このエントリーは、沖縄のallallallさんという方との対話用にアップしました。もちろん、ご興味がある方の参加は歓迎いたします。
allallallさんとは、小山裕士 さん のブログで、絡み絡まれた関係で知り合いました。その態度が失礼と思われたので、私のブログに誘導しました。その後のコメントで、もしかしたら、ちゃんと対話の出来る方かもしれないと思い直し、このエントリーを用意しました。最初の部分は、この前のエントリーのコメントです。
沖縄には基地だけでなく、集団自決に関わる運動などが、大きくメディアに取り上げられています。一方、反米左派の牙城とも言われ、保守からは非難される例も多いのが現状です。できれば、沖縄在住のallallallさんとの対話で、実際には何が起こっているのかを考えてみたいと思っています。
さて、議論を分かりやすくするために、できるだけ直接的な表現と簡略化した事実で話を進めたいと思います。挑発的と受け取られないように、お断りしておきます。双方のギャップを明確にすることと、議論を分かりやすくするためです。
まず、沖縄県選出の衆議院議員 下地幹郎のサイトから引用します。
>沖縄県が、他の都道府県と違って特別な立場であることは、大きく次の三つの要因によって語られます。
1.日本で唯一の地上戦が行われ、20万人余の尊い命が失われた
2.二つ目は、戦後27年間にわたり、米国政府の施政権下に置かれた
3.日米安保条約に基づく多くの米軍基地の負担を背負わされた
と書かれています。この文章が沖縄県民総意のものとは思いませんが、一般的なものでもあると推測します。
一方、沖縄の本土復帰後、日本政府は、沖縄振興開発特別措置法に基づいて、毎年約3000億円、復帰後35年間に7兆5000億円が沖縄に投入しました。その当時の沖縄県の普通予算は、昭和50年度で1500億円です。つまり毎年、普通予算の二倍の資金が通常の交付税や税収以外に、投入されたのです。当時の国の一般会計の約1.4%です。
これは莫大な額です。昭和50年の沖縄県民が約100万人ですから、一人頭なら年に30万円、五人家族なら150万円に相当します。昭和50年の150万です。日本人は高度成長期で必死に働き税金を収めていました。もちろん県の予算として使われたわけですが。ちなみに沖縄県の平成18年度一般会計当初予算規模は、5,958億円ですから、その二倍の1兆2000億円が別途入ってくるようなものです。その他にも、各種の優遇税制や政策がおこなわれています。また現在も、毎年100億、10年で1000億の予算が組まれています。
メディアはほとんど報じませんが、日本は(つまり国民は)充分では無いかもしれないが、出来る限りの優遇を沖縄に対してしているのです。(それらのお金が効果的に使われたかどうかは、別の問題)
なぜ、これほどのお金と優遇を沖縄県に与えるのか。それは、先に引用した中での、2と3に対する配慮だと思います。占領の終了によって、一刻も早く本土並みになって欲しい、そのためにはお金が必要だ、そしてその後も、国の安全保障のために、広大な基地による利益損失を我慢してもらおう。そのような意味だと、私は思っています。
戦争中の被害については、恩給・遺族年金などで対応されているのでしょう。沖縄に限らず、東京大空襲でも、広島長崎、北方領土でも、悲惨な死があり、多いところでは10万単位でありました。
以上にあげたのは、沖縄が受けたデメリットとそれに対する補償(?)を簡略化して列記したものです。人の死や苦しみが金で償えるかという人もいるかもしれませんが、実際にはそうするしか無いのが現実です。事故や犯罪などの死を見ても明らかです。
私は、今までの沖縄への優遇は支持します。そして、今後の地域振興予算もある程度継続されるべきだと思っています。
ただ、直接的に言ってしまいますが上記の内容で、私は沖縄の負担と、それに対する国の優遇は、財政として可能な範囲で、釣り合いが取れていると思います。つまり、他の都道府県と違って特別な立場である とは、思えません。(反発を覚悟で書いてます)。規模の大小は違っても、沖縄以外にも基地があるし、国や公が必要とする施設を、問題がありながらも受け入れている地域もあります。また、北方領土のように敗戦の負債を負っている場所もあります。彼らには、充分でないにしろ、なんらかの補償がされ、それで通常は受け入れられています。
さて、以上を(私の)前提として、以下の質問を書きます。
沖縄の負担と、それに対する国の優遇は、財政として可能な範囲で、釣り合いが取れていると思いますか?
なぜ、今回の女子中学生の問題で、今の段階であれほど大きな騒ぎになるのでしょう?
もちろん、犯罪があれば批難するのは当然です。しかし、まだ被疑者は否認していましたし、起訴さえされていません。(今は取り下げ、釈放になったようですが)この段階で、一般的にある、同種の事件に較べれば、異常とも言える騒ぎになるのはなぜなんでしょう?沖縄以外から見ると、そう不思議に思う人が多いと思います。
被疑者が米兵だったことは、今回とくに意味がないと思います。日本の警察に確保されているので、地位協定による障害はなかったはずです。そして、彼のプライベートな時間に一人で、街で知り合った中学生との間に起きたことです。まさに個人的な事件だと思います。
この状態で、なぜ、県民大会まで開かれる騒ぎになるのかが、分かりません。
allallallさんか、他の方のでも、ぜひ理由を教えて下さい。
もちろん、沖縄の人すべてが、そうだとは思っていません。労組や教組、左翼団体が核になって、普通の人は善意と改善を望むために参加されているのでしょう。しかし、それが主催者の意思表現に役立っているのも確かです。
※追記
復帰後の沖縄に対する配慮の要因として、大事なことを書き忘れました。
海軍司令官 大田実少将の最後の電文、
「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを。」
この言葉を、当時の人は忘れていなかったでしょう。だから決して沖縄を見捨てないという思いがあったと思います。
by mochizuki
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