すっかり春になりました。もうすぐ四月。進学や進級、就職と、新しいスタートに気分を新たにしている人も多いでしょう。心浮き立つシーズンです。でも振り返ってみると、大きな出来事があった季節でもあります。
第二次大戦中の一九四五年四月八日深夜、米軍による「玉野空襲」がありました。岡山市と倉敷市水島の二回の大空襲の前段階に、岡山県内で米軍が六回行った小規模爆撃のうちの一つです。玉野市の三井造船社宅と寮に二十三発の爆弾が投下され、数十人の死傷者が出たとされています。
昨年、この爆撃で破損したレコードだんすが岡山空襲資料センターに寄贈されたことが記事になっています。傷だらけのたんすの写真は生々しく、空襲の恐ろしさが伝わってきます。恥ずかしい話ですが、私も玉野空襲について詳しいことはこの記事で初めて知りました。戦争体験者が年々少なくなっていく中、何らかの形で悲惨な空襲体験を伝え続けるのは大切なことです。
事件や事故をいち早く知らせたり、政治の動きを解説したり…新聞の役割はたくさんあります。そして過去にあった大きな出来事を、折に触れ振り返り、若い読者たちに伝えていくことも大事な役割の一つです。玉野の記者として不勉強だった自分への戒めの意味も込めて書いています。
玉野にはもう一つ、折に触れて伝えていかなければならない大きな出来事が二十年前の四月にありました…が、残念ながらスペースが尽きました。続きは次回、また紹介したいと思います。
(玉野支社・高木一郎)