長門のギターというバッタモン演奏ではない彼女たち本来の楽曲を求める人間たちがそこまでいるとは、確かに予想外の波及《はきゅう》効果だ。
「全部、あなたのおかげ」
 三人は有能な下級生に向ける笑顔《えがお》を寸分の違《ちが》いもなく見せていた。
「これであたしたちで作った曲を無駄にせずにすんだ。本当に感謝してる。さすがは涼宮さんね。軽音としては文化祭が最後の思い出になるだろうから自分でやりたかったけど、でも棄権《きけん》するよりも何倍もよかった。あなたには下げる頭もないくらい」
 作り笑いではない微笑《びしょう》をたたえた三年生の先輩《せんばい》女子から言われるのは、俺がその対象となっているわけでもないのに妙《みょう》に気恥《きは》ずかしい体験だった。だいたいどうして俺がハルヒの横に立ってないといかんのだ?
「何かお礼できたらと思うんだけど」
 と言うリーダーさんに対して、ハルヒはバタバタと手を振らせた。
「いいっていいって。あたしは気持ちよく歌えたし、いい曲だったし、生バンドつきのカラオケをタダでしたようなもんだから、お礼なんかもらったらかえって後ろめたいわ」
 ハルヒの口調におやと思う。どことなくあらかじめ用意していたセリフを読んでいるような気配がする。上級生相手にタメ口なのはこいつらしいが。
「だから気にすることなんかないわよ。それより有希に言ってあげて。あの娘にはあたしが無理矢理やらしちゃったようなもんだし」
 長門のクラスには先に行った、と彼女たちは答えた。
 それによると、感謝と賞賛の言葉を無表情に聞いていた長門は、ただ一回だけうなずいて、黙《だま》ってこちらの方角を指差したという。情景が目に見えるようだ。
「じゃあ」
 最後にリーダーさんは、
「卒業までにそのうちどこかでライブをするつもりだから、よかったら見に来てね。そちらの……」
 俺を見てやんわりと目を細め、
「オトモダチと一緒に」


 しかし、どうして彼女たちのもとに原曲を求める声が次々と押し寄せたのだろうか。
 これまた後で聞いた話になる。その謎《なぞ》とも言えないような小さな疑問は、こういう時にだけはよく喋《しゃべ》る奴が明かしてくれた。役に立つ野郎《やろう》だ、まったく。
「涼宮さんの歌とリズムセクションの間に微妙なズレがあったのに気づきましたか? 正確に言うと涼宮さんの唄《うた》うメロディラインと長門さんのリフ、その二つとベース・ドラムの間にですよ」
 と、古泉は言った。
「ほとんど無意識でしか感じ取れないレベルですがね。なにしろぶっつけ本番とは思えないほど四人の演奏は息が合っていました。驚くべきは涼宮さんの音感です。デモテープを三回ほど聴いただけだという話でしたよね」
 プロ級の腕前《うでまえ》で完璧に弾きこなしていた長門にも驚いてやりたかったのだが、あいつならそれくらいは平気でするからな。
「ですが、それも完璧とはいかなかったのですよ。何と言ってもオリジナル楽曲でしたからね。自分たちで作った曲を何度も反復練習していたメンバーと、緊急《きんきゅう》登板した涼宮さんでは元々の下地が違います」
 当たり前だろう。
「ええ。つまり本来のバンドメンバーであるベース及《およ》びドラムと、大急ぎで覚えなければならなかったメロディを独自にアレンジして唄っていた涼宮さん、その歌声に合わせてギターを弾いていた長門さんの四人によるコラボレーションは、微小ではありますがズレを発生させていたんです。それが聴いていたオーディエンスの心に引っかかるものを残したのですよ。ただし識域《しきいき》下レベルでね」
 あいかわらず、もっともらしいことを言う。心理学用語で解説すれば何でもありだとか思ってないか?
「分析《ぶんせき》した結果ですよ。解説を続けますと、そうして二曲目三曲目と演奏が続くにつれて聴衆《ちょうしゅう》の無意識的引っかかりは大きくなり、いよいよ最後の曲になりましたが……。その前に涼宮さんがしたことはなんですか?」
 本来のボーカル兼《けん》ギターメンバーがステージに立てなかったから、自分と長門が急造の代役で――みたいなことを言ってからベースとドラム二人のメンバー紹介《しょうかい》しかしてなかったが。
「それで充分《じゅうぶん》だったんですよ。その瞬間《しゅんかん》に謎が解けたんです。胸につかえていた奇妙《きみょう》な疑問がね。ああなるほど、この奇妙な違和感《いわかん》はそれだったか――と」
 言われてみれば……だな。腑《ふ》に落ちないでもない。
「涼宮さんのボーカルも長門さんのギターもまったく悪くないものでしたし、むしろ高校の軽音楽部レベルを軽々と超越《ちょうえつ》していましたが、観衆はこう思ったのですよ。にわかボーカルとギターでこれほどのものなら、オリジナルメンバーの演奏ではいかほどのものになるのだろうか――」
 MD希望者が殺到した理由がそれか。
「涼宮さんはうまく唄いきりましたよ。ほぼ完璧《かんペき》にね。ですが完璧すぎなかったことで、かえって好結果を生んだんです。さすがと言うべきでしょう」
 そうかもしれん。ハルヒとたまたま出くわしたことは、あの三年生バンドの人たちにとっては確実にいい結果だったろう。
 でもな。じゃあ俺たちはどうなんだ?
