あとがき
なんとなくですが、一人の人間が一生涯《いっしょうがい》で書くことのできる文章量は、その人が生まれ落ちた瞬間《しゅんかん》にすでに決定されているのではないかと思うことがあります。あらかじめ規定の文字数があるのだとすると、書けば書くほど目減りしていくわけなので、そうするとどんどん書くことがなくなっていく計算になりますが、実際問題として一日で四百字|詰《づ》め原稿《げんこう》用紙|換算《かんさん》三百枚くらい書いてしまおうと思っても書けたためしがないので案外正解なのかもしれません。もっとも一日で十二万文字も書こうとしたら一秒で一文字をタイプしたとしても約三十三時間かかるため、そんなんできっこないのですが、どこかでやり遂《と》げている人がいるかもしれないので確証を得ることができません。
できないと言えば、この前振《まえふ》りから話題を膨《ふく》らませることもできないのですが、それはいったん脇《わき》に置いておいて別の話に移行すると、猫《ねこ》は良い生き物です。可愛《かわい》いしグンニャリしてるしニャーと鳴きます。だからそれがどうしたんだと思われても困るのですが、僕自身が困っているのでそのあたりはいいわけのしようもなく、「そのようなものである」と思っていただければ幸いです。
ところで、この本は畏《おそ》れ多くも有《あ》り難《がた》くもスニーカー大賞を授与《じゅよ》された結果としてこの世に出ていると思うのですが、受賞した旨《むね》の連絡《れんらく》をいただいたとき、僕はまず自分の耳を疑い次に頭を疑い受話器を疑い現実を疑い地球が自転しているという事実を疑い始めて、ようやく「どうやら本当のことらしい」と思い当たり、意味もなく猫を振り回してみたりもして噛《か》みつかれ、手の甲《こう》に残った歯形を眺《なが》めながら、もし人間が持っている運があらかじめ決定されているのならば、この時点ですべての幸運を使い果たしているに違《ちが》いないと考えたところまでは覚えていますが、なにぶん、あまりの精神的|衝撃《しょうげき》により部分的な記憶《きおく》の欠如《けつじょ》が見られますので自分でも確かなことが言えません。いろいろあったような気がします。
そのようなわけで、この本が出るにあたっての作業工程過程決定にたずさわられた方々の労苦は書いた本人のそれをさらに二乗した以上のものだと思われます。現在私が感じている感謝の念を言語化しようとしても日本語にその感謝規模を表現できる語彙《ごい》は存在しないくらいの途《と》方《ほう》もなさです。特に選考委員の方々には何とお礼申し上げればいいものか解《わか》らず、新しい形容詞を考案している最中なのですが、たぶんそんな自作言語で何か言われても意味不明となって 終了《しゅうりょう》するであろうことも容易に想像できます。とにかく有り難いことです。有り難うございました。心底から、そう思います。
今ここにいる私は、なんとかスタート地点に立たせてもらったばかりの上に号砲《ごうほう》と同時にコケるかもしれずゴールがどっちでどこらへんにあるのか、ひょっとしたら給水ポイントすらない道を走り出してしまったのかもしれませんが、迷走しつつも走り続けることができたらよいなとしみじみと思います。そんな他人事《ひとごと》みたいに思っている場合でもないのですが。
最後に、この本の製造制作出版に際し直接的間接的有形無形のかかわりを持っていただいた方々全員と、読んでいただけた方々全員に無限の感謝をささげつつ、今回はこれにて失礼いたします。
谷川 流
解説
本作『涼宮ハルヒの憂鬱』は、第8回スニーカー大賞の<大賞>を受賞した作品です。新しい才能を発掘《はっくつ》するために設けられたスニーカー大賞は、設立以来、数多くの作家を見いだしてきましたが、最高の賞である<大賞>はこれまで2人しか受賞していませんでした。<第2回>吉田《よしだ》直《すなお》(代表作『トリニティ・ブラッド』)、<第3回>安井《やすい》健太郎《けんたろう》(代表作『ラクナロク』)です。ご存知のとおり、この両名ともが大人気シリーズを発表し、大賞受賞という大きな看板にふさわしい活躍《かつやく》をしています。逆に言えば、大賞を受賞するためには、この両名と同じ、いやそれ以上の実力がある、と認められなければならないのですから大変です。だけどもついに、安井健太郎以来、5年ぶりに大賞を与《あた》えるにふさわしい才能、作品が登場しました。それが谷川《たにがわ》流《ながる》『涼宮ハルヒの憂鬱』だったのです。
