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    プロローグ


 |悩《なや》みも何もないように見えるハルヒの|唯一《ゆいいつ》の悩みとは、一言で言うと「世界は|普通《ふつう》すぎる」ってことである。
 では、こいつの考える「普通でないこと」てのは何なのかというと、これまた一言で言うとスーパーナチュラルであって、要するに「あたしの目の前に|幽霊《ゆうれい》の一つも現れないとは何事か」などと考えていやがるのだった。
 ちなみに「幽霊」の部分は「宇宙人」とか「未来人」とか「|超能力者《ちょうのうりょく》」とかでも|置換《ちかん》可能だが、言うまでもなくそんなもんが目の前をフラフラしているような世界はフィクションの世界であって現実にはなく、よってハルヒの悩みはこの世界で暮らす限り永遠に続くことになっている――はずだったのだが、実はそうとも言い切れないので俺も困り果てているところだ。
 なぜなら俺には宇宙人と未来人と超能力者の知り合いがいるからである。
 
「重要な話があるんだが、聞いてくれ」
「なによ?」
「お前は宇宙人か未来人か超能力を使うような|奴《やつ》がいて欲しいんだよな?」
「そうだけど、それがどうしたのよ」
「つまりだ、このSOS団とやらの目的は、そういう連中を|捜《さが》すことにあるんだよな?」
「探し当てるだけじゃダメよ。|一緒《いっしょ》に遊ばないといけないの。見つけただけじゃ|画竜点晴《がりょうてんせい》を欠くというものだわ。あたしがなりたいのは|傍観《ぼうかん》者じゃなくて当事者だから」
「俺は永遠に傍観しておきたいがな……。いや、まあ、それはいいんだが、実は宇宙人も未来人も超能力者も、思いも寄らぬ身近にいるんだよ」
「へぇ。どこの|誰《だれ》? まさかとは思うけど、|有希《ゆき》やみくるちゃんや|古泉《こいずみ》くんのことじゃないでしょうね。それじゃちっとも『思いも寄らぬ』じゃないもの」
「えー……あー……。実はそう言おうと思ってたんだけどな」
「バカじゃないの? そんな都合のいい話があるわけないじゃないの」
「ま、普通に考えたらそうだよな」
「それで、誰が宇宙人だって?」
「聞いて喜べ、あの|長門《ながと》有希は宇宙人だ。正確に言うと、なんつったけな。統合ナントカ思念体……情報ナントカ思念体だったかな? まあそんな感じの宇宙人みたいな意識がどうかしたとかいうような存在の手先だ。そう、ヒューマノイドインターフェースだった。それだよ」
「ふーん。で? みくるちゃんは?」
「|朝比奈《あさひな》さんはだな、割と簡単だ。あの人は未来人だ。未来から来てるんだから未来人で合ってるだろ」
「何年後から来たのよ」
「それは知らん。教えてくれなかったんでな」
「ははあん、|解《わか》ったわ」
「解ってくれたか」
「ということは古泉くんは超能力者なのね? そう言うつもりなんでしょ」
「まさしく、そう言うつもりだった」
「なるほどね」
 そう言ってハルヒは|眉毛《まゆげ》をびくびくさせながら、ゆっくりと息を吸い込んだ。それから、次のように|叫《さけ》んだ。
「ふざけんなっ!」


 このように、ハルヒはせっかくの俺の真相激白を物の見事に信じなかった。無理もない。実際に三人が宇宙人モドキで未来人で超能力|野郎《やろう》であるという|証拠《しょうこ》を目の前に|突《つ》きつけられた俺だって信じられないくらいだから、アレやコレやを|目撃《もくげき》していないハルヒに信じろと言うのは無茶だったかもしれない。
 しかしだ。|他《ほか》にどう言えばいいんだ? 俺の言ってるのは|掛《か》け値なしの|嘘偽《うそいつわ》りなしだぜ。これでも俺には嘘をついたところでどうにもならないときは正直にものを言う習性がある。
 確かに俺だってどこかの親切な奴が「お前がよくご存じの誰それさんは実は……」なんて言い出したら、「ふざけんな」と言うところである。もしそいつが|真面目《まじめ》に言っているのだとしたら、そいつの脳にタチの悪い虫が|湧《わ》いているのか、あるいは毒性の電波を受信しているのかと逆にいたわってやりさえするかもしれん。どちらにせよ、あまり接点を持たないようにはするだろうが。
 うむ? つまりその「そいつ」というのは、今の俺のことなのか?
「キョン、よーく聞きなさい」
 ハルヒは眼球の表面積|一杯《いっぱい》に赤く燃える|炎《ほのお》を|浮《う》かべながら俺を|睨《にら》みつけた。
「宇宙人や未来人や|超能力者《ちょうのうりょく》なんてのはね、すぐそこらへんに転がってなんかはいないのよ! 探して見つけて|捕《つか》まえて首つかんでぶらさげて|逃《に》げ出さないようにグルグル巻きにしないといけないくらいの希少価値があるものなのよ!適当に選んできた団員が全員そんなのだなんて、あるわけないじゃないの!」
 高説、まことにもっともである。ただし一人は除いてくれ。他の三人は確実に超自然現象のたまものだが、俺だけは地上でまともな進化を|遂《と》げてきた|普遍《ふへん》的|中庸《ちゅうよう》な人類の同類だ。それから、やっぱり団員を適当に選んでたのか、こいつは。
 しかし、このアホ女はどうして変な部分で常識的なんだ? すんなり信じておけば、今より物事が簡単になっているだろうに。少なくとも、SOS団とかいう変態組織は解散できるに|違《ちが》いない。これはハルヒが宇宙人やら(以下略)などの不思議的存在を探すための|謎《なぞ》団体なんだからな。見つかっちまえば用無しだ。あとはハルヒ一人でそいつらと遊んでいればいい。俺はたまに混ぜてもらうくらいでちょうどいいな。クイズ番組で司会者の横で無意味に笑って立っているだけのアシスタント役で俺は満足するね。合いの手打ってるだけでギャラもらえるようなポジションに俺も早く立ちたいものだ。現在の俺は、どうやら動物。バラエティに出てきて芸を強要される雑種犬みたいなもんだからな。
 もっとも、ハルヒがすべての現象を自覚してしまえば、この世界全体がどうなるか知れたものではないのだが。


 ちなみに|冒頭《ぼうとう》の会話は参加人数二人でおこなった第二回「SOS団、市内ぶらぶら歩きの巻(|仮称《かしょう》)」の日、駅前の|喫茶店《きっさてん》における俺とハルヒの会話である。俺は心おきなくハルヒの|払《はら》いであることを確信し、ストロングコーヒーを|啜《すす》りながら|余裕《よゆう》たっぷりに解説してやり、ハルヒはまるで信用せず、そりゃそうだ、やっぱりどう考えても信じるほうがどうかしていると言える。
 俺は俺で|詳細《しょうさい》を説明するわけにもいかず、だいたいこういうもんは、細かいディテールを説明すればするほど頭を疑われると相場が決まっているからな。最初に長門のマンションに連れ込まれて長々と意味不明な銀河規模の電波話を聞かされた俺が言うんだから間違いない。
「あんたの|面白《おもしろ》くないアホジョークはもういいわ」
 ハルヒは緑黄色野菜ジュースをストローで吸い上げきった後にそう言い、
「じゃあ、行くわよ。今日は二手に分かれるわけにもいかないから二人で|隅々《すみずみ》まで回るのよ。それからあたし|財布《さいふ》忘れてきたから、はい伝票」
 俺が計八百三十円を表示している紙切れを見つめて抗議の声の内容を考えている隙に、ハルヒはテーブル上に置いてあった俺のコーヒーを一息で飲み干し、どんな文句も受け付けないといった感じの一睨みを俺にくれると、|大股《おおまた》で喫茶店を出て行って自動ドアの前で|腕《うで》組みをした。


