あとがき
近所のコンビニが続けざまに店じまいしてしまったため、一番|最寄《もよ》りのコンビニに行くまで徒歩十五分くらいかかるようになってしまったのですが、その|途上《とじょう》、冬場になると|渡《わた》り|鳥《どり》たちでにぎわうことになる割と大きめの池があります。
このあいだ通りかかったところ、なぜかもう夏だというのに池に居残っているマガモの|雄《おす》が一羽、|水面《みなも》でゆらゆらたゆたっておりました。
はて、このマガモはどういう理由で仲間たちと|袂《たもと》を分かち|孤高《ここう》の道を歩んでいるのだろうかと僕は考え、彼が春先のある朝に目を覚ましたら周囲に|誰《だれ》もおらず置いてけぼりにされたことに気付いて|愕然《がくぜん》とする様を想像して人並みに心を痛めていたりもしたのですが、先日、真夜中に買い出しへと出向いたとき、このマガモ氏が池近くの川の真ん中をバシャバシャ歩きながらガァガァ鳴いているのを|目撃《もくげき》して、なんとなくホッとするものを感じました。なんだ、単に変な|奴《やつ》だったのか。
人間界に集団行動を意味もなく|嫌《きら》う人がたまにいるように、彼もまたカモ界の中でのヒネクレ者だったに違いありません。おそらく彼は一緒に北へ行こうと言う仲間たちの誘いを断り、「いや、俺はここに残る。理由は特にない」みたいなことを主張して、渡り鳥社会に据けるルーチンワークからの|逸脱《いつだつ》を|選択《せんたく》したのでしょう。なんせ真夜中にウロウロしているくらいの変わり者ですから、広い池に一羽でポツンとしている程度のことは何の気にもならないような、むしろ孤独を愛する精神の持ち主であることは容易に推察できようというものです。
と思って|密《ひそ》かに得心していたのですが、ちょろりと調べてみたところによりますと、最近は春になっても北上せずそのまま居着いてしまう渡り鳥もけっこう存在するようで、ようするに池にやってきた人間がエサを|撒《ま》いてくれるから食い|扶持《ぶち》に困らず|居心地《いごこち》がいいんだとか。何と言うか、それじゃ変な奴ではなくて面倒くさがりのズボラ野郎ではないかと勝手に落胆しつつ|幻想《げんそう》を打ち|壊《こわ》されつつこのあとがきなる文を|埋《う》めている僕の心中など、まさに当のカモ氏にはそれこそ何の関係もない話であることでしょう。
ところで話は変わりますが、次巻は「ザ・スニーカー」に|掲載中《けいさいちゅう》(二〇〇三年の夏・現在)うわさの短編を幾つかまとめて書き下ろしか何かを付け加えたものになるという噂です。たぶん表紙タイトルは『涼宮ハルヒの退屈』ではないかと考えていますが、何かの|拍子《ひょうし》に変わるかもしれません。そもそも『涼宮ハルヒの憂鬱』なんていう三秒くらいしか考えていない題名をつけてしまったせいでシリーズタイトルがよく|解《わか》らないことになっております。まさか続くとは思いもよっていませんでした。すみません。
またまた話は変わりますが、先日長々と|麻雀《マージャン》におつきあいいただいた方々、少しは|容赦《ようしゃ》とか手加減とか手心……いえ何でもないです。
どうもでした。
最後に、担当S様とイラストいとうのいぢ様、ならびにこの本の製造に|携《たずさ》わっていただけた方々と、そして読んでいただけたすべての方々|皆様《みなさま》に平身低頭しながら、それではまたいずれの機会にでも。
谷川 流