「さて。僕たちと申しますと?」
 この学校で誰《だれ》よりもハルヒに深入りしちまっているSOS団団員にとってはどうなんだよ。あいつと出会ったことで、俺たちにもそれぞれいい結果≠ネんてのが待っていたりしてくれてるのか?
「さあ、それは終わってみないと解《わか》りません。そうですね、すべてが終わったときに、そんなに悪くなかったと思うことができたら幸せですね」


 三人の三年生は四限が始まるチャイムギリギリで帰って行った。
 不可解にもハルヒは複雑な顔をして自分の席に戻《もど》り、その顔のまま四限目の授業を上の空で聞き続け、昼休みになるや教室からさっと姿をくらませた。
 俺は国木田とともに谷口のイイワケ、「いや、マジで文化祭にはロクな女が来てなかった。俺が思うに、この高校は立地条件が悪すぎるぜ。もっと平地にねえと」とか言ってる話を聞き流しながら弁当をかき込む作業に没頭《ぼっとう》し、空になった弁当箱をカバンに放《ほう》り込んでから席を立った。
 意味はない。ただ何故《なぜ》か無性《むしょう》に腹ごなしの散歩をしたい気分だったのだ。
 しばらくブラブラと歩くままに進んでいると、どういうわけか俺の足は中庭に向いていた。部室棟へと続く渡《わた》り廊下《ろうか》から道を外れて、ところどころがハゲかけた芝生《しばふ》を歩く。すると偶然《ぐうぜん》にも、ハルヒが寝ころんでいるところに出くわした。
 黒髪《くろかみ》と組んだ両手を枕にして、雲の観察を熱心にしているふうである。
「よう」
 と、俺は言った。
「どうした。さっきの休み時間からやけに殊勝《しゅしょう》な顔をしてるじゃねえか」
「なによ」
 ハルヒは上の空のような返答を寄こし、まだ雲を眺《なが》めている。俺も同じようにしてみた。つまり、何も言わずに黙って空を見上げたのだ。
 そうやってどのくらい沈黙《ちんもく》していただろうか。三分もたっていないと思うが体内時計には自信がないからな。
 どうでもいいような沈黙合戦ののち、最初に口を開いたのはハルヒだった。なんとまあ、いかにもしぶしぶ話をしてやってるんだというような声色《こわいろ》だったが、
「うーん、なんか落ち着かないのよね。なんでかしら」
 ハルヒの口調に素直《すなお》な戸惑《とまど》いを感じて、俺は苦笑《くしょう》しそうになった。
「俺が知るわけないだろ」
 それはな、お前が人から感謝されることに慣れていないからなのさ。面と向かってありがとうなんて、言われそうにないことばっかお前はやってるもんな。今回のバンドの助《すけ》っ人《と》も、ひょっとしたら余計なことをしちまったのかとひそかに気に病《や》んでたんじゃないか? お前なら声帯に穴が空いてようが両手を骨折してようが、周囲が制止しようとすればするほど何としてでもステージに立ってそれこそ気合いで何とかしてしまうだろうから、誰かの助太刀《すけだち》を仰《あお》ごうなんて考えたりもしないよな。
 だがどうだい? あの上級生さんたちの役に立った気分はさ。結果的に彼女たちのオリジナル曲を求める人間が大いに増えて、それもこれもお前が実行委員に敢然《かんぜん》と立ち向かったからこそなんだ。彼女たちの感謝の言葉は本心からのものだったろう。きっとお前のやったことは最良から二番目くらいに的確な処置だったのさ。どうだハルヒ? これでお前も善行に目覚めたろ?