 それがもう半年前の出来事である。思えば、変なことばかりあったような気のする半年間だった。相変わらずSOS団の正式名称は「世界を大いに盛り上げるための|涼宮《すずみや》ハルヒの団」という寒気を|催《もよお》す団名のままで、この団の活動でいったい世界のどこがどう盛り上がったのかさっぱり不明。だいたい盛り上がってるのはハルヒただ一人じゃないのかと思うし、その存在意義と活動方針も例によって謎であって、宇宙人と遊んだり未来人を|拉致《らち》したり超能力者と|共闘《きょうとう》するというようなことを目的としているらしいのだが、今のところハルヒ的にはそれは成功していない。
 なんせハルヒは宇宙人も未来人も超能力者ともまだ出会っていないと思い込んでるんだからしようがない。親切にもSOS団に所属する俺以外の団員たちの正体を教えてやったと言うのに事実を信じないのであるから、だからこれはもう俺の責任ではなかろう。
 よってSOS団は目的を果たして存在意義を失い、円満に解散したりすることもなく、今日もまた学校サイド|非承認《ひしょうにん》組織として部室|棟《とう》の一角に存在し続けるのであった。
 当然、俺|含《ふく》む団員計五人は文芸部の部室にパラサイトしたままだ。生徒会|執行部《しっこうぶ》はあらゆる意味でSOS団を無視することにしたらしく、俺の提出した創部|申請《しんせい》書をはね|除《の》けたかわりに部室の不法|占拠《せんきょ》にも何も言わなかった。本来|唯一《ゆいいつ》の文芸部員だった長門有希が何も言わないからかもしれないが、ハルヒに何か言うくらいなら見て見ぬふりをしたほうが全体的にマシであると判断したからだと俺は推理している。
 |誰《だれ》しも「これは|踏《ふ》むと|爆発《ばくはつ》します」と|万国《ばんこく》共通文字でネオンを光らせている爆発物を踏みたくはあるまい。俺だってごめんだ。そうと知っていたら俺は入学したばかりの教室で、後ろの席で|仏頂面《ぶっちょうづら》している女に話しかけたりはしなかったってなもんだ。
 うっかり時限|爆弾《ばくだん》の起動スイッチをいれてしまったばかりに、爆弾|抱《かか》えて右往左往するマヌケ役を押しつけられた|一般人《いっぱんじん》的高校生。それが今の俺の置かれた立場である。しかも「涼宮ハルヒ」と書いてあるこの爆弾には爆発予定時刻までのカウントダウンが表示されないのである。
 いつ何時|炸裂《さくれつ》するのか、どのくらいの|被害《ひがい》をもたらずのか、中に何が|詰《つ》まっているのか、それ以前にこれは本当に爆弾なのか、誰かが爆弾と言ってるだけのガラクタなのか、それすら|解《わか》らないのだ。
 そこらを探しても危険物専用のダストシュートを発見できるわけもなく、それはつまり、この人的危険物はセメントでも|塗《ぬ》りつけてあったかのように俺の手を|離《はな》れないということでもあった。
 ほんと、どこに捨てたらいいんだろうな、これ。



    第一章


 一般論として、学校にはイベントが付き物だ。そう言えぱ俺の高校でも先月は体育祭が|実施《じっし》された。競技の合間のクラブ|対抗《たいこう》リレーなるエキシビションマッチにSOS団も参加するなどとハルヒが言い出したときにはまさかと思ったが、そのまさか、本当に我がSOS団のメンバーでバトンリレーして陸上部をぶっちぎりラグビー部を|蹴散《けち》らしアンカーハルヒが二着に約十三馬身差でゴールテープを切ってしまうとは思いもしなかった。おかげで以前から|囁《ささや》かれていた我々(俺以外)の変態性が、まるで誰かが授業中にイタズラで押した非常ベル並みに学内に鳴り|響《ひぴ》くことになっちまったのには頭が痛む。言い出しっぺのハルヒに最大の責任が課せられるのは言うまでもないが、第二走者の長門にも問題があるよな。よもや|瞬間《しゅんかん》移動としか思えない走りを見せるとは、さすがの俺も予測しなかった。前もって言ってくれよ、長門。
 いったいどんな|魔法《まほう》を使ったのかと|訊《き》いた俺に、この笑わない宇宙人製の有機アンドロイドは、「エネルギー準位」とか「量子|飛躍《ひやく》」とかいう単語を使って説明しようとしてくれたが、すでに理系の道をあきらめて文系へと進賂を決めていた俺にはまったく関係なく、理解もできず、したくもなかった。
 そんな|狂乱《きょうらん》の体育祭が終わって、やっと月が変わったと思ったら今度は文化祭なるものが待ち受けていた。現在、このチンケな県立高校はその準備に追われている。追われているのは教師|陣《じん》と実行委員会とこんな時くらいしか|腕《うで》の|振《ふ》るいようもない文化部くらいかもしれないけどな。
 もちろん部活動以前に、部活として|認定《にんてい》されていないSOS団が何らかの創造的な作業に追われるいわれはない。なんなら近所の|野良猫《のらねこ》を|捕《つか》まえて|檻《おり》にでも入れて「字宙|星獣《せいじゅう》」とかいう看板を付けた上に見世物小屋を営業しても俺は構わないが、シャレの解らない客は構うだろうし、解る|奴《やつ》でもせせら笑う。それによく考えるまでもなく出し物を考える必要性などどこにもない。やる気もない。現実的な高校の文化祭なんてものは実に現実的だ。|嘘《うそ》だと思うなら、学祭やってるとこならどこでもいい、ちょろりと|覗《のぞ》くがいい。それが|数多《あまた》ある学校行事の一つでしかないことが|如実《にょじつ》に理解できるだろう。
 ところで俺とハルヒの所属クラス、一年五組が何をするかというと、アンケート発表とかいう適当|企画《きかく》でお茶を|濁《にご》すことになっている。春先に朝倉|涼子《あさくらりょうこ》がどっかに行っちまって以来、このクラスでリーダーシップをとろうなどという頭のおかしい高校生は存在しない。この企画モノだって、気詰まりな|沈黙《ちんもく》が延々続いていたLHRの時間に担任|岡部《おかべ》教師がムリヤリひねり出して来たアイデアで、反対賛成両方の意見も|皆無《かいむ》なまま、時間切れで決まった。何をアンケートして発表するのか、そんなことをして誰が楽しいのか、たぶん誰も楽しんだりはしないだろうが、まあそんなもんだろう。がんばってやってくれ。
 というわけで、俺はアパシーシンドローム並みの無気力さで、今日もまた部室へのこのこと向かうのだ。なぜ向かうのか。その答えは俺の横で|威勢《いせい》よく歩いている女がこんなことを|喋《しゃべ》っているからにほかならない。
「アンケート発表なんてバカみたい」
 そいつは|間違《まちが》って|納豆《なっとう》にソースをかけてしまったような顔でそう言った。
「そんなことをして何が楽しいのかしら。あたしには全然理解できないわ!」
 だったら何か意見を言えばよかったじゃないか。お|通夜《つや》みたいな教室で困り切った岡部|教諭《きょうゆ》の顔を、お前も見てただろうに。
「いいのよ。どうせクラスでやることなんかに参加するつもりはないから。あんな連中と何かやったって、ちっとも楽しくないに決まってるのよ」
 その割には、体育祭ではクラスの総合優勝に|貢献《こうけん》していたような気がするけどな。短・中・長|距離《きょり》走とスウェーデンリレーの最終走者で登場し、そのすべてで優勝していたのはお前だと思ったが、ありゃ別人か。
「それとこれとは話が別よ」
 だからどこが違うんだよ。
「文化祭よ文化祭。違う言葉で言えば学園祭。公立の学校はあんまり学園と言わないような気がするげど、それはいいわ。文化祭と言えば、一年間で最も重要なスーパーイベントじゃないの!」
 そうなのか?
