あとがき
「エンドレスエイト」
最初にこれを書いたとき、ちょうど原稿《げんこう》用紙|換算《かんさん》で百枚くらいでした。そこから二十枚ほどカットしたものをザ・スニーカーに載《の》っけていただくことになりましたが、今回せっかくですので初期バージョンに戻《もど》してみました。別に何が変わったわけでもありませんが、なんとなく気分的にホッとします。
「射手座の日」
関係ありませんが、もともと僕はゲームと名の付くものをそんなにプレイすることがなく、年間通じてソフトの一つでもクリアすれば僕にしてみればよくやったほうではないでしょうか。ちなみに一番最近やり始めて何とかエンディングまで辿《たど》り着けたゲームは『リンダキューブアゲイン』でした。面白《おもしろ》かった。
そろそろドリームキャストを買おうかと思っています。
「雪山|症候群《しょうこうぐん》」
書き下ろし中編です。一番長いです。自動的に短くまとめてくれる編集ツールがどこかに落ちてないものかと、けっこう真剣《しんけん》に最近よく思います。
この話を書くにあたって次の書物を参考資料とさせていただきました。篤《あつ》くお礼申し上げます。
・『フェルマーの最終定理』 サイモン・シン著 青木薫訳(新潮社)
・『図形がおもしろくなる』 大野栄一著(岩波ジュニア新書)
なお、作中で使用した式とその解説に変なところがあるとしたら、それは純然たる僕の脳《のう》細胞《さいぼう》不足に他《ほか》ならないことを付言しておきます。
最後に、お悔《く》やみの言葉を。
さる二〇〇四年七月十五日、吉田《よしだ》直《なお》さんが逝去《せいきょ》されました。
思い起こせば僕と氏が最初に対面する機会を得たのは、角川書店新春感謝会の当日、僕がスニーカー大賞をありがたくも授与《じゅよ》された式典の直後のことです。その時の僕は、実に受賞を電話で聞いた十日後のことであり、早い話が単なる素《しろうと》人でした。そんな素人が高名にして著名な方々がわんさと集合する感謝会会場でできたことは、ただ編集さんの後を付いて色々な人にペコリペコリと挨拶《あいさつ》することくらいのものです。
と、そんな緊張《きんちょう》の極限に達しつつある僕のもとに、一人の爽《さわ》やかな男性がおもむろに歩み寄ってこられました。彼は快活な笑顔《えがお》とともに僕の肩《かた》を叩《たた》くと、
「よっ、後輩《こうはい》!」
そうおっしゃった人こそが吉田直さんでした。
よっ、後輩――。その時の僕に氏がかける言葉として、それ以上的確で明快なセリフはどこにも存在しなかったでしょう。
その後、氏は、ガチガチに凝《こ》り固まり「いやあ」とか「どうも」ぐらいしか口走ることのできない僕と、それでも二言三言会話してくれた後、朗《ほが》らかに笑いながら、
「じゃ、また」
と、その場を立ち去られていかれました。それが僕が氏を見た最初で最後の姿です。
それから三日ほどインフルエンザで寝込《ねこ》んで、ようやく我に返った僕は、あの時もっとマシな返答をすべきだったとしみじみ反省し、そして心に刻みました。今度会うことがあればこちらからかける言葉を用意しておこう。
結局、僕が氏に何かを告げる機会は永遠に失われました。ですが、この場をお借りして申し上げることは無駄《むだ》ではないと信じています。
僕はこう声をかけたいと考えて、その日が来るのを待っていました。
「やあ、先輩!」
今はただご冥福《めいふく》をお祈《いの》り申し上げるのみです。
<初出>
エンドレスエイト…………「ザ・スニーカー」 二〇〇三年十二月号
射手座の日…………………「ザ・スニーカー」 二〇〇四年四・六月号
雪山症候群………………… 書き下ろし