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 あとがき

 あとがき代わりの思い出話でご容赦《ようしゃ》願います。

 小学六年生の時に同じクラスになった彼は天才と言っても決して言いすぎでなかった。彼はクラスの中心人物で頭が良ければ家柄《いえがら》も良く、一貫《いっかん》して周囲に明るい雰囲気《ふんいき》と笑いの空気を振《ふ》りまいている優《すぐ》れ者だった。彼には眩《まばゆ》いまでのカリスマ性があった。そんな彼と僕が親しくなったのは当時の彼と僕の趣味《しゅみ》が同じだったからである。釣《つ》りと海外ミステリ。食い合わせがいいのか悪いのか解《わか》らない。
 クラスの班分けでも彼と一緒《いっしょ》だった。班長は当然彼である。ある日、クラスを代表する班がそれぞれ学年全員の前で芸を披露《ひろう》するというイベントがあった。我々の班は何をすべきかギリギリまで決まらず頭を悩《なや》ませていたとき、彼は「では劇でもやろう」と言ってオリジナル脚本《きゃくほん》を書いてきた。忘れもしない。そのシナリオを読みながら僕は涙《なみだ》を流して笑い転げた。この世にこんな面白《おもしろ》いものがあったのかと。
 そして我々は彼の演出のもと、そのシナリオを忠実に再現した。我々が演じたその劇を見た六年生全員が笑っていた。先生たちも笑っていた。我々の班は金賞を獲得《かくとく》し、木彫《きぼ》りの盾《たて》をもらった。その時僕が演じた役が何だったかは昨日のことのように思い出すことができる。
 その後、中学をともに過ごしたのち彼は遠くの高校に進学し、さらに遠くの大学へと進んだ。
 時々考える。あれほど誰《だれ》かを笑わせることが果たして僕にできるだろうか――、そして、あの彼の脚本によって僕のどこかにあったスイッチが入れられたのではなかったか――。
 その思いは僕の内部に根を張って、決して忘れ得ない記憶《きおく》の一部となっている。

 ……ちょっと足りませんか。続いて思い出話第二|弾《だん》。

 高校時代、僕は一瞬《いっしゅん》だけ文芸部に所属していた。メインの部活動が他《ほか》にあったので足を向けるのは一週間に一度もあればいいほうだったが、もともと週一でしか開いていなかった。部員が一学年上の女子生徒一人だけだったからである。僕が初めて門を叩《たた》いたとき、眼鏡《めがね》をかけた理知的な顔つきの彼女が唯一《ゆいいつ》の部員で部長で先輩《せんばい》だった。その先輩と当時の僕が何を話したのか、何か話すことがあったのか、全然覚えていない。ひょっとしたら何一つ話などしなかったのかもしれない。
 入部しばらくして文芸部の会誌を二人で作った。僕が何を書いたのかはあんまり思い出したくない。小説ではなかった。表紙は僕が描《えが》いた。これも思い出したくない。二人だけではページが埋まらないので先輩は彼女の友達数人に声をかけて文章を寄稿《きこう》してもらっていた。関係ないがそのうち一人の名前がとても印象的で今もよく覚えている。
 三年生になると先輩は部活を引退して受験勉強に専念するようになった。期を同じくして新入部員が五人くらい入ってきた。なぜだか解らない。もう一つの部活のほうが圧倒《あっとう》的に楽しくなっていた僕も間もなく文芸部に行かなくなった。
 先輩とは彼女の卒業の日に会った。そこでの会話も記憶にない。たぶんあたりさわりのない会話をして淡々《たんたん》と立ち去る後ろ姿を見送ったのではないだろうか。
 その先輩の名前を思い出すことができない。きっと先輩も僕の名前を覚えていない。だけどあの時そこに誰かがいたことは彼女も覚えているんじゃないかと思う。
 僕がそうであるように。

 ……という感じの嘘《うそ》くさくイタい思い出ポエム二連発であとがきページを埋めているあたりにアップアップ感が漂《ただよ》っていますが、しかし自分のボンヤリした記憶の中をさまよっていると笑えるエピソードよりも頭を抱《かか》えたくなることのほうが多くて卒倒《そっとう》しそうになりますね……。もうちょっと何とかできただろうと考えなくもないのですが、そんなの川に落っこちてプカプカ流れているサッカーボールの運命を考えているのと同じなので、もっと違《ちが》う方向に目を向けたほうがいいようにも思います。
 最後に、この本の出版に関係していただけたあらゆる方々と読んでいただけたすべての方々に感謝の踊《おど》りを捧《ささ》げつつ、それではっ。

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