「そうよ!」と、そいつは力強くうなずいた。そして宣告した。俺に。次のようなことを。
「あたしたちSOS団は、もっと|面白《おもしろ》いことをするわよ!」
 そう言った涼宮ハルヒの顔は、第二次ポエニ戦争でアルプス|越《ご》えを決意したばかりのハンニバルのような、迷いのない晴れやかな輝《かがや》きを放っていた。


 放っていただけだったが。
 ハルヒの言う「面白いこと」というものが俺にとって|愉快《ゆかい》な結果を生んだことは、この半年で一度もない。それは|大概《たいがい》において|疲労《ひろう》するだけで終わる。少なくとも俺と朝比奈さんは疲労するのだが、それだけまともな人種であるというごとだ。俺の見る限り、ハルヒが全然まともでないのは世界の常識だとして、古泉も|普通《ふつう》の人間的な精神をしているとは思えず、長門に至っては人間ですらない。
 そんな奴らに混じってしまって、いったい俺はいかにしてこの異常の|極致《きょくち》のような高校生活を切り|抜《ぬ》けていけばいいんだろう。半年前に俺がしなければならなかったようなことだけは、もうゴメンだ。あんなアホみたいな|軽挙妄動《けいきょもうどう》は二度としたくないね。思い出しただけで――|誰《だれ》か|銃《じゅう》を貸してくれ――自分のこめかみを|撃《う》ち抜きたくなる。あの時の|記憶《きおく》が納まっている|脳細胞《のうさいぼう》を|抽出《ちゅうしゅつ》して燃やしたいくらいだ。ハルヒはどう考えているか知らんけど。
 そうやって過去の記憶をふっとばす方法を考えていたせいか、横のうるさい女が何か言っているのを聞き|逃《のが》した。
「ちょっとキョン、聞いてるの?」
「いや聞いてなかったが、それがどうした」
「文化祭よ、文化祭。あんたももうちょっとテンションを高くしなさいよ。高校一年の文化祭は年に一度しかないのよ」
「そりゃそうだが、べつだん|大騒《おおさわ》ぎするもんでもないだろ」
「騒ぐべきものよ。せっかくのお祭りじゃないの、騒がないと話にならないわ。あたしの知ってる学園祭ってのはたいていそうよ」
「お前の中学はそんなに大層なことをしていたのか」
「全然。ちっとも面白くなかった。だから高校の文化祭はもっと面白くないと困るのよ」
「どういう感じだったらお前は面白いと思うんだ」
「お化け|屋敷《やしき》に本物のお化けがいるとか、いつの間にか階段の数が増えてるとか、学校の七不思議が十三不思議になるとか、校長の頭が三倍アフロになるとか、校舎が変形して海から上がってきた|怪獣《かいじゅう》と戦うとか、秋なのに季語が梅だとか、そんなんよ」
 さて、俺は|途中《とちゅう》から聞くのをやめていたので階段以降の演説が何だったのか知らないが、よかったら教えてくれ。
「……まあ、いいわ。部室に着いてからじっくり話してあげるから」
 |機嫌《きげん》を|損《そこ》ねてむっつりと|黙《だま》り込んだハルヒは、すっかたすっかたと歩を刻み、あっというまに部室の|扉《とびら》を前にした。その扉には|貼《は》りつけられた「文芸部」のプレートの下に「withSOS団」とぶっきらぼうな字体で書かれた紙切れが|画鋲《がびょう》で留めてある。「もう半年もここにいるんだもの。この部屋はあたしたちの物と言っても誰も文句はないわよね」という身勝手な|占有権《せんゆうけん》を主張してプレート自体を貼り|替《か》えようとしたのはハルヒで、止めたのは俺だ。人間、程度ある|慎《つつし》み深さが|肝心《かんじん》なのさ。
 ハルヒはノックもぜずに扉を開き、俺は部屋の中に|妖精《ようせい》さんが立っているのを見た。彼女は俺と目が合うなり、|百合《ゆり》の花の|化身《けしん》と見まがうばかりの|微笑《ほほえ》みを|浮《う》かべ、
「あ……。こんにちは」
 メイド|衣装《いしょう》に身を包み、|箒《ほうき》を持って|掃《は》き|掃除《そうじ》していたのはSOS団の|誇《ほこ》るお茶くみ係、朝比奈みくるさんだった。彼女はいつも通り、部室に住む妖精のような微笑みで俺を|迎《むか》えてくれた。本当に妖精か何かかもしれない。未来人と言うよりはそっちのほうが似つかわしいもんな。
 団創設時、「マスコットキャラが必要だと思って」という意味不明な理由を口走るハルヒによって連れてこられた朝比奈さんは、これまたハルヒによって|無理矢理《むりやり》メイド服に着せ替えられ、以来そのままSOS団付きのメイドさんとして毎日放課後ここで|完璧《かんぺき》なメイドさんになりきっていた。頭のネジがオカシイ人だからではなく、こちらが|涙《なみだ》ぐみそうになるくらい素直《すなお》な人なのだ。
 バニーやらナースやらチアガールにもなってくれた朝比奈さんだが、やっぱりメイドさん衣装が一番よいね。はっきり言えぱ、こんな恰好《かっこう》には何一つ意味もなければ|伏線《ふくせん》にもなってないと思うのでここはそういうもんだと思っておいて欲しい。ついでに断っておくが、ハルヒのやることに意味があったほうが少ない。
 しかし何かの原因になっていることはけっこうある。それで俺たちはよく困ってるんだからな。どうせなら委細全部いっさい無意味であったほうがどれだけかマシなんだけども。