スニーカー大賞の最終選考会では毎年、選考委員の熱い議論が交《か》わされています。選考委員全員が、新しい才能を一人でも多く世に送り出したい、という気持ちで選考にあたっているのですが、候補者に対して無節操に賞を与えるわけにはいきません。ちょっと選考会の裏話をすると、まずは選考委員の議論の過程でその作品の長所と短所を徹底《てってい》的に指摘《してき》しあいます。それをふまえてなお魅力《みりょく》的なポイントがあるかどうかが、受賞の大きな分かれ目になるのです。そしてその作品が賞を受賞した場合、編集者はそこで指摘された短所を解消し、長所をさらに伸《の》ばすべく、著者と作品づくりをしていくわけです。
さてこの『涼宮ハルヒの憂鬱』は、その最終選考において選考委員全員|一致《いっち》の上で大賞に推《お》されました。涼宮ハルヒという破天荒《はてんこう》なキャラクターを軸《じく》にした小説の、その根幹となるアイデアの料理の仕方、一人称《いちにんしょう》というスタイルで最後まで飽《あ》きさせずに読ませるストーリーの運び方と文章力、登場するキャラクターのあふれる魅力、どれをとっても大賞にふさわしいと、それはもう同席した編集者もびっくりするぐらい、あっさりと大賞に決定したのでした。
本作『涼宮ハルヒの憂鬱』とはどういった内容なのか。それは、涼宮ハルヒという美少女がとっぴな言動と行動で周りを振《ふ》り回す学園物語なのです……かと思いきや、途中《とちゅう》で明かされるハルヒ本人も知らない秘密のなんと大風呂敷《おおぶろしき》なことか! ネタばれになりますのでその大風呂敷を解説するわけにはいきませんが、思わず「うそー!」と言ってしまう展開が進むにつれ、いつのまにかこの驚《おどろ》くべきハルヒ・ワールドに誰《だれ》しもが納得《なっとく》させられてしまうところが、この作品の不思議な、そして大きな魅力なのです。現実というものが薄皮《うすかわ》一枚であっというまに非日常になってしまう不思議さ、異常だと思っていた出来事が本当は通常だとわかった瞬間《しゅんかん》の奇妙《きみょう》な感覚にぜひハマってください。
登場するキャラクターたちも強烈《きょうれつ》な個性をもったヤツらばかりです。わがまま、自己中、ご意見無用なスーパーヒロイン・涼宮ハルヒは、自分が面白《おもしろ》いと思えることを妥協《だきょう》せずに求め続ける、良く言えば超《ちょう》ポジティブ、悪く言うと迷惑《めいわく》感あふれる女の子。そんな彼女に振り回されるこの物語の語《かた》り部《べ》のキョンは、最初から最後まで本名を呼んでもらえないかわいそうな扱《あつか》いの上に、SOS団の設立やその後のとんでもない騒動《そうどう》に巻き込まれてしまいます。それでもハルヒとつきあえるのですから、これは一種の才能でしょう。そして、いつもハルヒに無理矢理コスプレさせられてしまう朝比奈みくる。毎回イヤだイヤだと言いながら、実は彼女、コスプレを気に入っているんじゃないでしょうか? 雑誌|連載《れんさい》のほうでも様々なコスチュームにチャレンジしていますし。
そう、この文庫発売と合わせて雑誌『ザ・スニーカー』での短編連載が始まっています。文庫版の後の物語が描《えが》かれているこの短編でも、ハルヒはわがままを言い、みくるはコスプレし、キョンはぶつぶつとぼやきつつ、右往左往しながら活躍しています。
この『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んで、もしあなたが気に入っていただけたならば、ぜひお友達に本書を勧《すす》めてください。そして『ザ・スニーカー』の連載も読んでみてください。一人でも多くの人にこの物語が読まれること、それが作者と編集部の一番の願いであるのです。
スニーカー文庫編集部