 以降の人生を世のため人のために働くように心がけたらどうだ。
 ……なーんてことを俺は言ったりしなかった。思っただけである。だからこの時、俺がやったのはただハルヒの横に立ってふと空を見上げることくらいさ。文化祭終了をきっかけにしたように、途端《とたん》に秋めいてきた山風が細い雲を追い立てている。
 ハルヒも無言でいた。わざと作っているに違《ちが》いない表情はちょっとした不機嫌《ふきげん》を表示していたが、頭の中ではまた別の表情があるのだろう。
「何よ」
 寝そべったままハルヒは俺に視線だけを向けてきた。
「なんか言いたいことがあんの? なら言いなさいよ。どうせロクなことじゃないんでしょうけど、黙《だま》って溜《た》め込むのは精神に悪いわよ」
 パンチのきいた目の光である。
「別に。なんも」と俺。
 ハルヒは上体を起こして芝生をプチプチ千切ると俺に向かって投げつけた。しかし気象を操《あやつ》る神は俺に味方する気になったようで、不意に逆巻いた吹き下ろしの風が緑色の破片《はへん》をハルヒの顔へと逆襲《ぎゃくしゅう》させる。
「もう!」
 ぺっぺっと口に入った芝生を飛ばしながらハルヒは再び寝ころんだ。
 何となく気になって俺は部室棟を見上げた。ここからだと文芸部の窓が見える。もしや、そこに細っこくて髪《かみ》の短い人影《ひとかげ》が立って俺たちを見下ろしているんじゃないかと思ったのだが、そのような情景は目に入ってこなかった。そりゃそうだ。
 またもや沈黙がひとしきり続き、ややあってポッリとした声が、
「ライブもいいものよね。あんなのでよかったのかなって少しは思うけど……。けど、そうね。楽しかったわ。何ていうの? いま自分は何かをやってるっていう感じがした」
 バニーでステージ立って譜面《ふめん》見ながらぶっつけ本番をやってのけ、あげくに楽しかったと言い放てるんだからお前の根性レベルは上限なしだな。解《わか》ってはいたけどさ。
「だから、あのケガしてた人も実行委員に最後まで粘《ねば》ってたのね」
「きっとそうだな」
 俺は俺で少なからずしんみりしていたのが悪かった。やはり油断していたのだろう。
「ねえ!」
 それまでメロウな雰囲気《ふんいき》をまとっていたハルヒが、突然《とつぜん》飛び上がって俺に顔を近づけてきたとき、反射的にたたらを踏んじまったんだからな。おまけに特上の笑顔《えがお》へと百面相を遂げたハルヒが、高らかな声で次のように言ったとあっては。
「ねえ、キョン。あんた何か楽器|弾《ひ》ける?」
 とてつもなく嫌《いや》な予感に最大速度で襲《おそ》われ、俺は全速力で首を振った。
「できん」
「あっそう。でも練習|次第《しだい》でどうにでもなるわ。なんたって後一年も時間があるんだからね」
 おいおい。
「来年の文化祭、あたしたちもバンドで参加しましょうよ。軽音楽部じゃなくてもオーディションに受かれば出れるみたいだし、あたしたちなら楽勝だわ。あたしがボーカル、有希がギターで、みくるちゃんはタンバリンを持たせてステージの飾《かぎ》りになってくれればいいわよね」
 いやいや。
「もちろん映画の第二弾《だいにだん》も作らないといけないから、うん! 来年はいそがしくなるわよ。やっぱ目標数値は常に昨年対比を上回らないといけないのよね!」
 待て待て。
「さ、行くわよ。キョン」
 おい、いや待て。どこへ。何のために。
「機材をもらいによ! 軽音楽部の部室に行けば余ってるのが何か落ちてるわ。それにあの三年生バンドの人たちに作曲方法とか聞いとかないと。善は急げ」
 急ぐときこそあえて回るべきではないかと俺が考え込むのも無視し、ハルヒはがっと俺の手首をつかむと、引きずるようにして歩き始めた。
 大股《おおまた》で。威勢《いせい》よく。
「安心しなさい。作詞作曲プロデュースはあたしがやったげるから。もちろんアレンジと振り付けもね!」
 やれやれだ。またもやハルヒの脳内にしかない謎《なぞ》のスイッチがカチリと音を立てて変なところにハマったらしい。UFOでももう少しソフトだろうと思える力任せのアブダクションを受けながら、俺はもう一度宙を見上げて助けとなりそうな人影を求めた。
 部室の窓辺には誰《だれ》も立っていない。達人級ギタリストでもある魔法使《まほうつか》いみたいな宇宙人は、今頃《いまごろ》はのんびりと読書に励《はげ》んでいるらしかった。まあ、秋だしな。
「自分の足で歩きなさいよ。ほら、階段なんか三段飛ばしで!」
 振り返ったハルヒは輝《かがや》かしい瞳《ひとみ》に楽しいことを思いついた時の色を存分に広げ、歩調の速度をさらに増し、ついには走り出した。しょうがないので俺も走る。
 何故《なぜ》かって?
 ハルヒの手が俺から離《はな》れるには、まだ時間がかかりそうだったからさ。


 そんな感じで、一年目の文化祭は季節の移り変わりとシンクロしたような慌《あわ》ただしさとともに通り過ぎて行ったわけだが、ハルヒの頭の中にはまだお祭り騒ぎの余韻《よいん》がわだかまっているらしく、その余韻の背景で「前売り券絶賛デザイン中」とか「全米を震撼《しんかん》させる(予定)」とか「構想一年、撮影一ケ月(ほば決定)」とかのキャッチコピーがタイポグラフィックっぼく文字を躍《おど》らせているようだった。
 ようするに来年の文化祭に向けてアホ映画二作目をせっせと考え始めているのだ。気が早いにもほどがあるだろう。
 俺としては担《かつ》いで歩いていた重い荷物をようやくの思いで届け終わり、やっと帰れるとばかりに安息の心持ちでいたところにさらに重量を増した荷物の配送予約が入ったようなもので、獣道《けものみち》で、ベンガルトラに待ち伏せされていた小動物のように怯《おぴ》える主演女優と一緒に恐《おそ》れおののくしか手がないのだが、それも先だって上映された映画があんまりなシロモノだったせいだ。
 どれほどあんまりだったのかは、まあ、以下の通りである。

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