 そんなハルヒがおこなった数少ないマシなことが――というかこれしかないのだが――、朝比奈さんメイドバージョンだった。あまりにも似合っていて|眩暈《めまい》を覚えるほどだ。こればっかりはハルヒの思いつきを評価せざるを得ないね。どこでいくらで買ってきたのかは知らないが、ハルヒの衣装センスはなかなかのものだ。もっとも、朝比奈さんなら何を着ても|極上《ごくじょう》のモデルになるだろう。中でもメイドは俺のお気に入りで、つまるところ俺の目を喜ばせるという意味で有意義なのさ。
「すぐにお茶|淹《い》れれますね」
 |可愛《かわい》らしく|囁《ささや》きかけた朝比奈さんは、箒を掃除用具入れにしまうと、ちょこまかと|戸棚《とだな》に|駆《か》け寄って各自専用の湯飲みを取り出し始めた。
 |脇腹《わきばら》を|硬《かた》い物が|突《つ》いていた、と思ったら、ハルヒが|肘《ひじ》打ちを|喰《く》らわせていた。
「目が糸みたいになってるわよ」
 朝比奈さんの愛らしい仕草に感激するあまり、自然と目を細めていたらしい。誰だってそうなるさ。|可憐《かれん》に|優雅《ゆうが》に|恥《は》じらう朝比奈さんを前にしたらな。
 ハルヒは「団長」と書かれた|三角錐《さんかくすい》の|載《の》った机の上から「団長」と書かれた|腕章《わんしょう》を取り上げて装着し、パイプ|椅子《いす》にふんぞり返ってから、ぐるりと部室内を|睥睨《へいげい》した。
 もう一人の団員が、テーブルの|隅《すみ》っこで分厚い|書籍《しょせき》を読んでいる。
「……………」
 ただひたすら|黙々《もくもく》と顔も上げずにじっとページを見つめているのは、ハルヒにしてみれば「部室をぶんどったらオマケでついてきた」みたいな文芸部の一年生、長門有希だった。
 大気中の|窒素《ちっそ》のように存在感が|希薄《きはく》なくせに、メンツの中では最も|奇妙《きみょう》キテレツなプロフィールを持つ同級生である。設定のキテレツさ加減ではハルヒ以上とも言える。ハルヒは最初から最後までワケ|解《わか》らんが、長門は中途|半端《はんぱ》に解るだけ余計な混乱を|誘《さそ》うのだ。長門の言うことを信じるならば、この無口・無表情・無感情・無感動のないない四拍子《よんびょうし》がそろい|踏《ぶ》みしたショートカットの|小柄《こがら》な女子生徒は、人間ではなく宇宙人によって製造された対人間用コミュニケートマシンなのである。なんじゃそりゃ、と言われても困る。本人がそう主張しているのだからツッコミようもないし、どうやら本当にそうらしい。ただしハルヒには秘密だ。今んとこ、ハルヒは長門のことを「ちょっと変わっている読書好き」としか思っていないからな。
 客観的に考えても「ちょっと」ではないだろうと思うのだが。
「古泉くんは?」
 ハルヒは朝比奈さんに|鋭《するど》い視線を注いだ。朝比奈さんは|一瞬《いっしゅん》びくうっとなってから、
「さ、さあ。まだです。|遅《おそ》いですね……」
 |茶筒《ちやづつ》から|慎重《しんちょう》な手つきで|急須《きゅうす》にお茶っ葉を入れている。俺は部室の隅のハンガーラックを見るともなしに見物した。様々な衣装が演劇部の楽屋みたいな感じで|掛《か》かっている。左から順に、ナース服、バニー、夏用メイド服、チアリーダー、|浴衣《ゆかた》、白衣、|豹《ひょう》の毛皮、カエルの着ぐるみ、何だかよく解らないヒラヒラでスケスケの服、エトセトラ、etc。
 どれもこれも、この半年間で朝比奈さんの|肌《はだ》の|温《ぬく》もりを知った衣類の数々である。はっきりさせておこう。それを朝比奈さんに着せることに何の意味もない。ただハルヒが自分の満足度を深めただけだ。子供の|頃《ころ》のトラウマかなんかのせいかもな。着せ|替《か》え人形を買ってもらえなかったとかそんな感じの。それでこの|歳《とし》になって朝比奈さんで遊んでいるってわけだ。おかげで朝比奈さんのトラウマは現在進行形で進み、そして俺は眼福を得て幸福になるという仕組みである。まあ、トータルで言えば幸せになった人間のほうが多いような気がするので、俺も何も言わないことにしている。
「みくるちゃん、お茶」
「は、はいっ。ただいまっ」
 朝比奈さんは|慌《あわ》てた動作で「ハルヒ」とマジックで署名してある湯飲みに緑茶を|注《つ》ぐと、お|盆《ぼん》に載せてしずしずと運んだ。
 受け取ったハルヒはズズズと熱い茶を|啜《すす》ってから、|弟子《でし》の|不手際《ふてぎわ》を責める|華道《かどう》の|師匠《ししょう》のような声を出した。
「みくるちゃん、前にも言ったと思うけど、覚えてないの?」
「え?」
 朝比奈さんは思いっきり不安そうに盆を|抱《だ》きしめて、
「なんでしたっけ?」
 昨日食べた|麻《あさ》の実の味を思い出そうとしている桜文鳥のように首を|傾《かし》げる。
 ハルヒは湯飲みを机に置くと、
「お茶持ってくるときは三回に一回くらいの割合でコケてひっくり返しなさい! ちっともドジッ|娘《こ》メイドじゃないじゃないの!」
「え、あ……。すみません」
 細い|肩《かた》をすくませる朝比奈さん。そんな取り決めをしていたとは俺には初耳だ。こいつは何か、メイドとはドジでしかるべきだと考えているのか?
