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日本語で構想し、韓国語で小説を書いた時代

【新刊】キム・チョル評論集『腹話術士たち』(文学と知性社) 

 「気の毒な友人がいた…彼はほとんど仇甫の親友だった」

 朴泰遠(パク・テウォン)の小説『小説家仇甫氏の一日』に出て来るこの文章の意味を正しく解釈できる人物はいない。「親友」とは、単なる友人以上に、とりわけ親しかったことを表す当時の日本語だからだ。韓国近・現代の小説を研究してきた著者はこの本で、韓国文学に近代小説が根付いた旧韓末から植民地時代初期にかけての、現代では見慣れぬ言語表現を見せている。著者は「西欧の近代小説が日本を通じ流入したということ、そして植民地という現実が、韓国語で小説を書くと決心した当時の作家たちに新たな生みの苦しみを要求した」と語る。「まず日本語で構想し、それから韓国語で小説を書いた」と述べた金東仁(キム・ドンイン)の逸話も披露している。

 英語はよく使っても方言はかたくなに拒否した李光洙(イ・グァンス)の啓蒙主義小説の文章を、自然主義的観点に基づき平壌方言をなぞるように表現した金東仁の文学とも比較している。また著者は、「愛国歌」(韓国の国歌)を作詞した尹致昊(ユン・チヒョ)が「韓国語は語彙が豊富ではなく、言いたいことを十分に表現できない」と言って英語と漢文で日記を書いた事実を明らかにし、「朝鮮末期の韓半島(朝鮮半島)は多様な言語が入り乱れ争う場だった」と指摘した。

キム・テフン記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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