「ちょうどいいわ、みくるちゃん。キョンで練習してみなさい。湯飲みが頭の上で逆さになるようにね」
「ええっ!?」
 そう言って朝比奈さんは俺を見る。俺はハルヒの頭に穴を|空《あ》けて中身を入れ替えてやろうと電動ドリルを探したが、残念ながら見つからず、代わりにため息をついた。
「朝比奈さん、ハルヒの|冗談《じょうだん》は頭のおかしい|奴《やつ》しか笑えないんですよ」
 そろそろ学習してください、と後に続けたかったのだがやめておく。
 ハルヒは目を|吊《つ》り上げて、
「そこのバカ、あたしは冗談なんか言ってないわよ! いつも本気なんだからね」
 だとしたら余計に問題だな。一度CTスキャンでも|撮《と》ってもらえばいい。それにお前にバカと言われると非常にムカつくのは俺がジョークのセンスに欠けているからかな。
「いいわ。あたしが見本を見せてあげるから、次はみくるちゃんね」
 パイプ|椅子《いす》から飛び上がったハルヒは、あうあう言ってる朝比奈さんの手から盆をひったくって急須をかかげ、俺の名前入り湯飲みにどばどばとお茶を注ぎ始めた。
 |呆《あき》れて見ているうちに、ハルヒは|盛大《せいだい》にお茶をこぼしながら湯飲みを盆に置いて、俺の立ち位置を|捕捉《ほそく》、うなずいて歩き出そうとしたところで俺は横から湯飲みを|奪《うば》い取った。
「ちょっと! 邪魔《じゃま》しないでよ!」
 邪魔も何も、熱湯を頭からぶっかけられようとしているのに|黙《だま》って|突《つ》っ立っている奴がいたらそいつはよほどのお|人好《ひとよ》しか保険金|詐欺《さぎ》|師《し》だ。
 俺は立ったままハルヒの|淹《い》れた緑茶を飲んで、どうして同じ茶葉なのに朝比奈さんの注いでくれたものとこうも味が|違《ちが》うのかと考えた。考えるまでもない。愛情という名のスパイスの差だな。朝比奈さんが野に|咲《さ》く白バラなんだとしたら、こいつは花を咲かせずトゲしかない|特殊《とくしゅ》なバラだ。当然、実を付けることもないだろう。
 ハルヒは、黙って湯飲みを|傾《かたむ》ける俺を|咎《とが》めるような目で見ていたが、
「ふん」
 |髪《かみ》をふいっとなびかせて、団長机に|戻《もど》った。ズズズ。|沸騰《ふつとう》させた苦い飲み薬を飲んでいるような表情だ。
 朝比奈さんはホッとしたように給仕を再開し、長門のマイ湯飲みにお茶を淹れて読書少女の前に置いてやっている。
 長門はピクリともせずに、ただ|黙々《もくもく》とハードカバーに|挑《いど》んでいた。少しは有り難がれよ。|谷《たに》口《ぐち》なら飲み干すのに三日くらいはかけるぜ。
「………」
 パラリとページを繰るだけで、長門は顔も上げやしない。それもまたいつもの調子だから、朝比奈さんも気を|損《そこ》なうことなくメイド活動、自分用の湯飲みをスタンバイ。
 そこに、第五の団員が来なくても|誰《だれ》も気にしないのに来やがった。
「すいません。|遅《おく》れました。ホームルームが長引きましてね」
 いかにも|人畜《じんちく》無害そうなスマイル光線を放ちながらドアを開げたのは、ハルヒいわく|謎《なぞ》の転校生、古泉|一樹《いつき》だった。俺に|恋人《こいびと》がいたとしても友人として|紹介《しょうかい》する気分になれないツラに|微《び》|笑《しょう》を浮かべ、
「僕が最後みたいですね。遅れたせいで会議が始まらなかったのだとしたら謝ります。それとも何か|奢《おご》ったほうがいいですか?」
 会議? なんだそれは。俺はそんなもんをするとは聞いてないぞ。
「言うの忘れてたわ」
 机に|頬杖《ほおづえ》をついたハルヒが言う。
「昼のうちにみんなには知らせといたんだけどね。あんたにはいつでも言えると思って」
 どうして|他《ほか》の教室に出向くヒマがあるのに、同じ教室の前の席にいる俺に伝える手間を省くんだ。
「別にいいじゃないの。どうせ同じ事だし。問題はいつ何を聞いたかじゃなくて、いま何をするかなのよ」
 言葉だけは立派のような気がしたが、ハルヒが何をしようとも俺の気分がすぐれなくなるのは周知の事実と言えよう。
「と言うより、これから何をするのか考えないといけないのよ!」
 現在形なのか未来形なのかはっきりしてくれ。それから主語が|一人称《いちにんしょう》単数なのか、複数形なのかもついでにな。
「もちろん、あたしたち全員よ。これはSOS団の行事だから」
 行事とは?
「さっきも言ったじゃないの。この時期で行事と言えば文化祭以外に何もないわ!」
 それなら、団でなくて学校全体の行事だ。そんなに文化祭をフィーチャーしたいのなら実行委員に立候補すればよかったのによ。くだらん雑用が目白押しに|詰《つ》まっているだろうさ。
「それじゃ意味ないのよ。やっぱりあたしたちはSOS団らしい活動をしないとね。せっかくここまで育て上げた団なのよ! 校内に知らない者はいないまでの|超《ちょう》注目団体なのよ? |解《わか》ってんの?」
 SOS団らしい活動って何だ? 俺はこの半年間におこなったSOS団的活動を思い起こして軽くブルーになった。
 お前は単なる思いつきを口走るだけだから楽だろうが、俺や朝比奈さんの苦労はどうなるんだよ。古泉はやけに|如才《じょさい》なく笑っているだけだし、長門はプレストの役にはまったく立たないし、少しは|一般人《いっぱんじん》たる俺のことも考えて欲しいもんだ。ああ、朝比奈さんもあまり一般的ではないかもしれないが|可愛《かわい》いからオールオッケーだ。そこにいてくれるだけで目の肥やしとなり、俺の|荒《すさ》んだ精神を|癒《いや》してくれるからな。
「期待に|応《こた》えるくらいのことはしないといけないわね」
 ハルヒは難しげな顔つきで|呟《つぶや》いているが、いったいどこの誰がSOS団のやることに期待を持っているのか、それこそアンケートでも採るべきだろう。育て上げたという割にはSOS団は|未《いま》だに同好会以下の存在から|昇格《しょうかく》していないし部員も増えていない。増えたところでややこしいことになるだけだから、いなくていいのだが、これではいつまで|経《た》っても|脱輪《だつりん》したハルヒ特急は線路の|脇《わき》をどこまでも|横滑《よこすべ》りしていくに|違《ちが》いない。そして乗客は俺たち五人しかいないってわけだ。せめて俺の代わりを務めてくれるスケープゴートが欲しいところだね。何なら時給を|払《はら》ってもいいぞ。百円くらいなら。
 一|杯《ぱい》目を三十秒でカラにしたハルヒは、朝比奈さんに二杯目を要求しつつ、
「みくるちゃんとこは? 何すんの?」
「えー……と。クラスでですか? 焼きそば|喫茶《きっさ》を……」
「みくるちゃんはウェイトレスね、きっと」
 朝比奈さんは目を丸くして、
「どうしてわかるんですか? あたしはお料理係のほうがしたかったんですけど、なんかみんなにそう言われちゃって……」
 ハルヒはまた考える目つきをした。例によってロクでもないことを考えているときの目の色をしている。その目がハンガーラックのほうを向いた。そういえば朝比奈さんにまだウェイトレスの|衣装《いしょう》を着せていないことを思い出したような目つきだった。
 ハルヒは|思慮《しりょ》深そうな顔をして、
「古泉くんのクラスは?」
 古泉はひょいと|肩《かた》をすくめた。
「|舞台《ぶたい》劇をするまでは決まったのですが、オリジナルを|演《や》るか古典にするかでクラスの意見が二分されてましてね。もう文化祭まで時間がないというのにいまだに|揉《も》めています。激論を戦わせていたのですけど、決定にはまだかかりそうです」
 それはまた、活気のあるクラスでいいことだな。|面倒《めんどう》そうだが。
「ふーん」
 |浮遊《ふゆう》するハルヒの視線が、まだ一言も発していない残りの団員へと向けられる。
「有希は?」
 読書好きの宇宙人モドキは、雨の気配を感じ取ったプレーリードッグのように顔を上げ、
「|占《うらな》い」
 相も変わらずの|平坦《へいたん》な声で答えた。
「占い?」
 思わず|訊《き》き返したのは俺だ。
「そう」
 長門は|皮膚《ひふ》呼吸すらしていないような無表情でうなずく。
「お前が占うのか?」
「そう」
 長門が占いだって? 予言の間違いじゃないのか。俺は黒いトンガリ|帽子《ぼうし》とマントをまとった長門が|水晶《すいしょう》球に手をかざしている様子を想像し、カップル客二人を前にして「あなたたちは五十八日三時間五分後に別れることになる」と真正直に語っている風景を|幻視《げんし》した。
 少しは|優《やさ》しい|嘘《うそ》も混ぜといてくれよ。ま、長門に未来予知が出来るかどうかはもう一つ確かではないが。
 朝比奈さんが|模擬《もぎ》店で、古泉が演劇で、長門んとこが占い大会か。どこも俺たちのクラスの無気力アンケートよりは何段階かは楽しそうだな。そうだ、こういうのはどうだろう。全部あわせて観劇占いアンケート喫茶をやるというのは。
「アホなこと言ってないで、さくっと会議を始めるわよ」
 ハルヒは俺の貴重な意見を|一蹴《いっしゅう》すると、ホワイトボードに歩み寄る。ラジオのアンテナみたいな指し棒を|伸《の》ばし、バンバンとボードを|叩《たた》いた。
 何も書いていないのだが、どこを見ればいいんだ。
「これから書くのよ。みくるちゃん、あんた書記なんだからちゃんと言うとおりに書きなさい」
 いつから朝比奈さんが書記になったのか俺は知らなかった。|誰《だれ》も知らないだろう。たった今、ハルヒが決めたらしいから。
 お茶くみ|兼《けん》書記となった朝比奈さんが、水性フェルトペンを持ってホワイトボードの脇に|控《ひか》えてハルヒの横顔を|上目遣《うわめづか》い。
 そしてハルヒは、いきなり勝ち|誇《ほこ》った声で言った。
「あたしたちSOS団は、映画の上映会をおこないます!」


 いったいハルヒの頭の内部でどのような|変換《へんかん》がおこなわれたのか|解《わか》らない。それはいいとしよう。いつものことだ。だが、これでは会議ではなくてお前一人の所信表明演説じゃねえか。
「いつものことでしょう」
 古泉が俺に|囁《ささや》きかける。その表情は落書きしたくなるほどのグッドテイストスマイルだ。|端整《たんせい》な|唇《くちびる》を優しげに|歪《ゆが》めたまま古泉は、
「涼宮さんは最初から何をするか決めておいたようですね。話し合いの余地はなさそうです。はて、あなたが何か余計なことでも言ったのではないのですか?」
 映画にまつわるあらゆるトークと今日は|無縁《むえん》だったはずだがな。昨日の深夜にローバジェットのC級映画でも|観《み》てあまりのくだらなさにやるせない気分になったんじゃねえの。
 しかしハルヒは、自分の演説が|聴衆《ちょうしゅう》を残らず感動させたと信じて疑わない|上《じょう》|機《き》|嫌《げん》さで、
「つねつね疑問に思っていることがあるのよね」
 俺はお前の頭の中身が疑問だ。
「テレビドラマとかで最終回に人が死ぬのってよくあるけど、あれってすんごく不自然じゃない? なんでそうタイミング良く死ぬわけ? おかしいわ。だからあたしは最後のほうで誰かが死んで終わりになるヤツが|大《だい》|嫌《きら》いなのよ。あたしならそんな映画は|撮《と》らないわ!」
 映画かドラマかどっちなんだ。
「映画作るって言ったでしょ。|古《こ》|墳《ふん》時代の埴輪でももっとちゃんとした耳穴持ってるわよ。あたしの言葉は一言一句|間《ま》|違《ちが》えずに|記《き》|憶《おく》しておきなさい」
 お前のイカレポンチセリフ集を暗記するくらいなら、近所を走ってる私鉄沿線の駅名を|端《はし》から覚えたほうが|遥《はる》かに有意義だよ。
 朝比奈さんが元書道部とは思えない丸まっちい字で「映画上映」と書くのを見て、満足げにうなずいていたハルヒは、
「というわけよ。解った?」
 |梅雨《つゆ》明けを確信した天気予報士のような晴れやかさで言いやがった。
「何が、というわけ、なんだ?」
 俺は訊く。当然の疑問だろう。映画を上映することしか解らんぞ。配給元はどこにする気なんだ? ブエナビスタインターナショナルに知り合いでもいるのか?
 しかしハルヒは|無闇《むやみ》に黒い|瞳《ひとみ》を|爛々《らんらん》と|輝《かがや》かせ、
「キョン、あんたも頭の足りない|奴《やつ》ね。あたしたちで映画を撮るのよ。そんで、それを文化祭で上映するの。プレゼンテッド・バイ・SOS団のクレジット入りでね!」
「いつからここは映画研究部になったんだ?」
「何言ってんのよ。ここは永遠にSOS団よ。映研になんかなった覚えはないわ」
 映研の奴が聞いたら気を悪くするような言葉を|吐《は》いて、
「これはもう決まったことなの。一事不再理なのよ! 司法取引には応じないから!」
 SOS団の|陪審《ばいしん》員団長|殿《どの》がそう言うのなら二度と意見は|覆《くつがえ》らないのだろうな。いったいどこのどいつだ、ハルヒを長のつく役職に押し上げたのは……と考えかけ、そういやこいつは勝手になっちまったんだった。どこの世界でも声のデカイ奴とシキリ|野《や》|郎《ろう》がいつの間にか|偉《えら》くなってしまっているのは本当のことだからな。おかげで俺や朝比奈さんのような流されやすい善人が|迷《めい》|惑《わく》を|被《こうむ》るってのが、|冷《れい》|酷《こく》非情な人類社会の|矛盾《むじゅん》点であり真理でもある。
 俺が理想的な社会制度とは何かという深遠な命題について考えていると、
「なるほど」
 古泉が何もかも解ったような声で言った。俺とハルヒに等分に|微笑《ほほえ》みかけ、
「よく解りました」
 おい古泉、ハルヒの言いっぱなしボムをまともに受け止めるなよ。お前には自分の意見というものがないのか?
 古泉は|前髪《まえがみ》をちょいと指で|弾《はじ》いて、
「つまり我々で自主製作映画を|撮影《さつえい》し、客を集めて上映しようと、そういうことですね」
「そういうことよ!」
 ハルヒがボードにアンテナを|叩《たた》きつけ、朝比奈さんがびくんとすくむ。それでも朝比奈さんは勇気を|振《ふ》り|絞《しぼ》るように、
「でも……、どうして映画にしたんですか?」
「昨日の夜中ね、ちょっとあたしは|寝付《ねつ》きが悪かったのよ」
 ハルヒはアンテナを顔の前でワイパーのように動かしながら、
「それでテレビ|点《つ》けたら変な映画やってたの。観る気もなかったけど、することもないから観てたのね」
 やっぱりか。
「それがもう、すんごいクダラナイ映画だったわ。|監《かん》|督《とく》ん|家《ち》に国際電話でイタ電しようかと思ったくらいよ。それでこう思ったの」
 指し棒の先が朝比奈さんの小作りな顔に|突《つ》きつけられた。
「こんなんだったら、あたしのほうがもっとマシなモノを撮れるわ!」
 自信満々に胸を反らすハルヒである。
「だからやってやろうじゃないと思ったわけ。何か文句あんの?」
 朝比奈さんは|脅《おび》えたようにふるふると首を振る。たとえ文句があったとしても朝比奈さんは口にしないだろうし、古泉はイエスマンだし、長門はただでさえ何も言わないので、こういう時に何かを話さなけれぱならないのは必然的にいつも俺になる。
「お前が一人で映画監督を目指そうがプロデューサーを志そうが、そんなことはどうでもいい。お前の進路だ、好きにすればいいだろうさ。で、俺たちの希望や意思も好きにしていいんだろうな?」
「何のこと?」
 と、ハルヒはアヒル口。俺は|辛抱強《しんぼうづよ》く言い聞かせる。
「お前は映画を作りたいと言う。俺たちはまだ何も言っていない。もし俺たちがそんなのイヤだと言ったらどうするんだ? 監督だけじゃ映画にならないぜ」
「安心して。|脚本《きゃくほん》ならほとんど考えてあるから」
「いや、俺の言いたいのはそうではなくてだな……」
「何も気にすることないわ。あんたはいつも通り、あたしについてくればいいの。心配の必要はまったくなしよ」
 心配だ。
「段取りは任しといて。全部あたしがやるから」
 なおのこと心配だ。
「ごちゃごちゃうるさい奴ね。やるって言ったらやるのよ。|狙《ねら》うのは文化祭イベントベスト投票一位よ! そうすれば物わかりの悪い生徒会もSOS団をクラブとして認めるかもしれない――いいえ! 絶対認めさせるのよ。それにはまず世論を味方につけないといけないわ!」
 世諭と投票結果が正比例するとは限らないぜ。
 俺は|抵抗《ていこう》を試みる。
「制作費はどうするんだ?」
「予算ならあるわよ」
 どこに? 生徒会がこのアングラ組織のくせに大っぴらに|公称《こうしょう》している団などに予算を配分してくれるとは思えないが。
「文芸部にくれたぶんがあるのよね」
「だったらそれは文芸部の予算だろうが。お前が使っていいもんじゃねえ」
「だって有希はいいって言ったもの」
 やれやれだ。俺は長門の顔を見る。長門はじわじわという動きで俺を見上げると、何も言わないまま、じわじわと読書に|戻《もど》った。
 本当に文芸部への入部希望者は|他《ほか》にいないんだろうな。|訊《き》くつもりはないが、あらかじめ長門が手を回して|廃部《はいぶ》寸前に追い込んでたとしても不思議はない。こいつはハルヒがやってくるのを最初から知っていたらしいし。もし文芸部に入ろうと心を決めていた新入生がいたなら気の毒なことだ。ぜひハルヒの手から本来の文芸部を|奪《うば》い返すようがんばってもらいたい。
 そんな俺の心も知らず、ハルヒはアンテナを振り回しながら、
「みんな|解《わか》ったわね! クラスの出し物よりこっち優先よ! 反対意見があるなら、文化祭が終わった後に聞くわ。いい? 監督の命令は絶対なのよ!」
 そう|叫《さけ》んでいるハルヒは、真夏に|氷塊《ひょうかい》をプレゼントされた動物園のシロクマのように他の物など目に入らないようだった。
 団長の次は監督か。最後には何になるつもりなんだ。……神様とか言わないでくれよ。
「じゃあ、今日はこれで終わり! あたしはキャスティングとかスポンサー関係を色々考えないといけないからね。プロデューサーには仕事がいっぱいあるのよ」
 プロデューサーってのが何をする役職なのかはよく知らないが、それはともかくこいつは何をするつもりなんだろう。スポンサー?
 ぱたん。
 |乾《かわ》いた音がして|振《ふ》り返ると、長門が本を閉じたところだった。今やその音はSOS団本日の営業|終了《しゅうりょう》の合図ともなっている。
 |詳《くわ》しい話は明日ね、と言い残して、ハルヒは|缶詰《かんづめ》を開ける音を耳にした|猫《ねこ》のように走り去った。あまり詳しく聞きたい話にはなりそうもないが。
「よかったじゃないですか」
 こういうことを言い出すのは決まって古泉である。
「宇宙|怪獣《かいじゅう》を|捕《つか》まえて見世物小屋をするとか、UFOを|撃墜《げきつい》して内部構造を展覧するとか、その手の物でなくて僕は安心しています」
 どっかで聞いたようなセリフだな。
 この|微笑《ほほえ》み|超能力《ちょうのうりょく》者は、ふふっと口を開けずに笑い、
「それに僕は涼宮さんがどんな映画を作るつもりなのか興味があります。なんとなく、想像はつくような気もするのですけどね」
 湯飲みを片づける朝比奈さんを横目で見ながら古泉は、
「楽しい文化祭になりそうです。興味深いことですね」
 つられて俺も朝比奈さんに視線を向ける。ぴょこぴょこと|揺《ゆ》れるカチューシャを|眺《なが》めていると、
「あ、な、なんですかぁ?」
 |野郎《やろう》二人の目が自分に集中しているのに気づいた朝比奈さんは、手を止めて|頬《ほお》を赤くした。
 俺は胸中で|呟《つぶや》く。
 いえ、何でもありません。次にハルヒがどんな|衣装《いしょう》を持ってくるのか、それを考えていただけですよ。
 帰り|支度《じたく》を終えた――と言っても本を|鞄《かばん》にしまうだけだったが――長門が音もなく立ち上がり、開きっぱなしの|扉《とびら》から音もなく出て行った。ひょっとしたらさっきまで長門が読んでいたのは|占《うらな》い関係の本だったのではなかったろうか。洋書だったので俺には知るよしもないが。
「しかしまあ」と俺は呟く。
 映画……。映画ね。
 正直言うと、俺も多少の興味はあった。古泉ほど深くはない。せいぜい|大《たい》|陸《りく》|棚《だな》くらいの水深だが。
 せめて俺くらいは期待を持ってやったほうがいいかもしれん。
 どうせ|誰《だれ》も期待してなどいないだろうからな。


 早くも前言|撤回《てっかい》、期待なんぞしてやるんじゃなかった。
 翌日の放課後、俺は苦虫を|噛《か》んで味わうことになる。

・製作著作……SOS団
・総指揮/総|監督《かんとく》/演出/|脚本《きゃくほん》……涼宮ハルヒ
・主演女優……朝比奈みくる
・主演男優……古泉一樹
・|脇役《わきやく》……長門有希
・助監督/|撮影《さつえい》/編集/荷物運び/小間使い/パシリ/ご用聞き/その他雑用……キョン

 こんなことが書いてあるノートの切れ|端《はし》を見て、俺が思うことは一つだ。
「で、俺は何役こなせばいいんだ?」
「そこに書いてある通りよ」
 ハルヒは指し棒を指揮者のように振って、
「あんたは裏方スタッフ。キャストは見ての通り。ぴったりなキャスティングでしょ?」
「あたしが主演なんですかぁ?」
 か細い声で問いかける朝比奈さんは、今日はメイド服でなく|普通《ふつう》に制服を着ている。ハルヒが|着替《きが》えなくていいと言ったのだ。これから朝比奈さんを連れてどこかに出かける|肚《はら》らしい。
「あの、あたし出来ればあまり目立たないような役が……」
 朝比奈さんは|困惑《こんわく》の|面《おも》|持《も》ちでハルヒに|訴《うった》えかける。
「だめ」
 ハルヒは答え、
「みくるちゃんにはじゃんじゃん目立ってもらうからね。あなたはこの団のトレードマークみたいたもんだから。今のうちにサインの練習をしといたらいいわ。完成|披露《ひろう》試写のときに観客総出で求められると思うし」
 完成披露試写? そんなもんどこでするつもりだ。
 朝比奈さんはとても不安そうに、
「……あたし、演技なんか出来ないんですけど」
「だいじょうぶよ。あたしがバッチリ指導してあげる」
 朝比奈さんはおどおどと俺を見上げ、悲しそうに|睫毛《まつげ》を|伏《ふ》せた。
今ここにいるのは俺たち三人だけである。長門と古泉は、それぞれクラスでやる出し物の打ち合わせとやらで|遅《おく》れていた。放課後居残ってまで考えることでもないように思うね。適当にやってりゃいいのに、|真《ま》|面《じ》|目《め》なクラスが案外多いんだな。
「それにしても、有希も古泉くんも不真面目ね」
 ハルヒは|憤懣《ふんまん》やるかたないといった口調で俺に|矛《ほこ》|先《さき》を向けた。
「こっち優先って言っておいたのに自分のクラスの都合で遅れるなんて、厳重注意が必要だわ」
 長門と古泉は俺とハルヒよりも教室に帰属意識が働いているんだろ。この時期にこんな場所にいる俺たち三人のほうがどっちかと言えばおかしいのさ。
 俺はふと思いついて、
「朝比奈さんは、クラスの会議に参加しなくていいんですか?」
「うん、あたしは給仕係なだけなので、あとは衣装合わせくらいです。どんな衣装になるのかな。ちょっと楽しみ」
 照れつつ|微笑《ほほえ》む朝比奈さんは、どうもすっかリコスプレ慣れしているようだ。SOS団|絡《がら》みで無意味な衣装を無意味に着せられるより、ちゃんとふさわしい場でそれなりの|恰好《かっこう》をするのがいいのだろう。焼きそば|喫茶店《きっさてん》にウェイトレスがいても何の不思議もない。文芸部室にメイドがいるよりは格段に合理的だ。
 だがハルヒはどのような拡大|解釈《かいしゃく》をおこなったのか、
「なぁに、みくるちゃん。そんなにウェイトレスになりたかったの? 早く言えばいいのに。そんくらい簡単よ、あたしがコスチュームを|揃《そろ》えてあげるわよ」
 あっけらかんと言い放つのはいいが、文芸部室にいる部員が制服以外のいかなる恰好をしてもそれは場にそぐわないだろう。この前のナースはどうかと思ったし、それならばやっぱりメイドが一番いい……ってのは単なる俺の|趣《しゅ》|味《み》か。
「まあ、それはいいわ」
 ハルヒは俺へと向き直り、
「キョン、あんた映画作りに一番必要なものは何か|解《わか》ってる?」
 さて。俺はこれまでの人生で|感銘《かんめい》を受けた映画の数々を思い|描《えが》いて参考資料とした。しばしの思考を終え、やや自信を持ちながら、
「|斬新《ざんしん》な発想と製作にかけるひたむきな情熱じゃないかな」
「そんな|抽象《ちゅうしょう》的なものじゃないわ」
 ハルヒはダメ出しをして、
「カメラに決まってるじゃないの。機材もないのにどうやって|撮《と》るのよ」
 そうかもしれないが、そんな|即物《そくぶつ》的なことを俺は言いたいのではなく……。まあいいか。反論しなければならないほど、俺には斬新な発想もひたむきな情熱も映画理論の持ち合わせもない。
「そういうわけだから」
 ハルヒは指し棒を引っ込めて団長机に|放《ほう》り投げると、
「これからビデオカメラの調達に行きましょう」
 がたん、と|椅子《いす》のずれる音がしたので横を見ると朝比奈さんが青ざめていた。青ざめもするだろうね。現在この部屋に|鎮座《ちんざ》しているパソコン一式は、ハルヒのデタラメな|強奪《ごうだつ》作戦によってコンピュータ研からパクってきたものだ。その際、|犠牲《ぎせい》となったのが朝比奈さんだった。
 |栗毛《くりげ》を小刻みに|震《ふる》わせる朝比奈さんは、桜貝みたいな|唇《くちびる》をわななかせながら、
「ああああの、すす涼宮さん、そう言えばあたし用事があって今すぐ教室にもどら」
「|黙《だま》りなさい」
 ハルヒ|恐《こわ》い顔。|腰《こし》を|浮《う》かせていた朝比奈さんは、「ひ」と小声を|漏《も》らしてかくんと椅子に|舞《ま》い|戻《もど》った。ハルヒは|突如《とつじよ》としてニカッと笑うと、
「心配しないで」
 お前が心配するなと言って、本当に心配するようなことがなかったためしがない。
「今度はみくるちゃんの|身体《からだ》を代金代わりにすることはないから。ちょっと協力してもらうだけよ」
 朝比奈さんはトラックに乗せられる寸前の|仔牛《こうし》のような目で俺を見た。俺はドナドナを|唄《うた》う代わりにハルヒに言った。
「その協力の内容を教えろ。でなけりゃ俺と朝比奈さんはここを一歩も動かんぞ」
 ハルヒは、こいつらはいったい何を気にしてるのかしらと言いたげな表情で、
「スポンサー回りをするの。主演女優を連れて行ったほうが心証がいいでしょ? あんたも来なさいよ。荷物運びのためにね」

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